3-6.手向かうは暴逆なる炎か


 天機将軍、岳把。双国に生まれ、戦に関して天賦の才があった。

 しかし貴族に生まれなかったが故に恵まれず、その力に相応しい(と彼自身が思う)地位を与えられる

事はなく、その名もごく内々の間でしか知られる事はなかった。

 生来自負心が強かった彼は我慢ならず。結局十五の時、双を見限り全てを捨てて虎となる道を選ぶ。

 虎となってからは見違えるかのように頭角を現し、未だ二十そこそこと言う年齢でありながら虎長を務

め、岳虎の名も虎の間では広く知られるまでになった。その事が彼の才を証明していると言えよう。

 彼がもし双に生まれなければ、或いはどの国にでも仕官出来てさえいれば、とうに将軍にはなっていた

であろう。才能だけで見れば、その位の器はある。

 誰に教えられた訳ではなく、誰から学んだ訳ではなく、彼は己の才覚のみで数々の戦功を挙げてきた。

正に天から与えられた才、天賦の才であろう。

 彼の持論もその自負心に応じて凄まじく、少数の兵で大軍を撃ち破る事こそが兵法だと豪語している。

大で小を破るなどは当然であり、小で大を破ってこそ、初めてその将としての器を示せると、そう言いた

いのだろう。

 見た目も内面通り華美な衣装を好み、鎧もやたらに彩色をほどこした派手な物である。

 彼が戦場の何処に居ても、おそらく一目で解るだろう。賦族の黄金の鎧にも匹敵する程、彼の鎧は戦場

の中ですら光り輝く。

 傲慢、人は彼をそう評する。その二文字だけが彼であり、正に彼そのものであると。

 そして今、その傲慢さがもう一人の将軍との仲を甚だしく裂いていた。

 天梁将軍、孟然。生国、年齢、共に不詳。絵物語にでも出てきそうな見事な髭を蓄え、落ち着き払った

物腰、思慮深げな表情、どれを取っても岳把とは対極をなす存在である。

 一目見た時から、彼らはお互いに一分の好意も持つ事は無かった。

 岳把としては、項弦ならまだ解るとしても、こんな地味な男が自分の上、南斗二星の名を与えられた事

が我慢ならなかったし。孟然は孟然で、岳把の事を、派手ずきな小僧、としか思っていない風であった。

 それでも孟然は年長者として不快心を抑え、岳把の我侭にも似た要望に応えもし、折れてやった時もあ

った。虎として生きて来た彼には、気に食わない相手と組まされる事や、嫌な仕事をやらされる事にも、

ある程度受け入れる度量が出来ていたからだ。

 所詮虎は雇われ者である事を、彼は痛いくらいに知っている。どれ程の功を立てても報われる事は無く、

失敗すればそれまで。そんな世界で長く生き抜く為には、我慢と思慮深さだけが頼りである。

 しかしそれも限度というものがあろう。岳把は孟然の態度に感謝を示すどころか、益々調子付き。今で

は彼をまったく無視するような態度をとる事すらあった。

 これには流石に我慢ならない。孟然も同じ将軍である。岳把の部下でも、彼に雇われた訳でもない。自

分がわざわざ碧に組したのは、このような小僧に良い様に扱われる為だったのか。これでは虎以下であろ

う。孟然が見た夢は、間違ってもこのようなものでは無い。

 大体が項弦といい趙戒といい気に入らない。確かに自由はある。領土を得れば、国を持つ事すら許され

た。しかし実際はどうだ。まるであの二人の国ではないか。これの何処が虎の国だろう。奴等も所詮は虎

を利用しているに過ぎない。しかもそのやり方は、今までのどの国よりも酷いのではないだろうか。

 これでは飼い殺しである。

 孟然は不満であった。この碧と言う国が、そして目の前の小僧も。何もかもが不満であり、見せられた

夢もとうに覚めている。彼は甘い夢を見続けていられる程、楽な人生は送っていない。あくまでも現実

になる夢、それだけを求めている。

 そんな孟然の心を知ってか知らずか。いやおそらく知ろうともすまい。岳把はぬけぬけと言った。

「だから貴殿は私に任せておけば良いのだ。黒竜ならまだしも、相手は虎竜などという名も知らぬ数合わ

せの軍勢だと言うではないか。そのようなモノは我が力のみで充分。貴殿はここを守っていてくれれば良

い。それだけで良いのだ」

 この言葉に、孟然は殴り飛ばしてやりたい程の怒りを覚えている。

 実際、目に見えて怒ってもいた。痛いくらいに握り締めた拳が、自覚なく震える。

「それでお前だけが手柄を立て、面倒事は全て俺に押し付ける気か!

 小僧、なぶるのも大概にしろ!!」

 孟然は吼えた。しかしそれも瞬間の事で、すぐに床机に座り直し、冷静な顔に戻る。岳把は肝を抜かれ

たのか、ぼうっとなり虚ろな目で彼を見ている。或いは、自分が人に怒鳴られるなどと、考えた事も無か

ったのかもしれない。

「良いだろう。そこまで言うのなら勝手にするがいい。俺の兵は出さん、お前だけでやってみろ。大言吐

くのも小僧の特権だろうさ。俺はこの一戦から手を引かせてもらう。責任もお前一人で取れ!」

 みるみる岳把の顔が赤く燃え上がっていく。

 恥辱か怒りか、或いはその両方か。ようやく自分が侮辱されている事に気付いたらしい。

「言ってくれたな、この髭面めが! ならば見せてやろう、大言かどうか、己が目で見るがいい!!」

 荒々しく立ち上がると、岳把は近くに居た部下を苛立ち紛れに殴り飛ばし、そのまま出軍の準備へと向

った。目は血走り、歯を剥き出して睨み歩くその姿は、まるで仁王か明王といった風である。

「あれで良かったのですかね。もし岳把が勝ったら、いや負けてもえらい事になりますや」

 岳把の兵が全て部屋を出た後、孟然の副官の一人が慌てて問うた。

 敵軍を前に、例え岳把の方から侮辱してきたと言っても、仲間を見捨てて出て行くなどと、許されるは

ずがなかった。元々趙戒と信頼で結ばれている訳ではない。この機会に粛清されるかもしれなかった。

 しかし孟然は平然と笑う。

「えらい事にはならんさ。小僧もおそらく負ける。負ければ俺が必要だ、まだ殺しはせん。例え運悪く小

僧が勝ったとしても、まだまだ六星を欠けさせる余裕は無い。少なくとも、今はまだな」

 孟然の顔には曇り一つ無く、この男が先程まで怒鳴りあっていたとはとても信じられない。

「まさか、退く為にわざとやりあったのですかい!?」

 驚く副官を後目に、孟然は更に大きく笑った。

「どうだかな。苛立ってたのも事実だが。ま、お手並み拝見といこうか」


 岳把は天機軍八千を率い、栄覇を出た。

 彼の名は知られ、手柄を得る機会も多く、被害も少なくなるだろうとの読みから、彼の下に付きたがる

虎は多かった。その為に、天機軍は他の軍団よりは少しだけ数が多い。それもまた岳把の自信を生む源の

一つになっているのだろうか。

 煌びやかな鎧を着て騎乗するその姿は、いかにも美々しい。

 細長い柄に両刃の剣を付けた変った形をした槍、矛と呼ばれる武器を得物とし、その矛を縦横に揮うそ

の様は、何者も近付き難い。

 とは言え、実は彼の武術はさほどでもない。あくまで見栄えを良くする為に身に付けた程度であり、そ

こら辺の兵卒と大して変らないだろう。彼の真価はやはり軍を率いた時にのみ発揮される。

 すでに付近にまで壬次軍が来ている事は知っているので、あまり行軍を急がせない。ゆっくりで良かっ

た。どの道ここを通らなければ栄覇へは行けないのだ。無理に急がせて兵を疲れさせる事は無い。

 自尊心が強く、我侭な男ではあったが。その分自分を兄貴分として慕う者には優しい。ようするに常に

自分が上に居らねば我慢が出来ず、もっと言えばそれだけの感情でしかない。

 他人を妬むでもなし、度を越えた夢を見る訳でもなし、ただ自分が一番で、或いは自分さえ立てられて

いればそれで良かったのだ。

 碧に入ったのも、実はそういう彼の性格に大きな理由がある。

 岳把は似たような出自であり、同じく武に秀でていた漢嵩に対し、昔から強い対抗心を持っていた。

 その漢嵩だけが望岱(ボウダイ)で賦族と数々の名勝負を繰り広げ、勇名を得ていた事にも我慢がなら

なかったし。彼が自分を副官どころか、一部隊長、一兵卒としてすら呼ぼうとすらしなかった事にも腹が

立つ。

 この理由を、岳把は、漢嵩が自分を妬んで敢えて無視していたのだと、そんな風に勝手に思い込んだ。

漢嵩が自分の才を恐れ、遠ざけたのだと(当時、漢嵩は彼の名前さえ知らなかった)。

 本来ならば、今漢嵩の地位にいるのは、或いは明節、央斉の地位にいるのは自分であったのだと、そん

な風にも考えている。それが当然であり、そうなるべきであった。それをしなかったから、自分が居なか

ったから、今漢は項弦などに脅かされているのだ。

 人が聞けば、呆れ、笑うだろうが。しかし彼にしてみれば真剣であり、まったく笑い事では無い。

「我が力、見せてくれる」

 だから彼は思う。漢に、漢嵩に、自分の力を見せ、自分を招かなかった事を強く後悔させてやると。

 その為には何も惜しまない。先程孟然から受けた侮辱すら許してやろう。今単独で出軍出来るならば、

今全ての功を独占出来るならば、そんなものは安い代償である。

 孟然の鼻は、後で存分にあかしてやればいい。

 そして壬次軍を見事破った後は、そのまま漢に突き進み、漢嵩の眼前に我が姿、惨めな漢嵩に我が偉大

なる栄光の姿を見せてくれよう。

「天機将軍、敵影を確認したとの報告が」

 斥候が戻って来たらしく、伝令の一人が報告に現れた。その言動は礼儀正しく、雅ですらある。

 そういう人物ばかり身辺に集めたのだから、当然だろう。岳把は他人の力など当てにしてはいない。で

あるから、これも矛や武芸と同じく見栄えさえ良ければいいのである。後は自分の指示にさえ従っていれ

ばいい。余計な知恵や勇気はいらない。自分ひとりで事足りる。

 ただ美々しくあれば良く。その事だけを重点に置いて鍛え上げてきたし、人選もした。

 これに不満を言う輩も居たようだが、別にどうでもいい。兵に好かれる必要は無い。言う事さえ聞かせ

られれば良いのだ。誰相手でも、どんな軍勢だろうと、自分が指揮さえすれば勝つ。岳把さえ首座に居れ

ば、後はどうでもいいのである。

「数は? 勿論全軍で出てきたのだろうな」

「いえ、どうやら半数の一万程度のようです」

「なんだと!!」

 岳把は怒り猛った。

 何故半数なのだ。この数で敵全軍を打ち破ってこそ美しいのに。わざわざ単軍で来てやったものを、そ

れでは意味がないではないか。八千で一万に勝っても、美しい勝利とは言えない。

「何処へ行かれるので?」

 怒りの形相で一人出陣しようとする岳把を見、慌てて伝令が止める。

「うるさい! お前はここで待っていれば良い!!」

 しかし岳把が聞き入れるはずがない。矛の柄で突き飛ばすと、側にあった弓矢を取り、紙と筆を腰に付

けた袋に入れ、そのまま騎乗して本陣を飛び出して行ってしまった。

「何て大将だ!」

 流石に伝令も頭にきて、勝手にしろとばかりに誰にも知らせず、自身もそのまま持ち場へと帰ってしま

った。将が将なら、兵も兵である。




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