5-2.虎穴に入らずんば


 一夜明けたが未だ偉世に目立った動きがない。

 多少防壁上の弓兵の数が増えているようにも思えたが、しかしそれで壬軍の損害が増す訳でもなく、悪

戯に時を消耗しているだけに見えた。

 何を仕掛けるつもりなのかが解らない。しかしこのまま静観していては自滅する事も明白である。

 そう考えた壬王は攻城塔の準備が整った事もあり、ようやく進軍の命を下した。

 主軍を率いるのは竜将、楓仁。次軍を率いるのは武曲将、司譜。

 楓仁は前回の戦で右目を失い、左腕を負傷してしまったが。目はもう仕方ないとして、幸い腕の方の怪

我は動かせない程ではなく。未だ包帯が巻かれてはいたが、戦には耐えられると診断された。

 そしてこの決戦に楓仁の力は不可欠であったから、参軍を止める者は一人としていなかった。やはり彼

が居るのと居ないのとでは、軍容に歴然の差がある。

 それに言うではないか、手負いの獅子程怖ろしい存在はいないと。

 攻城塔は僅か五本しかない為、楓仁がまず一万の兵を二千に分けて各塔に付け。司譜が一万の兵をもっ

て、防壁上の弓兵を牽制しながら援護させる事にした。

 攻城塔自体がかなりの大きさで、五本とはいえ上手く行けば大いに戦功を上げる事が出来よう。梯子を

二つ並べても尚余る程、幅は広く、背は高い。

 おそらくこれでも対壬国用に細い道を抜けられるよう、小さく作られていたのだと思える。凱禅は贅沢

に分厚い鉄板を使ったりと、有用と判断した時は気前が良く、周到である。

 王と蒼愁は残りの兵をまとめ、進軍する軍団を見守り、いざという時の為にいつでも救援できるよう、

東西から待ち構えている。

 両軍見守る中、攻城塔が車輪音を轟かせながら進んで行った。

 待ち構えていたように一斉に弓矢が飛来するものの、鉄版に弾かれまるで用を為さない。次に火矢を撃

ち出したが、鉄が火矢如きで燃えるはずがない。

 もし凱禅が壬に侵攻した際、これが使われていれば、壬の砦はおそらく落ちていただろう。皮肉にも碧

が興ったおかげで、壬は助かったのだと言える。

 壬の将兵はその有用性を目にし、頼りに思うものの、皆いくらか肝を冷やした。

 攻城塔は揺るがない。

 塔を引っ張る兵が流れ矢に当たり幾人か負傷したものの、碧兵は恐怖していたのだろう、引く兵達を狙

えば良いのに、弓兵達はただ塔をのみ狙う。執拗に狙った。

 その為存外被害が少ない。

 そこへ機は今と風のように殺傷距離にまで近付いた司譜の軍が矢を射掛けた所、面白いように命中した。

碧兵は完全に狼狽し、味方同士罵り合って、下手をして壁下へと落ちてしまう者まで出ている。

 楓仁の愛馬、黒桜(コクオウ)の引く塔がやはり一番早く壁下へ到着し。楓仁の号令の下、壬兵は直ち

に梯子を登り、壁上を目指した。

 散々悩まされたのが馬鹿らしいほど、呆気なく壬兵は防壁上に達した。後は進むだけで良い。

 混乱している弓兵などは恐れるに足らず、次々と戦果を上げ、遂には防壁の一角を占拠し。次々と他の

攻城塔も繋がれ、やれ遅れるなとばかり、勢いに乗って続々と壬兵は防壁上に登った。

 そして各々が占拠した一角を守りながら、隙を見て内側に作られた階段を下って防壁内へ浸入、防壁門

を死守する敵兵をも破り、大きく門が開かれた。

「開門、開門ッ!!」

 まるで勝利したかのように壬兵は叫び、外に居た兵達は門内へと殺到する。

「・・・・・・妙だな」

 しかし先頭を切って入った楓仁は顎鬚(あごひげ)を撫でながら、静まり返っている都を訝しんだ。

 この頃になると、流石に将達は皆不審を感じていた。いや、容易く防壁上へ登れた頃から、すでにその

芽はあったのだ。如何に攻城塔が強力な兵器だとはいえ、それだけでこうも容易く門が開けられるものだ

ろうかと。

 碧にはまだ数万という大軍が居たはず。見る所防壁上で防戦している碧兵は、おそらくは一万にも満た

ない。残りの兵は一体何処に行ったのか。

「行軍停止せよ!」

 楓仁はこのまま王城へ突入する事を躊躇(ちゅうちょ)した。

「まさか外に居る訳ではあるまいが・・・」

 空城の計という、わざと城と街を空っぽにして敵軍を誘い込む、策略がある。歴史の中では、防壁内に

火薬樽を設置し、街もろとも粉微塵に吹き飛ばしたという例まであったらしい(最も、その時は火薬が本

格的に使われるようになる前の話で。その火力の脅威を人々が知らなかった為に起こった、事故のような

ものだったのだが)。

 他にも、攻めたようでいて、実際は逆に防壁内に閉じ込められてしまい。いつの間にか外に居た敵兵達

を、無傷で逃がしてしまった例がある。

 発想を逆転させた、なかなかに興味深い策だ。応用が利き、決まれば強力。しかし使用が難しく、失敗

すれば単に拠点を放棄した形になる。

 趙戒が使ったとしてもおかしくはない。趙深、碧嶺も似たような計略を使っている。

 だが偉世は平原に造られた拠点。四方隠れる場所などは無い。となれば、内側に居る事になる。空城の

計を使うにしろ、外に兵が居るとは考えられない。

「仕方あるまい・・・、五百名のみわしに付いて来い。残りは門と防壁上を死守せよ」

 敵が中に居るのならば進むしかない。どれだけ推量しても、結局は行って見なければ何も解らぬ。

 楓仁は腹を括った。  


 楓仁は黒桜で周囲を威圧するかのように、手勢を連れてゆっくりと進んだ。

 兵はまだ良いとして、民までも何処へ行ったのだろう。どの家屋にも人の居る気配がなく、家畜までい

ない。

 一番の賑わいだろう大通りを歩いて尚こうなのだから、おそらく都全体がそうなのだろう。或いは戦闘

を想定して、非戦闘民は四隅にでも集められているのか。

 いや、趙戒のやり方からして、非戦闘民を盾にこそすれ、自らの利益に関係なく退去させるとは考えら

れない。民が自ら逃げたとも考えられるが、しかしそれも趙戒が許すまい。

 如何に将軍が皆実質無力化されているとはいえ、まだまだ大軍を抱える趙戒の支配力は、この都内なら

ば相当なものと察せられる。

「誘っているのだろうか」

 暫し立ち止まってみたりもしたが、一向に何かが起きる気配が無い。

 すでに城は目前、まさかここで雌雄を決するつもりなのか。

 確かに都内は家屋が多く、大軍が行動するに適していない。壬軍は家屋を盾に出来るが、道は開けた通

りしかなく。他の都市と同じく、碁盤の目のように造られている事を思えば、真っ直ぐ城へ向かうしかな

い彼らは、格好の的となるだろう。

 趙戒は長く賦に居た。その時に得た経験を生かし、もし弩でも作っていたのなら、その威力はここでこ

そ大いに発揮される。防壁内に誘い込むのは、必ずしも下策とは言えない。

 だが門内に入って尚、その気配すらないのはどう言う事か。

 矢の威力も単純に物理的な力ならば、近ければ近いほどその威力が増す。とはいえ、こうまで近付ける

意味が解らない。大通り半ば辺りまで誘い込めば、それで充分なはずである。

「解らぬ・・・」

 楓仁は迷った。果たしてこのまま進むべきか。はたまた戻るべきか。

 しかしその戻り際を狙っている可能性もあるし。ここまで来た以上、今更退いた所でどうにもなるまい。

「しくじれば死ぬだけよ」

 彼は戦場に立つ者だけが持つ、あの独特の死観を取り出し、心を落ち着かせた。

 例え自分が死んでも、それで黒竜の士気が挫けるほどやわに鍛えていない。一時混乱はすれども、ここ

には王が居る、司譜が居る、蒼愁が居る。

 この三者が居れば、必ずや自身の仇を討ち、碧を討伐してくれるはずだ。

 壬の将は、兵は、固い絆で結ばれているのだから。

 そう思い、楓仁がいよいよ城内へと続く階段を踏もうとした時、その時であった。

 突如背後から悲鳴が聞こえたかと思うと、何やら唸るような音がし。何事だと振り返れば、ばたばたと

後ろに続く壬兵達が倒れていくではないか。

 そして何やら大きく軋む音が聴こえてくる。

「何事かッ!?」

 制圧した筈の防壁門が閉まり始めており、その辺りに無数の壬兵の死体が見え。いつの間にか防壁上に

も無数の碧兵が並んでおり、先に壬が制圧した地点も取り戻され、完全に楓仁達は取り残されてしまって

いた。

 楓仁達を助けようと閉まる門をくぐり抜ける者も当然居たが、その都度簡単に射殺されてしまう。とう

とう一兵も門をくぐる事は出来なかった。

 そういえばこの街の造りは、何処を射撃するにも適した造りになっている。これも凱禅の遺産なのか。

或いはこの地が前線に近い為に、元々防衛を意識した造りになっていたのかもしれない。

「やってくれる」

 ある程度察していたはずであるのに、この体たらく。油断はしていないつもりであったが、つもりでし

かなかったらしい。先の戦での手傷といい、とうとう楓仁の武運潰えたか。

 彼らの全滅は決まった。小勢で完全に捕らわれ、そしていつでも射抜かれる位置に居る。これでは逃げ

ようも戦いようもない。

 楓仁は素直に死を受け入れ、最後の抵抗としてせめて城内へ踏み入れるべく、黒桜に最後の合図を送ろ

うとした。

 しかしそれを止める者が居る。

「楓竜将、動けば命はありませんよ」

「・・・・・・・・」

 見上げた階段上に居たのは、他ならぬ趙戒その人であった。   




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