4-4.剛力無双


 壁門が僅かに開かれ、そこから縫うようにして勢い良く歩兵一千が飛び出す。勿論、先陣を駆け指揮す

るのは石迅。巨大な体躯に相応しい巨大な戦斧を持ち、途方も無い重さであろうそれを、まるで軍配でも

扱うかのように軽々と振りかざす。

 対する壬の軍勢も1千の歩兵。数で言えば五分、実戦力で言えば壬が上手か。

 壬軍の先陣に立つのは壬劉。総大将自らが率いているのであるから、相手にとって不足があるはずがな

いのだが。それを見、石迅は少なからず落胆していた。

 彼はてっきり先手となれば楓仁が出てくると思っていたのだ。

 楓仁、賦族に打ち勝つ事が出来る数少ない一人であり、その中でも個人的武勇ではおそらく群を抜く。

虎出身の石迅としても武神に近しい語感を受ける存在であり、一度で良いから真っ向から戦える事を望ん

でいて、一騎打ちでも出来ればもう悔いは無いとまで思っていた相手である。

 であるからには、例え総大将、しかも一国の王である壬劉でさえ、いささか役不足と思わないではなか

った。真に失礼千万であるが、彼の心情としてはどうしてもそう思ってしまうのである。

 壬劉に対して悪感情があるわけではない。

「ふむ、しかし王を破れば或いは勝利を得られ。そうまでいかぬでも、楓仁が出ずにはいられまい」

 そう思い直し、石迅は気合を入れなおした。これが最後ではない。いずれ機会はあるだろう。

 まずは目の前の一戦に勝つ事が肝要、戦場では勝利こそが全て。

「壬王よ、早々と参られたもの。その勇に敬意を表し、我が斧を存分に馳走いたそう」

「これはこれは碧の一星殿ではないか。無口と聞いていたが良く舌が回るものだ」

 いきり立つ石迅を壬劉は挑発めいた言葉で軽くいなす。

「・・・・・ッ」

 両者近付き、まずは一合。

 擬音が火花となって飛び散り、聴く者の顔を蒼ざめさせた。

 雷鳴でも落ちたかのようで、耳にするだけで全身をへし折られそうな気さえする。

「大した膂力、流石は壬の王。その名に恥じぬ」

「良く良く回る舌よ。お主の回すのはその斧の方ではなかったのか」

「愚弄するかッ、壬の王ッ!」

「戦場では己が力でのみ語るものよ!」

 二合、三合、四合。腕の太さが二回り三回りも差のある中、よくも壬劉は受けていられるものだ。並み

の者ならば、とうに手にする槍ごと粉々に砕かれていよう。

 そう思えば、決して太くも大きくもない、一見すると極々ありふれた物に見える彼の槍も、どうして折

れてしまわないのだろうか。壬製の武具は質が良いからと言って、それにも限度があるだろう。

 石迅の持つ巨斧の刃はゆうにその槍先の数倍はある。厚みも桁違いであろう。なのに何故、彼はこうも

耐えられるのか。

「・・・・・・・くぬッ!?」

「シャッ!!」

 切り裂くかのような壬劉の呼吸音が響く度、渾身の力で叩きつける斧が止められる。石迅の力をこうも

軽々とあしらおうとは、誰が予測出来ただろう。

 単純に腕力なら負けているが、壬劉は全てが上手い。見事以上に見事、柳のように腕と槍をしならせな

がら、巧みに石迅の鬼のような力を受け流す。自然に合わせるようでいて、実に巧みな角度、位置、強さ

で巨斧に込められた力を受け流していた。

 蒼愁が学んだ剣術と、根底は似ているかもしれない。力に力で合わせるのではなく、それを受け流し、

生まれた隙を確実に突く。

 そんな事をされた相手はたまったものではない。それは一人相撲をとるのに似ている。

「まさか、楓仁以外の者に・・・」

「壬は武の国。王とてただ座しているだけと思うたか」

 今の壬劉は王の彼ではなく、若き頃楓仁と共に戦場を駆けた時に戻ったかのようだった。幼少から楓仁

と共に鍛え上げた武力が、例え如何なる猛者相手であろうと、引けを取るはずがない。

 だがしかし、精神は戻れても、肉体までは戻せない。

 その言葉と威風とは裏腹に、実はすでに壬劉の腕は限界にきており、鎧の下で大きく晴れ上がっていた。

長年戦場を離れていた付けは大きい。気力はまだ充分なれど、体がどうしても付いて来れないのである。

「流石、流石。その王威に敬意を表し、ここで退かせていただこう」

「逃げるか、碧の一星!」

「その腕を壊しては勿体無い」

 石迅も然る者、徐々に力を失っていく壬劉を感じ、彼も少なからず気付いたようだ。

 そして同時に安堵する。流石の彼も化物を二人も相手にしていられない。

「鍛錬は欠かしてなかったが、戦を一度離れれば、私もこの程度か・・・・。仕方あるまい、全隊、帰還

せよ!」

 こうして前哨戦は傷み分けに終わった。

 壬劉は彼に対する畏怖心を石迅へ与え、石迅は壬劉の戦闘能力を奪った。

 どちらも大きな戦果を上げる事は出来なかったが、時間稼ぎには充分だったろう。結果として、壬に少

しばかり軍配を上げねばなるまい。


「旦那がああもあっさり凌がれるたあ、なかなかやるねえ」

 楚峨は一部始終を見た結果、多少考えを改めさせられる事になった。

 壬の力というのは、思ってる以上に崩すのが困難であるようだ。一騎打ちをした大将同士も然る者なら

ば、敵兵もまた然る者、名高き壬の黒竜は伊達ではないと言う事か。

 一言で言えば、全てが上手い。連携や個人的武勇、前進から後退、何から何まで巧みであり、虎出身の

兵でも舌を巻く程。

「こりゃあ痛い目見るのは、こっちの方かもしれねえ」

 元々ただ護るだけで済むとは思ってはいなかったが。これは相当の被害を覚悟しなければ、とても凌げ

るとは思えない。楽して勝とうなどと考えていると、必ず痛い目にあうだろう。

「・・・・・・・」

 帰城した石迅が上がってきた。

 几帳面に恒封に対して一礼し、窓から敵兵を見下ろしている楚峨へと近付く。

 一戦の後だけに疲労の跡が全身に色濃く残っていた。

「旦那、笑いながら気難しい顔しようとしても、そりゃあ無理ですぜ」

 疲労も見えたが、石迅は笑っていた。強者と戦えたのが嬉しいのだろう。

 無闇に人を傷つける事を好むような男ではないが、戦となれば話は別。己の肉体を使い、生死をかけて

命をぶつけあう。その時にこそ人間というものが少しだけ見えるのだと、彼は言う。

 ただ刃を合わせるだけでなく、命をかけるからこそ見えるものがあるのだと。

 楚峨のように武芸にあまり興味の無い男にはとんと理解出来ない心情だが、何となく解るような気もす

る。ようするに人と本気でぶつかりたいのだろう。

 口下手な石迅の事、ひょっとしたら体を動かす事でしか語り合えないのかもしれない。まあ、単純に武

芸好きという事もあるだろうが。

 ともかく楚峨は安堵した。

 石迅が笑っている。それはつまりはそれだけ強い敵と当っているという事になる。

 七殺軍はなんといっても石迅がいるから繋がっていられるのだ。万が一にでも彼が戦死すれば、その時

点で敗北が決定していた。石迅が死んでしまえば、もうどうにもならない。

 楚峨も人望はあるが、それも石迅が居てこその人望であり、希望。

 結局自分は石迅と二つで一つなのだと、解りすぎるくらいに理解していた。

 だからこそ安堵した。難敵と戦って大きな怪我一つ無く帰城した石迅に。

 勇猛な大将を持つと苦労するものだ。しかしその苦労がいい。

「その様子だと、相手は強かったようで。こりゃあ、性根入れてかからねえと」

「・・・うむ」

 小競り合いといえども一戦は一戦、後始末や次の攻勢への準備もあり、暫くは両軍とも動けない。いや、

動かない、といった方が正しいか。

 正確にはすぐさま次の軍勢を繰り出す事は出来る。壬には楓仁が居るし、碧も楚峨自身が出ても良いし、

恒封に行かせても良い。

 しかし決め手が無い以上、勝つ為の算段が未だ立たぬ以上、いくら兵を出しても無意味だろう。人間は

何をするにも、ある程度の方向性を持って行なうべきである。それが楚峨の持論でもある。

 それに碧の方が兵数が少ない。わざわざこちらから出て行くのは愚策というものだ。

 しかし楚峨は今、何やら引っかかるものを感じている。

「ん、そういやあ、何故楓仁は出てこなかった。前哨戦、たかが小戦でも、だからこそ勝利しておきたい

のが人の情。いくら自信があったとして、なんぜ王さんが自ら出てくるんでえ。確かに王さんもやりなさ

るが、それだけで危険を冒すのは納得出来ねえ。こりゃあ、何かあるな」

 無理はしないのが基本方針であったが、嫌な予感がする。ここは敢えて先手を打つ方が良いかもしれな

い。きっと壬は何かやらかすはずだ。

「恒将軍、次ぁ将軍のお手並みを拝見したいと思いやすが、如何でしょ」

「・・・・・・おや、そうですか。・・・・まあ、貴方がそう仰るならば」

「お願いします」

 恒封は何故か躊躇(ちゅうちょ)しているようだったが、それでも断りきれないらしく、最後にはその

重い腰を上げた。手柄を立てたくないはずはないだろうに、やはりどこか不審を覚えさせる男だ。

 彼の腹を見るにも良い機会かもしれない。

「旦那、俺も出ますぜ」

「・・・・・・おう」

 当然ながら恒封一人に任せるわけにはいかない。楚峨自身も手勢を連れて、言わば監視役として出る事

にした。兵の編成などもこちらで自由に出来る、恒封には七殺軍からの兵も付け、兵数を調整すれば、何

を考えていようとその動きをある程度縛る事も出来た。

 折角軍勢を全て任せられたのだ。どんな意図があったのかは知らないが、こちらはそれを利用させても

らうまで。

 恒封、楚峨が出撃する。




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