2-9.終結の烽火(のろし)


 法越は数日に渡り、地道に挑発的な小攻撃を、散発的に繰り返した。

 一つには凱禅を苛立たせ、凱軍の士気を下げる為であったが。最も大きな理由は、壬軍に決定的な勝利

手段が無かった事にある。

 唯一の効果的手段が転石の計と言う、受動的に行ってこそ効果がある策のみである以上、どうしても積

極的になれない。

 防衛側である以上は、受身になって当然であるとしても。このまま時間稼ぎのみしか出来ないと言うの

であれば、いつかは凱の攻城塔が完成し、それを使って攻められてしまう。攻められてしまえば、いよい

よ不利な状況へ陥り、下手をすれば一挙に砦を抜かれてしまう可能性すらあった。

 鉄で梯子を鎧う攻城塔、これは確かに効果的な攻城手段である。

 そろそろ決定打を浴びせなければと、法越は焦りを感じ始めている。

 こうして気長に構えていれば、敵軍の兵糧と士気が尽き、撤退してくれる希望が無い訳ではない。しか

しどうやらこちらの予想以上に、凱禅は今回の侵攻に執着心を持っているようだ。

 その証拠に凱側も何度か距離を詰め、力押しに攻めて来ている。その都度、弓矢や火樽などで追い返し、

堅く門を守って居るが。その攻勢の為に、反撃に出る事が困難になっていた。

 小部隊の攻撃を何度繰り返したとしても、所詮は小さな戦果を上げるに止まり、凱禅の心を折るような

決定打には結び付かない。地味に効果はあるが、その効果が大きく出てくるにはまだまだ時間がかかる。

そして今の壬軍には、肝心のそれを待つだけの時間が無い。

 攻城塔を完成させる訳にはいかないからだ。

「しかし無意味に出撃したとして、果たしてどれ程の効果があるか・・・」

 法越は悩む。

 時間が無いからと言って焦り、無理に押し出したとしても、我が意を得たりとばかりに凱禅の執拗な攻

撃に遭うのが落ちであろう。

 本格的に攻めるには大軍を出さねばならず、その為には門を大きく開放せねばならない。しかし一度開

いた門を閉じるのには時間がかかる。行きはまだ良いとして、帰りが危うい。

 結局兵数から考えて、先に息が上がってしまうのは壬の方になる。そうなれば退却せねばならず、退却

すれば当然凱軍は追撃に出て来る。退却するには門を開けねばならず、門を開ければ追撃してくる敵兵ま

でを砦内へ進入させる余地を生む。

 敵兵に進入されれば、攻城塔以前の問題である。門が開けば、砦だろうと防壁だろうと、用を為さなく

なるからだ。そうなれば兵数で劣り、しかも撤退時を襲われるとなれば、どうなるかは想像に難くない。

 だから悩む。出陣する必要があるが、その時期が難しい。

 とにかくいつでも出撃出来るよう、暦蒋を指揮官とした軍勢を用意しているが、未だ決心がつかない。

軍勢を待機させ過ぎれば、兵達は意気を失いだれてしまうとしても、決心がつきかねていた。

 そんな時である。敵陣へ放った間諜の一人が、慌しく戻って来たのは。

「何事ですか、慌しい!」

 法越だけでなく、壬の将は弛みを嫌う。無為に騒ぎ立てるなどはもってのほか、兵を動揺させるような

行動は何よりも慎むべき事である。

「申し訳ありません、法次将。しかし火急の事態が・・・」

「ともかく話してみなさい」

 苛立ちを押えながら許し、眉根をしかめながら聞いていたが。しかしその報告が耳に入ると、今度は法

越自身が慌て、思わず叫び声を上げる所であった。

「何ですって、それは本当ですか?」

「はい、詳しい事は解らなかったのですが。凱禅の下へ凱国方面からの伝令が訪れた後、敵陣が俄に慌し

くなりました。おそらく凱国内で不足の事態が起こった事と考えられます。未だ兵達には知らされていな

いようですが、いずれは動揺が伝わり兵達は浮き足立つでしょう。今が勝機かと」

 法越は気を取り直すように両頬を勢い良く叩くと、急ぎ側に居た伝令に命じた。

「暦蒋を出撃させなさい。ただ、敵の計略である可能性もあります。弓兵を防壁へ登らせ、いつでも援護

出来るように」

「ははッ!」

 そして自ら状況を確認すべく、見渡しが良く、砦内で一番敵陣へ近い防壁上へと急いだのだった。


「全軍出撃! 遅れをとるな!!」

 暦蒋が常とは別人のように声を張り上げ、先頭をきって馬を駆けさせる。

 続くのは騎馬兵一千、軍馬の数が少ない今、この一千の騎馬兵だけが攻手の要である。それ故、騎乗す

る者も選びぬかれた兵達であり、誰一人しくじるような者は居ない。

 勢い良く駆け、黒竜の持ち味である疾風の如き速度で強襲する。

「我が名は暦蒋、黒竜の大隊長なり! 命が惜しくば逃げ失せよ!!」

 暦蒋の叫び声が戦場を貫く。おそるべき大声、大声で名高い司譜(シフ)にも匹敵するだろうか。馬に

乗り、戦場に出た彼は別人と思うほどに性格が変る。

 恐らく普段気が弱く抑えられている部分が、戦場での高揚と緊張感の中で、堪えきれずに噴き出てしま

うのだろうが。これほど極端に変る人物もそうは居ないだろう。

 楓仁の大槍にも引けを取らない長槍を振り回し、進路を阻む者があれば容赦なく突き崩し、斬り払う。

その剛力も大したモノで、並の力などでは相手にならない。

 さほど大きくも太くも無い身体と腕で、そのような力を発揮するのだから不思議だ。よほど身体のばね

と言うべきか、芯となる部分がしっかりしており、力の使い方が巧みなのだろう。

 凱兵はあっけにとられ、まるで草でも払うかのように、為す術無く切り伏せられていく。

 壬軍が勢いに乗った今、気をのまれた凱兵では手も足も出ない。

「敵兵は怖気づいているぞ! 今こそ勝機、我ら黒竜の力を見せよ!!」

「オオオォォォォォオオオオオオオオオッ!!」

 暦蒋を見、壬兵はいよいよ勢い付く。確かに凱兵がどこか昨日までと違う。一転して脆く、まるで背後

を虎にでも狙われ、前に進むしか生き残る術が無いかの如き、鬼気迫る意志が感じられない。今の彼らに

は死しても前に行くような覚悟が感じられないのだ。

 それは単純に集中力が切れただけとは考えられない。例えて言うなら、そこには凱禅に恐怖で押さえつ

けられる前の、生のままの凱兵が居た。

 漢の前身であり、弱兵としても有名だった双国の兵に次いで弱いとまで言われた、本来の凱兵の姿が。

 凱兵達は怯える。

「壬には楓仁だけでなく、鬼がもう一匹居たのか!?」

「ええい、射殺してしまえ!」

 祈るように弓兵に命じ、矢を放たせた者も居たが。それも容易く切り落とされてしまう。

 楓仁とまでは行かないまでも、暦蒋は闘鬼の如く荒れ狂い、見る者に底知れぬ恐怖を抱かせる。

「たかが一人に何たる醜態、この愚か者共めが!!」

 怒りに燃える凱禅が毒づく。

 彼は慌てふためく兵達を収めるべくしきりに伝令を飛ばし、各隊長を脅し付けているのだが。兵達も凱

禅自身の動揺と、何かしら凶事があった事を察しているのだろう。まったくその命を聞こうとせず、それ

どころか勝手に狂乱し、一人で暴れ出す者まで出始めた。

 凱禅自身に先日までのような余裕が見えず、兵達にまでその動揺が広がり、兵達の動揺が凱禅の動揺を

更に煽り立てる。それに壬の苛烈な進撃が相まって、制限なく動揺を膨らませたかと思うと、それがまた

兵達に伝染していく。

 循環する度に事態は悪化し、動揺は混乱となり、混乱は狂乱へと変る。狂乱は凱禅の与える恐怖をも軽

々と呑み込み、兵達の中で彼の命に伏そうという者は、すでに凱禅の側に居るごく少数の兵だけとなって

いた。 

 最早収集が付かない。兵が命に伏さなければ、将もまったくの無力と化す。

 あっけなく壬軍に押され、凱軍は山道を転げ落ちるように撤退した。虎の子の攻城塔さえ、組み立て途

中で放り捨て、一にも二にも無く、ただただ逃げて行った。

「くッ、もう少しで落せたはずが・・・・。忌々しいのは、項弦よ! あれだけ取り立ててやったものを、

口惜しや!!」

 凱禅もこうなれば執着心も何も在ったものではなく、ひたすらに逃げるしかない。とにかく手近の兵を

まとめると、他の兵と同じく何もかもを捨て置いて、流されるまま逃げてゆく。

 一体凱に何があったと言うのか。ただ一報のみで、これだけ多数の人間、あれだけ大きな狂気と恐怖に

包まれていた者達が、こうも簡単に崩れ去るものなのだろうか。

「深追いするな! 怪我人をまとめ、戦利品を片付け、砦へ帰るのだ!」

 高らかな暦蒋の最後の命と共に、こうして凱の壬侵攻戦は幕を閉じた。

 壬兵達は敵の残した武器(攻城塔も含む)、並びに敵が捨てて逃げた怪我兵をも敵味方区別なく収容し、

意気揚々と砦へと引いていく。例え誰であれ、怪我に苦しみ、仲間にも見捨てられたような兵では、流石

にもう敵も味方も無い。

 それに凱禅の恐怖が消えた凱兵に、一切の戦う意志と反抗する気力は無いようである。

 彼らは素直であり従順であり、まるで主の居ない操り人形の如く、言われるままに捕虜となった。

 しかしこれは喜ぶべき戦火の終わりでは無く。更に大きな戦火の始まりに過ぎなかったのである。

 けれども防壁上に立つ法越に見えたのは、壊乱し逃げていく凱兵の姿のみ。果たして凱で何が起きたと

言うのだろう。

 法越の心を、戦勝後とは思えぬ得体の知れない不安が包む。

          

                                             第二章  了




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