3-3.仇なす者、仇なされる者


 碧国は順調に領土を平定していく。

 領土拡大ではなく、ここでは文字通りの国内平定という意味である。

 意外にも、猪のように猛進し、餓鬼のように際限なく領土を食い尽くしていく、というのではなく。ど

の将軍も着実に各々の勢力を創り、確固たる土台を築き始めているのだ。

 虎らしい用心深さと慎重さというべきだろう。彼らも馬鹿ではない。舞い上がって傲慢になったり、権

力を得て子供のように使いたがる、というのではなく。しっかりと自分の勢力と言うモノを築いていた。

 それは碧と言う国の法が、成り上がり易く、同時に衰退し没落し易い、と言う事にも理由があるのかも

しれない。地盤をしっかりと固めておかねば不安が残るのだろう。

 そう言う各将軍、各虎が牽制し合う状況もまた、趙戒の描いた図である。そして上手くそれを調整して

いき、纏め上げるのが彼の目論見なのだろう。

 元凱軍と呼ぶべき軍勢も皆、紫微大将軍である趙戒の指揮下に入り、彼の国内での軍事勢力は益々増し

た。兵達も無理矢理屈服させられて、ではなく。むしろ嬉々として彼の傘下に入った事が、趙戒の手腕を

現している。一番勢力を伸ばしているのは、常に彼と言う事だ。

 その計算高さ、他者を利用し尽すと言う事は、どこか凱禅に似通っている。

 恐怖ではなく恩賞と愛国心を利用した、と言う決定的な差異はあるが。やっている事は大して変らない

のだろう。五十歩百歩と言える。

 しかし民への慰撫も心得ており、国民達には受け入れられている事は大きい。同質でも凱禅とまったく

違うのがそこであろう。国民が好んで受け入れた以上、兵達の士気も上がり、様々な恩恵を生む。趙戒も

着実に地盤を固めているのだ。

 虎達も恩賞をやっている限り、彼に反旗を翻そうとはすまい。少なくとも、その方が虎達にとって利が

大きい間は。

 項弦の侵攻も予定通り無人の野を行くが如しで、今の玄に自国を守る力は少なく、頼りの漢から派遣さ

れている兵も、漢嵩が病に着いてからは精彩を欠いている。

 漢嵩が国の中心から退く事は、やはりまだ早過ぎた。

 参謀長、央斉(オウサイ)が急遽赴き、何とか防衛に苦心している所だが。現状では、その侵攻速度を

緩める程度が精々であったようだ。玄王も出来る限りの事をしていたようだが、何しろ人も兵も足りなく、

碧軍の勢いには逆らい難い。

 ついには玄西南部に置かれていた賦族の居住地にまで届き、玄と漢の兵を追い払うと、護麗将の副将で

あった白晴厳(ハクセイゲン)が捕らえられてしまったそうである。

 勿論賦族は異を唱えたが、軍にも政にも携わる事を封じられた彼らには為す術はなかった。これは賦族

が真面目に漢嵩との約定を守ったからであるが、後々漢や玄に不満の種を残す事になるだろう。

 例え禁じられていても、火急な事態であるからには、賦族も防衛に協力して、兵士となるべきだった。

などと、いずれは身勝手な理屈を付けられて。

 武器も何もない賦族にそれを望むのは酷であり、現実には賦族も出来る限りの手助けをしていたとして

も、人の悪意と言うモノは、一度飛び立てばとても止められるものではない。

 或いは、そうなる事も趙戒と項弦の意図する所だったのだろうか。


 白晴厳は今、最も彼が忌むべき男、趙戒の前に居る。

 護送される途上は丁重極まりない扱いを受け、この城に入ってからもそれは変らなかった。碧国の目的

の一つが賦族解放であるからには、これは当然の事と思われるが、それで気を良くするほど白晴厳も単純

ではない。

 それに今更敗将であるこの自分に、一体何の用があるのだろうか。

 だがそんな事はこの際どうでもいい。これは良い機会であろう。言わば賦族を裏切った彼に、その真意

を糺(ただ)す事が出来る。今は亡き王、賦正(フセイ)と、紫雲緋(シウンヒ)、そして全ての賦族の

為にも、この機会を逃す訳にはいくまい。

「よくお出で下さいました、白晴副将」

 丁重な礼の姿勢をとる趙戒。その面構えは余裕で満ち、鋭さの増した視線に前より少し痩せた顔、まる

で別人のようにも見えた。

 不穏な目は曇りなく、見られていて悪寒すら感じる。何があり、何を思ったかは解らないが。どうやら

並々ならぬ決意があり、決してこの国も洒落や冗談で創ったのではない事がありありと解った。

 もっとも、洒落や冗談で出来るような国などないのだろうが。

「よく言えたものですな、趙戒殿。貴方は御自分が一体何をやっているのか解っておられるのか。貴方は

全ての賦族、そして趙深様、碧嶺様をも裏切ったのですぞ。とにかくすぐさま国を解体し、国民に国を返

すべきです」

 腹立ちを抑えながら、それでも誠意をもって諭す白晴厳を、しかし趙戒は一顧だにせず言う。

「裏切ったのは貴方達のほうだ。事もあろうに国を明け渡すなど、紅瀬上将は狂ったとしか思えない。天

は賦族の上にあり、屈せず戦っていれば、必ずや勝利は我らのものになったのです」

「馬鹿な! 一国の軍師であった者が、いつまでそのような歪んだ妄想に浸っているのか。目を覚まされ

よ、趙戒殿! 貴方は悪鬼羅刹にでも取り憑かれておられるのだ。早々に目を覚まし、本来の清廉さを取

り戻されよ!」

「どうやら、漢嵩に義理立てしておいでだ」

 趙戒は首を振ると、溜息を一つ吐いた。

 彼は話を聞こうともしない。すでに他者の言葉を聞くと言う事自体を、彼は放棄してしまっているのだ

ろうか。自らの妄想だけを見、自らの欲する所のみに従って動く。それを狂っている、と言うのではない

のか。

 なんと言う事だろう。趙深の孫である彼が、事もあろうに狂気に操られてしまうとは。それではあの凱

禅と変らない。

 これは問うべき所を変えねばならぬ。考えた後、白晴厳は意を決して再び口を開いた。

「大体、このような虎の国など、御しえるはずもない。彼らにあるのはただ私欲のみ。賦族解放が例え大

義でも、それが賦族以外を動かせるはずも無いのです。彼らはきっと反旗を現す。そしてまた新たな戦乱

を生む。そのような事が解らない貴方ではありますまい」

「そうか、副将はその事を心配しておいででしたか」

 すると何を勘違いしたのか、趙戒は笑う。

「心配なさらずともいい。虎達は今私の見せた夢に踊らされて動いているのです。夢、人に夢を与えると、

時にとてつもない情熱を生む。そしてその情熱が碧国を繋いでいるのです。夢、人に夢が在る限り、決し

て彼らは離れません。ですから、賦族も安心して蜂起すれば良いのです。我ら全てが立ち上がれば、漢や

壬、ましてや玄などは物の数には入りません。例え後に反旗を翻したとしても、虎の集団などが賦族に勝

てるはずもない」

「馬鹿な!」

 お前は狂っている!! 白晴厳は彼の理性と美徳がそれを抑えなければ、思いきりそう叫びたかった。


 壬国上将軍として、衛塞(エイサイ)に在る王城に篭る紫雲緋。

 多分に名義上の地位とは言え、礼遇されており、ほとんど隠し立てもなく、彼女が望む事は出来る限り

なされていた。いたからには、当然白晴厳が捉えられた事も、隠されずに彼女の耳へと入った。

 特に賦族に関する事は、彼女へ詳細に知らされる事となっている。それが彼女の最も大きな願いだった

からであり、それを拒む事を壬国はしたくなかったからである。

 しかしその厚遇が裏目に出てしまったのかもしれない。

 紫雲緋はその報を聞き、趙戒が碧と言う国を興した事も相まって、いよいよ捨て置けない心境になって

いた。今は亡き賦正が、そして全ての戦場に倒れた賦族達が穏やかに眠っていられる為にも、何とかして

趙戒を止めなければならない。

 今の彼は、賦族にとって、言わば癌(がん)である。死病である。

 そして他の事はともかく、彼一個に関しての事ならば、紫雲緋にも責任がある。

 それは賦族全体の責任でもあるのだろう。これでは賦族を信頼し、その家族を預けてくれた趙深に対し

て、甚だ申し訳なく、冥府で会わせる顔が無い。いや現に、今冥府に居る賦族達は、きっと心を深く痛め

ているだろう。

 おそらく趙深ならば、そんな彼らを責めるどころか、逆に慰めてくれるに違いない。しかしそれもまた、

賦族の心に大きな悲しみを落す。信頼に応えられない、この時に感じる情けなさ。この辛さやるせなさは、

おそらく人間の悲しみの中でも最たるものであろう。

 紫雲緋はいよいよ決意し、壬王、壬劉(ジンリュウ)へと恥を忍んで懇願(こんがん)した。

「王よ、どうかお願い致します。わたくしを碧国へと行かせて下さいませ。懲戒があのような事をしまし

たのも、全ては我らの不徳がもたらした事。どうか全ての賦族に代わりまして、わたくしを使者として行

かせて下さい。わたくしの命に換えましても、必ずや彼を説得してまいります。どうか、どうかお願い致

します」

 深い深い礼の姿勢で、麗しく気高い顔に深刻過ぎる憂いを浮べ、必死に許しを請う彼女に。一体誰が反

論出来ると言うだろうか、一体何が言えるというのだろう。

 壬劉は頷き、早速外交使団の準備を整える事を命じた。

 しかしそれを紫雲緋は止める。自分などの為にそこまでする必要はない。それに自分一人で行かなけれ

ば、でなければ他の外交使の方々は趙戒に捕らえられてしまう。そう言うのである。

 おそらくそれは事実だろう。今の懲戒に何か言える者がもし居るとすれば、それは亡き賦正か彼女以外

に無い。それ以外の誰が行っても耳に入れるはずもなく。もし賦族以外の者が行けば、問答無用に殺され

てしまう可能性すらあった。 

 例え表立って外交使団に危害を加える事は出来ないとしても。百戦錬磨の虎もおり、暗殺などを恥とし

なければ、いくらでも手がある。

 だがだからといって、紫雲緋一人を行かせて良いものだろうか。色んな意味で危険ではないだろうか。

少なくとも他国は承知すまい。悪い言い方をすれば、彼女の存在価値は増してきている。碧国に対しての

切り札として。

 壬劉はしかし、熟考してはいたものの、ふと参謀長、蜀頼(ショクライ)と目をあわせ、頷き合うと。

「よろしいでしょう。我が名において、貴方を碧国への全権外交使に任命します」

 紫雲緋に対し、はっきりと頷いた。

 例え誰が信じなくとも、自分だけは信じなければならない。そして彼女の意志を尊重しなければならな

い。そう言う決意にも似た想いが、王としてだけでなく、壬家の当主としても在った。

 壬家と賦族の繋がりは浅くなく。大恩がある。

 参謀長以下、他の将官達からも異論が出る事はなかった。誰しも王と同じ想いであったのだろう。

 こうして紫雲緋は国境まで数名の世話係兼護衛に送られた後、ただ一人碧国へと赴いたのであった。

 

 それから一週間が経った。

 未だ紫雲緋からは何の知らせも来ず、碧国の侵攻が止まる様子もなかった。

 時だけが過ぎ、最後に待っていたのは全ての希望を打ち砕く、趙戒が全土に発した、驚くべき報であっ

たのである。

 即ち、紫雲緋が碧国に降り、同時に全ての賦族は碧国に寝返った、と。

 漢、壬、玄の民の間に、驚愕と戦慄が走った。




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