6-5.北旗に宿りし魂を


 壬軍は粛々と進む。ただその行軍速度は速い。足並みを揃え、無理に駆けたりはしないものの、一定の

速度を保ち、足並みが乱れる事もない。

 それだけ統率力があり、兵が各々の役割を理解していると云える。

 人を堅実に統御していくのは、おそらく与えられた役割である。人一人一人の役割、役目。権限と法規

と言い換えても良いかもしれない。ともかく、その一つ一つを考え、行動する。自分は今何をしているの

か、全体としての役割はどうすべきか、それを常に考え続けると言う事以上に重要な事はない。

 いつも自分の位置と役割を把握し、全体として何をすべきかを理解しているからこそ、こうも上手く一

個の軍として動けるのだと思える。

 総数は二万程度。壬王が一万の精鋭を率い、楓仁が新たに編成し直した五千を率いている。蒼愁は彼の

手勢と云える虎竜の中から、特に活きの良いのを五千程選んで連れてきているようだ。

 虎竜も先の戦で大きな経験を得、黒竜に匹敵する力を付けてきている。勿論、全体としてはまだまだ黒

竜と肩を並べられる軍隊ではないが。上層部からその何割かを黒竜に任命しても良いのではないかと、評

価されているほどだ。

 しかし蒼愁はそれを断った。何故ならば、彼らが上手く軍として働けたのは、あくまでも蒼愁が創った

軍制の上だからであり、個別に様々な場面に対応していくなどはまだ無理なのである。

 先の戦で虎竜が働きを示せたのは、蒼愁の軍制の中で各々の役割が解りやすく定められていた為で、ま

だまだ楓仁に付いて行く事は負担であると思われる。

 生半な力で付いていけるほど、壬の黒竜は甘くない。彼らは大陸中から厳選された精鋭であるのだから。

 とはいえ、蒼愁も虎竜がまったく駄目であるとは思わない。探せば小隊長までなら使えるだろう人材が、

いくらかは居るだろう。何処にでも才のある者はいる。

 だがまだまだ外へ出すには力が足りない。それに虎竜の中でもっと力ある者を育てたい。虎竜を単なる

間に合わせの軍隊ではなく、黒竜に次ぐ軍として、頼りある組織にしていきたいのである。

 その為にも、芽が出つつある者をじっくりと虎竜と共に育てあげ。大陸でも選抜きの兵団である黒竜と

壬出身の民兵を鍛え上げた虎竜、この二つの兵団で壬を守護していきたい。

 壬も大きくなりすぎた。黒竜のやり方では数を増やし難く、いずれは対応しきれなくなるだろう。今で

さえ黒竜が不足しており、だからこそ虎竜が生れたのだから。

 しかし黒竜あっての壬国。登用基準を下げ、その力を失してまで数を増やしたとしても、何の意味も見

出せない。弱い黒竜など、有名無実の存在であろう。

 だからこそ蒼愁は、この新たな兵団にも力を注ぎたいのである。黒竜は黒竜として、虎竜も純血でいさ

せたい。純血であるからこそ軍制をより理解出来、様々に手を出すよりも力を鍛えやすい。何事も混じり

けのない方が、結局は強固になるのだと蒼愁は思う。

 混ぜるのを悪いとは言わない。混ぜる事でより強くなる事もある。  しかし例えば騎兵に重兵を混ぜたとて、速度と耐久というそれぞれの長所を相殺してしまい、どうにも中

途半端な兵団となってしまうだろう。

 様々な部隊を軍としてまとめても良いが、一緒の隊に混ぜてしまってはいけないのである。それぞれの

隊にはそれぞれの役目があり、単一であるからこそ、初めて長所を最大限に活かせる。

 無論短所も最大限になるのだが。短所を消したいが為に、長所をおざなりにしてはならず。短所は短所

として受け入れ、短所を打ち消し長所を活かす術を見付ける事が重要であろう。

 その為の戦術であり、統率力、指揮能力である。欲深く、各隊に余計な事を求めてはならない。

 軍として単位が大きくなっても、同様である。

 余計、これも弛みと同じく、組織として最も忌むべきものかもしれない。肥えても痩せても、組織とし

ては弱くなってしまうのだ。

 今回壬軍は大きく分けて三軍に分かれている。

 軍を分ける事もまた、本来忌むべき事である。指揮系統がややこしくなり、それぞれの役割がより難し

くなるからだ。

 複雑さも組織にとっては敵だろう。難解以上に人間の敵となるモノはいまい。

 しかし三者が率いる以上、どうしてもそうなってしまう。

 そこで考えたあげく、壬王を将軍と見、楓仁と蒼愁を部隊長と見立てる事にし、率いる部隊の種類を、

三軍それぞれで統一させる事にした。

 楓仁率いる五千を騎兵、それも攻撃に特化させた突撃部隊とす。

 蒼愁率いる五千を虎竜の法で言えば軽兵、つまりは弓矢と機敏さを利用した敵軍への牽制を重視、小回

りを活かした機動部隊とす。

 最後に王率いる一万を主力として、装甲の厚い甲冑を付けさせ持久力を増し、何層にも並び見る者に威

圧感を与える重層部隊とす。

 これらを三軍と見ず、あくまでも三つで一つの軍。そうする事で兵力を分散する愚を防いだのである。

 勿論これらは名義上のもので、何も楓仁や蒼愁が部隊長に格落ちしたわけではない。その軍の中には従

来通り大隊長以下部隊長が続き、常と変わらぬ軍制を保っている。指揮力にも揺るぎはない。

 この大陸の制度では、ほとんど同格というものがなく。例え同じ役職で軍位としては同格でも、その中

での命令優先順位は細かく定められている。無論、戦によって変わるものではなく、例外として戦前の軍

議で定められる事はあるが、不変の制度である。

 不変、これもまた重要な事であろう。変わらない事は時に停滞をもたらすけれども、はっきりと優先順

位が定まっていると言う事は、下で動く者にとって大変ありがたい事なのだ。

 一番困るのが、どちらの命令に服すべきか悩む時だろう。これだけは何としても避けなければならぬ。

 迷いは不安を呼び、不安は疑心を呼ぶ。疑心は軍を乱し、烏合の衆へと変えてしまう。

 それを防ぐ為には各々が考え、解りやすい制度によって個々に判断出来る。これが組織としての連帯感、

強さを示すと思われる。

 繋がりの薄く個々で判断出来ない組織など、まったくもって理解しがたい存在であり、まったくもって

無意味、いや有害な存在であるとすら思える。

 やたら難解で、それをやる事に意義を見出せない制度などは、さっさと廃止するのが世の中の為だろう。

 ともあれ、壬軍は順調に行軍している。決して弛む事は無い。



 整然と望岱付近まで移動し、最前に張られた砦を臨むようにして、壬軍は行軍を止めた。

 軍勢が集まっているのはすでに孟然も知っていようから、出来れば時間を置かずに攻め込みたい。

 しかしどうも漢軍の方が遅れているようで、未だ到着の目途が付かないようなのだ。

 明節と漢という国の力量を考えれば、およそ考えられない事ではあるが。孟然の動きや彼に肩入れする

ような明節の行動を見、少なからず動揺していた家臣団を思えば、これも仕方が無い事なのかもしれない。

 兵糧などの輸送隊は順次到着しているから、本隊の到着までにもさほど時間がかからないとは思われる

が。このままここで手をこまねいて待っていても、孟然を利するのみであろう。

 さてどうするかと壬王達が考えていると、それを見計らっていたかのように漢から使者が送られてきた。

流石と言うべきか、こうも用意周到でありながら何故軍だけが・・・、と疑問を持つべきか。

 使者によれば、未だ完全に包囲するまでには時間がかかるものの、半ば包囲は成っているそうだ。

 壬側からは見えない位置なのだが、重要な箇所にはすでに漢兵が配備されている。包囲が完成するまで

は見栄えは悪いが、だからといって現時点でも効果は変わらない。壬軍は包囲の完成を待たず、そのまま

進軍してもらいたい、との事であった。

 この言い様には多少反感と疑問を感じたものの、こうなってしまえば行くしかない。漢の命を無視して

留まり続けるような事があれば、おそらく臆したかと言われてしまうだろうし、漢の民にも大いに悪感情

を与えてしまうだろう。

 何より、黒竜の威名に傷が付くような事でもあれば、壬にとっては死活問題となる。

 重要な路を封鎖し終えているようなら、さほど問題はあるまいと壬側は判断し。一度身を預けた以上は

漢を信頼して、仕方なくも与えられた仕事をやり遂げる事に決めたのだった。

「どうなるにせよ、行くのならば早い方が良い」

 壬王の言葉に楓仁も蒼愁も異論なく、黙って頷いた。

 決まりさえすれば、後は何を考える事もない。遮二無二進むだけであり、俄造(にわかづく)りの砦な

どは相手にもならず一蹴し、壬軍は次々に孟然の造った防衛設備を落としていった。

 守備兵も弱かった。

 おそらく彼らは何故壬が攻めてきているのかさえ、ほとんど理解していなかったのだろう。もしかすれ

ば、壬が同盟を破って攻めてきたか、とまで考えたかもしれない。

 何しろ彼らは何も知らされておらず。孟然に言われるまま従っていたに過ぎないのだろうから。

 だが壬が盟約を破るなどはおよそ考えられぬ事態。これは一体どう言う事かと思い、砦などを護るより

も、とにかく訳の解らぬままに逃げ出したと思われる。

 壬は攻める前に守備兵に向かい、退去して即刻設備を明け渡すよう、伝えていたから、それだけであ

っさり撤退していった守備兵もいた。

 人は何も解らないままでは命を賭けられない。明確な理由があり、それを自身が望んで始めて命懸けの

気力が湧いてくるというもの。

 守備兵達は抗おうとせず、次々と防衛設備を放棄した。

 壬軍も進んでいく内にそれを理解し、元々孟然の手勢以外とは本気で戦う必要性を認めていなかったか

ら、彼らを逃げるままに任せ。設備へも門だけを壊すなど、後々通行に便がある程度に留めておいた。無

闇に壊せば、民達の反感を買うだろうからである。

 自らの土地で好きに暴れられて、喜ぶような人間がいるはずがない。例えそれに、如何なる理由があっ

たとしても。

 配慮が功を奏したのか、付近の町村から義勇兵などが出てくる様子は無く。民達もとにかく訳が解らな

い風で、たまに田畑を耕す者に出会っても、間の抜けた顔で壬軍を見送るのみであった。

 どうやら本当に何が起こっているのか理解していないらしい。

 知る事が出来ないと言う事は本当に怖ろしい事だと、壬軍は改めて実感した。

 そして民をそうさせた孟然に対し、抗えないほどの怒りを感じた。

 出会った者には手短に事情を説明しておいたが、一々一つ一つの町村に関わっている暇はなく。また結

局は漢本国からの知らせがなければ、彼らも納得出来ないだろう。

 本来ならば漢軍が触れながら共に進軍してくれるはずだったのだが、居ないものは仕方が無い。進軍と

望岱陥落をのみ考える事にし、壬軍は急ぎに急いだ。

 のんびりしていれば、民の中から事情は解らないまでも、愛国心に寄って立ち上がる者が出てくる可能

性もある。最後まで呆けたままいてくれれば良いが、そう祈るよりも今は急ぐ事が肝要だろう。

 もし民が蜂起して壬軍へ立ち向かう、或いは立ち塞がったとすれば、壬側としては罪無き民を蹴散らし

てまで進む訳にはいかず、どうにも困った事となる。

 考えれば不安が多く、壬は迂闊にも軽挙した事を悔いていた。

 例え孟然に時間を与えたとしても、この状況になるよりは、接領付近であのまま漢軍の到着を待った方

が良かったかもしれない。

 それにしても未だ漢からの連絡がないとは、一体彼らは何をしているのだろうか。

 これではまるで、壬が本当に攻め込んでいるようではないか。

 不愉快な時間だけが流れる。

 望岱一帯に造られた砦や関所は単純で簡単に抜ける。兵にもまるで防衛意識がなかった。しかしその数

は予想以上に多く、それらにかかった時間を総合してみると、なかなかに馬鹿には出来ない。

 壬も困り果て、いっそ引き返すべきかとの意見も出てきたが。もうここまで来ているし(この時点で行

程の三分の二は進んでいた)、流石にもう漢からの伝令が各町村へ届き始めているだろうと、結局は進軍

を継続させる事を決めた。

 よほど壬の律儀さが信頼されているのだろう。何か理由があるに違いないと思ったのかは知らないが、

とにかく付近の民が蜂起するような事はなく、とうとう壬軍は望岱手前にまで到着出来たのだった。

 しかし今まで傍観するようであった孟然の姿勢がこの時期一転し。この地に造られた砦の規模も強度も

今までとは段違いで、守備兵も孟然の手勢に変わったのだろう、凄まじい反撃を示し、壬軍を苦しめ、抜

くには抜いたが大いに疲弊させられている。

 漢からの知らせも届かない。

 壬はどうしようもない違和感を感じ、懸命に戦いつつも、内心はどの将も兵も焦り始めていた。

 それでも壬は進み、遂に望岱へと着いたのである。 




BACKEXITNEXT