6-4.孟然、虎伏泰然とす


 望岱からの報告が途絶える。それは孟然が漢に叛意(はんい)を示したと思っていい。

 例え大守や候として都市、または領地を、ある程度思うままに運営出来る権限があったとしても。あく

までも臣下であるからには、その権限は無限ではなく、当然制約がある。

 そしてその制約の中でも、本国と密に連絡を取り合うと言う事は、状況を示し合い、お互いに孤立する

事を避ける上で(太守や候が越権を起こさぬよう見張る為にも)、非常に重要な事柄である。

 つまりはそうする事で、初めてお互いに繋がりが生れる。繋がりがあってこその主従であり、主従あっ

てこその権威である。その繋がりが失せてしまえば、もはやそこに秩序は無い。

 勝手にその地を閉ざすなどは、まったくもって許されぬ事だ。何よりその地に住まう民が許すまい。

 碧嶺以前であれば、まだそういう風な事も出来た。その当時は臣下の礼など名義上のものに過ぎず、常

に下は上を虎視眈々と狙っている。隙を見せれば噛み付かれ、弱体化すれば引き摺り落とされ、主従では

なく、仲間内での兄貴分弟分とでも考えた方が解りやすいだろう関係であった。

 暦とした上下関係などは生まれておらず。辛うじて血統信仰からくる血筋への敬意、或いは力ある者に

対しての憧れ、そういったものがあるだけであった。

 どれだけ大勢力といえども、結局は小勢力の塊に過ぎず。その王もまた、単に連合勢力の中で最も力の

ある勢力の長である、という事でしかなかった。

 趙戒が創り出した、碧国の法と似ている。

 国(王と高官)と民の間にも信頼関係は成り立たず。またその必要性を考える者すら皆無であった。民

は王の所有物でしかなく、国も王の個人財産のようなものであったのだ。

 公という考えが確立されず、全てが私物であったと考えても、それは言い過ぎではなかったろう。

 しかし今は違う。

 今の王は単なる国民の代行機関の長に過ぎず。民の意をないがしろにしては、基本的に何も行なう事が

出来ない。もし王がそのようであれば、その王を討つ事にすら正当性が生れる。王と民が言わばお互いを

監視しつつ、また協力しあう事で成り立っている。

 絶対的権力からすれば不自由ではあるが。その代わり暴君やこんにちの衆愚政治にも似た世襲制からの

腐敗、から国家と国民を護る事は出来る。

 そして王が英邁(えいまい)であれば、国民と臣下からの信頼を得、国全ての力を結集するような事す

ら出来る可能性が生れる。それが生れた時の強大な力は、或いは天意にも似た恐るべき勢いを、人工的に

発生させる事すら可能だろう。

 ようするに支配され嫌々従っている力よりは、自ら望み自らの意志で借りる力の方が、圧倒的に強大な

ものとなる。

 ただし、碧嶺より八百年近い年月が経っているせいか、その関係が弛みつつあるらしく、凱禅や趙戒の

ように公然と無視するような王も出来てきている。しかもその王に従う者達まで出てきている。

 勿論、それをするには民を何某かの方法で抑え込む、或いは取り込む必要がある。だが結局は同じ事か

も知れない。どちらも支配すると言う事には変わりなく。単純に時代々々でやり方が変化してきているだ

けとも云える。大陸に住まう者達の求める正義が、段々と名誉と栄光ではなく、利益と誘惑へと変わって

いるのかもしれない。

 人の心が弱くなってきているのか、それとも人の感覚が塞がれ始めているのだろうか。

 結局は皆、私欲に走って後悔している事を思い、人間の思う理想の自分が私欲を退ける人間である事を

思えば、果たして人間の心は一体何を望み、何を欲しているのだろう。愚かと一言で片付けるには、人間

自身から見ても、甚だ哀れだと思える。

 ともあれ、大陸には未だ碧嶺の意志が人の心に多く残っている。

 漢嵩を深く慕う漢の民が、そして漢嵩の支配力、影響が最も大きかった望岱一帯の民が、例え王が明節

に変わっても、漢国に逆らうような事を、孟然などという新参者に許すはずがない。

 不思議に思いつつ、漢は間者と共に改めて望岱へと正規の使者団を送った。勿論、王である明節の命の

下に。

 しかし送ったは良いが、使者団がいつになっても帰ってこず。密かに送った間者も同様に一人として戻

らなかった。

 望岱一帯の封鎖はいよいよ強まり。まるで突如孟国が出現してしまったかのような様相を呈している。

 封鎖網から漏れるわずかな情報を伝え聞く所では、内部の制令も漢国のものとは違い、完全に異国化し

てしまっているらしい。

 だがそこまでいって尚、民達が反乱を起す様子は見られないようだ。もし民が立ち上がっていたのなら、

孟然はここまで容易く思い通りには出来なかっただろう。

 漢の民は元凱の民とは違う。独立心が強く、新興の国家として生まれ変わったからには、その意欲も他

国とは違った。我らが起こした国であるという心があり、その連帯感は強く、国に対しての想いも強い。

 そんな民達が、孟然などというぽっと現れたような男に、やはりどう考えても従うはずがない。

 ひょっとすれば、道を封鎖し他との連絡を絶ったのは、情報を一手に集め、それを操作する為なのでは

ないだろうか。

 ようするに望岱一帯の民達は、孟然に騙されているのではないか。

 確かに民と国との繋がりは強くとも、では実際に政府と一国民が直結しているのかといえば、それは疑

問であろう。如何に厳しく民の目が監視していたとしても、王とその臣下、つまりは政府が何を考えてい

るかまでは解らない。

 知る為には政府が行動を起こすか、或いは政府内の誰かが民へ知らせるしかない。

 それに大まかには伝えても、細部まで一々を国民に知らせる義務は無く。そんな事をすれば、重要機密

が他国へ筒抜けになってしまう。

 だからこそ国と民の信頼関係が重要であり、上手く国民へ説明する必要があったし、民に対して変に隠

し立てをしたりはしない。重要機密までは洩らさないものの、国の方針やそれは何の為に、そしてそうす

る事で何が起こるのか、そういう事は丁寧に伝えている。

 国からすれば面倒かもしれないが、それが最善である事もまた確かだ。

 そして民を騙さない事、これもまた決して侵してはならない不文律である。 

 民が国を信じることもまた、侵してはならない不文律である。

 最も、民を騙す事は不可能に近い事でもあった。何故ならば、いくら国が口を閉ざしても、情報は他国

から必ず入ってくるからだ。例え断片的であれ、繋ぎ合わせれば割合正確な情報になる。そして情報を整

理し、民へ知らせるような民間の機関がある。

 情報は人に判断する材料を与えてくれる。

 だから開かれた国家であれば、国民を騙す事は(少なくとも全ての民を騙す事は)不可能であろう。

 しかし現在、望岱一帯は孟然によって厳戒態勢が布かれ、固く閉ざされてしまっているのだ。

 閉ざされてしまえば当然情報は入ってこず、後は国家(この場合は孟然)の言う事を黙って聞くしかな

る。更に、国家への信頼が篤ければ篤いほど、その傾向は強まり。信頼が篤ければ、当然疑いの心は芽生

え難いという悪循環に陥ってしまう。

 しかも民は国を信頼するのが美徳なのだ。ここに孟然の巧妙な意図が隠されているように思う。

 民達は新しく砦を築いたり、検問を厳しくした事を、王である明節が命じているのだと、心から信じて

いるに違いない。

 以前から明節が、孟然のやり方を推奨しているようであった事を、民達は知っている。望岱へ本国か

ら送られてくる資金や資材の量を考えれば、それを疑う余地はない。

 だからこそ急激にこの一帯に防衛設備が建設出来、警備力も上がり、犯罪率も目に見えて減少した。

 そういうものが積み重なってくれば、誰も騙されているとは思うまい。いや、そういう疑心を持つ事を、

自ら恥じるようになるのだろう。

 望岱の実情を推測するに従い、漢は怒りに沸いた。

 そして高官達が進言し、孟然が民をたぶらかし国家へ反旗を翻した事を理由として、王の承認の下、軍

勢を差し向ける事を決定したのだった。

 意外にも明節は、当然といえば当然であるとしても、この件に関し、一切孟然を弁護するような事をせ

ず、むしろ積極的に推し進めたようだ。

 臣下の中にはその事に多少奇異を感じる者も少なくなかったが。ようやく王も目を覚まされたのだと考

えたらしく、深く気にする者までは出なかったようである。

 漢嵩が明節を深く信頼していた(真偽はともかく、漢嵩が民にそう思わせていた)、その一事さえあれ

ば、それ以上明節に対する保証は要らないのだ。 



 やるとなれば明節は周到かつ迅速であった。

 とはいえ、漢にもあまり余裕はない。

 確かに本気で進軍すれば、例え望岱に篭ろうと、孟然如き叩き潰す力はあったし。孟然にたぶらかされ

ているだろう民へ事実を伝えれば、内側から陥落させる事も出来ただろう。

 しかしその為には大軍が必要である。孟然も愚かではないから、その城内には信頼出来る(漢から見れ

ば裏切り者だが)者だけを集めているだろう。最終的には力で望岱を落さねばなるまい。

 望岱は堅固。多少誇張になるかもしれないが、或いは城だけで一国の軍隊とも互角以上に渡り合える。

 砦から生れたこの都市は、他の拠点となる都市と比べても、根本的にその理念が違うのだ。

 とにかくがっちりと固め、兵の進退よりも防衛に特化されている。だからこそ篭られればこれ程厄介な

場所はなく。かの賦族でさえ、最後まで力で踏み入れる事は敵わなかった。

 望岱は大陸人が持つ、賦族への恐怖の象徴だとも言える。そしてその恐怖は誰が想像しているよりも遥

かに大きい。

 壬国の国境を固める砦も堅固で有名であるが、基本的理念は同じでも、望岱とは比べるべくもない。望

岱だけは他の都市や砦と違うのだ。

 望岱を落すとなれば、大国となった漢でさえ容易くは行なえない。

 そして戦に時間をかけすぎれば、また虎達の中に野望が燃え立たないとも限らない。

 確かに彼らも後世を気にする上で、恥知らずにも労役をほったらかして駆けつけるとは思えない。思え

ないが、人間いざとなれば何をするかもまた、解らない。

 この世には勝てば官軍という否定したいながらも、拭い去れぬ真理を含む言葉がある。いかに今恥をか

いたとしても、後世に誇るような国家を創れれば、それはそれで大義ではないかと考える輩が出ないとは、

完全に否定できないだろう。

 人間はどうしても身勝手であり、独善的な生き物。

 例え後世に悪名を残した暴君、狂人でも、自分のやった事が悪であると思っている者はいまい。むしろ

善の中の善であると信じ、そう自分を偽る事で人は大きな悪業を為してきた。正義を冠する悪ほど性質の

悪い存在はない。だからこそ人は悪を嫌悪する。

 まあようするに、漢一国では被害が大き過ぎるのである。

 そこで国力の疲弊を防ぎ、他国を同時に疲弊させれば力関係は変わらない、という子供っぽい政治思考

も含め。明節は壬へと援軍を要請した。

 漢と壬は同盟している。漢嵩が死んでも、その約が消える事はない。

 壬はすぐさま応じた。賦族の時とは違い、孟然へは一個の良心の呵責も覚える事はなく、当然のように

応じた。そしてその事が孟然に対する一般の感情を表している。孟然は明らかに悪であった。

 私的な乱を起こす者を、大陸人の美意識は許さない。そこに何かしら理由めいたものがあればまだ同情

の余地もあるが、明らかに孟然は己の野望から事を起こしている。そしてその事に対し、何ら釈明をして

いない。言わば開き直ってしまっているのだ。大陸の倫理観において許せるはずが無かった。

 望岱に篭る兵はざっと一万程度だろう。周辺の砦からいくら集めても、精々二万が良い所だろうか。騙

されていた民衆が黙っていないだろう事を思えば、民を抑える兵を差し引いて、実質望岱に篭る一万程度

の兵が、孟然の実働兵力になるだろう。

 それさえ倒せば、後は済し崩し的に崩壊し、漢の軍門に下る。

 碧へ向った時のように、壬は自国の存亡を賭ける必要は無かった。確かにまた死傷者が多数出るだろう

が、国家が崩壊するような事にはなるまい(と壬も一般の者も思っている)。

 援軍を要請するからには、今回も兵糧のほとんどは漢が負担をしてくれる。その点での心配もしなくて

よかった。勿論、出来うる限りは壬も自国の食料、資材を使うのだが。何となく気は楽になる。

 それでも明節は慎重を期し、王、楓仁、蒼愁という三名が軍を率いてくれる事を願い、壬側は多少不審

に思ったものの、この一戦は碧残党の討伐戦であるから、と言われれば納得するしかなかった。

 碧の後始末であると考えれば、確かにこの三名が相応しいように思えない事もない。

 それにこの三名が壬の武の柱を担っている。とすれば彼らが出張ってくれるのが一番良く。衛塞(エイ

サイ)の壬劉、偉世(イセイ)の楓仁、北昇(ホクショウ)の蒼愁が壬の三つある軍団をそれぞれ統帥し

ている事を考えても、そうする事が一番都合良かった。

 戦略として、漢が望岱一帯を閉鎖し、壬が錐で揉むように望岱に張られた防衛網を突破する。しかる後

に両国が協力し、孟然を叩く。という事も決まり、早速両軍は出撃準備を始めたのであった。

 何故壬が一番危険だろう役目を受けるのかについては、当然ながら誰も何も言わない。壬の武を立てた

と考えても良いし、両国の兵力と軍事力を考えれば、そう言う風に分担するのが自然であるとも思われた

からである。

 それにそもそも壬はそのような異論を口にする国ではなく。同盟を結んだ以上全力を尽くすのが当然、

という考えを自然に持つ国なのだ。




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