4-3.あれば戦の華情け


「敵は城に篭り、防戦に徹する構え」

「散発的に矢が降ってまいりますが、未だ被害は軽微であります」

「敵兵の勢いや良く。まさにてぐすね引いて待ち構えている様子」

 様々な情報が入ってくる。

 指揮官用の天幕に居るのは、壬劉(ジンリュウ)、楓仁(フウジン)といった主だった面々。どの表情

も決して暗くはないが、さりとて明るいとも言えない。

 鋭意盛んな敵を前に、慎重さを強いられている感があった。

「王よ、敵将は存外、慎重な性格のようですな」

「うむ、凱禅を討ち滅ぼし、七殺などという名を冠するからにはどれほどのものかと思うたが。どうやら

猪という訳ではないらしい。或いはよほどの知恵者が側に付いて居るのか。さて、如何したものか」

 篭城は本来、援軍を当てに出来る前提条件があって、初めて有用な作戦なのだが。壬の国力と最大戦争

継続時間の事を考えれば、ただ篭って時間稼ぎをされるだけでも、相当の障害となる。

 それに援軍と言えば、七殺将軍の背後には、確かに趙戒の軍勢がいるのだ。例え直接この昂武まで出陣

して来ないとしても、背後にまだ強大な兵力が待って居るのだと思えば、軽視出来るはずがない。

 さりとて、ここでいつまでも足踏みしているわけにはいかない。すでに出発している次軍と足並みが揃

わねば、わざわざ軍を二つに分けた意味もなくなるし。それ以前に食料が心許無くなる。

 案外何の策も行なわず、ただ引き篭もってしまわれる方が、攻め手にとっては厄介なものだ。例えば山

のように、動かない存在を崩すのは難しい。動かないという事は前進も後退もしないが、その代わりに隙

を生み出す事が無いのである。

 隙というのは、物事が動く、その動きと動きの間、若しくはその内側にこそ生じるもの。

 だからこうして引き篭もられては、こちらも正攻法で撃ち破るしかないわけだが。しかし昂武の防衛力

は強固、簡単に落せるとは思えない。

 かといって、この都市を捨てて迂回でもしようものなら、いずれ背後から強襲される恐れがあり。最悪、

趙戒の軍とで挟撃される場合もある。

 ならばと兵を割いて昂武の包囲を続けたとしても。半減した兵力では昂武の軍勢にも趙戒の軍勢にも抗

し得る事は出来まい。まさに、二兎を追う者一兎も得ず、の状態になるだろう。

 つまりはどうしてもこの昂武を抜くしかない。

 試しに斥候を出して挑発させてみたが、少しも気にする様子は見えなかった。亀のようにがっしりと護

っている。これでは亀の甲である昂武防壁そのものを破壊してしまわない限り、彼らに刃を突き付ける事

は出来ない。

 射撃に専念したとしても、賦の強弩でもなければ、さほど効果的な打撃は与えられまい。やはり壁を越

えて白兵戦を仕掛ける手段しか、この都市を落す手立ては無いように思える。

「やはり正攻法しかあるまい。楓仁よ、ここは一つ、アレを使ってみようか」

「私もそれを考えておりました」

 壬劉の言うアレとは、凱禅が南砦へ侵攻した際に放置していった、鉄板が付けられた攻城塔の事である。

あれならば弓矢も歯が立たず、容易に防壁内へと潜り込めるかもしれない。

 組み立てに時間がかかるのが難だが、すでに攻城塔を利用した戦術も考案されており、その為の訓練も

積んでいた。

 防衛に特化した壬国であっても、護る手しか考えていない訳ではなく。時には攻める事が防衛に繋がる

事もあるからには、当然攻めの鍛錬も積んできている。

 幸か不幸か、壬は凱禅以前にも賦国に攻城塔を使われた事があった。その時の経験を活かせば、上手く

利用する事は難しくない。攻城塔などという物はまだ一般的ではないから、一万七千の虎相手でも、大い

に効果があるだろう。

 防壁内へさえ侵入出来れば、ほぼ五分の条件で戦える。対等の条件で戦えば、経験豊富な虎と言えど、

壬の黒竜に敵うはずもない。黒竜を圧倒出来そうなのは、今は無き賦の黄竜くらいなものだ。

「では早速準備に取り掛かりましょう」

「うむ、頼んだ。全てが整うまでは、私に任せるが良い」

「はッ、王のお手並み、久しぶりに拝見させていただきましょう。鈍っておられねばよろしいのですが」

「はは、言うてくれる」

 場に居た者は皆、二人に誘われ、大いに笑い合った。

 壬家と楓家、それは建国以来の仲であり。その結び付き、信頼共に深い関係にある。今は王と将軍とい

う間柄であれ、二人にはどこか兄弟にも似た匂いが漂っていた。

 王自ら直々に指揮する。壬の総力を上げた大戦、その本軍の最初の一戦には相応しく。それを聞いた兵

の士気は、いやが上にも高まった。

 さて、壬劉の指揮ぶりや如何に。


 黒い旗指物が眼前に広がっている。

 七殺将軍、石迅は満足そうにその光景を眺め下していた。相手にとって不足は無い。むしろ王直々に率

いる軍勢、しかも名高き楓竜将も居るとなれば、光栄の至りである。

 防壁内に造られた監視塔、その最上部に、今彼らは居た。

「将軍、ようやく本腰入れてきなさったようです」

 石迅の隣には楚峨の姿がある。毎日手入れするのが面倒だと全て剃り落とした坊主頭に、数日ほったら

かしであろう無精髭(ぶしょうひげ)、今日も今日とて彼は変わらない。

 しかしその眼光は鋭く、今は鬼気すら帯びて見え。服装も古風で猛々しい物を着用しており、見る者に

戦場の雰囲気を思わせるには充分である。

「おう」

 石迅は深々と頷いた。戦場での敏捷さと全く違い、こちらの方は常に重々しさと慎ましさにも似たもの

を宿しているように見えた。

 今も彼らの後ろに座している恒封に遠慮してか、自分から積極的に発言しようとはせず、むしろ彼が何

か言うのを待っているようである。例え主軍はこちらとはいえ、援軍として来てくれているだけに、逆に

申し訳なさのようなものでも感じているのか。

 体格に似合わないと言えばそうなのだが、そうであるからこそ彼は皆に慕われているのだろう。誰しも、

自分を立ててくれる人間に悪感情など持ちようが無い。

 その上部下に公正だとくれば、これは人気が出て当然と言うものだ。

 恒封はと言えば、虎の中でも年嵩の方で、老齢というまででは無いが、そう見えるほどに落ち着きと経

験を重ねている。

 全権を石迅に任せたように、あまりでしゃばらないのが彼の風でもあるのか。のんびりと床机に座り、

湯のみ片手に寛いでいるようにも見えた。

 堂々としているというか、とぼけていると言えばいいのか、どうにも解らない部分がある。元虎長、そ

して現在は六虎将軍の一星。決して単なるお人好しではないはずだ。

 楚峨はどうもこの男が信用しきれず。こちらに全てを任せたのも、いざという時に責任を全てこちらに

押し付ける気なのではないかと、そのように推測している。

 恒封本人を見れば、とてもそうは見えないが。それが逆に胡散臭い。

 確かに広い心を持ってはいるのだろう。落ち着きもあり、人に慕われるには充分な器があるようには見

える。確かに見える。

 だが人間の中には自己暗示でもかけるように、嘘を付かずに嘘を付ける者もいるのだ。自分でも本当の

話だと心から信じて、嘘を真実のように言える人間が。

 そういう人間ほど怖ろしい存在はなく。安心して放っておくと、ふと気付いてみれば、自分を踏み台に

して、彼だけが遥か上に居た、という事にもなりかねない。

 楚峨の直感が、恒封には油断するなと告げている。

「うちの親分も真偽は見抜けるが、そういう人間は見抜けねえ。俺がきちんと見張ってなきゃあ、痛い目

見るだろよ」

 しかしそんな風に思いながらも、表情だけはにこやかに恒封と談話出来るのだから、楚峨の方も大した

悪党だ。

 まあそれはさておき。この二将の遠慮合戦に付き合っていては、いつまで経っても話が進まない。

「恒将軍、まずはうちの旦那に一戦交えていただかせてえのですが。よろしいですかい」

「ええ、その方がこちらとしても気が楽になります」

「そうですかい、じゃあ旦那、頼みますぜ。早くしねえと、ほら、もうそこまで来てますや」

「おう」

 石迅は恒封に一礼すると、待ちかねていたかのように足早に降りて行った。

 この辺りが彼の素直さというものか。良くも悪くも。

「まったく、初めから自分で言やあ良いのに」

 などと楚峨は思うのだが、そこがまた石迅の良い所なのかもしれない。

 人間の魅力の一つには、不思議に思われるかも知れないが、頼りなさというのもあるようだ。

 一般に頼り甲斐というものが魅力と言われる以上、どうにも一致しないが、人間というのは常に何処か

が矛盾している生き物なのかもしれない。

 時に弱さが魅力に変わる。

 ようするに他者の入り込める隙間、それが弱さという事だろうか。強固で隙間がなければ、確かに誰も

その人物には近付けまい。弱く隙間があるからこそ、護ってやろうと人は思う。

 勿論、それ以前にその人物が他人に護ってやりたいと思わせる人柄であれば、の話になるが。

「旦那に任せておきゃあ、まあ悪い事にはならねえ。俺は黙ってきゃつを見張ってようさ」

 緒戦で敵も小勢である以上、壬も様子見のように考えているのだろう。そうなれば特に楚峨の出番は無

い。元々単純に戦をするならば、石迅に敵う者はそうざらにはいないのだ。

 自分の今の役目は、ここに居てあのお人好しかとんでもねえ食わせ者か、どちらか解らないが恒封を見

張っておく事だろう。まさか寝返ったりはしないとは思うが、元が虎だけに何をするか解らない。

「ま、それを言うにゃあ、俺らも同じか」

 楚峨はその場で一人、にんまりと表情のみで笑った。




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