4-8.万武不撓


 碧兵が自らの肉体を持って壬の突撃を封じた肉壁、それが楓仁の再突撃を機に、とうとうへし折られた。

 楓仁が直接手を下した訳では無いが、彼の突撃によって士気を大きく上げた壬兵に抗しきれず、逆に恐

怖を覚えてしまった碧兵の心は挫け、中央から押し開かれてしまったのである。

 接触している為速度をつけるだけの助走距離が無く、弾き飛ばされる事は無かったが。碧兵も動けず、

まともに槍で突き殺され、剣で裂かれ、力押しに抜かれてしまう結果となった。

 壁の一部が崩れれば、後はもう用をなさない。見る間に総崩れとなり、変に固まってしまっていた為に

逃げる事もできず、良い餌食とばかり壁となっていた兵はあらかた殺されてしまったようである。

 楚峨も無傷ではなく、兵達の捨て身の援護によって辛うじて生き延びたものの、ありとあらゆる箇所に

傷を負い、楓仁に負けず劣らずの血塗れ姿となっていた。

 意識も朦朧(もうろう)とし、指揮は乱れ、そこへ狙ったように楓仁が襲ったものだから堪らない。

 壬兵は威勢を取り戻し、逆に碧兵は壊乱して右往左往。何とか腕の立つものが楚峨を庇いつつ撤退を試

みたが、すでに指揮系統を取り戻した壬軍に囲まれており。二つに分かれた壬軍に左右追い払われるよう

に押され、そのまま逆包囲される格好となってしまった。

 当然昂武側が一番兵が厚く、とても防壁まで辿り着けるとは思えない。昂武と真反対側は空いているが、

そちらへ逃げた所で、果たして何処まで行ける事か。

 そちら側はすでに壬の勢力範囲内である。

 それでも楚峨は半死半生の態で、何とか混乱だけでも鎮めようと必死に号令をかけたが、最早聞く者は

いなかった。

 碧兵は一人の虎に返り、軍ではなくただの集団に戻ったかのようである。

 次々と首をとられ、逃げる者は味方を踏み付け囮に使おうとする始末。混乱ここに極まりと言った風で、

人を追い詰めればこうまで乱れるのかと、目を疑うばかりの惨状であった。

 血を流し、痛む片目と片腕を思いながら、楓仁はその光景を哀れみをもって眺めやる。

 勝敗が決まれば敵もただの人、そんな者を襲った所で凄惨な殺戮(さつりく)になるだけ。もはや戦い

ですらない。

 こういう時、楓仁は一抹の虚しさを覚える。これが戦の本質であるとはいえ、好きか嫌いかと言えわれ

れば、吐き気をもよおすほどに嫌いだと答えるだろう。勝利への酔いも戦いの興奮も覚めた今、将の心に

浮ぶのは虚しさでしかない。

 それは敵であった兵が、生の人間へと還ってしまうからだろうか。ただの認識の相違でしかないとして

も、人の感情は大きく異なった心を生み出す。

 兵は殺せるが、人となると流石に躊躇(ちゅうちょ)しよう。

「楓竜将、怪我の手当てを」

「構わぬ。まだ戦は終わっておらん」

 しかし此処が未だ戦場である事を忘れた訳ではない。気遣う兵に対して、厳しい顔でその心を諌める。

 人間の営みは、全て最後の最後まで解らぬもの。傷の手当てなど、戦中に考える事ではない。それは弛

みであろう。弛みを放っておけば取り返しの付かない事になる。

 実際、楓仁の不安は的中した。

「竜将、昂武より敵勢! その数三千余り、全速でこちらへと進軍してきます」

「三千の兵を割け。残りは既存の軍勢を包囲し続けよ。逃亡兵は放っておけ」

「ハッ、承知いたしました」

 簡潔に三つにまとめた命令を持ち、他の伝令が即座に出発する。

「ご苦労。お前は少し休むがいい」

「いえ、私も迎撃軍にお加え下さい」

「よかろう、ならば疾く準備せよ。今集まるだけの兵を集め、わしの下へ連れてくるのだ」

「ハッ」

 斥候兵も休む暇無く、即座に命を実行し始める。

 戦場では何よりも速さ、そして確実さである。後は兵にやる気、士気があれば文句は無い。

 すでに敵援軍の姿は聴こえてきていた。敵も急いでいるのだろう。まだ城内には六千の兵があるところ

を、慌てて三千だけを持って現れたと見える。

 こちらもようやく兵を収容し終えた所で、ほとんどは包囲へと向わせている為、手近には数百程の兵し

かいない。しかもそのほとんどが楓仁と同じく傷を負った兵である。如何に勝利の決まったであろう戦で

も、ここで楓仁に何かあればどうなるかは解らない。

 どちらにしても壬の損害は大きくなろう。

「弓矢用意!」

 闇夜が深くなり、今では距離感を掴む事さえ困難だが、外れても牽制くらいにはなるだろう。

 楓仁は闇の彼方を睨み付けながら、自身も弓を持ち、今在る兵全てに弓矢の準備をさせた。 


「待たれよ!」

 弓矢を構え待ち受ける楓仁に、何処からか声がかかる。

 小さいが確かに、待て、と言う声が聴こえた、ような気がした。

 訝しがる楓仁は兵達を待機させつつ、目を凝らして周囲を探した。声の主、或いは何か戦場に変化が起

こってないかと、注意深く見回す。

 気を逸らせる為の敵の策かも知れないが、そのまま放ってもおけない。

 無視して射っても良かったのだが、楓仁は慎重を期していた。

「待たれよ、楓仁殿!!」

 目前の闇に松明の炎が一つだけ灯り、今度は楓仁の名と共に、しっかりとその声の内容が届いた。

 楓仁は炎の辺りを注視する。勿論、罠である可能性は依然高い為、側に居た者に周囲を警戒させておく

事も忘れないし、矢をいつでも射れるようにはしている。

 この炎自体が、人の目を誘い他の何かを隠す為の(例えばこちらの後背を突くべく別働隊をこちらへ向

わせているとか)策かもしれないからだ。

 しかし松明を持つ男は武器を納めており、その周囲を見ても他に影は無く、どうやら単騎近付いて来て

いる。

 わざと自分を見せるべく灯りを持ったのも、敵意が無いと見せる為かもしれない。

 しかし背後に三千の軍勢が居る事は変わらず、これだけで安心するのは危険だろう。

「全騎、待機せよ」

 楓仁は未だ疑心が残っていたが、弓を納め、結局敵騎を待つ事に決めた。彼の勘が敵意がないと告げて

いてもいたし。もし彼が使者であれば、問答無用に射殺した事は、後々問題となろう。

 そしてそれ以前に、使者を射殺すなど、楓仁の心が許さない。

 暫く待つと徐々に敵影がはっきりとし、どうやらその使者らしき男が敵将、石迅本人である事が解った。

 どよめく壬兵の間を抜け、速度を落としながらゆるりと楓仁の前にて止まる。

 そして挑むように正面から楓仁の目を見据え、声を張り上げた。

「壬国竜将軍、楓仁殿とお見受けする。我は碧の七殺将軍、石迅。勝敗はすでに決したと見える。である

からには、これ以上の死者を生み出す事を止め、我々だけで速やかに雌雄を決したいと存ずる」

「・・・それはどういう事か」

「即ち、我と貴殿との一騎打ちにて勝敗を付けたい」

「なんと」

 この申し出には楓仁も驚いた。何と言う大胆、いや我侭な申し出だろうか。

 すでに大勢として負けを認めていながら、一騎打ちにて勝敗を決しようとは、何という言い草だろう。

 怒りを通り越して呆れてしまう。

「如何か!」

「・・・・ふうむ」

 しかし考えてみれば、壬としても勝敗が決した以上、敵とは言え、人をみだりに殺したくはない。しか

も碧兵は国に対する忠誠心もなく、単に夢を追う為に協力しているに過ぎない。

 元虎だけにそういう部分はさっぱりしており、生かしても後々恨みにおもうどころか、命を助けてもら

った事に、純粋に感謝するかもしれない。

 戦にはさほど私情を持たないのが虎の常。例え碧国が未だ健在だとしても、一度負けてしまった以上、

もう一度碧の為に働こうという者はほとんどいまい。

 そう考えれば、逃げ惑うだけの戦意無き兵を、これ以上殺してもいいものだろうか。

 それに一騎打ちを断れば、おそらく最後の軍勢を使って、石迅は捨て身の覚悟で攻め入ってくるだろう

し。こうして楓仁を悩ませてる間に、昂武に残る兵の出撃準備も整えている事だろう。そこら辺も抜け目

あるまい。

 すでに彼の思惑に半ばはまってしまった以上、受けてやる方が壬にとっても良いのではないか。

 石迅は壬王との戦いぶりを見ても、並々ならぬ力量がある。その剛力は或いは楓仁すら凌ぐかもしれな

い。だがしかし、楓仁は自分が負傷していても尚、勝ち目が無いとは思えなかった。

 如何に負傷していようと、相手が誰であろうと、あの紫雲緋相手でも無い限りは、一騎打ちで負けない

自信がある。

 別に傲慢というのではなく、今までの彼の実績、そして相手の実力と比較させてみても、それは事実で

あった。確かに石迅は強い。しかし楓仁の相手ではない。

 王を凌いだといっても、それは王が長年戦場から離れ、体が訛っていただけの事、舐めてもらっては困る。

 出血もまだ体に影響が出るほどではない。

「よかろう。全軍に戦闘行為の停止を命ぜよ」

「光栄の至り。楚峨に戦闘行為の停止を命じよ」

 決まってしまえば行動は機敏であった。壬軍は戦闘を中止して引き始め。それを見た碧軍は訝しがりな

がらも混乱が沈静していき、逃げ出す者、命に従って立ち止まる者、様々であるが、とりあえず両軍の戦

闘行為は中断した。

 両軍共、今はお互いを睨み付けるようにして見張っている。

 それから停戦が完了した報を受け取ると、石迅は松明を捨て、ゆっくりと楓仁へと近付き。

「我は五分の闘いを望むなり」

 と言うや否や、短刀を引き抜くと自らの右目を裂き、そして左腕にその刃を突き刺してしまった。

「・・・・・これで五分、異存なきや」

「・・・・お見事な心ばえ。この楓仁、改めて、謹んでお受け致そう」

 自らの優勢を好んで捨てるとは、正に武人の美。賦族にも似た正々堂々とした威風に楓仁も感嘆し。そ

の心に全力をもって報いる事を誓った。

 そして槍を扱き、敬意を込めて眺めやる。

 二将は暫し視線を真っ直ぐに合わせ、ゆっくりと礼の姿勢をとった後。

「・・・・参る!」

 二心無く、真っ向からぶつかり合ったのだった。 




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