2-7.廻央を臨む


 数日後、凱軍が東砦より見渡せる位置にまで近付いた。

 流石に圧巻の光景である。数万と言う大軍が、さほど広くも無い山道にみっしりと詰っている。しかし

雑然としている訳では無く、あくまでも組織的に動き、今も粛々と砦へ向っている。

 よほど上手く連携がとれているのに違いない。先の連合戦とは別種の光彩を放つが如く、とても同じ軍

隊だとは思えない程だ。

「よほど鍛えたようですね」

 法越は舌を巻く思いでそれらを見詰めていた。

 驚いたのはそれだけではない。彼らが運ぶ物資の中に、何やら見た事も無い大きな物が混じっているの

である。わざわざこんな高地まで運ぶ所を見ると、おそらくは攻城兵器の類なのだろう。凱禅が侵攻する

に至った勝機は果たしてこれであるかと、法越は考え込む。

 偵察からの報告でも詳しい事は解らず、結局は人の常として当って見るまで解らないようだ。それでも

偵察者は、鉄板が貼り付けられた板と梯子が遠目からも見られた、と言っていたから。総合して想像する

に、梯子を鉄板で囲った物だろうか。

 それならば、以前楓仁から聞いた、賦族が使った攻城兵器に似ている。賦族よりもより用心深く、鉄板

で囲う所がいかにも凱禅らしい。

 何となく種は読めるものの、それだけでは事態は変らない。対処法が無ければ如何ともならず。こんな

物を使われれば、簡単にこの砦に乗り込まれる事は必定であろう。

「これは困りました。対処法は・・・転石の計くらいしか無いでしょうね。しかし鉄で覆うとは、凱禅も

手の込んだ事を・・・」

 転石の計とは、壬の防衛兵器でも最も強大かつ原始的なモノで。ようするに巨石を相手に向って転がす

と言う計略である。敵兵は山道を登って来るだけに、当然敵兵の方が低地になる。そこへ丸く削った巨石

を転がせば、面白いように勢い良く進み、敵陣を揉み潰すと言う荒っぽくも強力な策であった。

 これならば例え鉄板で覆われていようと何だろうと、一緒に転がり落としてくれるに違いない。

 ただ準備に時間と大変な労力が必要で、そう何度も使えるような策では無く。使い所を誤れば、もう取

り返しはつかない。正に転がる石は止められないのだ。

 転石を失敗すれば、後は弓矢になるのだが。弓矢程度では分厚い鉄板は射貫けない。火矢も無力であろ

う。つまり一度巨石を転がす時期を失敗すれば、その後は再び転石の準備が終るまで無力になり、その間

に自由に城内へと侵入されてしまいかねない、と言う事である。

 兵数が少ないだけに、壬側は侵入されてしまうと弱い。篭城戦の肝は、如何に敵兵を内部へ近づけない

か、と言う所に在る。何度もそんな事があれば、瞬く間に砦を落とされてしまう可能性があった。

「この時の為にかねてから準備していたのでありましょう・・。まったく油断ならない男です」

 法越は溜息混じりに呟いた。凱禅と言う男は、本当に何故こうも人を嫌がらせる事が上手いのだろうか。

まったくここまで用意周到であると、もう尊敬するしかない。

 惜しい事だ。これだけの能がありながら、ここまで名声名誉とは無縁の存在であるとは。

 その性根がまったく惜しい。

「法次将、い、いかが致しましょうか・・・」

 暦蒋は法越の側でひたすら心配している。ある意味心配するのが彼の仕事であり、守る為には警戒心が

強い方が良いに決まっている。とは言え、彼は少し行き過ぎている感はあるのだが。

「今更じたばたしても仕方ないでしょう。それに組上げて見なければ、どれだけの物かも解りません。凱

の技術力を考えれば、大した代物で無い可能性もあります」

「し、しかし、凱禅も勝算あって使うはず・・・」

「ええ、楽観的観測も希望的観測も戦場には必要ありません。ですから、組上がる前に潰してしまうのが

得策でございましょう」

「そ、それでは転石を・・・」

 そう言って慌てて準備に向う暦将を、しかし法越が制止する。

「いやいや、違います。奥の手と言うモノは最後までとっておき、出来れば使わない方が良いのです。で

すからここはまず、私が少数で撃って出てみる事にします」

「迎撃・・・と言う事でしょうか。で、ですがそんな・・・」

「そう言う事になりますね。貴方は後をお願いしますよ」

 驚き慌てる暦蒋を後目(しりめ)に、法越はいつものように素早く門へと向う。伝令にも出撃準備を知

らせるよう命じ、すでに全ての用意は整いつつあった。付いて行けぬは、ただ暦蒋のみである。

 しかし訳が解らないまでも、後を任されたとあれば、出陣の将に対し、何かしらの言葉をかけるのが作

法であろう。

「ご、御武運を!」

 そうしてまごついた後、ようやく彼が将軍を送り出したのはそんな言葉であった。

 自分も当事者なのだから、この言葉は少しどうかと思うのだが。それでも法越はにこやかに返礼をした。


 法越は千程度の兵を率いて凱軍を迎え撃つようだ。

 道はせいぜい大人五人も横に並べれば良い程度であるから、兵の数はあまり問題では無いのだろう。

 だが勿論、入れ替え入れ替えして使う事で、より長い時間戦い続ける事が出来るから、兵数が多い方が

有利である事は変らないし。その優位からは精神的余裕も生まれる。

 例え当る面積が少なくとも、その兵数自体が変る訳では無いのだから、これは当然の事だ。

 とは言え、守り易く攻め難いと言う状況は、かえって兵数が多い方が身動きを取り難い。そして何より

も心理的に不利だと思わされる事が痛い。

 この心理的作用が非常に有用であり、大抵の戦略家が心理面をこそ重視する理由に、一つにはその事が

ある。そしてそれが正しいだろう事は、戦史を見れば容易に理解出来る事だろう。

 人と人とが争う時、その数に関係なく、須(すべか)らく心と心の勝負となる。

 しかも凱の軍勢は、まさか壬の方から出てくるとは思ってもいなかったので、壬軍が考えているよりも

この心理的効果が強かった。

 凱の兵は凱禅に心服している訳では無く、彼の機嫌を損ね、自らとその親族縁者に被害が及ぶのを恐れ、

それ故に必死になっている。その分精神は衰弱し、休まる所を知らず、言って見ればあらゆる物事に大し

て敏感過ぎ、過剰なまでに反応するようになっていた。

 ようするに恐慌を起しやすく、同時に狂気に飲まれやすいと言う事である。

 しかし敵が少数だと解るにつれ、少なからず凱兵達は安堵し、各隊長達は即座に迎撃の命を下した。

 この程度の事ならば、一々凱禅が指示しなくとも出来るように訓練されているようだ。それが結果とし

て、精神面の強化にも繋がっているのだろう。

 凱禅はその一連の流れを見、ほくそ笑んだ。例え心中がどうあろうと、乱れ乱れて動揺していようとも、

自分の訓練した通りに動きさえすれば、彼にとってはまったく問題にならない。

 それにもし兵が動かないとしても、より大きな恐怖を与えれば良いだけである。過敏になると言う事は、

そう言う事でもあるのだ。より大きなモノに反応しやすい。そしてより大きなモノと言えば、凱禅以上に

凱兵の弱みを握って居る存在はいない。

 だから凱禅は満足している。全ては彼の手の内にある。

「なかなか良い動きをするようになってきたではないか」

 そして珍しく兵達を褒めた。

 ただ気にくわないのは壬の軍勢である。

 凱禅の予想ならば、楓仁でもあるまいし、まさかあちらから少数で撃って出てくるとは思わなかったの

だ。そんな事は兵力の消耗を強いるだけであり、無駄としか思えない。

 壬も凱禅の思惑通り、兵法に従って懸命に戦い、美しく散れば良いのだ。それでこそ、凱禅の軍略家と

しての名声も高まる。それがこのような少数などで来られても、撃破して当然ではないか。

 面白くも何ともない。

「法越とやら、奴もかつての漢嵩と同じく、所詮は次将軍止まりの男か」

 凱禅は呆れたように笑った。今度は高らかな嘲笑である。付近の兵はただただ彼を畏れ、静かに控えて

居た。彼の手足であるからには、勝手に動き、話す事等は決して許されない。あくまでも凱兵の自由は、

凱禅の決めた範囲内の中にある。

 徹底された恐怖政治は留まる事を知らず、それを止める者もおらず、凱の民の恐怖と嫌悪感は日増しに

増して行く。もはや国民にとって凱禅とは王に非ず、人に非ず、畏怖すべき悪鬼羅刹なのだ。

 壬への戦争準備に入ってからは、それは特に酷くなり。今では許可を得なければ外出する事すら出来な

い。他の都市や町村に行くなど以っての外で、必要最低限の人数だけしか移動は許されていない。

 だがその反面、犯罪率は落ち。凱禅の支配力が強くなっている事で、山賊夜盗の類も討伐されて激減し

ているようだ。

 凱禅は自分以外に対しては真に潔癖であり。それはあくまで自分本位のモノではあるが、美意識と名誉

と言うモノを想う心は在る。それが他者にとって良いか悪いかはまた別の話なのだが、多少の救いが無い

事もない。

 ともかく兵は彼にしっかりと掌握されている。簡単に撃ち破る事は困難だ。

「これもこけおどしに過ぎぬ。攻城塔の準備を急がせ、敵兵をさっさと撃破するように命ぜよ! フン、

敵将自ら出てきたとあれば、予想よりも早く片がつくかも知れんな。まったく愚かな将よ」

 凱禅は三度笑った。




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