3-10.虎の使い手


 蒼愁は天機軍が迎撃に出たのを見、不審に思い軍を止めて、暫く様子を見る事にした。今までの慎重さ

を考えれば容易に察せられる結果であり、ここまでは岳把の目論見が当っている。

 壬軍は先と同様に重兵隊を前面に出し、その両脇に軽兵を置く事で、どのような状況にも対応できる癖

の無い陣形を組んでいた。

 竜兵は予備兵の役割もあるから、当然後ろに居る蒼愁の手元にて、出撃の機会を待つ事になる。精鋭を

決勝点、つまり勝負が決する瞬間、まで温存しておくのも、蒼愁の考えの一つである。

 陣形としては目新しいものではなく、新しい軍制を使う事によって変える事になる箇所を、あくまで最

低限に抑え。出来るだけ馴染みの深い従来の軍制を利用している事が解る。

 軽、重、竜と分けてはいても、特に突飛な事をしている訳ではなく。単に兵達が理解しやすいようにと

心を配った結果なのだろう。故に、未だ変化の途上とも言えるかもしれない。新しい物を完全に鍛え上げ

るには、多くの時間を労するものだ。

 変化の途上ではあるが、それは従来の戦術でも割合容易く応用する事が出来る、という長所も生む。

 もしこの一連の戦で彼が結果を出せば、大陸の軍制は蒼愁方式へと傾いていく事になるかもしれないが、

おそらくこの途上の軍制を採用する事になるだろう。

 碧嶺と趙深の軍制が完成まで時間を要したように。そして進化、或いは退化と様々に変化していったように。

蒼愁の理想が形になるのはまだまだ先の話である。

 人の意識は一朝一夕では変わらず、時代は奔流のように過ぎても、人はゆっくりと変わらざるを得ない。

そこが人の不幸と言えば不幸であるが、これは仕方の無い事なのだろう。

 ともかく、蒼愁は人の心と意識も視野に入れながら、趙深や碧嶺の思想も参考にして、彼が想像できる

限りの最高の軍制を整えた。

 それに対し、岳把は雑然とそれぞれの虎毎に並べている。お世辞にもまとまっているとは言えず、一応

小隊長、大隊長などの区分はあるのだろうが、それが上手く作用するかは疑問である。

 緒戦の時よりも、更に混沌とした陣形になっているように見えるが、どのような意図があるのだろう。

 同じ軍に所属するとはいえ、虎同士はお互いを未だ競争相手と思っている。付き合いが長い為に虎内の身

内意識も強く、これを全て個人に分け、それから再編成する事は不可能に近い。

 まだ岳把に心服しているのならやりようもあるのだが。彼らは単に岳把の手腕に期待しているに過ぎず、

岳把を信頼してもおらず、期待通りで無い事も先の戦で証明された。自信満面の岳把を見、見直す者も居

たが、大半は開き直りだろうと見ているようだ。

 そんな軍勢を、ただ虎毎に城壁門前に並び立てるだけで、岳把は一体どうしようと言うのか。もう一度

下手を打てば、今度は虎達が完全に岳把を見限り、最悪の場合壬に寝返って彼自身に牙を剥くかもしれな

いというのに。

「奴は一体どうしたいのだ・・・」

 重兵を預かる武曲将軍、司譜も困惑を隠せない。

 まず篭城せずに野戦を挑む事に意味があるとは思えないし、城門前に居座っても何ら効果はあるまい。

門とはその背後で護るものである。前に居ても意味が無い。だが不可解故の不気味さがある。あれだけの

敗北を味わいながら、策もなく迎撃に出るとは思えないのだ。

 これが死に場所を求めての戦ならばまだ解る。しかし相手は歴戦の虎、蒼愁の言った通り、一度敗北し

たくらいで畏れ入るような輩ではあるまいし、簡単に命を捨てるような者達ではない。

「だが合わせてこちらが黙していても、仕方があるまい」

 司譜は伝令を司穂(シスイ)へと送り、軽兵で牽制射撃を加えるように要請した。

 総大将は蒼愁であるが、ある程度の指揮権は司譜にも委託されている。わざわざ蒼愁へお伺いを立てな

くとも、戦場の中だけに限るが、独断で軍を動かす事も可能だ。

 そしてそうでなければ、司譜が居る意味が無い。権限を分担する事はあまり良い事では無いが、お互い

がお互いを信頼しあい、その意図を明確に解りあってさえいれば。逆に将に信を置いて、権限を一時的に

貸し与える事は、大いに効果のある事だろう。

 言わば王と将軍の関係である。軍内は国家の縮図であるとさえ言えるかもしれない。勿論、無闇に権限

を移動していては、自滅の素になる事は変らない。諸刃の刃である。

 この場合も、あくまでも司譜は蒼愁の指揮下にあり。蒼愁が反対すれば、司譜も自身の考えを通す事は

出来ない。ようするに上下関係を無くす訳ではなく、常に動き続ける戦場に適応する為に、各指揮官がそ

の変化に即座に反応出来るようにしてあるのだ。

 常に状況が動き続ける場所で、迅速な判断を損ない変化に適応出来ない事は、敗北へと繋がる。

 だからこそ軍組織は信頼と上下の繋がりを重視する。より迅速確実に軍を動かし、勝利を得る為だけに。

「軽兵隊、射程距離まで移動し、一斉射撃を試みます」

「オォオオオオオオオオッ!!」

 司穂の命により、両翼の軽兵隊が同時に前進し始め、瞬く間に天機軍へと近付いたと思うと、一斉に矢

を射始めた。両翼がまるで一つであるかのような一連の動きに、司譜は満足の笑みをもらす。

 勝って自信が付いた事で兵達の動きが機敏になり。結果を出し、将への信頼も増した事で、より兵の動

きが滑らかになっているようだ。戦場での経験を得、確実に兵達は進歩している。

 そして弓矢で敵陣が崩れた頃を見計らい。部隊が敵陣へと到着する時間を計算して、司譜が重兵にも前

進の命を下した。

「我らも行くぞ!」

「オオオオオオオオォッ!!」

 重兵の動きを音で察し、司穂は左翼右翼をぐるりと大きく左右に旋回させ、中央に重兵の為の道を作る。

 軽兵で牽制して陣形を崩し、そこを重兵で突き、戦果を広げる。これが軽重の基本的戦術である。

 機敏に攻められる天機軍に動きは無く、為す術もなく耐えるだけのように見え、蒼愁や司譜の不安も杞

憂に終わり、このまま理想的な流れで勝利を収めるかに見えた。

 未だ岳把に動きは見られない。 


 軽兵が旋回し道を空ける中、真一文字に襲いかかる重兵。それはまるで津波の如く、抗えぬ圧迫感を感

じさせる。何しろこの一隊だけで天機軍と同等の兵数を誇るのだ。恐ろしさを感じないはずはない。

 軽兵が旋回を終え、再び陣形を整えるまでは弓矢の攻撃は止むのだが、最早牽制の必要性は感じられな

い。重兵の勢いは、例え天機軍を丸々飲み込んでも、衰える事は無いように見える。

 慌てたのか天機軍から矢がまばらに放たれた。しかしまとまっておらず、ばらばらに射放たれる矢など、

さほど効果は無い。

 大きく弧を描いて重兵へと突き刺さったが、重兵の装甲は小揺るぎもせず、そのまま前進を続けた。

 その時、重圧に耐えかねたのか、天機軍より離れ、百名にも満たない少数の兵が前進を開始した。おそ

らく冷静さを失った虎の一つが、岳把の指示を待ちきれず、遮二無二飛び出したのだろう。

「焦ったか、それとも逃げる腹か。どちらにしても容赦せぬ。全兵、即座に叩きのめせ!」

 司譜の命に従い、兵達は速度を増して、小勢に向かって突撃を開始した。疲労は嵩むが、ここが潮とば

かりに司譜は敢えて兵をけしかける。

 兵もここぞ功名の立て時とばかりに、一心に走った。

 高だか百にも満たぬ小勢である。波に乗る壬軍の相手になるはずもない。わずか数合打ち合っただけで

俄に横へそれ、小勢はそのまま後退を始めた。

 それを崩れたと見た兵達は、司譜の合図を待つ事無く、逸る気持のまま追い立てようとする。

 しかしその瞬間である。

「抜かった!!」

 司譜は怒声を上げた。

 確かに兵は崩れた。堪えきれずに後退した。だがその後である。なんと言う事か、前進した兵が見たモ

ノは壊乱する部隊ではなく、新たに左右から迫り来る部隊であったのだ。

 しかしこれもまた小勢。馬鹿にするかとばかりに力押しに押し上げれば、再び敵兵は後退する。

 司譜は脅かしおってと怒りを覚え、改めて追おうとした。

 結果、更に重兵は突出し、軽兵の横を抜けて前進してしまい、軽兵との連携まで崩れる事になった。未

だ軽兵は次の攻撃への準備が整っていない。

 慌てて引き返すかと悩む重兵に、また新たな小勢が襲いかかった。それも何とか凌ぐが、それで終わり

ではない、まるで回転する車輪のように、次々と新たな部隊が襲い来るではないか。

「これこそ車がかりの陣、趙深の遺産を受け継ぐのは、何も子孫だけではないわ!!」

 軍を小勢に分けて並ばせ、一部隊が戦っては退き、次の部隊が続いて攻めては退き、そしてまた次が攻

めては退く。これを繰り返し、敵軍に常に新しい兵を当て続ける事により、こちらは常に士気高い疲労度

の少ない兵をぶつけられるのに対し、敵軍は常に戦い続けていなければならず、疲労度も高まり、終わら

ぬ攻勢に思えて、士気は衰える。

 しかも初めは敵兵が崩れて撤退していくようにも見え、勇んで追撃する所を逆に突かれれば、してやら

れたと心身共に与えられる衝撃は大きい。

 そうして心身共に疲労極まった所を、車輪の勢いに乗ったまま本隊が止めを刺す。これこそ車がかりの

陣。趙深が考案した戦術の中でも、八面埋伏と並んで高度な連携を要する強力な術である。

 趙深の行なった戦法の中では、割合有名な術であり。虎として長く過ごした岳把ならば、それが出来る

かどうかは別として、知っていてもおかしくない。

 その高度な連携を要する、この車がかりの陣を、何故意識がばらばらである天機軍が出来たのか。

 答えは簡単である。

 正確にはこれは趙深が編み出した車がかりの陣ではない。岳把が虎の寄せ集まりである天機軍を、ただ

各虎毎に分けて並べ、それを順番に出撃させただけなのだ。

 天機軍としてはまとまりが無かったが、ただの虎に戻せば気心が知れてるだけに機敏で士気高く。しか

も言ってみれば単虎敵陣へ突入するだけであるから、虎のお家芸と言えなくもない。

 それに蒼愁は趙深の子孫で、言わば壬は趙深の意志を全うする為に碧を討つ。それならばその趙深の策

で敗れるが良い、そういう岳把の皮肉めいた想いもあるのだろう。先に完敗させられた屈辱を、彼は決し

て忘れてはいない。

「寄せ集めならば、寄せ集めの戦い方があるのだ。このまま蒼愁とやらの首を獲ってくれる!!」

 岳把は雄叫びを上げ、自ら軍勢の前に立ち、突撃を開始した。

 孤軍となり、疲労の極みにある兵だけではとても堪えられるはずもなく、重兵隊は見る間に崩れ。押し

潰されるように後退していく。彼らは後から追ってくる味方をも巻き込みながら更に後退を続け、仕舞い

には重兵全てを混乱の渦に叩き落してしまった。

「いけない! 軽兵隊一斉射撃せよ!」

 それを見、危機を察した司穂が全隊に射撃を命ずる。しかし未だ隊列は整っておらず、無理な隊形だけ

にどれだけの効果があるかは疑問だ。距離も遠い。

 現に放った矢の半数以上はあらぬ方向へ放たれている。皆が皆弓の名手というわけではなく、このよう

な緊迫した状況も初めてであるからには、当然の結果であろう。

「見たか、これが岳把なり!!」

 岳把の勝利の声が、混乱渦巻く戦場へと、高らかに響き渡った。




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