5-11.一殺多生


 まんまと逃げおおせた。少なくとも趙戒自身はそう思っていた。

 各層の合間を縫うように造られた秘密の通路、城主にのみ代々知らされてきた、いや城主になって初め

て知る事が出来た通路。ここならば見付かる可能性は無く、安全に外へ出る事が出来るだろう。

 しかも上手い具合に防壁の外、防壁から更に数キロ離れた地点まで続いている。この城を造り、改修し

てきた歴代の城主も、皆執拗な程に用心深かったようだ。

 おそらく味方ですら、誰一人として信用していなかったのではないか。

 そしてそうする事が自然になる国風だったのだろう。或いは凱という国が出来る以前から、風土、民族

性として、そういう感情がこの地に住む者には出来てしまっていたのか。

 或いは、この都だけがそうであったのか。

 まあ出来た理由などはどうでもよく、趙戒としては自身とそして紫雲緋が助かりすればいい。他者がど

うあろうと、そんな事は何ら興味の無い事である。

 彼らは今火の回りの早さに急かされながら、通路を階下へ階下へと下っていく所である。このまま一時

地下にまで降り、そこから次の通路に入る。そうすれば全ては終る。逃げるも隠れるも後は好きに出来よ

う。この大陸は決して狭くない。

 紫雲緋も趙戒を睨みながら、最後まで残ったそれなりに信の置ける碧兵に捕らえられ、黙って急がされ

ていた。最早貴人に対する礼節も何も無く、とにもかくにも急ぐ事が優先されている。

 何しろ趙戒が蒼愁と話し過ぎた。予定時間を大幅に遅れており、細かい事に気を払っていては、すぐに

灰となってしまう。

 この脱出路も、所詮は木で出来ているのだから。

 しかし紫雲緋は文句も言わず、諦めたように、或いは覚悟したかのように、静かに歩を急いでいた。

 目だけが趙戒を非難しているが、趙戒の方は意にも介しない。そういう部分は生来鈍感に出来ているら

しい。

「急げ、この通路もいつまで持つか」

 趙戒の叱咤だけが狭い通路に響き、くぐもった空気と共にいやらしくまとわりついてくる。

 趙戒に対する憐憫(れんびん)の情などは、とうに消え失せてしまっていた。ただただ情けなく、ご先

祖に申し訳なく。紫雲緋は心中で幾度も歴代の王と、誰よりも子を預かった趙深に対して、深く詫び続け

ている。

 もう詫びるしかないではないか。賦族が育てた以上、趙戒がこのような暴挙をしでかし、先祖の顔に泥

を塗るような事をしたのも、全ては賦族の責任だろう。

  賦族が育て方を間違えた為としか考えられない。子が悪い事に理由があるとすれば、それは大抵は育

ての親にある。

 紫雲緋は先王、賦正(フセイ)から後事を託された身、己自身にも激しい憤りを感じていた。

 折角、紅瀬蔚(コウライウツ)が拾ってくれたこの命。こんな結果になるとは、果たして何の為に彼や

全ての賦族が犠牲になってくれたのか。間違っても、今こうして趙戒と一緒に逃げる為ではあるまい。

 何の為に全ての賦族は自らの力を放棄し、漢と壬、そして今は亡き凱に降伏したのか。

 こうなれば、彼女のとるべき道は一つしかない。勿論、それは趙戒と共に再起を計るというような、戯

けた夢想ではない。

「私が碧国へ来た時、その時に為すべきでした・・・」

 後悔だけが募る。

 そう、あの時彼女自身の手で、趙戒その人の命を・・・。

 そうしてさえいれば、少なくともこれだけの死傷者を出さずに済んだ。趙戒が執拗なまでに情勢を伝え

てきたから、彼女には細部に渡るまで、碧国がもたらした戦禍を知っている。

 何と言う夥(おびただ)しい戦禍だろう。

 確かに、例えあの時趙戒が消えたとしても、個々に残った虎は己の野望を果そうとしただろう。

 しかし、所詮は虎。強くても、信念が違う。命懸けで碧という国家を保つような事はせず。情勢が変わ

っていれば、さっさと投降した者もいただろう。いやむしろ、そのまま戦いを続けようとする方が稀であ

ったと思える。

 良くも悪くも、執着心の薄いのが虎である。

 それを自らの不甲斐無さ、一時の同情心だけで、あたら壬の勇士を死なせてしまった。

 彼らも祖国より離れたこのような地で、趙戒のような男に殺されたくはなかっただろう。このような、

野望すら持たない、夢の残骸に囚われただけの憐れな男。このような憐れな男一人のせいで、数万という

人間が死を迎えたのだ。

 そして今も死と災厄を招いている。

 全ては自らの不甲斐無さが招いた結果だと、紫雲緋は心より悔いていた。

 まさに趙戒は、賦族が生み出した、一族最大の汚点である。同情心すら失せたからには、心からそう思

える。趙深も冥府で泣いているだろう。

 彼女が今大人しく従っているのも、命を長らえたい為ではなく、必死に隙を伺(うかが)っていたからだ。

 最早生きているだけで恥としか思えないが。安易な死を望むのは、もっとも恥ずべき事。人間であるな

らば、最後まで責任をとって死ぬべきだ。もし志しを遂げて、それでも尚生きていられたとしたら、自身

の生だけでなく、賦族全員の生を、趙戒の罪に報いる為に使おう。

 紫雲緋は心から決意した。賦族の皆も、きっとそれに同意してくれる。

 なればこそ、慎重に事を進めなければ。

 武器も何もかもを取られている。そして彼女を固めているのは屈強の虎二名、しかも背後と前方には更

に二名ずつ。これでは流石の紫雲緋とはいえ、如何ともし難い。

 もしここでしくじれば、趙戒はまんまと逃げてしまう。そして紫雲緋にさえ裏切られた(彼の目線で見

れば)となれば、この男は完全に歯止めを無くし、暴挙以上の暴挙を繰り返すようになるだろう。

 必殺の必要があった。必ず仕留めなければならない。

 彼の生は、災厄のみを呼ぶ。

 待っていればその機会はあるだろう。紫雲緋は大人しく従う振りをしながら、その時だけを待った。

 何としても、壬の好意に報いる為にも、それだけは為したかったのだ。


 走り続ける蒼愁の下へ、嬉しい報が入ってきた。

 楓仁と白晴厳の無事を確認し、王の本隊とすでに合流したと言うのである。

 更に聞くと、楓仁は別働隊を編成し、蒼愁と同じように趙戒を追っているそうである。

 その先は地下だと言う。確かに退路として、地下道程適している物は無い。おそらく防壁外まで一挙に

逃亡出来る道があるだろうと蒼愁も考えていたから、なるほどと頷き、彼も目標を地下のみに絞った。

 地下への道は複数あるが、どうせなら楓仁と逆の方面から入った方が良いと思える。

 蒼愁は必要な事を詳しく問うた後、すぐさま地下への階段を目指した。

 階段は入り口を正面と見て、中央と左右に設置されている。

 どの城も大体がこの配置であり、他に出入り口などがあればその付近にも階段が設置されているが、そ

れだけの違いである事が多い。

 それは防衛よりも、むしろ兵を置く駐屯地として城が利用されている、と言う事でもあった。

 もし防衛だけを考えていたのなら、階段や出入り口を極力減らしていただろう。進入路を少なくした方

が、守りやすいに決まっているからだ。

 それに反して階段や出入り口の数が多いと言う事は、兵の進退を容易にし、四方八方どこから攻められ

ても、即座に大軍を差し向けられるようにする為だと言える。

 その構想から解るように、これも碧嶺と趙深が考え出した事である。

 城を防壁で囲い、その外に街を置くのではなく、街ごと防壁ですっぽり包み込む。つまりは城塞都市と

いう法を生み出した時、同時に彼らが考え出した防衛法であり。この拡大版が、各地に拠点を造ってそこ

に兵を集め、有事の際にはそこから各街へ大軍を送るという、国家の防衛戦略になっている。

 彼らの構想は一つの所から出ている。二人とも複雑さを嫌い、単純さをこそ好んだ故に。

 物事を複雑にしか出来ない者は、決して英雄とも天才とも呼ばれはしない。複雑を単純に、物事を全て

簡単に示せる者だけが、真に天より才能を賜りし者と呼ばれるのである。

 そしてそれが、理解する、という事であろう。

 この法だと防壁が破られてしまえば、事実上城も陥落したという事になるが。いくら城を固めても、防

壁を突破された以上、最早時間稼ぎにしかならない。それをするならば、いっそ捨ててしまって利便性だ

けをとる。それも碧嶺、趙深の共通した考えであったようだ。

 つまりは死にたくなければ、必死で防壁を守れという事であり。街を囲った事で、民との連帯感も増し、

田畑などを戦禍から守る事も出来。結果として士気も上がり、防衛力が増した。

 効果があればこそ、今日まで城塞都市方式がとられているのである。だから碧嶺と趙深の名は忘れられ

る事無く今も息づき、偉大であると言われるのだ。

 何も大陸を統一したから、という理由だけではないのである。

 そんな英雄達の遺産の中、蒼愁は駆け続ける。

 兵の輸送を重視している以上、城内に入ってしまえば廊下も狭くはなく、造り自体も単純な為、さほど

移動に時間がかからない。

 蒼愁は階段を見付けると、まるで火に追われて飛び下りるかのように、躊躇なく駆け下りて行った。


 階下は明るかった。

 城が燃えているからではない。松明が絶やさず焚かれており、常に明るくされていた為である。

 勿論、捕えた者を監視する為だ。

 そして明るい事で、不思議と不正を防げる。何故か人は、明るい下では悪感情が浮かび難いものらしい。

光は心まで洗い流すのだろうか。

 今は牢番も逃げ出し、捕まっていた兵も皆助け出されたのだろう、がらんとしているが。平時はそれな

りに賑わっていたに違いない。よほど慌てて逃げたのだろう、食料、衣服などが廊下に散乱していた。

 火事場泥棒をする暇も無かったのだろう。

 何処からか少し騒がしい気配を感じるのは、楓仁の隊がいるせいか。

 熱気が上階から押し寄せていたが、それでも地下はひんやりとしている。

 未だ地下二階以下を造る技術が無い為、大陸にあるどの建物も地下は一階と決まっている。むしろ地下

に階数があるなどと、発想も出来ないだろう。この時代、地下は牢か保冷室と相場が決まっていた。

 空気の事も考えて造られているようだ、息苦しく無い。

 蒼愁は、むしろ地上よりも住み心地が良いのではないか、などと思えた。

 こうして地下室をまじまじと見ていると、色んな発想が浮んでくる。脱出路だけでなく、考えてみれば、

これ程利用価値の高い場所はないのではないか。

「今はそれどころではない」

 有用であれ、今はそのような事を考えている時ではない。切羽詰ってるだけに余計な思想が増えて困る。

 蒼愁は頭を振り、雑念を取り払うと、趙戒の逃げた方角を思い返してこの場と照らし合わせ、脱出路を

見当し始めた。

 道を掘るにしても、そう何箇所も何方向にも掘れる訳が無い。目的上、人の出入りの多い場所に設置す

る事も出来ない。何しろ最後の脱出路なのだから条件も多く、周到に隠そうとしても、考えれば大体の見

当は付く。

 この城に踏み込む前に、地図をざっと頭に入れてある。それを総動員し、蒼愁は位置を絞った。

 楓仁も同様に考えているだろうから、彼の部隊が探索している方面は省く。

 彼の側で、最も脱出路を造る可能性の高い場所は・・・。

 この瞬間、蒼愁は紛れも無く一流の設計士であった。

「あそこだ!」

 彼は一目散に駆け出す。

 迷いは無い。そこ以外に無いという不思議な確信も、彼にはあった。

 それも或いは、碧嶺こと大聖真君の加護であったのかもしれない。




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