6-2.最後の種が花開く


 更に二月が経ち、ようやく大陸の政情は安定への目途が立った。

 慌しさが薄れ、人はそれぞれの新たな道を歩み始めており。死者への想いを胸に秘めつつも、懸命に復

興に勤しみ、日々が過ぎていく。

 歴史は漢嵩を悼むかのように変転を見せず。ようやく争いは終わったのだ、多数の犠牲者が出たものの、

確かに争いの種は全て摘まれたのだと、人々は噂しあった。

 壬も楓仁と協力し合い、趙戒の生み出した戦禍の痕を大部分埋める事が出来、人々も官も変り無くいつ

も通りの生活へと戻りつつある。

 玄国も漢の援助により安定を取り戻し、労役を課せられた元碧兵達の力を総動員して、戦争前とは比べ

るべくもないが、とりあえず形だけは修復し、何とか人々が生活出来るようにはなっている。

 央斉が玄を担当し尽力していた訳だが、復興できたのにはむしろ玄王、玄高(ゲンコウ)の力が大きい。

 元々分別のある男で、民からの人望も篤かったが。碧との争い(壬も多大な損害を受けたが、一番被害

の多かったのは玄)において一回りも二回りも成長した感があり、参謀長、奏尽(ソウジン)の顔はよう

やく晴れ、若き王の成長を見、臣民共に希望を取り戻しているようである。

 碧に攻め立てられた事で、かえって民は団結し、民力が上がったとすら言えよう。

 内政民治に優れた玄信(ゲンシン)を国祖に掲げるだけあって、安然としているように見えても、芯は

しっかりしているようである。

 前王、玄宗(ゲンソウ)が賦に一矢報いた事を考えても、いざという時の行動力や勢威には目を見張る

ものがある。

 もしかすれば、団結した時の強さだけなら壬をも上回り、賦国にすら匹敵するかもしれない。

 一時は項弦(コウゲン)に惨めなくらい敗北を喫(きっ)していたが、かえってそれが民の心を燃え立

たせ、その驚くべき粘り強さと意地にも似た憤怒の力で、碧が終焉を迎える頃には央斉も驚く程の統一性

と強さを見せていた。

 そこには漢も頼るにあたわず、自らの国は自らの手で護る、という気概がある。

 幸か不幸か、央斉率いる漢軍がしたたかにやられた事が、玄国民の自立心に火をつける結果となったよ

うだ。大国とはいえ、漢も漢嵩が居なければこんなものなのか、そういう想いも浮んだのだろう。

 それに比べ玄高の働きは大きく。確かに派手ではなく、先の戦でも大した功を挙げてはいないが。それ

でも兵を鼓舞し、民に勇気を与え続け、辛うじて玄が瓦解せずにすんだのは、他でもない彼の力であった。

 今まで漢に散々世話になっておいて、今になってもう要らないとする訳にはいかないが。玄国民にはど

うやら独立の気運が生まれてきている。もう属国に甘んじてはいられない、と。

 漢は裕福で強大な国となっていたが、このように先の戦で意外な脆さを見せる結果となってしまった。

漢嵩が必死で隠してきた悩み多き実情を、世間へと大いにさらす事になってしまったのである。

 そこへ更に漢嵩の崩御。最早頼れぬと思われても、仕方の無い事かもしれない。

 央斉もそれを解っていたから、不必要に政治へ介入する事を避け、あくまでも補佐とし、復興指揮のほ

とんどを玄高と奏尽へ任せていた。彼はもう玄を属国とし続ける意味も、その価値も無いと判断している

ようだ。

 むしろ玄という国は、属国として以来漢の悩みの種であって、正直な所、早々に手放したく考えていた

のである。それは亡き漢嵩も同様で、最後には吸収合併してしまおうという考えは無かった。

 正直に言ってしまえば、今の漢にはそこまでの支配力を望めない。むしろ大きくなりすぎた。これ以上

の領土拡大は毒にしかならないと、央斉は考えている。

 しかしその考えに賛成しかねているのが、現漢王、明節である。

 制止する漢嵩という存在がなくなった今、大陸統一というその不思議な想いが少しずつ顕(あらわ)に

なってきている。玄が独立心を持った事に不機嫌なのも、その想いからだろう。

 彼は漢嵩が死して尚、大陸統一という野望を捨てず。かえってその必要性を以前よりも大きく感じてい

るようなのだ。漢嵩に対する手向け、自らの使命、夢。理由はいくらでもあった。

 無論、どれもどうでも良い理由で、はっきり言えばこじ付けである。明節がむきになっているとしか思

えない。だがいつもそうであるように、当人にとっては重大な理由なのだろう。

 結局、漢嵩の為ではなく、彼自身の私欲ではないかと思えるが。それを言っても、明節本人はあくまで

も否定するだろう。

 彼もまた趙戒と同じように、自らの私心を認めたく無いが故に、ただ他人を利用しているだけなのかも

しれない。誰も望んでいない事を平気で望めると言う事は、おそらくそう言う事なのだろう。

 一人だけが望む大義を立てられる、そんなおかしな事が出来るのは、独り善がりな妄想を持つが故であ

る。自分の良い様に全てを自己完結させる。自分の考えが全ての人の考えであると思う。まるで自分

が人類の代表者だと錯覚する。そう言う想いがあるから、誰が見ても愚かな事が出来るのだ。

 その当人、ただ一人だけが、その愚かさ加減に気付きたくないが為に。

 夢や希望にすがるのは良いが、自らの私欲を大義と思い込むのは大きな罪であろう。

 央斉は明節がそこまで愚かだとは思いたく無いが、確かに不安だった。あの孟然に望岱一帯の大きな領

土を与えた事も、彼の野望に何か関係があるのではないだろうか。

 孟然の治める地は、玄にも壬にも領を接する。賦が消えた今、望岱は難攻不落の要塞という象徴でしか

なくなっているが、あの地の重要性はむしろ増している。

 そして孟然本人の人柄。何度か会ってみたが、どうにもきな臭い。どう見ても大人しく人に従っている

ような男には見えない。

 そんな男が難攻不落の要塞を手に入れた。今は大人しくしているが、彼が力を得ればどう言う事になる

か、誰にも予想できない。

 漢嵩亡き今、漢の力と漢嵩の影響力がはっきりと落ちてきている。明節が何を考えているにせよ、それ

が漢の為になればまだ良いが。策士策に溺れる結果になりはしないだろうか。央斉の不安は募るばかりで

あった。



 終戦から半年が経つ。

 人の移動、街の復興、様々な事柄も大雑把にだが解決を見せ、全ての民は胸を撫で下ろしたように、静

かに日常生活を続けている。

 しかしその中で変わらぬ焦燥に駆られている者が一人。そう、明節である。

 彼だけはこのまま平穏へと還る事を由とはしなかった。このまま落ち着いてしまえば、最早彼の大陸制

覇という大義が為しえなくなるからである。

 戦乱の中にあると言う事は、逆に言えば領土拡大、勢力増強の格好の機会。

 国民に拭い去れぬ危機感と不安があるからこそ、戦備強化への名分が立つ。碧への侵攻を碧以外の全て

の民が是としたのも、言ってみれば危機感と不安があるからであった。

 何とかしなければいずれ攻められる。そういう心があるからこそ、人の目は軍事へと向く。そしていく

ら軍事へ資金を使ったとしても、誰も文句を言わず、むしろ国民の方がそれを後押しする形となる。

 いくら王とはいえ、国民の望み無しには、軍を動かす事は出来ない。

 国家は国民の物であり、王はその代表に過ぎない。碧嶺と趙深が教化したこの思想がある限り、大陸の

民が王の私欲で動く事はまず無い。

 例外として滅亡前の凱国と碧国の民があるが、あれは恐怖を使った一種の洗脳であり、基本的には彼ら

も他国民と変わらない。ただ碧嶺と趙深が残した美意識が、彼らの間で若干薄れて始めている事は否めな

い。それは自分の良心よりも、まず利というものを考え始めたからだと思える。

 過去に対する憧れよりも、現世利益の法を望むようになっているのだろう。

 商人的気質を持つが故の産物かもしれないが、時代の流れとも言える。八百年近くの時間が流れれば、

人は変わって当然。むしろそれだけの時間を得て、この程度の変化しかない事の方を驚くべきだ。

 しかしそれとは逆に、漢の国は漢嵩の影響もあってか、美意識に対して敏感になっている。

 明節も漢嵩を尊敬しているからには、その事に対して異論は無い。喜ぶべき事だ。

 だが今の彼にとっては大変に厄介な事である。これでは大した理由無く、戦を仕掛ける事が出来ない。

玄をわざと締め付け、反乱させ、それを討つ。そのどさくさに紛れ、壬をも討つ。などという手も考えて

いたが、このままでは実行不可能である。

 (明節にとって)悪い事に、漢の民は漢嵩があくまでも玄の自主性を尊重していた事を知っている。玄

への締め付けを強くする事も、また独立の気運を否定する事も、彼らは望むまい。

 むしろ、いつになったら独立を認めてやるのだ、もう充分ではないか、などと明節を焚き付けるに違い

なかった。

 戦から半年経ったとはいえ、確かに落ち着きを取り戻しているとはいえ、兵力、軍事力共に、玄も壬も

疲弊している。兵が人である以上、そしてあれだけの戦禍を受けた以上、どの国も国力を蓄える事に必死

で、軍備にまで手が回っていない。

 だがそれもこれから一年が経ち二年が経てばどうなるか解らない。

 玄の気運はいよいよ高まり、壬は拡大した領土から安定した収入を得れるようになる。こうなれば厄介

だ。叩くなら、統一するのなら、今しかない。趙戒という戦の種が消え、平穏に甘えたいこの時期、今し

か機会はないだろう。

 明節も黙って半年を過ごしていた訳ではない。邪魔な央斉を玄に送り、自分の支配力が増している間に

様々な手を打ってきた。

 そのどれもが決定打に欠けるとしても、それらを合わせれば(明節が思う限り)充分であろう。

 出来るならば、いま少しの時間を得たい。それもまた正直な所。しかしもう一月もすれば、央斉が帰っ

て来てしまう。今でさえ彼が帰りたがるのを、色々な理由を付けて止めているのである。おそらく明節に

対し、すでに不信感を抱いているだろう。

「時は今」

 明節は決意した。

 例えそれが多少(彼以外から見れば大きく)無理がある事であれ、やるしかない。そうしなければ、大

陸制覇は為しえないからだ。

 それは何の為かと問われれば、彼は漢嵩の為だと偽りなく答えただろう。何故それが漢嵩の為かと問え

ば、彼は何故解らぬのか、そのような問いは不敬である、と怒りさえするだろう。

 明節は見失っている。もしかすれば、彼は漢嵩に依存し続ける事で、初めて自分を保てていたのかもし

れない。自分の夢を漢嵩の夢と置き換えることで、ようやく心の奥底に秘める、第二の碧嶺になりたい、

という誰でも抱くだろう、しかし強い野望を抑えられていたのだとも考えられる。

 そんな馬鹿な、とは思うが。しかし歴史を思い返してみれば、戦争というものは須くそんな馬鹿なとい

う理由から起こっている。

 明節は、人が考えていた以上にか弱いのではなかったか。

 漢嵩を失う事から明節が感じていた不安は、むしろ野望を誰にも預ける事が出来なくなる、そんな自分

勝手な理由からではなかったのか。

 人の心の全てを察する事は出来ないとしても、少なくとも明節は非常に焦っていた。冷静さ、精神力を

亡くし、普段は絶対にしないであろう、とんでもない考えすら是とするようになっている。

 余計な物に取り憑かれ、人は安定を失くす。最後の機会だと知れば、どれだけ精神力のある者でも、つ

いやってしまうのが人間である。

「偉大なる漢陛下、貴方の遺志、必ずや私が成し遂げましょう」

 明節の心の中で、漢嵩はいつも彼の言葉にのみ頷いていた。

 それを止めるであろう漢嵩の本当の言葉は、ただ冥府をのみ虚しく彷徨っている。 




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