3-8.単気は損気の心得


 猛然と襲い来る天機軍八千。足並みと陣形に乱れなく、良く統率されていると言っていい。

 訓練が良く行き届いているのだろう。元々は寄せ集めだとはいえ、流石は経験豊富な虎達。以前の凱軍

などよりも、よほど動きは良かった。

 岳把、その勇名に偽りはないらしい。怒りに任せていても、その突進は見事であった。往年の賦族を彷

彿(ほうふつ)させる。兵からの信頼の高さも、目に見えて解った。

 しかし、その感情が感情だけに、やや動きも直線的なものになっており、芸が無い。天機軍の動きの行

く末まで、手に取るように良く解る。

「どうやら、そうとう怒っていますね」

 それを遠目に見、とぼけたように蒼愁は呟く。

 それは怒るだろう。彼自身がそうするように仕向けたのだから、それは彼が一番良く解っているはずだ。

 しかしその口調には悪びれた様子はまったく無く、聞いている兵でさえ、何だか敵将が気の毒に思えて

くる。それでいて蒼愁に対して悪感情がまったく浮んで来ないのだから、得と言えばこれ以上無い程、得

な男であろう。

 天機軍に対し、壬側は出撃させた重兵五千を待機させ、そのまま待ち構えさせた。

 わざわざこちらから仕掛ける事はない。相手が近付くのを待ち、それから戦を開始する腹である。相手

から来てくれるのだから、わざわざこちらが余計な疲労をしてまで走る事はないだろう。

 この重兵達は機動性を多少犠牲にしても、防御力と攻撃力を限界まで高め、接近戦に特化させた部隊で、

装備はかなり重い。如何に力自慢の者達を中心に組まれているとはいえ、動けば他の兵の倍近い疲労を覚

える。言ってみれば、最後の最後まで動かず待つのが仕事なのだ。

 彼らを率いているのは武曲将軍、司譜。安定感のある彼の采配ぶりを思えば、正に打って付けの役目で

あろう。

「では私もそろそろ出撃させていただきます」

「はい、よろしくお願い致します」

 蒼愁は傍らで一礼する司穂(シスイ)大隊長に対し、返礼をした。

「蒼大参謀、今は私も貴方の部下なのですから、そのような返礼は必要ありません」

「申し訳ありません。どうにも慣れなくて」

 まるで姉のように言う司穂に対し、どうにも蒼愁は頭が上がらない。と言うよりも、どうしても自分が

彼女の上官だとは思えないのだろう。

 思えば彼女とは長い付き合いになる。漢嵩が双軍を率いて壬に侵攻して来た時、漢嵩を投稿する策を進

言したのがこの司穂であった。それから彼女の父親である司譜にも見込まれ、自然この司穂とも付き合い

は続いていたわけだが。もう二、三年も続いている事になるだろうか。

 その司穂に対し、今更どうにも上官ぶれないのである。苦手とか柄ではない、と言うのもあるが。どう

にも気恥ずかしい。彼女に対し、もっとしっかりした姿を見せたいとも、当然思うのだが。やはりこの恥

ずかしさだけは如何ともしがたい。

「ともかく、しっかり命じていただかなければ、私としても困ります」

「私も困ってます。これは益々困りましたね」

「まったく、またおかしな事を言い出されて・・・」

 司穂は溜息を吐いた。戦争にはまったく向いてないと思える、このとぼけた男の、一体何処から無数の

策が湧いてくるのか。ひょっとすれば、あの趙深もこのような風だったのだろうか。だとすれば、なにや

らおかしくもあり、がっかりするような、それでいてほっとするような、不思議な心地になる。

 寂しさ、少し違うが、そう言い換えても大差ない心地だろうか。

 そう思えば、敵総大将である趙戒も想像する趙深とは似ても似つかない。それとも趙深はあのような冷

酷とさえ思える冷たさを、心の何処かに持っていたのだろうか。

 いや、やはり趙深は趙深。子孫とは言え、彼らとはまったく別の人物なのか。

 それでも似ているとすれば。趙戒と蒼愁、一体どちらがどれだけ趙深なのだろう。

 無意味な思いではあるが、ふとそんな事を司穂は考えた。

「ともかく、お願いします」

「承知いたしました」

 色々思うところはお互いにあるだろうが、今は悠長な事をしている時ではない。流石に蒼愁も多少焦り

はあるらしく、常よりは機敏に返答した。無難であるが面白みのない命じ方、しかしそんな言い方でもど

こか愛嬌がある。

 それは蒼愁の人柄を良く現していた。

 頼りないが、どこか人に自信とやる気を与えてくれる。だからこそ司穂や司譜、そして壬の高官までも

が彼を好み、彼に期待するのだろう。

 彼に求められているのは趙深の智謀ではなく、むしろその人を惹き付ける求心力かもしれない。趙深も

或いはそんな風だったのだろうか。

 そんな事も思いながら、司穂は軽兵五千を率いて出撃した。

 しかし出撃すれば彼女から余計な思考は消え、歴然とした気迫だけが残る。兵達にもそれは伝染し、即

座に端々まで気を引き締めさせた。戦場での彼女達に、迷いは無い。

 蒼愁は彼女達を見送ると一人高所に立ち、戦況を眺めた。相変わらず何を考えているのか解らないが、

不思議と趣き深いとさえ思える、あの不思議な表情のままで。


 岳把は敵影を見、予想以上の重装備に多少迷いを覚えたものの。結局は自らの力を信じ、怒りに任せ速

度を緩める事なく突撃を続けた。

 それに対し壬軍は大きな盾を地に立て構え、どっしりと腰をおとし、槍先を真正面に向けて待つ。馬の

突進でさえ貫けるよう、柄の先は掘った穴にまるで埋め込むように立てられている。

 果たして岳把には、そこまで見抜けたかどうか。自ら罠に飛び込んでいる事に。

 轟音が戦場を駆け抜けた。

 敵陣に近付いてもその勢いが衰える事は無く。流石に岳把の突撃は見事なもので、万全の体勢で待ち構

えていた壬軍でさえ、その前衛をあらかた吹き飛ばされてしまい。派手に舞い上がった土煙と怒声は、一

瞬壊滅したかと見間違う程であった。

 壬の質の良い鎧と槍が無ければ、或いは敵軍が万全の構えにわざわざ正面から突っ込んで来てくれなけ

れば、そのまま陣を貫かれていたかもしれない。

 しかし重兵達は耐えきった。

 すると当然、突進したと同等近い反発力が天機軍に対して発生する。騎乗していた者には落馬するもの

が少なからずおり、歩兵の中には遮二無二突撃した結果、槍先が隠れる程に深く貫かれた者も多かった。

 敵陣を分断させ、混乱させてこそ集中突撃の意味がある。それをしのがれてしまえば、防がれた驚きは

恐怖へと変り、逆に自らを劣勢に落とす事になろう。

 しかも突撃で疲労した心と身体は、敵軍にとって格好の獲物である。おまけにすぐ側にその獲物がいる

のである。これ以上不利な状況はない。

 古くは碧嶺や紫雲竜が生み出し得意とし、今に賦族が受け継ぎ一撃必殺の威力を誇った全軍での中央突

破。その威力に比例して、しくじった時の損害も大きい。

 元々は最後の詰めとして用いられるこの手を、怒りに任せ己を頼み、何を考えたか緒戦から使った岳把

にも落ち度があった。

 彼が言った、たかだが五千。しかしその五千の兵が石を積み城壁とするが如く集まり、鉄を重ねて鎧と

するが如く構えれば、真に堅固な鉄壁となる。

 岳把は侮りすぎた。その結果がこれである。

 前に抜けられぬ力が反発力を生み、更に背後からは勢い余る味方が押し寄せる。言わば味方と敵兵の間

で石臼のように揉み潰されるようで、行き場を失った天機兵はたまったものではなかった。

 大集団ではなく、個々で自由に行動する事に慣れた虎の事。一度乱れてしまえば立て直すのに時間がか

かる。安定している時は虎同士の連携も慣れてお手のものであったが。独立心が強い事が災いし、今は味

方同士で罵りあう輩まで出て来ている。

 元々競争相手であった虎同士の仲が、例え同盟のように結ばれたとはいえ、この短期間で良くなるはず

も無い。

 岳把の誤算は、自らの力を過信する余り、他の虎も自分に従って当然だと思っていた所にある。

 そして知らず知らず彼らは、常に同じ戦場に居た竜を頼っていた、という事もあるのかもしれない。

 今まで虎はあくまで脇役であった為に、どこか気が楽で、例え作戦が失敗してもさほど責任を問われる

事は無く(その代わり例え死にそうな目にあっても、よほどの物好きでもいない限り、誰も彼らを助けて

はくれない)、個々の虎長の裁量で逃げれば良かった。

 統率力のある竜が同軍であれば、一度後退しても軍を立て直すだけの余裕があったし。敵軍の視点は主

として竜を向くものだから、虎が敵軍の隙をつく事も傍目で見るよりは楽であった。

 しかし今はそうではない。作戦が失敗しても勝手に逃げる事は出来ないし、敵は虎だけを見ているのだ

から、彼らを打ち砕こうと向ってくる。そこに以前のような余裕は無く、余力も無い。

 そこへ思うような結果が出なかった事で、早くも指揮官である岳把に対し、その力量を疑う声まで出て

きてしまった。単に今までは運が良かっただけではないかと。

 信頼のない繋がりなど脆いものである。これまでの歴史で呆れるほど繰り返されてきた事と同じく、た

だ突撃して陣を貫けなかった、言ってみればそれだけの事で、統率不能に近い深刻な状況が現れていた。

 岳把は大軍を率い、また自らが主役として正面から戦った経験がほとんど無かった為に、彼自身も暫し

この状況に迷った。何故失敗したのかが解らなかったのである。

 いつもなら充分に貫けたはずだ。軍勢が多いからそれがなんだと言うのだ、何が違うのかと、思考が落

ち着かない。

 彼も突撃するのなら、何も全軍を正面から行かせずとも、敵を引き付ける部隊と突撃部隊とに分け、出

来る限りいつも経験していたのと同じ状況を作り出せるようにすれば良かったのだ。例え壬軍が堅いと言

っても、その横背を突かれれば、おそらく耐えきれなかったに違いない。

 重兵が鈍重な兵種である事と、槍や盾を固定に近い状態にしていた事を考えれば、正面以外は脆かった

はずである。

 岳把はそういう所が、これが実質の竜としての初陣だけに、欠片も解っていなかったのであろう。今ま

でとこれからがまったく違うと言う事に気付かない。これが最も大きな敗因なのだろう。

「ええい怯むな! しくじった者は左右へ抜けよ、背後の味方の邪魔をするな!」

 しかし岳把もさる者、冷静さを取り戻すと、意地になって無理矢理敵正面を抉じ開けるような事は試み

ず。そのまま先陣を左右へ分かれるように移動させ、大きく旋回しながら距離をとり、再び突撃を行なお

うとした。

「全隊、一斉射撃! 敵軍の横背を狙いなさい!」

 ところがそうして左右に分かれようとした丁度その時、敵重兵隊の背後から、司穂率いる軽兵隊が現れ、

混乱覚めやらぬ天機軍に対し、弓矢で一斉射撃を加えた。

 天空から降り注ぐ矢に対し、まったく思慮を欠いていた天機兵達は簡単に射抜かれ、無様に乱れ狂い。

最早岳把の命を実行する事は、不可能となってしまった。いや、すでに一度突撃をしくじった時、その瞬

間から岳把の指揮系統は壊れてしまっていたのだろう。

 どの天機兵も己が道を見失い。味方同士もつれ合うようにして、お互いを罵(ののし)りあった。

「皆、良く耐えた。さあ、これからが我らの腕の見せ時ぞ、存分に揮うが良い。全隊、突撃!!」

 それを見、即座に重兵隊を指揮していた司譜が突撃の命を下す。

「ウォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 重い槍と盾を捨て、大剣、長剣を抜き放ち、重兵達が天機軍に止めを刺そうと襲いかかる。

「撤退、撤退しろッ!!」

 勝機を完全に脱した事を知った岳把は、撤退の命をまるで捨て置くように発し。近くに居た手勢だけを

無理矢理引き摺るかのように率い、自らが先頭に立って栄覇まで退いて行った。

 大将自らが恥も外聞もなく、当たり前のように一番に退く。これも虎の時となんら変っていない。どう

やら碧軍の多くは、未だ自らの変化を理解するどころか、知る事さえ出来ていないようである。

 これは軍隊として、致命的であろう。  




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