5-13.趙の血流


 趙戒が血刃に倒れ、楓仁率いる部隊がその身柄を押さえた所で、この一連の大事変は終結を迎えた。

 壬王率いる本隊にもすでに連絡を入れていたので、程無くして王や他の壬兵、そして残っていた碧兵も

無事偉世の都を脱出する事が出来た。

 王達の本隊は脱出路を得るべく城の壁を破壊しており、それも程無く完成する段階まで踏み入っていた

ようであるが、安全な脱出路があるならば、そっちを使った方が良いに決まっている。

 王は蒼愁の手柄を大いに認めた。

 しかし救えた兵も多いが、失った命もまた数知れない。

 司譜もどうやらあの火計の際に命を落したようである。遺体も見付からず、誰もが最後まで期待をもっ

ていたのだが。やはり真っ先に飛び出していた彼には、炎の影響が最も強かったのだろう。

 遺体ごと焼き払われたのだろうと壬王は結論を下し、戦死者名簿に名を書き加えられた。悲しいがいつ

までも拘っている訳にはいかない。国を空けている以上、あまり長居も出来ず。やる事も無数にある。

 偉世から逃がされていた民達(趙戒にも幾許かの情はあったのか。それとも単なる気まぐれだったのか

は解らない)の保護も急がねばならないし。この都市の復興も考えないといけない。

 勿論、最低でも一月は生者死者問わず、ある程度の人数を残して捜索が続けられるが。大軍を用いた大

規模な捜索は打ち切られたという事である。

 人が生きる以上、時間が流れる以上、いつまでも同じ場所に止まってはいられない。

 偉世の復興は、壬の国力だけではどうしようもないから、漢の力に頼る事になるだろう。そうなれば自

然、この地への漢の支配力が強まる。

 漢の干渉の大きさ如何によって、或いは丸々一国の領土を漢に捧げる事になるかもしれないが、壬の方

は気にしていない様子である。

 紫雲緋、白晴厳、そして楓仁、囚われていた将と兵達を救えたのだから、当初の目的はすでに果せてい

る。元々全滅すら覚悟した戦なのだから、死んでいった仲間達の魂も少しは救われるだろう。

 漢としても壬に莫大な礼(碧侵攻という負担を一挙に背負わせた事、への謝罪料と言い換えても良い)

を当然支払う事になるだろうから、遺族への手当ても存分に出せよう。

 そこは壬王と参謀長、蜀頼(ショクライ)、外交長、季笥(キシ)が命に代えても、必ずや上手くやる

はずだ。何せ長年の戦友、司譜を亡くしているのだ。国家的だけでなく、個人的思い入れもある。

 それにそうでもしなければ、遺族と戦死者達に顔向けが出来まい。

 手当てが出たとして、遺族の悲しみが消えるわけでは無いが、少なくとも慰めにはなる。生活も安定す

る。それこそが戦で命をかける理由でもある。

 泣く者、よくやったと称える者、遺族の心は様々だろう。

 その中で、司譜の姪である司穂は、伯父の戦死が決されても、嘆く事をしなかった。

 何故ならば、司譜本人はそれで満足しているだろうからである。逆に大勢を指揮官として(仕方ないと

しても)殺してしまった事を悔い、生きている事をこそ恥じたと思われる。

 頑固で気難しい所もあるが、他人以上に自分に厳しい爺様であった。この地で灰になってしまったとし

ても、むしろ本望だったろう。

 それに亡くなったのは司譜だけではない。将である司穂が、身内の死とはいえ、一個の死に対し、特別

な感情を示す事は憚られた。

 むしろ彼女は将である伯父の死よりも、兵達の死こそ悼むべきであった。

 司譜からもそう教育を受けた彼女としては、平然と受け入れる事が、伯父に対しての、最大限の礼だっ

たのだと思われる。

 壬王は兵や避難民達の収容が一段落着いた後、先の戦後と同じく、仮葬を執り行った。余りにも多数の

戦死者達の勇魂と、生き残っている者達の心を鎮める為である。

 それは細やかに執り行われた。

 だが仮はあくまで仮であり、これだけで魂が冥府に召される訳ではない。魂は静まっても、未だこの地

を彷徨い続ける。

 本葬を行う事で初めて冥府へと繋がりが出来、大地に封ぜられる事で土地神となり、ようやく御魂は安

定し。後はその地を守護し続け、暮らす人々を見守るのだと言われる。

 そこを敢えて仮葬までで終える理由は、準備が整うまで時間がかかるという事もあるが、遺族が遺骨や

遺品を帰郷させるまで、本葬が行えないからでもある。

 例え王とはいえ、勝手に人の子供や親を見知らぬ地に封じる事は出来ない。それは王だの位だのを言う

前の、人間として越えてはならない一線だろう。

 しかし司穂だけは司譜をこの地に封ずるよう望んだ。

 司譜が常々戦場で死に、自らが荒らした土地を鎮める為に死後尽くしたいと望んでいたからで。遺体が

この地で燃え尽きた以上、それが最も良いと考えたのであろう。

 流石にこの時は寂しそうな表情を浮かべたが、伯父ならそう望んだだろうと言い、彼女は最後にはにっ

こりと微笑んでいた。

 悲しみや後悔よりも、むしろ後の世を、今生ある命の事を。

 司譜ならば、そうある事を望むはずだ。

 

 こうして残された者達が今出来る事は終わった。

 後は碧国残党の処罰を決め、難民の取り合えずの行き先を決め、更に偉世城炎上の後始末などを一月余

りかけて行なった後、壬軍は護送、そして凱旋の為に、一路母国を目指した。

 損害は大きかったものの、賦族への恩返しも出来、やはり勝利した事もあってか、人々の顔は皆明るか

った。

今ばかりは悲しみよりも達成感に包まれる時であるのだろう。

 勇魂に対し、涙は余りにも似合わない。



 趙戒は命だけは取り留めた。趙深の加護かどうかは解らないが、ともかく生き残った。

 ただ舌を噛んだせいで、上手く言葉を発せなくなってしまっている。或いは加護というよりも、報いな

のかもしれない。

 帰国後、漢と壬による協議の末、趙戒の命だけは助けるが、他の賦族同様、いやそれ以上に政治や軍事

に関わる権利を一切剥奪され、実質軟禁のような暮らしを一生続けさせる事が決められた。

 自害する事も許されない。ただただ虚しく生を費やし、生産的な事も、役立つ事も、逆に非生産的な事

も、役に立たない事もさせず、ひたすらに生かされる。寿命か、或いは病に倒れるまで。

 唯一、戦死者に対する謝罪と供養だけを許され、死者と共に永遠に暮らす。

 誰もよほどの理由がない限り、近付く事は決して許されず。母や賦族にも生涯会う事は無いだろう。

 ただ生かされるのみ。

 一番残酷で重い刑罰であろう。それだけ趙戒に対する怒りが深かったと言う事であり、下世話に言えば、

彼のやった事が単なる傍迷惑以外の何ものでもなかったという事でもある。

 遅かれ早かれ碧国が滅びるべくして滅びる国家体制だったと思えば、真に彼は疫病神であったと言える。

何しろ、例え趙戒がその志を遂げたとしても、それは彼自身の為にすらならないのだから。

 誰にも救いはなく。一国の王となった六虎将軍達が多少喜ぶ程度のものだろうか。

 いや、それすら大した価値はあるまい。例え碧国が大陸を統一したとして、すぐに将軍王達が争い、全

ての人を巻き込みながら、共倒れに終わるだけだろうからだ。

 簡単に先の見える国など、初めから長続きしないと決定されているようなもの。

 ようするに、趙戒という男は、単に死者を増やしただけであって、何の意味も意義もなく、この大陸に

災厄をもたらしただけなのだ。

 死神であり、災害であった。だからこそ趙戒の全てが虚しい。

 壬が凱旋する頃には、玄に侵攻していた項弦(コウゲン)の軍勢も綺麗に制圧され、総指揮官である央

斉(オウサイ)によって国情も安定されていた。

 趙戒と並ぶ重罪人の項弦は、敗北した後副将の李穿(リセン)共々逃亡を計ったが、すぐに玄の自警団

に見付かり、その怒りを一心に浴びるくらいならばと、その場で自害したそうである。

 最後まで夢を追い続けた彼は、いずれ趙戒が貴様らを滅ぼすと、その事を死ぬまで信じていたそうだ。

 李穿は流石にそこまでは思っていなかったろうが、後の処罰を恐れ、項弦と同じ道を選んだ。それだけ

玄の民は彼らを憎んでいたのだろう。

 項弦達は制圧した地の民へ、よほど惨い扱いを強いたのだと思われる。

 謀略には優れていたが、政治家、統治者としては三流だったようだ。やはり趙戒が居てこそ、初めて彼

は将軍として生きれたに違いない。

 或いは一生虎長として生きた方が、彼にとっては幸せだったのか。

 大将と副将に死なれ、玄の民の怒りは置き捨てられた形になったのだが、それでも死ねばそれまで、死

者を恨む気持は次第に薄れ、過去の思い出になっていく。

 死者はただ悼むのみ。それもこの地に生きる人々の習い。

 怒りもいずれは鎮まる。最も、決して消える事はないのだが。

 碧国に付いた虎は、寝返った孟然(モウゼン)率いる天梁軍を除いて、大小差はあるものの、皆処罰さ

れる事が決まり、国籍や身分(虎になった時点で捨てているも同然なのだが)を剥奪され、一様に労役を

課せられる事とされた。

 これ以後、彼らは恩赦か特赦でもなければ、生涯労働に終始する事となる。奴隷ではないから、多少の

謝礼もでるが、ほとんどただ働きと言っていい。

 つまりは自らが生み出した騒乱の後始末をせよ、とまあそういう事である。

 生きてほんの僅か償えるだけでも、彼らは幸運であると言えよう。この時代の人間が一番恐れる後世の

評価が、ほんの僅かだが良くはなるのだから。

 戦死者に対する手当て等は、やはり漢が一手に引き受ける事になり、壬はその代わりとするかのように、

元碧領の所持権の全てを漢へと譲渡した。

 しかし流石に全てを受け取る事は漢としても憚られ、少なくとも半分は返したいと、詳しい領土配分を

これから時間をかけて決めるようである。

 真に煩わしいが、それもまた人の世の習い。国家という面倒なものを生み出した人間の、払うべくして

払う代償であるのだろう。

 戦争が、その最たるものであるように。

 ともあれ、趙戒の巻き起こす大騒動は終焉を迎えた。

 この傍迷惑な男はこれ以後、歴史から、そして人の話題からその姿を消す。実質上、消えた人間である。

消された人間と言ってもいいかもしれない。誰も彼の名を口にする者はいなくなかった。その母でさえも。

 勿論、その罪と果てしない戦禍は、永遠に消える事はないだろうが。


                                                         第五章 了




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