3-5.蒼愁、大参謀になる


 壬国は建国以来初めての、大規模な戦を開始した。

 国内には最低限の守備兵だけを残し、総数三万という大軍を王、壬劉自らが率いる。勿論、直接指揮を

するのは主に竜将軍、楓仁となるだろうが、壬劉も将としての力量は並々ならぬものがあった。

 賦の前王、賦正のように後方支援の方を得手とするものの、直接指揮をさせても他の将軍と遜色はない。

 何しろ精鋭主義の壬の事、その王が凡庸ではとても勤まらない。彼も幼き頃から気も狂わんばかりに鍛

え上げられてきた。それは精神面も同様で、賦族の恩を足蹴にする事にならないよう、壬という国を護る

為、文武共に高い水準にまで引き上げられてきたのだ。

 壬劉自身もそれを望み、先王や先代の竜将軍も驚くほどに修練に励み、その力量は壬三代に生まれた王

族の中でも、明らかに抜きん出ている。

 父である先王は、どちらかといえば修練嫌いな方であったから、おそらく母親の方に似たのだろう。た

だ後方支援を得意としたのは、先王も同様である。両方の良い部分を受け継いだのだろう。

 しかし壬劉といい、蒼愁といい、壬にはどうも勤勉、勤労といった言葉が似つかわしい者が多い。例え

そうでなければ生きられない貧しい国家であったと言っても、この代によくも生真面目者ばかり揃ったも

のである。

 こう言っては悪いが。ある意味、異常と言えるかもしれない。

 ともあれ、この三万の本軍は、東砦を通り昂武を目指す。

 次に蒼愁率いる、虎竜二万であるが、これは次軍として北昇から漢を通り南下し、大陸中央部の都市、

黒双(コクソウ)を最終中継点として、現在碧の中央部への侵攻拠点となっている栄覇(エイハ)を目指

す。この軍には、司譜(シフ)も特別顧問として参軍している。

 ただこの軍には一つ問題があった。これを率いる蒼愁が一参謀官であり、例え一地方の太守のような立

場にあると言っても、その権限は高が知れていたのだ。いかに参謀府の試験が難しく、その職が重んじら

れているとは言っても、流石に一軍の将となるには役不足であろう。

 そこで彼の出自を蒼夫婦の理解の上で全土に明かし。大参謀という臨時の位階を新たに創って、この戦

の間だけ蒼愁に与えられる事となった。

 大参謀、軍位としては将軍に次ぐ程度だが、実際の権限は大将軍に匹敵する程高く。王の認可を得なく

ても自在に兵を動かす事が出来、あらゆる手段を個々の判断で行なう事すら出来る。

 この一戦だけの臨時のモノではあるが、軍位の任命権や褒美を与える権限まであるのだから、これは途

方も無いものだ。壬王も血迷った、いやいや思いきった事をしたものである。

 これは蒼愁には悪いが。彼がそこまで信頼されているというよりも、失敗すれば壬はおそらく滅亡する、

それならば派手にやろうじゃあないか、という、そのような気持の方がおそらく強いと思える。

 確かに、蒼愁に少しでも箔を付けさせる事で、虎竜達にやる気を出させる意味もあるのだろうが、それ

だけにしては権限が大き過ぎる。

 単純に兵を任せるだけならば、副将軍でも、候代理でも、すでに軍制は整い、今更その指揮権をどうの

こうの言わなくても良く。蒼愁が率いる事はすでに決定し、位階などはほとんど名義上だけのモノである

のだから、その程度で良かったのである。

 まあ、どちらにしても蒼愁に与えるのであれば、大差なかったかもしれない。彼はあまり権威とか権限

に聡い方ではなく、むしろ疎い方である。いや、もしかしたら自分が一番下っ端だと、入団当時から変ら

ず思っている可能性もある。

 そんな男である。大参謀と言われても、事の大きさをどれだけ理解できていたものか。

 ともあれ、蒼愁率いる次軍は碧国中央部を担当する。

 これにより漢への中央部の負担が薄れ、より多くの兵を玄へと回す事が出来るはずである。おそらく玄

方面の戦線も、多少は楽になるだろう。そして玄方面の戦線が楽になれば、自ずと壬軍にも幸いする。

 それが同時に、蒼愁が中央部の全ての負担を受け持つと言う事でもあったのだが、壬としても決して悪

くはない。だがそうと言っても、流石に気が引けたのだろう、漢からは食料と物資の提供があった。資源

資材の乏しい壬にとって、或いは援軍よりもありがたい。

 壬も、漢は玄で手一杯である事が解っていたから、援軍がなくても、元々不満を言う兵はいなかった。

初めから壬一国でやる腹であったから、逆に食料と物資の心配が減り、壬としては予想外の幸運が舞い込

んできた、と、そのような気持であろうか。

 壬軍は両軍共、最終的には元凱の首都であり、現在は碧の本拠地となっている、偉世(イセイ)へと向

う事になる。

 目的は勿論、紫雲緋と白晴厳の解放、そして壬への護送である。もし領土を得ても、おそらく漢へと譲

渡するだろう。或いは領土をそのまま放っておくか。どちらにしても領土侵攻という気持は無い。

 とは言え、本拠地を攻めるに変りなく。結局は碧と壬、総力を挙げての戦となるだろう。どの道、碧を

滅ぼさねば、紫雲緋も白晴厳も助けられないのだ。

 滅亡を賭けての総力戦、碧軍の意気も当然高くなる。

 碧国の総兵力は正確には解らないが、少なくとも壬と同数以上は居るだろうし、その士気は高く、練度

も高い。迎え撃つという立場を考えれば、碧の方が圧倒的に優勢であると見るのが自然であろう。

 特に蒼愁率いる虎竜は、これが初陣となる。訓練は必死に積んできているはずではあったが、どこまで

その力を、生死を賭ける戦場、で出せるかは解らない。

 しかし彼には一つ大きな武器があった。軍讖(グンシン)である。

 軍讖、趙深の全てを記したと言われるこの唯一無二の兵法書。その原本(持ち運んでいるのは写し)が

彼にはある。蒼瞬、蒼明から受け継いだ書物の中でも、初めに、そしてより深く読んだのがこの書と趙深

遺文であった。

 つまりは趙深の全てを受け継いだ(知識と大まかな記憶ではあるが)といっても過言ではない。そして

彼の悲しみと想いの全ても。

「趙戒、同じ血を継ぐ者として、必ず貴方の暴挙を止めてみせる」

 尊敬する趙深と碧嶺、そしてその臣下達を、これ以上冥府で苦しませる訳にはいかない。八百年の呪縛

に取り付かれた趙戒を、必ず解き放ち、正気に戻す。そして碧などという戯けた国家を永遠に滅さなけれ

ばならない。

 蒼愁、その決意は誰よりも固く、そして深い。


 壬の動きに対し、当然趙戒は素早い対応を示した。

 壬本軍に対しては七殺将軍、石迅の軍を主力とし、更に天相将軍、恒封の軍を援軍として向わせ。次軍

に対しては天機将軍、岳把の軍を主力とし向わせ、天梁将軍、孟然の軍を援軍として付けた。

 更に自らを総大将とし、紫微大将軍の権限で偉世に全ての持ち兵を集め。玄へも援軍として天同将軍、

前誓の軍を送ったようだ。正に総力戦として、碧も有らん限りの兵力を持って臨む。

 蒼愁が碧国への最終中継点である黒双に着いた頃には、既に天機軍、天梁軍共に栄覇に到着しており、

今や遅しと壬を待ち構えていた。

 やはり北昇からここまで来るには、大いに時間がかかる。大軍を運ぶだけの川舟はないから、自然徒歩

か馬となり、そうなれば徒歩に合わせざるをえないから、これは仕方がなかった。

 だがしかし、どうにも出来ないからこそ、余計に悔しさも募るというものだ。せめて敵軍が到着する前

に、栄覇を攻められれば良かったのだが。

 碧の軍勢は二つ、合わせてざっと一万五千といったところだろうか。趙戒はとにかく自分と項弦の下に

兵を集めてきたので、彼らに比べると他の将軍の持つ兵数は概ね少ない。例外として領土を得ている七殺

将軍、石迅が多少多く持っているくらいであろうか。

 そういう訳で、幸いな事に蒼愁の方が兵数は多いのだが。その分敵軍は本職の虎が多く、元凱兵は少な

い。つまりは個々の兵が強く、黒竜ほど強くはなくても、蒼愁の率いる虎竜よりは明らかに上である。

 実戦経験の差というものは、如実に戦況へと影響してしまう。虎竜のほとんどが実戦経験が無い事を考

えれば、どうしても不利は免れまい。

 一番心配なのが、いざ軽兵、重兵、竜兵と分け、戦場で指示した時に、それぞれの兵団が果して訓練通

り上手く動いてくれるかどうか、である。まだ一兵卒ならば遮二無二動けば良いのだが、小隊長以上にな

るとそうはいかない。

 小隊長以上にはなるべく才のある、或いは経験の多い者を選んではいるし、大隊長には司穂(シスイ)

など名立たる者を黒竜から借り受けてもいたのだが。それでもやはり不安は消えない。

 総指揮をとり、更に軍制を定めた蒼愁自身が不安なのだから、兵達の不安は彼以上に大きいだろう。

 そこで不安の原因はどこにあるか、少しででも取り除くべく、蒼愁は行軍中考えてみた。

「あ、私か」

 すると出てきた結論はこうである。蒼愁は確かに戦場へ一度出ているが、剣をとって戦った事はなく、

軍を指揮した事も無い。黒竜に入団してからは、主に後方支援と情報収集を担当してきた。

 参謀であるから、これは当然と言えば当然といえるのだが。それでもやはり総指揮官に掲げるとすれば、

楓仁のような根っからの猛将か、蜀頼のような安心して任せられる知将。或いは王やその親族といった、

国家に対する忠誠心を湧かせるような存在、が相応しい。

 大参謀、などと言う大層な地位を頂いたが、それと兵の信頼とは別であろう。

 蒼愁は確かに壬の上層部に見込まれている。その血筋のおかげとも言えなくもないが、決して彼自身の

才を侮っている訳ではない。その才を買っていなければ、いくら趙深の血を継いでおり、趙戒と対するに

これ以上ない人材で、居るだけで兵を大いに鼓舞出来るとしても。流石に力の足りない者に任せられるほ

ど、大参謀は楽な仕事ではない。

 兵もその事は熟知しているのだが、蒼愁では重みに欠けるのは確かであろう。

 考えた末、蒼愁はその権限を使い司譜を臨時の将軍とし、武曲の名を与え、武曲将軍とさせた。

 武曲とは北斗の第六星であり、おそらく碧が南斗を称しているのをあてつけたものだろう。

 古来より、北斗こと北斗聖君は死を司り、南斗こと南斗聖君は生を司ると言われている。つまりは南斗

の生に死をもたらしてやる、と言う意味合いだろうか。

 或いは軽い冗談のようなつもりで付けたのかもしれない。蒼愁はそういう男である。そして司譜も意外

とそういう男である。

 そして大胆にも軽、重の二兵団を司譜に任せてしまい。自分は竜兵団だけを受け持つ事にした。

 その方が士気も安定するだろうと思ったからであり、実際効果はあった。司譜が直接指揮を担当する事

により、ぐっと重みは増し、兵達の心には安心感が増えた。この事は、恐らくいざ戦いとなった時、兵達

の心を保つに充分過ぎる効果を及ぼすだろう。

 いざという時に、歴戦の猛者である司譜程頼りになる存在は居まい。

 こうして出来うる限りの準備を整え、壬次軍は一路栄覇へと急いだのだった。




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