2-6.煌きは瞬きより尚短し


 凱禅率いる軍勢が壬へといよいよ侵攻した。

 先の大戦の余韻が覚めやらぬこの時に、しかし誰もまさか、とは思わなかった所が興味深くもある。こ

のような蛮挙ですら、誰しもが自然に納得する所に、凱禅と言う男の本質が見えるのかもしれない。

 無論、侵攻前には宣戦布告があった。

 それによると、今回の凱が壬へと攻め込む理由は、壬が紫雲緋と賦族を使って、何やら良からぬ事を画

策している為、らしい。

 紫雲緋をわざわざ上将軍にしたのもその一環だと、凱は言うのだ。

 賦族の心を得、この大陸に賦と言う国家を再起させ、壬と賦とで天下を獲るのだと、そう言う風に言っ

ている。更には壬の竜将軍が賦族の血を引いている事も、それを証拠付ける事だとしているようだ。

 建国の際に壬は賦に協力を要請したのだが、その時にすでに秘密同盟が結ばれ、もしお互いが窮地に陥

った場合の算段も、すでに付いていた。その盟約によって壬は紫雲緋を強引に受け入れ、今も表面下では

各国に散らばって居る賦族達と共謀し、一斉に反旗を翻(ひるがえ)す構えだと言う。

 一切の証拠は無く、また強引極まり無いのだが、戦争の理由などは大体そのようなものである。おそら

くそれは古今東西、いや未来でさえも変る事は無いように思える。

 何故ならば、戦争自体がそう言うモノであるからだ。

 とは言え、この布告文は凱禅らしく都合は良いものの、上手くまとめられており。賦族の潔癖さと、壬

の潔癖さが無ければ、或いは一騒動が起きたかもしれない名文ではあった。漢にその気があれば、この機

会を充分に利用出来たかも知れない程に。

 しかし実際においては、このような言葉は荒唐無稽極まりなく、信じる者は一人として居ない。いや、

信じる必要は無かった。こじつけでも何でも、宣戦布告をした事に意味がある。その正当性などは大して

問題では無いのだろう。

 壬にとってもそれは同じであり。この国にとって重要なのは、ただ凱が攻め込んでくると言う事実だけ

で。その理由が何処にあろうとも、正当性があろうと無かろうと、防衛すると言う事に変りは無い。

 一応王が外交府に命じ、この布告文に異議を唱えるべく、凱に向かわせたが。おそらくは入国すら許さ

れず、追い返されるだろう。

 もし通されたとしても、凱禅が誰の言葉を聞くとも思えず、どのような言葉を並べても無駄であり、か

えってこじらせる事になろう。屁理屈でも理屈でも、こねさせれば彼に敵う者はいない。それは何の褒め

言葉にもならないが、こう言う場合に有効な手段ではある。

 口が上手いと言うのも、案外人間の社会に置いて重要な要素だと思える。

 それはそれとして。布告文の内容も然る事ながら、何よりも重大な事は、その宣戦布告の時期であった。

 即ち、凱は宣戦布告と同時に、有無を言わさず壬国へと侵攻を開始したのだ。

 外交府が向っても意味が無いだろうと言ったのには、そう言う理由もある。すでに軍勢が動き出してい

る以上、降伏の使者でもなければ、他国人などは一切国内に入れようとはすまい。外交団が間諜の一種と

も言える事を考えれば、それは尚更の事である。

 これに対して不満を持っても、異議は唱えられない。すでに戦争が始まっている以上、それをどうこう

しようと言うのは、まったく不可能な事だ。大人しくこちらも戦争準備を始めるしかない。

 外交戦、話し合いが成り立つのは、戦を始める前と戦の終わった後の事であり。始まってしまった以上、

何を言っても何かしら決着が着くまでは止まらない。戦とはそう言うモノだろう。

 そこには是も否も無い。

 壬国もそれは良く解っている。外交団も言わば形式として派遣したに過ぎない。すでにあらゆる手を使

い、出来るだけの手を打って、本格的に戦の準備を整えている。

 凱軍を迎え撃つ法越も、出来る限りの準備を進めていた。しかしこれほど電撃的に侵攻して来るとは、

流石に予想外ではあった。時間不足は否めない。

 それだけに壬の凱禅への悪感情は更に募る。

 確かに突如宣戦布告をし、そのまま侵攻する方が有利に違いない。敵国に戦争準備を整えさせない方が、

確実に戦を有利に進められるからだ。

 しかしそれは人道と名誉に反する行いであり、この大陸の歴史の中でも無かった事では無いが、それは

当然褒められた行為では無いとされている。いや、それどころか甚だしく名声を損う行為である。特に今

は名誉が大変重く見られている時代であり、その事は尚更強い。

 凱禅もこの時代の人間であるからには、そう言う事を重々知っているはず。だがそれを押して、敢えて

行った(兵を壬国最接近領に集めたりと、それでも多少良心か誇りに呵責があるのか、事前に知らしめる

ような事をわざわざ行ってはいるが)。

 あの凱禅が多大な損失を敢えて行ったのである。これも法越からすれば大変不可解な事だった。何故そ

こまでする必要があるのだろう。そこまでする事に一体どのような意味があると言うのか。

 もしかすれば凱禅は、そう言ったこの世の全てのモノに、反旗を翻そうとしているのだろうか。彼の理

想とした恐怖政治が示すように、自らの都合の良い世界を、国内だけで飽きたらず、大陸中にまで広めよ

うとでも言うのだろうか。

 それともそれだけ漢の力を恐れていると言う事だろうか。

 確かに漢と壬に共同して攻められれば、凱は朽ち果てるしかあるまい。そしていずれは漢と凱の間で戦

が起こる事は必定である。それを恐れているから、今強引にでも壬を攻めるのだろうか。

 或いは他に何か理由があるのだろうか。

 いずれにしても、凱禅と言う存在に何処かしら違和感を感じるのは、やはり確かな事だった。


 東砦も他の砦同様、国の唯一の進入路を閉ざすように造られている。

 そこまでの道は坂しか無く。行軍するのにはまったく適さない。しかも道付近の草木は見事に刈り取ら

れ、隠れる場所も無い。言ってみれば、壬と言う国は山の上に引き篭もって居る国家なのである。

 壬国にはその進入点となる場所に、必ず砦のような防衛拠点を建設している事は以前に述べた。そのい

ずれもが大体の造りは同じであり、多少設計者の好みによって異なるものの、使い勝手も見た目もさほど

変り無い。

 それ故、何処から壬国に入るにしろ、来訪者は同一の光景を見る事になる。

 この事にもきちんとした理由があり。いつ誰がどの砦に赴任しても、以前居た砦と同じように使える事

を第一とされ、兵の入れ替えがあっても、初日から迷う事の少ないように。との配慮から来ている。

 これも建国王、壬臥(ジンガ)と軍制の創設者、楓雷(フウライ)が生み出した制度であるが、数十年

と言う年月が経った今でも見事に機能している事は、充分に評価するに値する。

 戦の準備をするにも、様々な気配りと配慮がなされており、最低限の人数で、最大最速に整えられるよ

うに考えられている。建国当初から兵力も国力も寡少だったこの国家の成り立ちを考えれば、これは当然

の結果なのかもしれない。

 今も法越の軍勢が到着するまでも無く、常時二千前後の兵が配備され。その兵達だけでも戦前準備をす

るには足りた。法越が到着した時には、すでに大まかな準備が終わっていると言う手際の良さだ。

 東砦を任せられている大隊長の名は暦蒋(レキショウ)、消極的な面があり、どこか暗い考えを持ち易

い男であるが。いざとなると不思議と強く、平時の印象とは逆に本番に強い男である。

 責任感も強く(時に気にしすぎだと見えるくらいに)、人柄も悪くなく、兵からの信頼も大いにあり、

重要な拠点を任すに足る。地味ではあるが、その能力に疑う余地は無かった。

 それに彼も商家の出で、そう言う事もあって法越と馬が合うのかもしれない。似た部分と言うものがあ

ると、人は他者に安心感を覚え易いものである。

 余談になるが、将軍位には大、竜、上、次、と四つの位階がある。だが誰の下に配属されようと、基本

的に大隊長の中に格差は無い。大隊長はあくまでも大隊長であり、竜将軍下であろうと、次将軍下であろ

うと、軍位はあくまでも同等である。

 暦蒋は法越を急いで出迎え、報告をしながら司令室へと案内した。

 その言によると、凱禅は早この砦付近まで進軍しており、明日明後日にはこの砦への山道に差し掛かる

だろうと言う事であった。

 壬国内の軍路が他のどの国家よりも整備されている事を思えば、凱が事前に壬国領付近に兵を集めてい

た事を差し引いても、なかなかの行軍速度と言える。

 焦っているとまではいかないかも知れないが、それでも早期決戦を望む腹が如実に現れている。容易く

腹の中を見せるとは、これも凱禅らしくない。やはり凱は準備不足を押して出てきたのではないか。

「それともこれは罠でありましょうか」

「あ・・・そうですね。そうとも考えられますし、しょ、将軍、ここはどう致しましょう?」

 法越の問いに暦蒋が恐々と答えた。

 暦蒋は細身の割には長身な部類であるので、彼と真逆の体型の法越と並ぶと、そこに多少おかしみを感

じなくも無い。しかし今は笑うような場面では無い為、皆生真面目すぎる程に生真面目な顔で、この光景

を見ている。

「それを貴方に聞いたのですが・・・。まあ、そうですね・・・。では篭城らしく、こちらは気長にいく

としましょうか。いつでも行えるよう、転石の準備もしておくように。さて、今日中にこちらに着くので

は無いのなら、もう一つ罠をこしらえておきましょうか」

 そう告げて法越がそのまま部屋を出ようとすると、慌てて暦蒋が止める。その顔色は真っ青に近く、ど

う贔屓(ひいき)に見ても、砦よりは医者の傍に寝て居る方が似合っていた。

「しょ、将軍、何処へお出でになるのですか? ま、まさか私一人で戦えとでも」

「馬鹿な事を言ってはいけません。言ったでしょう、罠をこしらえると。その為に百名程兵を連れて出か

けて行きますが、明日までには戻って来ます」

「あ、そうでしたか。それは失礼を致しました。どうぞごゆっくりお出で下さいませ」

「いや、ゆっくりもしてられないですが。まあ、暫くは頼みましたよ」

 法越の言葉に安堵の表情を浮べ、後は先ほどとは正反対の姿勢で彼を送り出した。暦蒋とは、まことに

解り易い男である。そのまま商人にならず、軍人となって正解だったと、誰もがしみじみと思う事だろう。

 暦蒋が噂に名高い黒竜の中でも、将軍に次ぐ地位である大隊長だと聞くと、皆まったく信じられないと

言った顔をするが。この男はこれでも武芸の腕前では名の知れた男で、楓仁を除けば、かえって将軍より

も個人戦では強いくらいなのだ。

 いつも他人の言動を気にしている為か観察眼も鋭く、見ると言う事にかけては並ぶ者はそういない。

 ただ哀しいかな。畏怖すべき武力に似つかわしくない性格で、本来ならば戦場で思う存分駆けさせる所

なのだが、まったく惜しい男である。もう少し気が強ければ、或いは楓仁と黒竜の武の双璧を張っていた

かもしれない。

 まあ消極的だからこそ良い所もあり、出来る事もある。彼は彼で良いのだろう。洒落で大隊長になれる

訳は無いから、それは実績と現在の地位が証明している。自分のやれる事を、精一杯にやれば、それで良

いのだ。

 ともかく法越も到着し、壬国側の防衛準備はほぼ整った。おって五千程度の兵も送られてくる事になっ

ている(凱禅の進軍が思ったよりも早かった為、準備が間に合わなかった分)から、兵力の上でも問題は

無い。

 対する凱の軍勢は二万から三万と言った兵数らしい。もしかすれば、後続の兵も居るかもしれない。果

たしてこの戦いの行く末は何処へ行き着くのか。   




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