3-12.見せよ!


「愚か者ッ!」

 岳把の瞳に再び火が灯る。ここで蒼愁を倒せれば、勝敗は大きく揺らぐ。例え勝てなくとも、彼の美意

識を満足させるには充分な結果になるだろうし、そうであれば彼は満足であった。犬死になどはとても耐

えられない。

 自らの勝利も、彼は当然疑わない。考えても見よ、文官に負ける武官がどこの世に居るのか。

 如何に蒼愁に戦の才があったとしても、所詮は参謀である。見掛け倒しとはいえ、正規に武芸を学んだ

岳把が負けるはずがなかった。

 集団的武勇と個人的武勇とはまったく別種のものだ。戦が上手いから一騎打ちも強いと言う事にはなら

ない。

 余程の才能を持ち、幼き頃から肉体を鍛え上げてきたのならば解らないが。一般に素人武術が玄人に勝っ

た試しは無いのである。

 蒼愁、この男が武芸が達者などと、誰が聞いた事があるだろう。そして誰が信じるだろうか。

 浮かれて最後の詰めをしくじったわ、とばかりに、岳把は気勢を盛り返して馬を駆けさせた。このまま

突撃すれば、一撃の下に蒼愁は冥府へ落ちる事になろう。

「突!!」

 槍を携え、馬ごと蒼愁へと打ちかかった。必殺の一撃と思い、岳把は勝利を確信する。

 だが必殺の間合いと見えたそれを、蒼愁はひらりと難無く避け、そのまま逃げるかと思いきや、巧みに

馬を操りながら逆に岳把の方へと一太刀、二太刀と打ち込んでいく。

「疾、疾ッ!!」

 蒼愁の持つ細剣がしなって伸び、まるで鞭のように剣先が襲いかかる。

 今まで見たことが無い剣筋に、岳把はともかく馬上で身を伏せたものの、避けきれずに血飛沫が舞い、

馬も傷付けられたのか苦しげにいなないた。

 腰や指先など避け難い場所を的確に突いてくる。

「何だこれはッ!?」

 岳把はとても理解出来なかった。

 何なのだこの馬捌きは、そしてこの武芸は。一体この男は何者なのか、ただの参謀ではないというのだ

ろうか。如何に大軍師、趙深の孫だとはいえ、こんな事があっていいものだろうか。魔術や妖術の類でも、

彼は会得しているというのか。

 岳把に迷いが生まれ、迷いが隙を生み、疲労感を増幅させていく。なにより焦っていた。戦で負け、一

騎打ちでも負ける。これでは笑い者でしかない。

 これならば、まだ犬死にの方がましだった。

「ふざけるな、趙の末孫がッ! 最早先祖の栄光は尽きたのだ、いつまで我らをたばかるつもりかッ! 

この岳把が化けの皮を剥がしてくれよう」

 岳把は槍を捨て、華麗に剣を抜き放つと、はや余裕も忘れて遮二無二に打ちかかっていく。

 だがそれすらもひらりひらりとかわされ、ようやく当ると思った会心の一撃でさえ、蒼愁の不思議な剣

術によって防がれ、凌がれ、受け流されてしまった。 

 いつの間に習得したのかは知らないが、素人武術ではないようだ。それどころか、岳把程度の力量では

足下にも及ばない。希望はまたも崩れ去り、岳把の顔は真っ青に染まる。

「私は初めから終わりまで、貴様に愚弄され続けたと言う事か!?」

 二騎が交差する度、深くはないが確実に岳把の傷が増えていく。彼はすでに血塗れの態で、息も荒い。

それに引換え蒼愁の方は無傷に等しく、勝敗の行方は誰が見ても決しているように思える。

 それでも岳把は最後の美を叶えようと、しつこいまでに打ちかかり、その技巧の全てを凝らして剣を打

ち出したが、その全てが通用しない。子供扱いと言っても良く、完全に蒼愁に呑まれてしまっていた。

 蒼愁は冷静そのものの顔で、少しずつだが確実に岳把の力を削っていく。彼の剣技に必殺の一撃はない

が、優雅で艶やかで、敵する者に与える敗北感は測り知れない。

 岳把はまるで亡霊とでも闘っているように思えたかもしれない。理解できぬ動きをする細剣に対し、彼

はまったくの無力であった。悲しいほどに無力であったのだ。

「こんな事が、こんな事が・・・・」

 息もたえだえになり、最早まともに剣を振るう力も無い。馬にまたがっているだけでも健闘していると

言えるだろう。

 目に見えて、速度、気勢、あらゆる力が衰えていった。

「疾ッ!!」

 頃や良しと見た蒼愁の最後の一撃、細剣の腹で殴り倒されるように放たれた一撃で、岳把の敗北は決した。

馬上から無残に振り落とされ、したたかに身体を打った彼は、二度と一人では立ち上がれまい。

 蒼愁を睨む力さえ失せ、岳把は絶望の中、ぐったりと大地に転がっている。手加減されたのか、肉体に

命を奪うほどの傷はないようだが、精神には深刻な傷を負ったと見える。

「天機将、岳把殿。身柄を預からせていただく」

 危なげなく勝利した蒼愁は、細剣を突きつけて堂々と敵将に宣言し、ここに壬軍の勝利も決定した。

 天機兵も次々に降伏、或いは逃亡し始め。それを横目に見、後を司譜に託すと、蒼愁は蒼き衣のまま颯

爽と栄覇へと入城して行った。勝利を世に知らしめる事、それもまた大将の役目である。

 その姿は岳把を凌ぐほどに美々しく、まるで別人のように見え、両軍の兵、そして栄覇の住民達は、ま

るで趙深の再来、偉大なる魂が彼に乗り移っているかのようだった、と噂しあったという。

 こうして蒼愁に対する声望は、一日にして俄に高まった。

 趙深の子孫から趙深の再来へ、その差は雪と雨にも似て、まったく違うものであろう。


 蒼愁がわざわざ一騎打ちに応じたのには、暦とした理由がある。戯れに命を賭けるような、軽々しい真

似を彼がするはずがない。

 一つには、彼は一騎打ちの勝利を確信していた。

 岳把の剣術が如何に華麗で美しくとも、所詮は見せかけであり、実の所大した腕前で無い事を蒼愁は事

前に知っていたのだ。

 新しい軍制として軽、重、竜の各兵団を鍛え上げたのだが、勿論蒼愁自身も訓練に参加していたし、鍛

える側にもそれなりの力量が必要な為、前々から司譜に稽古を付けてももらっていた。

 最終的には、全ての部隊に騎兵を使う事を理想としていた軍制であるから、騎馬の扱いにも日頃から努

力を注いでいる。

 それに蒼愁も一個の男として、蒼家を継ぐ者として、嗜みばかりではあるが、幼少より武術を学ばされ

ていた、と言う事がある。

 彼は生来武芸に向いているとはお世辞にも言えず、膂力(りょりょく)にしても、体格にしても、武芸

者にはとても向いていなかったが。それでも幼き頃より長い時間をかけて鍛え上げてくれば、誰でも玄人

に近い武術を得る事が出来ると言うもの。

 そういう下地があった事で、司譜という理想的な師を得、蒼愁の武術の腕前は飛躍的な成長を見せた。

 その独特な剣術も自己流のようないい加減なモノではなく、長年かけて完成させられた武術である。こ

の剣術は彼の両親の贈物と言えるかもしれない。

 最も、両親も蒼愁自身も、まさか本当に役に立つ日が来るとは思わなかったろうが。

 幼少時なかなか上達を見せない蒼愁を見、彼の父、蒼明が最終的に考えたのは、剛力が有利な従来の剣

術ではなく、蒼愁自身に合った他の剣術を身に付けさせる事であった。

 体格や膂力は天性のものがあり、もう仕方が無い。それならば、力が無いのなら無いで、それに見合っ

た武術を探す方が早いと思ったのである。

 そこで蒼明が目を付けたのは、母、蒼瞬の剣術であった。

 つまり蒼愁の用いた不思議な剣術は、母が幼少より鍛錬して身に付けていた、今はほとんど習得者がお

らず絶えてしまったに等しい、元は碧嶺の時代に護身用として生み出されたという、古き婦人用の剣術だ

ったのである。

 蒼瞬は元々その剣術を先祖から受け継いだ莫大な書物から知ったのだが。今のように女兵が一般的では

なかった時代に生まれた剣術であるから、力よりも技を重視し学びやすく、極めれば屈強の男でさえ平伏

(ひれふ)したという実績ある武術であった。

 婦人のような優男である蒼愁には、正にうってつけであり。蒼明自身も事ある毎に妻に手酷くやられて

きていたから、その威力は間違いない。

 ようするに必勝の自信があったのである。勝てる見込みがなければ、誰が一騎打ちなど応じよう。

 そして二つには、これが一番の理由なのだが、蒼愁自身の声望を高める必要があったと言う事がある。

 確かに彼は参謀であり、武官なのだが性質としてはむしろ文官に近い。武芸に秀でていなくても、それ

はそれで仕方の無い事であろうし、実際誰も気にしなかった。

 しかし彼が軍を率いると言うのであれば、また違ってくる。

 これが参謀長、蜀頼(ショクライ)のように、元々大きな名声があれば別だ。戦場に何度も出、数え切

れない勝利を挙げた。そうであれば、彼が大将として軍の上に立つ事に、誰も異論は唱えまい。

 だが蒼愁はどうだろう。確かに後方支援で声望を高め、趙深の子孫という事実は少なからず彼の評価を

上げた。とはいえ、それで兵が安心して彼に仕えるかと言えば、それは疑問である。

 確かに脇を司譜、司穂という名将が固めているとは言え、この蒼愁というおかしな男に、果たして戦が

出来るのだろうか。彼が生み出した新しい軍制は、果たして経験豊かな虎に通用するのか。

 その不安を完全に打ち消す為には、派手な勝利を得る必要があった事は前にも述べた。

 そして実際勝利を挙げたのだが、それだけでは尚不十分と蒼愁は考えたのである。もっと直接的な、も

っと単純な方法で、彼の能力を兵達に信頼させねばならないと。

 それには個人的武勇を示すのが手っ取り早いだろう。参謀である事も有利になる。参謀でありながら、

しかも個人的武勇にも秀でる。これほど誉れ高く、信頼の置ける人物が他にいるだろうか。

 人は個人的武勇に対する憧れが強いし、万能という言葉にも弱い。何でも在る程度出来れば、それだけ

で敬意を抱いてしまうものだ。

 そうであれば、碧との一大決戦が壬の存亡を賭けたモノである以上、どれだけ寡少でも有利になれる要

素があるのなら、全てを擲(なげう)ってでもやるべきであろう。

 故に多少無理をしてでも、蒼愁は岳把の挑戦に乗った。

 いや、むしろ嬉々としたのは蒼愁の方であったかもしれない。何故なら、碧の六虎将軍の中で、蒼愁が唯

一勝利出来るのは、この岳把一人だけだと見ていたのだから。

 岳把は最後まで蒼愁に利用され、彼の踏み台とされてしまった。人の世が大方そういうものであるとし

ても、そこに一抹の寂しさを覚えないではない。しかしこの結果は岳把の傲慢が生み出したものである。

 初めから大人しく孟然と連携をとっていれば、こんな結果にはならなかったろう。

 如何に才能溢れるとはいえ、将も兵もばらばらでは、言ってみれば一人で二万の兵と戦ったようなもの

だ。負けて当然だろう。

 ともあれ、蒼愁は名声を得る事で様々な恩恵を得た。

 中でも、栄覇の住民が尊敬心を抱き。碧嶺に最も信頼され、彼の真の後継者だと目されていた趙深の孫

であるからには、栄覇を渡すのも当然だと、より容易に壬軍を受け入れさせた事は大きい。

 これによって蒼愁率いる壬次軍は、損害を最小限に抑え、義勇兵まで得る事が出来た。

 義勇兵に装備一式を与え、栄覇の警備に回す事により。蒼愁はほぼ全ての兵力を、次の戦へ使う事が出

来る。

 兵数の少ない壬にとって、最もありがたい事であろう。


                                                 第三章  了




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