6-3.志は錆びれ逝く、野望には果てが無く


 孟然、元碧の天梁将軍にして、現在は漢の北斗将軍。見事な髭を生やし、落ち着き払った物腰。絵物語

にでも出てきそうな風貌であり、部下からの信頼篤く。碧国を早々に見限った事からも解るように、誰に

操られるでもなく自身の考えを持ち、目の見えない男ではない。

 彼には無理がなく、世の中を平らにあるがままに見ている節がある。合理的と言い換えてもいいが、情

熱が無い訳ではないし、情が解らない訳でもない。ただ素直に物事を見ている男である。

 その点は蒼愁(ソウシュウ)と似通っているかもしれない。

 孟然は望岱一帯という広い領土を与えられ、候にも匹敵するような権限の下に君臨している。候と呼ん

でも、差し支えあるまい。

 位置は大陸の中央よりやや北西といった所か。壬、玄共に接し、漢国にとっては中央への橋のような役

目も果たしている。長年要塞として手を入れてきている為、半ば地上を塞ぐ門のように、この望岱は雄々

しくそびえ立つ。

 強固極まりなく、難攻不落の代名詞となっている要塞。名高き碧嶺の王城が結局滅びた事を思えば、大

陸史上初の完全なる要塞と言っていいかもしれない。

 一時、この北方に大領土を構えていた双という国を降伏させた事で、賦族がこの要塞を得た事はあった

のだが。単純に戦でならば、賦族の猛攻すら防がれ、片脚を踏み入れた事すらない。

 あの紫雲緋を持ってすら、望岱に篭る漢嵩を落す事は出来なかったのだ。どれ程の強固さを誇る要塞で

あるか、想像に難くない。

 孟然が漢嵩ほどこの要塞を使いこなせるかと言えば、それは疑問である。しかし孟然の気質も攻めるよ

りは守る方を得意とし、漢嵩と同じく堅実な戦法を是としている。それを考えれば、十二分にこの要塞を

使えるのではないだろうか。

 少なくとも賦国の将、青海波(セイカイハ)がこの要塞から打って出、まんまとその首をとられてしま

ったようにはいかないだろう。

 だからこそ央斉が危惧し、もし孟然に反旗を翻されでもしたらと、不安を抱いているのだ。

 この望岱に篭られてしまえば、食料の供給が続く限り、今大陸に誰一人として落せる者はいないのでは

ないだろうか。

 賦族ですら落せなかった要塞を、一帯誰が落せるというのだろう。それが出来たとすれば、今は亡き、

漢嵩、唯一人であったかもしれない。

 当然、民からも危惧する声が上がっていたが。当然のように明節は黙殺した。

 孟然はそんな内情を知ってか知らずか、虎時代からの部下に積極的に重役を与え、漢から与えられた人

材を優遇しているとはお世辞にも言えない。

 手を抜いてはおらず、着実にその支配力を増してはいるのだが。その行動は自侭である。

 当然漢から配備されてきた者は、明節に対して自らの不遇を申し出、孟然の不穏な動きを伝えている。

しかし明節はこれをも黙殺しているようだ。

 むしろそれを推奨しているとさえ思える程であり。今ではもう候を超えて、漢から半ば独立したかのよ

うな、そんな気分を漂わせている。

 人事、軍事、様々な権限は孟然にあり。それを王自らも認めている。

 流石に王を慕う者の中にも、王の真意を疑い始める者がでてきたが。確かに孟然には大功があり、それ

に不穏は見えるものの、彼は執政者として生真面目な程熱心にやっている。仕事をきちんとやっている以

上、誰も不安以上のものを献言する事は出来なかった。

 それ以上を言ってしまえば、むしろ孟然を妬む者と見られ、降格、悪くて追放処分にされてしまうかも

しれない。

 この漢と言う国には、漢嵩が自らの命を奪うほどに持っていた、潔癖な程の精神が濃厚に組み込まれて

いて、侮蔑や無用な献言というものを異様に嫌う。その罪も他国より遥かに重い。

 そういう事情もあり、孟然はその支配力を日々高め、望岱の軍備は増大の一途を辿っているようだ。

 防衛にも当然気を配っている。

 漢国内である北側には開けた平原があり、道も整っているが。賦族が押し寄せてきていた南部には、今

は多少拓いてあるとはいえ、まだまだ通行の便が良いとはいえない状態である。

 ようするに賦国滅亡後、暫く放って置かれた形になっていたのだが、それだけに要塞の防衛力も未だ健

在であった。しかしそれに甘える事無く、孟然は道路の要所要所に新たに砦を設け、通行をも厳しく取り

締まり。大軍を一度に移動出来ないようにさせている。

 更に彼の与えられた領土全てから、まるで吸い上げるようにして兵や物資糧食を望岱一点に集め。工事

に次ぐ工事で要塞の規模も増しているようだ。

 軍備を整え防衛に努めるのはいい。しかしこれではまるで、漢すら敵に回しているようではないか。で

なければわざわざ漢国内からの軍を、砦や防衛設備で塞ぐような真似はすまい。

 壬国の平穏とは正反対に、この地には不穏が募りつつある。

 それでも尚、明節は孟然を止めようとはせず。依然、積極的な姿勢を見せ。度重なる金策にも応じ、垂

れ流すように望岱へと資金や資材を与えている。

 それだけでなく漢国内の軍備も増強の一途を辿っており、その理由を王は碧国滅亡直後からの混乱を抑

える為と明言していたが。民とすればまた戦争を起こすつもりではないのかと、王、明節への疑問を隠し

きれない。

 しかしそう考えてさえ、王の思考は理解出来ないものがある。

 一体仮想敵は何処かと云う事だ。

 もし孟然であるならば、このように資金を垂れ流すような真似はすまい。しかしその孟然は漢をも敵と

するような防衛準備を進めている。

 ならば何処を見ているのだろう。壬か、玄なのか。それともやはり孟然なのか。

 確かに漢は玄にも壬にも真っ白でない感情を持っている。反壬感情が全て晴れた訳ではなく、玄とは一

時争っている。しかし誰もこれ以上の戦は望んでいない。もう殺し合いはしたくないのだ

 王は何か勘違いされているのではないか。今では漢の民すらそう思う者がいるようである。

 そして王以上に、孟然の考えが読めず。皆不安に思っている。



 孟然が自侭に行動している。

 隣国、玄に居る央斉の耳にさえ、その声がよく届くようになった。心配した漢国内の士官からも、多数

の便りが届いている。

 その度に明節へ使者を送り問うてみるが、返答は常に、心配無用である、それのみ。

 疑問は晴れないが、王がそう言っている以上、ただでさえ不仲を噂されている央斉としては、これ以上

の追求は好ましくない。

 歯がゆいがどうしようもなく。こうなっては戻って直接問うしか方法はあるまいが、勝手に帰国する事

も出来ない。

 独立への気運が高まっている以上、玄を刺激するような行動は慎むべきであるし。何より明節その人が、

何やかや理由を付けては彼の帰国を止めているのである。

 確かに央斉が居る方が、玄を落ち着かせるに適任であるとも言える。しかしそれだけの為にこれ以上こ

の地に留まる必要がない。やるべき事はあらかた終わっているのだから。

 玄を説き、王意に逆らって強引に帰国する事も出来るのだが。それこそ余計な紛争の種になろう。

 何より、漢嵩から託された願いがある。

 誰が不穏に思い、誰がその能力を疑おうとも、自分だけは最後まで明節を信じ、補佐しなければならな

い。それが現在の央斉における、最重要事項であったのだ。

 漢は漢嵩が居たからこそ生れ、彼が居たからこそ初めてまとまっていた国である事を、央斉以上に知る

者はいない。それが痛いほど解っていたから、央斉は常に明節を立て、余計な紛争を招かぬよう、自分か

ら風下に立つような言動をとってきた。

 全ては亡き漢嵩から託されたという責任感と、漢という半分とは言わないまでも何分の一かは自身の力

で建てた国への、ひたむきな愛国心からである。

 明節を嫌っている訳では無いが、決して彼一個の存在の為にやっているのではない。

 だが肝心の明節自身が、王という一番重要な地位にいる明節自身が、漢という国家の危うさに気付いて

いない。いや、漢に居る誰もその事に気付いていないのではないか。

 漢、確かに領土は大きく、強大である。しかし国は大きければ良いというものではない。

 国というのは本来虚構の上に成り立っている。ここはこういう国で、私はこの国の民である。そういう

認識が多数を占めていて、言わばそれが常識となる事で、初めて国として成り立っている。

 決してその国がある事は自然ではないし、絶対的な事でもない。むしろ奇跡とも言える膨大な偶然の末

にその国は成り立ち、現在運営されている。

 国境も国民も、全ては人の頭の中にだけある。

 だからこそ偉大なる我らが何々民などと聴けば、その言葉が何処か滑稽で、何処か浮いているように思

うのだろう。

 所詮は全ての者が同じ人間であるのだから。その差異といえば、服装程度しかない。形は変わっても、

服は服である。それ以上でも以下でもないのだ。本質的に何も変わらない。

 それと同じく、国がいかにもあるように思えても、その存在感は路傍の石にも劣る。

 だからこそ国と云う虚構を支える為には、沢山のものが必要なのだが。その一つの要因として、国家へ の信頼感というものがある。この国はあって当然、決して未来永劫滅びる事は無い。そういう信頼、安心感

と言い換えてもいいものが必要になる。

 しかし古今あらゆる国が崩壊してきているように。どう考えてもそれは自然の運行から外れた出来事で

あり、不自然極まりない事である。不自然だから滅ぶ。至極当然の事だ。

 それでも央斉は一時でも多くこの国を保ちたい。未来永劫は不可能だとしても、ほんの一時でも滅びの

時を延ばしたいのだ。

 今はまだ漢の民は漢という国を絶対的な存在だと考えている。だから今はまだ良い。しかしもし孟然が

何事かを始め、明節への不安感が不信感へと変わった時、それは国家形成すら揺るがすような大事変へ繋

がらないだろうか。

 国でも軍隊でも、組織と言うものは大変強固に見えて、意外に脆いものだ。崩れる時はまるで初めから

無かったかのように、さっと消えてしまう。

 漢もそうならないとは、決して言えない。

 そもそもそういうものは人間の頭の中にしか無かったのだから、当然の事かもしれない。

 だから碧という国も、賦という国も、滅びてしまえば初めから無かったものであるかのように、ほとん

ど残るものも無く、さっと風に吹かれれば消えてしまう。

 国家の支柱であった漢嵩が崩御した事で、漢は揺らいでいるのだ。

 明節が何を考えているのかは解らないが、その危機を彼は解っていないのだろうか。漢嵩を亡くし、お

そらく明節が一番衝撃を受けているのだろうに。

 心に衝撃を受けたのは、まさか自分独りのものであると、そんな風に思っているのだろうか。

 いや、その衝撃が強すぎた為に、明節の中で大事なものが消失してしまったのかもしれない。自分は国

王であり、全ての民を守り導く存在である事を、漢嵩からその地位を託された事を、彼は忘れてしまって

いるのかもしれない。

 だとすれば、早急に思い出させなければ。

 人は皆創り上げた初代をのみ誉め称えるが、真に力量を問われるのは、実は二代目だと思える。

 二代目には当然初代以上の力量を望まれる。しかし天才性というものは遺伝しないし、誰かに受け渡し

たりも出来ない。その人個人の、一個のものである。当然、初代のようにはいかない。

 しかし二代目は今までそうだったのだから、自分もそうなる、むしろそうでなるべきであるとすら思う。

そこからすでに崩壊が始まっている。

 どうしても甘く見てしまうのだ。初代以上に現実を見る事も知る事も出来はしない。どうしても甘く見

てしまう心がある。それは仕方がない。肝心なのは、どれだけ早く現実を知れるか、であろう。

 明節は確かに有能である。だが彼は漢嵩ではない。

 その事に明節は本当に気付いているのだろうか。漢嵩を慕うあまり、まるで自身が漢嵩になったかのよ

うな錯覚を起こしていないだろうか。

 もしそうであるとすれば、危険である。

 明家、名家であるが、その内情は安穏としたものではない。明節も宗家と分家の力関係が逆転している

という複雑な環境で育ち、その内には様々な感情が入り乱れ、切り裂くような冷徹さすら持っている。

 言わば、心に耐久力があるはずなのだ。相当に鍛えられてきたに違いない。

 その彼をして尚、王座、そして二代目という毒牙からは逃れられぬのだろうか。それとも漢嵩のように

常に危機感を感じていなければ、人は決して自分を抑えられない生き物なのだろうか。

 継ぐという重みを忘れる程、その地位は甘美にして破滅的な魔力を備えた場所なのだろうか。

 だが漢嵩は偉大であった。それを察していたからこそ、王座の重みと魔力を分担する存在として、央斉

という片輪を用意した。しかし唯一の拠り所であるはずの央斉を今、明節の方から積極的に遠ざけようと

している。

 それだけでなく、重みと破滅を増すであろう孟然という男を、望んで迎え入れているように思う。

 何故こうなってしまったのだろう。央斉は溜息すら尽きる程、乾いた想いを抱かざるにいられない。

「もし彼が漢嵩様の期待に反し、国を滅ぼすような挙に出たあかつきには、この私も然るべき手を使うし

かあるまい。明節よ、私も黙って見ていた訳ではないのだぞ」

 望岱からの連絡が途絶えつつある。そういう報告が続いたが、央斉はもう揺るがない。

 そして漢に戻るべく、その力を使い始めた。央斉もまた、腹を括ったのである。多少の犠牲は止むを得

ない。いざとなれば、彼自身の手を使ってでも、と。

 漢嵩が壬に寝返る際、央斉は余人が震える程の決意をした。今もまた彼は、深く決意したのである。




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