5-1.刃


 壬の二つの軍勢は一路、偉世(イセイ)を目指した。

 碧国の首都にして、趙戒(チョウカイ)の篭る堅城。碧国となってからも着々と防備が固められ、建国

後の彼のほぼ全ての力は、この一個の要塞へと注がれた。

 その間、項弦と多少繋がりがあったのみで、王としては驚くほど領土への執着心が無い。統治も将軍達

に任せきりで、調べたところほとんど干渉がなかったようだ。

 それもまた将軍達との約定であったのかもしれないが。ここまで徹底されていると、驚くより他にない。

 しかし今考えてみると。碧の六星、六つの軍団のうち五つまでが彼の下から消えた事も、或いは計算の

内であったではないかとの疑問が浮ぶ。

 初めから彼らは捨石に過ぎず。趙戒は自らのみを信じ、頼り、他の一切に構う事無く、自らの力のみを

高める事にその力を費やしてきたのではないか。

 国としてすでに半分以上の領土を失い、本拠地にまで攻められた今ですら、右腕とも言える項弦(コウ

ゲン)にさえ一兵も差し向けず。彼は他の将軍同様放って置かれ、玄国内に取り残された格好になってし

まっている。

 何故趙戒は行動を起さないのだろう。

 本来ならばもう少し執着しても良いのではないか。何故こうも無関心でいられるのか。

 確かに現状では壬軍に包囲される格好になっている為、援軍を割くのは難しい。しかしこうなる前にい

くらでも機会はあったし。大体が、偉世にこうまで閉じ篭っている意味が解らない。

 これではまるで、六つの軍団すら初めから捨て駒でしかなく。趙戒が力を蓄える、ただそれだけの為に

生み出され。最終的に他国に滅ぼされる事すら、予定されていたかのように思える。

 確かに、虎などを抱えていれば、そしてこれだけ碧の法が虎にとって有益であるからには、例え大陸統

一できたとしても、統治するのが困難であり。王となった虎達がいつ反旗を翻(ひるがえ)すか解らない。

 初めから捨て駒にする為に、虎達に甘い政策を打ち出したと考える方が、自然である気もする。

 となれば、壬国は趙戒の思惑通り、彼の厄介払いをしてやっただけなのだろうか。

 長い行軍で疲弊し、最後に趙戒に滅ぼされる為に。

 何と言う大胆さと非情さ。右腕たる項弦でさえ、囮に過ぎないと考えれば、この趙戒という男は何と言

う男であろう。

 果たして人間と言えるのだろうか。いや、自らに正直であり、自らの夢のみに向うとすれば、正しく彼

こそが、誰よりも人間であるのだろうか。

 虎こそ良い面の皮。碧という国に驚かされ、動かされた漢と壬も、同じく趙戒の掌の上で虚しく時を重

ねていた事になる。

 勿論単なる想像ではあるが、過程とその結果を見れば、あながち真を穿っているのではないだろうか。

 そしてそれは実に趙戒らしい戦略といえる。言われて納得できる事が、一番怖ろしいかもしれない。

 結局戦乱の火種は、最後まで火種であり。全て燃え尽きるまで、その役目を止める事は出来ないと言う

事なのだろうか。

 趙戒は結局何も変りはせず。変わろうとも思っていないのか。

 賦族の為を想い、結局賦という国を滅ぼした、あの時のまま。

 そう思えば彼も悲しい人間である。他の人間と同じように、彼もまた自らの美意識の為に生きる人間。

ただ、その美意識が誰にも喜ばれず、逆に皆を不幸へと導くモノであった。理由はそれだけの事。

 人の業というものを、自ら体現する男。それが趙戒であるのかもしれない。

 ある意味彼こそが、人の歴史そのものである。彼が出でてより戦乱は広がり、最後には焼き尽くし。彼

が無力化した時初めて、この長い長い戦乱は終わるのだろう。

 願わくば、最後の戦乱の種であらん事を。

 壬の軍勢は周辺の街を制圧しつつ、慎重に進んだ。要所要所では抵抗が見られたものの、それも僅かな

時間稼ぎでしかなく、少数の軍勢などはあっと言う間に撃退された。

 ここからも偉世に全ての兵力が集められている事が解る。

 そして二つの軍勢は結集し、東西から挟み込むように偉世を包囲した。

 対する趙戒は依然動きを見せず、不気味な沈黙を守っている。

 一度凱禅(ガイゼン)はおぞましい火計を使って賦軍を撃退した事がある。それを考えれば、似たよう

な計略が仕掛けられている可能性があり。あれば、趙戒がそれを使わないとは言えない。

 何しろ凱禅という狂気の男が本拠としていた街である。この都市には無数の策が用意されているはず。

迂闊に近付いては危うい。

 碧と壬の最終決戦。しかし未だ大きな動きは見えない。


 包囲されて尚、偉世内部には目立った動きは見られなかった。

 防壁上に弓兵を配置し、射撃を繰り返してはいたものの、さりとて本気で仕掛けてくる様子はない。

 趙戒の智慧は主に軍讖(ぐんしん)という趙深の兵法書から出ているが。軍讖の原本を受け継いだ蒼愁

(ソウシュウ)が知る限り、このような法はなかった。

 確かに、元々こうして防壁で城街をすっぽりと囲んでしまうのは、碧嶺(ヘキレイ)と趙深(チョウシ

ン)の発案である。

 いわゆる城塞都市であるが。これを拠点とし大兵力を常駐させる事により、初めて迅速な侵攻と防衛を

可能とした。戦史の一大革命であり、この戦法を確立し完成した時から、初めて彼らの統一史が始まった

とも言える。

 しかしこうして本拠地まで敵を待つ事は論外である。碧嶺達は常に先手を取り、敵が優勢にならないう

ちに叩く事を信条とした。

 碧嶺らがこの戦法を確立して以来、その本拠地まで踏み込まれた事は、ただの一度も無いし。こうなる

まで戦況を放っておく事も考えられない。

 とすれば、趙戒は何を考えているのだろう。

 まさか項弦の援軍を期待している訳ではないだろうし。他の軍団も全て壊滅、或いは壬の軍門に降って

いる。最早味方はおらず、援軍が期待できない中、敢えて篭城に拘る意味は何処にあるのか。

「もしかしたら・・・」

 一つ蒼愁に思い当たる所があるとすれば、賦族の事。

 紫雲緋(シウンヒ)、白晴厳(ハクセイゲン)という現在賦族をまとめている二人の人物。この二人を

押さえている以上、そして碧国が掲げるのが賦族の解放である以上、趙戒は賦族が碧に付く事を今も信じ

ているのではないだろうか。

 だから包囲されて尚、彼らが蜂起するのをじっと待っている。

 今全土に散らばっている賦族に蜂起され、不意を突かれれば、壬も落ち、漢も無事では済むまい。

 だがそんな事が起こらないのは明白。賦族が蜂起するはずはなく。それが例え一度は全てを捨ててまで

命を助けた紫雲緋の為であったとしても、賦族が蜂起する事はあるまい。

 これは断言してもいい。

 しかしそうであったとして。趙戒もここに到っては理解出来ないはずがなく。流石に何かしら新しい動

きがあっても良いはずだ。いや、あって当然だったはずだ。

 となれば、賦族が目当てではないのか。

「うーん」

 蒼愁は困惑している。

 もしや同じ趙の血を継ぐ自分を待っていたのでないか、とも思っていたのだが。その自分が来ても動き

が無い所を見ると、彼が目的でもないらしい。

 では一体何だ。何を待っている。壬軍はこのままじっと待つべきだろうか。それとも危険をおして攻勢

に出るべきか。

 王や楓仁(フウジン)も同様に迷っている。

 壬側も無為に時を過ごしている訳ではなく。攻城塔の準備をしたりと、準備には無論余念は無い。

 だからこの待ちの時間も好都合と言えば好都合なのだが・・・。

「やはり腑に落ちぬ」

 蒼愁の隣に立つ司譜(シフ)も、落ち着かぬ様子であった。

 碧の誕生から凱領の支配までの電撃的な行動と打って変わったこの静寂。不気味に思わない者が居ると

すれば、それは全てを知る天くらいのものであろう。

「もしや篭城し、我らの糧食が潰えるのを待つつもりであろうか」

「それも考えられない事は無いですね。それも一つの道であるかと考えている可能性はあります。趙戒と

いう人は執拗な所があるそうですから、今すぐに雌雄を決せず、じっくりと時を待つ気持がないとは言え

ません。ああして篭られると、こちらとしても簡単に攻められませんから」

「ふむ、若いくせに年寄りみたいな事を考える奴だのう」

 司譜は持ち前の大声を活かし、盛大に笑った。

 蒼愁も一緒に笑っていたが、やはり内心は懐疑的である。勿論司譜もそうだろう。

 例え今この偉世を護り、時間を稼いだとしても。その内完全に包囲されている項弦が破れ、玄を平定さ

れてしまえば、遠からず漢が本格的に侵攻を開始する。

 漢も出来れば自らの手で平定し、大陸の覇を唱えたいだろうから。例え今を乗り切り、壬を回復出来な

いまで疲弊させたとして、その時が間違いなく碧の最後である。

 そんな延命処置のような策を、果たして趙戒という男が考えるだろうか。

 もしそうなら、初めから六虎将軍を見捨てるような真似はせず。例え扱い難いとしても、大陸制圧まで

協力していた方が、何かとやりやすかったはずだ。

 やはり何かある。それとも、そう思わせる事自体が、趙戒の罠なのだろうか。

 解らない。解らないまま、壬は攻城準備を進めていた。




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