5-4.負の遺産


 壬軍は再び足を止められた格好になっている。

 突如現れた碧の軍勢、見る間に防壁上に侵入していた壬兵を駆逐し、城内へ入り込んでいた楓仁率いる

部隊まで捕えられてしまった。

 攻城塔も全て倒され、全ての浸入路は塞がれてしまったのだ。

 そして何より怖ろしいのが、碧兵があの強弩を持ち出した事。壬製の武具ですら容易く貫く恐るべき兵

器が、どういう事か碧兵の手にある。

 おそらく趙戒が賦国から持ち出したのだろうが。これがある限り、簡単には攻め寄せられなくなってし

まった。強弩の前に身をさらせば、そこには死が在るのみである。

 何しろ偉世付近には障害物が無い。平らな草原地帯で身を隠す物がない以上、何処から攻め寄せようと

も、良い的になってしまうだろう。

 勿論、強弩も無限の力を発揮する訳ではない。

 いずれは矢が尽きるだろうし。全軍で攻めれば、流石に全滅させられるような事も無いだろう。

 扱いが難しい武器なので、如何に訓練を積んでも、連射するには相当な危険を伴う。確かまだまだ改良

の余地の残る武器で、だからこそ賦軍は最後まで正式に採用出来ず、大量生産する事が出来なかった。

 もし完成し、大量生産されていれば、賦国はああも容易くは滅びなかっただろう。

 とは言え、防壁に辿り着くまでに、一体どれだけの死者が出てしまうものか。それに偉世は万全の守り

を期している。そうである以上、例え運良く防壁まで辿り着いたとしても、容易くは登らせてもらえまい。

 熱した油、土砂落石、妨げる方法はいくらでもある。

 壬兵の中には、暫く楓仁を救おうとやっきになって攻め立てている者もいたが、そのほとんどは傷を負

い倒れ。あわや大壊乱、という形になりそうな所を王が強く命令し、何とか拘りを捨てて一度退かせ、辛

うじて体勢を整える事が出来た。

 あのまま攻めさせていれば、あらゆる兵器の的になっていた事だろう。

 例え楓仁の為とはいえ、あたら兵を死なせる訳にはいかない。壬側に打つ手が見付からない以上、いつ

までも拘っている事は、逆に楓仁本人を虐げる事になるだろう。

 倒れ大破した攻城塔も諦め、守りに付かせていた部隊も引き上げさせた。

 それでも尚、壬は数千という死者が出、万に届く傷者が出ている。それに引換え、碧軍の損害はその三

分の一にも満たぬだろう。

 この大敗を果たしてどう埋めるべきか。

 一度会議を開き、将を一同に会して善後策を練ったのだが、皆を納得させるような意見は出なかった。

 皆一様に困り果て、意気消沈している。楓仁を失った影響が早々と出始めていたのである。

 これではお互いに不安の種を蒔き合う結果にしかなるまい、と考えた王は、日も傾いている事から、取

り合えず休息を取らせ、将兵を休ませる事にさせた。

 腹が減っては何も出来ぬ。腹が膨らみ、睡眠をとれば、また力も湧こうというもの。

 王は壬の将兵の強さを、心から信頼していたのだ。例え楓仁が捕らわれても、いや捕らわれたからこそ、

彼らは今以上に奮起してくれるのだと。

 まだ壬の敗北が決定した訳ではないのだから。


 蒼愁は司譜、司穂(シスイ)と火を囲みながら、善後策を練っていた。

 すでに交代で休息を取り、疲れも大分取れて、頭ははっきりしている。

 だが、なかなか良い策は浮ばなかった。何しろ碧軍の情報がほとんど入って来ないのである。それも当

然と言えた。

 偉世に関する情報も少ない。

 凱禅が治めていた当時から、この都市に関する事は非常な機密とされ、街には入れるが、かといって重

大な情報が漏れる事はほとんど無かった。

 間者が見付かれば冷酷な凱禅の事、目を背けたくなるような処置をしていたし。如何に専門に技術を習

得している間者でも、その浸入には困難を極め。例え成功したとしても、軍事機密などを手に入れる事は

皆無に近い。

 今ある情報だけを得るのでさえ、一体どれだけの時間と労力がかかったか。

 それはどの国でも同様と言えるが。しかし凱禅はほとんど人に話を洩らす事無く、おそらく八割方は自

らの内にのみ秘めていたと思われる。

 内に敵の多い凱禅ならではの防衛術で、だからこそ攻城塔にもあの虐殺の火計にも肝を潰されたのであ

る。凱兵、いや凱の将ですら知らなかったに違いない。

 趙戒にも凱禅の秘密主義と似通った所があり。何より碧という国が勃興して間もない為に、情報を仕入

れる時間が少なかった。

 投降した元碧兵達にはほとんど何も知らされていないし。石迅や楚峨でさえ、偉世に関しては無知に等

しい始末。

 これでは対策を講じるにしてもどうにもなるまい。ここで座して話し込んでいたとして、妙案が浮ぶは

ずがなかった。

 戦場で瞬時に浮ぶ、奇跡のような神算鬼謀など、夢の話であろう。全ては事前の準備があってこそ。つ

まりは手が詰れば、そこで仕舞いである。

 しかも問題はそれだけではない。

 例え策があったとしても、あの強弩をどうしたものか。

 威力、命中率は賦製の物には及ばないようだが、その分、数がある。趙戒も賦族、強弩には関心が深か

ったであろうし、以前から関わり、今も改良を施している可能性があった(亡き紅瀬蔚{コウライウツ}

が強弩の開発を一手に引き受けていた事は、一部の賦族しか知らない)。

 流石の蒼愁も、常よりも心痛しているように見えた。

 ここが壬の正念場、それだけに兵を率いる者としての重圧が圧し掛かってくるのだろう。

 しかし彼も優男に見えて、決して弱くはない。決意したかのように立ち上がり、ゆるりと口を開いた。

「やはり正攻法で行くしかありません。攻城塔が失われた今、正面から梯子を使って上るしかないでしょ

う。それしかない以上、初めから悩む事はなかったのです。私達は進むしかない。そして国を出た時、す

でにこの命は捨てているはず。勝機が少しでもあるのなら、それをやるべきです」

 趙愁の言葉は珍しく熱く、それ故に彼の心に宿る鉄の意志が目に見えるようであった。

 そしてそれは逆に、彼の苦悩を物語っている。此処に到っては、最早気合で押し切るしかないのだと、

そのような悲痛な思いも込められていよう。

 しかしその情熱は嘘ではない。壬の将兵、一人一人が変わらず持つものである。

 愚かだと言われるかもしれない。だが大義をのみ望み、例えそうなる資格が無い卑小なる一人の人間だ

としても、そう志し、人はただ只管にそれを行ない目指す。そうあるべきではないか。

 趙戒は誰も望まない盲信を掲げ、ただ己の都合の為に全てを犠牲にしようとしている。

 確かに戦争とはそうであるのかもしれない。争いとは、個人の勝手な欲望から生まれるものだ。しかし

そう考えたとしても、趙戒のやっている事は、確かに間違っている。

 確かに戦に良し悪しがある訳が無い。殺し合いは等しく悪であろう。だが悪の中でも幾許かの線は引け

るはずだ。人間は良心というものを、必ず持っている。

 侵略などを志しては為らず。他国を攻める時は、ただその国の人々が圧制から解放される事を望んだ時

のみ、戦と言う大悪にも大義が芽吹く。

 国とは国民を一括りにした呼び名に過ぎない。そして王とは、単に国民の代表として、天を代行してそ

の地を治めるだけの存在に過ぎないのだ。

 尊敬はしても、盲信するような存在ではなく。国民を無視した大義も、国の威信なども、決してありえ

ない。あって良いのは、常に良心のみであろう。大義とは、悪を悪たらしめる方便では決してない。

「うむ、趙戒は言わば天災のようなもの。いや天の所為には出来ぬ。人の生んだ最も不幸なる人、人災の

極致か。ならば人である我等が糺さねば、そしてその罪を償わなければならぬ。その罪を我らの死で贖(あ

がな)えるのであれば、喜んでこの老骨の命などは差し出そう」

 だがしかし、と司譜は続ける。

「お主らは先が長い。わしのような老いぼれこそがその役目を担うべきである。わしが先手を引き受けよ

う。兵も年齢順に出す。お主らにも、王にも異論は言わさせぬよ」

 そして彼は大笑す。

「まだまだお主らには生きて苦労してもらわねばならぬ。楽に死ねるのは年寄りの特権である!」

 特徴のある大声で笑いながら、司譜は王に進言すべく、誰にも止めさせぬとばかり、全てを振り切るよ

うに大股で、力強く、王の下へと向った。

 蒼愁は折角の情熱を司譜に横取りされてしまう格好となり、何だか手持ち無沙汰なような、それでいて

すっきりしたような気持で、照れくさそうに司穂と笑っていた。

 司譜としてみれば、人を鼓舞するのも老人の特権だと言いたかったのだろう。 


 壬軍は動いた。

 強弩の威力を散ずるべく、常の密集隊形を避け、兵と兵との距離を広げた散開陣形をとり。更に被害を

抑える為に、偉世を全方位から襲う事を決めた。

 これにより強弩兵を分散させる事が出来、少しだがその威力を失する事が出来よう。強弩以外ならば、

防具が心強く働いてくれる。

 気休め程度かも知れないが、常に最善の努力、つまり少しでも命を救う戦法を執らねばならない。それ

が将としての、戦人としての最後の尊厳である。

 司譜を将とした総勢二万の軍勢。梯子を何十、何百と持ち、ただ防壁を越え、門を開くことだけを考え

る。被害は少なく無いが、正攻法だけに必ず効果はあろう。

 中へ入り、門さえ開く事が出来れば、八割方勝利は決まったようなものだ。後は城内へ雪崩のように突

き進めば、必ずや趙戒まで辿り着く事が出来る。碧兵の忠誠心も低い、こちらが優勢になりさえすれば、

おそらく大部分の兵が逃げ出す事だろう。

 今は趙戒が怖ろしい為に従っているが、基本的な考え方は今までの碧兵と大差ない筈だ。

 壬にはもう正攻法しかない。これをしくじれば後もなくなる。それでも馬鹿正直に正面からぶつかるし

かなかった。

 通常なら絶望してしまうような状況だが、王と何より司譜の言葉に打たれた兵達は、(老兵であればあ

るほど)その心を燃え上がらせ。皆良い意味で開き直ってしまっていた。

 全員が死兵となり。ただ望むのは一歩でも趙戒へ近付く事。

 目を滾(たぎ)らせ、偉世を視線で圧し潰そうとでもするかのように睨む。

「皆、我と共に死ねッ! 最後に命を燃え尽くせい!! 奮え! 奮え! 奮えぇいッ!!」

「オォォォォオオオオオオオオオオオオオッッツツツ!!!!!!」

 老骨に激しい魂を宿らせ、大地を呼応させるように震わせながら、壬兵達は一斉に偉世へと圧し寄せて

行った。 




BACKEXITNEXT