4-9.石迅、人の深淵に触れる


 砂塵舞い、風がぶつかり合う。人の生み出す風は荒々しく、自然の猛威には敵わぬでも、死線を感じさ

せるに充分な強さであった。

 巨大な戦斧を縦横無尽に振う石迅に対し、楓仁は大槍にて迎え撃つ。

 重さと遠心力にものを言わせて襲い来る戦斧を、長い柄を上手く使い大槍をしねらせ、見事に払い、凌

ぎ、弾き返す。

 先の戦において壬劉が似たような武芸を見せたが、楓仁のそれはより巧みであり、より強靭であった。

 例え山が乗りかかっても受け流せるのではないか。そう思わせる程しなやかで美しく、それでいて岩の

ような力強さを感じさせる。

 石迅はそこに神憑りなものすら感じ、僅かだが畏れ入ってしまった。

 簡単に言うならば、恐怖した。人の持つ心の中で、最も純粋かつ、もっとも単一で激しいもの。全てを

覆すだろう、あの恐怖。それに一度捉えられてしまえば、なかなかに抜け出す事は難しい。

 集団による混乱には及ばぬまでも、恐怖は人から理性と力を奪っていく。

 しかし石迅はその恐怖すら操り、喜びを見出していた。

 彼もまた、何かにとり付かれているのだろう。武に魅入られているのか、或いは彼も鬼なのか。

 どちらかは解らないが。そうであるからこそ、初めて修羅と闘う事が出来る。常人であったなら、とう

に気迫で潰されてしまっていただろう。

 片目片腕を自ら傷つけてまで、自分にある優位性を捨てる。それは狂気以外のなにものでもあるまい。

 或いは修羅と闘う為に、自らを狂にする為に、片目片腕を敢えて犠牲にしたのか。確かにそれくらいで

なければ、人を飛び越えて戦いの鬼とでもならなければ、賦族すら畏怖させる漢と戦える訳が無かった。

 石迅も賦族の強さは身に染みて知っている。そして彼らが大陸人に与える恐怖心の強さも。

 だからこそ言える。この漢、楓仁は確かに賦族を凌駕しえると。

「・・・・・・流石は修羅」

「無駄口は命を失しよう!」

 寒気が頬を通り抜け、鼓膜が悲鳴を上げた。

 石迅に湧いた感嘆の意など一瞬で凍りつく。そして恐怖。

 正しく風が身を心を切り裂いていく。唸る槍筋は避けるだけでさえ運を必要とした。

 はっきり言ってしまえば、どこからどう来て、そして何処へと通り抜けるのか。槍筋やその軌道がまっ

たく読めない。それは片目であるという以前に、例えば両目が潰れていても、両目が健在でも、どちらで

も大差無かったろう程に、楓仁の技量は石迅を圧倒していた。

 すでに楓仁を見切ろうなどという浅はかな考えは捨てていた。今立っていられるだけで奇跡。彼に出来

た事と言えば、次も避けられる幸運を祈る事だけである。

 ただ幸いな事には、楓仁の槍捌きは言ってみれば全て正攻法で、石迅を惑わそうとしたり、引っ掛けよ

うとするような意志が無かった。

 楓仁は真っ向から勝負を挑み。技巧や駆け引きによる勝負ではなく、馬鹿正直なまでに正面からの力勝

負を挑んでいるのである。

 だからある程度槍先の狙う箇所を予測でき、そのおかげで辛うじて石迅は避け続ける事が出来たのであ

ろう。勿論、まともに当ってないというだけで、今も石迅の傷は増え、身にまとう防具はほとんど切り取

られてしまってはいたが。

「・・・・・とても敵わぬ、しかし本望だ」

 それで尚、石迅は大きな喜びに包まれるのを感じている。

 強さ、武芸、闘い、闘志、一騎打ち、そして命。彼が長年模索していたあらゆるものの本質がそこには

あった。ぎらぎらと輝く太陽のように、眩しいくらいにその全てを証明している。

 楓仁という、一人の漢の姿と化して。

 自分の描く夢そのものに挑める、目の前に出来る。これ以上の幸せがあるだろうか。

 石迅の心は燃え、あらゆる感情や疲れを忘れさせていた。

 喜び、その心が全てを跳ね除け、石迅の身体を動かす。

 彼の身体は、彼が望む以上に働いてくれた。

 しかしそれにも限界がきたようである。心に身体が付いて行けなくなったのだろう。手が震え、斧を今

にも落しそうになったかと思うと。今度は肩が軋み、今にも壊れそうになり。骨が負荷でたわみ、肉は痛

みを叫ぶ。

 そして何より、彼の武の証、彼そのものとも言える戦斧がもたなかった。

 楓仁の一突き一振りによって確実に寿命を削られ、持ち主共々悲鳴を上げ、その力を失っていく。腕の

感覚は消え、痛みすら消えた。石迅に残ったのは限りない喜びと、敗北への確信。

 そしてその時は来た。

 一閃、貫く一閃、楓仁の奥の手である激しい回転を加えた恐るべき一突き。その一突きによって極限ま

で酷使されていた斧は抵抗出来ず屈し、穴を穿たれ、柄だけを石迅の手に残し、穿たれた箇所を中心に八

方へと弾け飛んでしまったのである。

 それは楓仁の力量だけではない。彼の持つ大槍。これこそ賦の技術と壬の技術を融合させ、名立たる双

方の職人が心を込めて生み出した黒曜鉄の槍。

 その切れ味は鋼鉄すら容易く砕き、同じ黒曜鉄でさえ或いは穿つ。

 そんな物に今まで耐えていたこの斧こそ誇るべきだろう。そしてそれを操った石迅をも褒めるべきであ

ろう。

 石迅の斧と野望は、彼の夢そのものである楓仁の手により、完全に打ち砕かれた。

 しかし彼は本望である。喜びに涙溢れた。

「将軍、お見事である。だが、勝負はあった」

 楓仁は石迅の喉元に槍を突きつけ、全てを宣告したのであった。


 七殺、天相軍対壬軍の戦はここに終焉(しゅうえん)を迎えた。

 敗北した碧兵は皆降伏、逃亡し。壬軍はこれを受け入れ、また逃亡兵を追う事も無かった。

 彼らが付近に篭り、山賊や夜盗に成り変る危険性を挙げる者も居たが。その問題は無いであろう事は、

碧の二将が責任をもって請け負った。

 碧と将を捨てて逃げたとはいえ、彼らも虎、虎には誇りがある。無慈悲な事も自分を貶(おとし)める

ような事もしまい。

 彼らは再起を誓って逃げたのではない。単純に石迅、恒封との繋がりが薄く、それ以上に趙戒との関係

が希薄だったというだけであり。ようするに碧を見限って出奔したのと変わらない。他国の兵のように、

反乱兵となって抵抗する事も、再び碧に戻って壬軍の敵に回る事も考えられない。

 虎からすれば、勝ち負けも無く。単に一つの戦が終わり、契約が切れたというだけなのだろう。

 虎の潔さ、というべきか。それとも薄情と言ってやるべきだろうか。

 どちらにしても壬は勝利を収めた。蒼愁率いる次軍の勝利もこの頃にはおぼろげながら伝わってきてお

り、壬は戦略の第一段階を突破したのである。

 投降した兵、そして将も参軍を望む者がいれば、性根の据わった者から腕の立つ者を選び、壬の軍勢に

編入した。その数ざっと三千。これにより壬側の死傷兵による兵数の減少は緩和され、最終決戦への不安

要素は一つその姿を消した。

 だが被害がそれで無くなった訳ではなく。悼むべき遺体も未だ無数に戦場に残されている。

 彼らは敵であれ味方であれ、等しく戦場に散った勇ましき者。そして生き残った者の代わりに、冥府へ

と尊き命を差し出してくれた者である。兵も民も丁重に扱う事だけを望んだ。

 壬王や将兵の気持も同じであり。遺体の運搬と埋葬には選考にもれた虎を当てる事とし、遺族の為にも

充分に報いる事を王自らが宣言した。そして仮葬を行なう事で、死者への敬意と感謝を表したのであった。

 戦時だけに簡素な葬儀ではあったが、その光景を見て涙せぬ者は居なかったという。

 王、壬劉と楓仁の重傷を負っていながらもそれを見せぬ態度に、神聖さすら感じる者もいたようだ。

 しかし傷としてなら楓仁の方が深刻なれど、王の負う痛みはとても戦に耐えうるものではなく。楓仁が

臣下の役目として諌め、これ以後は前線指揮を担当せず、常に後方で指揮する事を誓わせた。

 怪我といえば、石迅、恒封の二将も酷く。石迅に到ってはとてもの事身動きできる状態ではなかった。

 頑強な彼の体も、楓仁と壬と賦、三つの魂を込めた一撃で止めを刺されては、すでに限界にきていた体

が、斧ごしとはいえ衝撃に耐えられなかったようである。

 傷だけでなく骨折も多岐に渡り、医師に絶対安静を言い渡され、彼は昂武に長く止まる事を強いられた。

 恒封の方はそこまで酷くはなかったものの、肉体的、精神的疲労は彼の年齢と身体の限界をとうに越え。

動けはするものの、憑き物が落ちたかのように覇気は失われ。受けた傷も浅くなかった事から気落ちした

のだろうか、丁度良い機会だとすっぱりと引退を表明した。

 壬は快く彼に隠居先を与え。彼はそれから長い年月の後老衰で亡くなるまで、決して壬を離れる事はな

く、穏やかに余生を過ごした。恒封は死ぬまでその境遇に深く満足していたようである。

 残る七殺軍副将、楚峨も満身創痍に近い状態であったが、その意気は衰える事を知らず。壬側がどうい

っても宥められず、最後には新しく編入した虎隊の指揮を任せる事で、ようやく彼を大人しくさせる事が

出来た。

 全身包帯だらけという格好ではあるが、医師に言わせると致命傷に到る傷は皆無で、真に悪運の強い男。

彼に指揮をさせれば、最悪の事態に随分役に立つだろうとの事である。

 多少、その医師が楚峨に対してさじを投げた形に見えたのが気になる所であるが。彼ならば参軍は可能

と判断した事に、まず間違いはない。

 楚峨は傷があるとはとても思えぬ機敏な動きで駆け回り、黒竜も舌を巻く速度で戦闘準備を整えた。

 こうして全ての準備を整えた壬本軍は、再び趙戒の居る偉世(イセイ)へ向けて行軍を開始したのであ

る。勿論、次軍と連絡を取り合い、足並みを揃える事は忘れない。

 これが蒼愁率いる壬次軍が栄覇(エイハ)を陥落させ、そして孟然(モウゼン)を寝返らせる事で武尊

(ブソン)まで落した間に起こった大まかな出来事である。

 両軍とも見事な戦功を上げ、最早碧国の運命は風前の灯火であるように思えた。

 しかしまだ碧国には、趙戒率いる三万とも四万とも言われる大部隊が残っている。

 そして捕えられたままの紫雲緋(シウンヒ)、白晴厳(ハクセイゲン)の事も気にかかる。

 趙戒の事だ。故あって援軍を出さず、敢えて二大拠点の陥落を傍観していたのだろう。今まで沈黙を守

っているだけに、その真意が何処にあるのか、誰よりも不気味であった。

 もし趙戒が彼の持つ大軍を掌握し、統率しきれていたとしたら。三、四万という軍勢は、まだ充分に壬

軍に抗しきれる兵力である。

 果たして遠路で消耗の激しい壬軍は、このまま勢いに乗って偉世を攻め落とせるのだろうか。

 この大戦の行方は、未だ誰にも見通せないように思える。


                                              第四章  了




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