4-5.破攻の陣


 日暮れまで待ち、恒封が四千、楚峨が六千の兵を率いて壁門から出た。ほとんどが騎馬兵である。幸い

凱禅が備蓄していた物がある為、何をやるにも事欠かない。

 壬軍は未だ攻め入る様子を見せず、彼方にてこちらを伺っているように見える。

 兵力が少なく、防衛拠点という利点がある場合、わざわざ自分から打って出る事は少ない。当然、防壁

に篭ってしまった方が守りやすいからだ。

 楚峨も当初はそれを考え、それを行なう為の準備に終始していたのだが。実際に壬の動きを見て以来、

その考えを変えざるを得なくなっていた。

 一つには壬に余裕が見え過ぎる。

 確かにあちらの方が兵力は上、しかしそれにしても、戦争継続時間、行軍の疲労、昂武の背後にはまだ

趙戒の率いる大軍勢がいる、それらの点を考えると、どうにもおかしい。

 遮二無二なって攻め立てていてもおかしくないはずだのに。色んな事に慎重、というよりは、明らかに

時間稼ぎをしているように思えるのだ。

 兵糧の多くない壬、その壬が敢えて時間を稼ぐ。これは昂武にとって致命的な何かをする為に、その為

に時間を作っているのだとしか考えられない。

 余力の無い壬が何よりも貴重にしている時間と兵数。それを削ってまで行なうべき何かが彼らにはある

のだろう。

 とすれば、安易に篭っていてはその致命的な被害を避ける事は出来ない。いくら守りを固めても、その

何かは、強固にした守りさえ上回る効果が在るはずなのだから。

「大陸屈指の軍隊を持つ壬に、これ以上主導権を握られるわけにゃあいかねえ」

 壬の黒竜、考えるだけでもぞっとする。

 賦が継承した碧嶺の武略、その最も濃い血を彼らも継いでいる。確かに賦族には敵うまい。しかし大陸

最高の精鋭集団である事は、賦族と何ら変わるまい。

 賦が滅んだ今、黒竜とまともにやり合える軍などあるものか。と、楚峨は思う。

 しかも王と、黒き修羅という大陸史上でも数少ない、異名という代えるべきモノの無き称号を与えられ

た男、楓仁が率いているのだ。あの紫雲緋(シウンヒ)でもなければ、誰が相手に出来ると言うのか。

 正直な所、正面から五分でぶつかりあえば、いくら剛力無双の石迅でも、十中八九敗れ去るだろう。

 石迅本人ですら、少なからずそう思っているのではないだろうか。

「そんな相手に俺らが敵うわきゃあねえが、まあ、仕方ねえな」

 坊主頭をぼりぼりとかきながら、楚峨は思考を続ける。

 五分で戦えば必ず負ける。十の内一つだけ勝利の可能性があるとして、それが何になろう。必敗と言っ

て過言ではあるまい。

 せめて七分八分の優勢に持ち込まなければ、勝機は見えないだろう。こんな分の悪い戦、涙も出ない。

「壬相手に、七分八分の優勢ねえ。はッ、笑かしてくれるぜい」

 威勢良く出てきたものの、流石に楚峨は怖れを覚え、多少後悔を覚えないではなかった。大人しく家で

寝ていれば、例え昂武が落ちても、情の篤い壬の事、命だけは助けてくれただろう。

 それが何の因果か、信用も出来ない爺様とこうして戦いを挑んでいる。しかも野戦を。

「まあ、今となっちゃあ、どうしようもねえな」

 出来る事と言えば、こうやって独り言を呟きながら、自分を慰める事くらいか。煙草も忘れてしまった

から、余裕こいてぷかぷかふかす事も出来やしない。

「やれやれ」

 先を行く恒封を眺めると、いつも通り穏やかに落ち着き払って居るように見えた。

 あれが嘘だとしたら、これはもう大したものだ。楚峨や石迅も真似できない。亀の甲より年の功といっ

た諺もあったなあと、ふと思い出す。

「ちッ、ささと行くかい。うだうだ言うのは性に合わねえ。弓兵隊、援護しやがれ!!」

 号令と合図の下、防壁上に並ぶ弓兵が一斉に矢を撃ち出した。命中度外視、ただ距離を飛ばす為だけに

用意した馬鹿長い弓に持ち替えているから、当るかどうかは別として距離だけは飛ぶ。

 敵陣の最奥までは届かぬでも、先陣を撫でるくらいには飛ぶだろう。後は弓兵の頑張り次第、弓が大き

いだけに相当の力が必要となるから、鍛え上げた兵でも果たしてどれだけ持つか。

 この弓兵が(頼りない)唯一の生命線だけに、本当に祈るしかなかった。

 分は常に悪い。しかし待っていれば益々悪くなる。やるしかないのだ。

「恒将軍、出発を!」

「よろしいでしょう」

 楚峨の目論見は当り、突如襲来した矢に、壬の先陣が慌て始めたようだ。

 それはそうだろう。弓矢の射程距離も考慮して陣を張っていたはずなのだから、よもやその飛距離を越

えて来るとは思わず、おそらく夜襲を仕掛けられたとでも思っているに違いない。

 黒竜も人間である。

「さあて、後はいつまで迷ってくださるか。壬様、お天道様、せいぜいお頼申しますぜ! ちッ、夜に祈

ってもさまになりゃあしねえ」

 楚峨はぼやきつつ馬を駆けさせた。 


 敵影が見えた。

 その報告に少なからず楓仁は驚く。よもや打って出てくるとは思わなかったからであり。時間は取れる

だろうと考えての攻城塔の使用だったのだが、その目論見は脆く崩れ去ってしまった事になる。

「どうも智恵者が居るようだ。それともこれが虎の勘というものか」

 攻城塔の準備にはまだ暫くかかる。

 しかし楓仁は逆に喜んでいた。何しろ先手を王に譲り、いくら楓仁の方が塔の設営と扱いに慣れてると

は言え、ただ後方で見ているというのは少なからず鬱するものがあった。

 今敵襲がある事は、確実に壬の不利益ではあったが。彼一個としては望む所という気概がある。

「数は?」

「ざっと一万といった所。現在、敵弓兵の長距離射撃により、味方勢は混乱しております。竜将にはお急

ぎいただきたいとの事」

「うむ、ご苦労だった。伝え終わった所で悪いが、私が出向くと王にもお伝えしてくれ」

「ハッ!」

 命を受け、伝令が去っていく。戦場での伝令は目が回るほどに忙しい。

 ここでも情報と連携、そしてその速度がモノを言うのだ。人の行う事全ては、ひょっとすると大きく見

れば同じ事なのではないかと、楓仁は思う。

 だからこそ良く目の立つ者がいれば、まったく見えない者がいて。器用な人間がいれば、不器用な人間

がいる。

 もし全てがそれぞれ固有の全く別種のモノであるならば、器用不器用など起こり得るはずは無い。

 とすれば、何かしらの鍵、つまりは人生のコツのようなものが、本当にあるのではないだろうか。

「さて、わしと敵勢、どちらがどれだけそのコツを掴んでおるのか」

 日が落ちているとはいえ、兵達は交代で睡眠をとり、全てが眠って居る訳ではなく、当然警戒もしてい

る。すぐにでも動かせる兵がいくらか居るはずだ。まずそこへどれだけ早く行けるかが、その鍵を手に出

来る可能性を広げよう。

 後を大隊長、緑犀(リョクサイ)に任せ。楓仁は兵を統べるべく、最前線へと移動を開始した。


「戦列を保て! 隊毎に兵を収容せよ!」

 楓仁の一喝で兵の動揺が見る間に治まっていく。

 これだけは他の何者にも真似の出来ぬ芸当であろう。比べるとすれば、後は辛うじて漢嵩と紫雲緋が居

るくらいか。単に統率力があるというだけではない。兵からの絶大なる信頼と畏怖、それが必要とされる。

「報告せよ」

「ハッ」

 中隊長の一人が慌てて楓仁の前で礼の姿勢を取った。

 大隊長は一名しか連れてこれない為、実質中隊長が現況の最上位ということになる。当然、最上位の者

が将不在の場をまとめ、将が到着次第報告をする役目を担う。

 軍隊であるからには、戦況と実利を損なわない限り、上下関係は絶対である。

 それにしても楓仁は落ち着いている。今も矢が降ってきていたが、彼はその威力がすでに殺傷力を欠い

ている事を見抜いたのか、一顧だにしていない。たまに付近に刺さる矢を睨むくらいか。

「どうやら昂武防壁上から射ているようで、不覚にも一時夜襲と勘違いし、兵達は少なからず混乱致しま

した。そこで我らは必死で抑え、竜将のご出馬を願いました次第であります」

「現況を聞いておるのだ!」

 中隊長も未だ困惑していたのだろう。どうでも良い事を並び立てる彼の目を覚ますべく、楓仁は再び一

喝した。

 こういう場合に頼りないから、この男は中隊長にしかなれないのだと、心中の不満を少なからず込めな

がら。

 この中隊長は腕も良く、指揮を任せてもまずまず上手くはやる。しかしこういった頼りない部分が昔か

らあり、一軍を丸々任せるのには不安が残る。一軍を任せられない男に、大隊長が務まる訳が無い。

 不意を突かれたからという事もあるが。元々この男一人に前線を任せておいたのは楓仁の失策だった。

「現在我が軍の不意を突き、敵勢約一万が進軍中。見張りに立てておいた兵が迎撃に当っておりますが、

ともかくも数が足りませぬ。このままでは敵兵が到着次第、一蹴されるでしょう」

「急がねばならぬ。今動かせる兵はいくらか」

「ハッ、ざっと五千であります」

「よし、その五千を持って当る。準備が整い次第、後の兵はお主が率いよ」

 楓仁はそれ以上何を言う事は無く。ただ愛馬、黒桜(コクオウ)を戦闘地点へと駆けさせた。

 楓仁の進軍に命はない。彼が駆ければ兵は自ずと集まり、自ずと陣形を組む。彼の後ろにのみ軍が生ま

れ、彼が黒桜を駆けさせた時、真の黒竜となる。

 壬の誇る山馬の王、黒桜。乗り手である楓仁すら圧倒する巨体はすべてを砕き、無尽に湧く力で戦場を

恐るべき速度で駆け続ける。

 黒き修羅、それは黒桜と人馬一体となった時、初めて真価を発揮するのだ。




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