6-6.反逆への道標


 孟然は望岱に引篭もり、山のように構えている

 内に幾重にも張り巡らせた防壁は、例え一枚一枚はそれほど強固ではないとしても、途方も無い消耗と

抵抗を感じさせるに充分であり、目の前にする壬兵達を躊躇(ちゅうちょ)させた。

 近付けば矢が飛び、岩や石が投げられる。見晴らしの良い高所に建てられ、四方侵入する事が困難であ

る為、結局は道なりに力押しに突破するしかなく、忍び込んで内側から開けたり、夜襲奇襲する事も叶わ

ない。

 真に難所であり、堅牢という文字がこれほど似合う要塞は無いだろう。

 外から眺めているだけでも、難攻不落の印象を強く焼き付けられ、流石の壬兵も士気が上がらないよう

だ。攻めあぐねている。

 篭るのが一万の兵であるとしても、総勢二万程度の兵力では、おそらく最奥へ到達する前に力尽きてし

まう。正面から攻めようとすればどういう結果になるのかは、先の砦での一戦で実証済みだ。

 千前後の兵数で、しかも望岱と比べれば塵芥(ちりあくた)のような規模と防衛力。それでさえ、本気

で守られれば痛手をこうむる。先の一戦だけでも、壬側の死傷者は数百に上る。

 孟然の統率力、支配力は侮れない。虎の寄せ集まりをどのように教化したのだろうか。人心掌握能力は

趙戒の比ではない。同じ兵を使ってこれほども違うものかと、畏敬すら覚える。

 試しに内部へ間者を放ってみたが、殺されたか捕えられたのか、未だ連絡が無い。

 それにこの物々しさでは、例え内部に侵入出来たとしても、上手く民を蜂起させられるかは疑問だ。お

そらく民達は危険から護る為だと称して隔離されているだろうし、望岱はほぼ完全に孟然に掌握されてい

る様子。

 行動さえ起こせばそれに応じて民が蜂起してくれるなどと、少々考えが甘かった事を否めない。

 しかしそれもこれも漢からの援軍が来ない事に由来している。何故漢は動かないのだろう。動いていた

とすれば、いくら遅れたとは言え、これほどに困難になる事はなかったはずだ。

 そして漢軍さえいれば、孟然の支配力は根っこから引き抜かれるように霧散してしまうはずである。

 内側から揺さぶられれば、如何に堅牢な要塞とて、無事では済まず。そこからいくらでも攻め手が生れ

ようというもの。

 漢の軍勢は何をやっているのだろう。

 確かに大軍が移動するのには時間がかかる。だが民に知らせる為の使者などであれば、さほど時間も労

力も要らないはずである。王からの使者が居るだけでも効果があるのだ。

 ようするに、壬の進軍の正当性を証明出来るモノがあるか、孟然の非を明らかに出来るかさえすれば良

いのだから。

 それなのに王が使者派遣を渋っているとでもいうのであろうか。壬に援軍を乞うたのは、他ならぬその

王であると云うのに。

 全くもって理解出来ない。

 壬は困り果てたが、さりとて孤軍で攻めるにはあまりにも望岱は強固すぎる。待つしかなかった。

 そこで半端な攻勢を諦め、兵を一先ず引き、望岱から距離を空けて陣を張り、街道を封鎖して使者を待

つ事にした。

 こうして時間を稼いでいれば、壬軍が到来している事が内部の民に伝わり、何かしらの動きが起こる可

能性もなくはない。勿論、希薄な希望、いや願望ではあったが。

 壬にしては消極的な作戦になってしまったが、元々漢軍の力を計算に入れて攻める算段をつけていたの

だから、これもまた仕方の無い事であろう。

 無理なものは無理であり、わざわざ無理を証明する為に兵を死なせる訳にはいかない。

 せめて孟然が何か行動を起こしてくれればと思うのだが。彼も解っているらしく、焦って自分から有利

な状況を捨てて駆け出すような事はせず、小憎らしいほどに冷静であった。まるで壬軍を観察でもするか

のように、静かに眺め観ている。

 漢軍が来ても落とされぬ自信があるのか。はたまた漢軍が控えているから兵の消耗を避けているのか。

 以前ここへ攻めた時、賦の青海波(セイカイハ)が見せたような猛進を期待するのは、やはり無理があ

るようだ。孟然は冷静沈着、無理をしない。立場は変わっても、蒼愁や壬が知るままの彼の姿である。

 しかしそんな望岱にも、一つだけ動きがあった。

 何かといえば、孟然本人から使者が来たのである。

 意外に思われるかもしれないが。例え戦時中とはいえ、いや戦時中だからこそ敵方からの使者は篤く遇

され、時には怒りに任せて斬り伏せる事はあるが、表向きには丁重に扱う事になっている。不審な動きを

見せるか、よほどの理由が無ければ、使者が殺される事はまず無い。

 碧嶺の教化のせいもあるが、単純に丁重に扱う方が利があるからである。殺せば無用な軋轢(あつれき)

を生み、敵味方からの信頼を失ってしまう。

 ともあれ、その孟然からの書状をまとめれば、まず第一に、何故同盟国たる壬国から軍団が派遣され、

如何なる理由があってこの孟然の預かる地を侵略しようとするのか。第二に、如何なる理由があって各地

に建てた砦を壊し、守備兵に戦闘行為を示したのか。

 一体この事態をどう申し開くのか、とくとお教え願いたい、との事であった。

 これは壬の侵略への弾劾文であり、それ以外の何物でもない。

 更に文面の最後には、これ以上侵略行為を続けるのなら、如何に信頼する壬国といえども、例え如何な

る理由があったとしても、漢に対する宣戦布告と見なし。天道に従い民を護るべく、遺憾ながらも軍事行

動に移らせていただく。と、ご丁寧に述べられている始末。

 受け取った壬王は当然のように困惑し、不愉快になる以前に考え込んでしまった。

 楓仁と蒼愁も同様である。まったく意味が解らない。何しろこれまでの経緯がおかしかったから、彼ら

は反論するよりも押し黙って考え込んでしまったのである。

 本来ならば反論すれば良かったのだろう。しかし確かに漢からの要請はあったものの、それを証とする

物を持っていない。王からの使者は口頭でのみ述べ、書状などは持っていなかった。或いは持ち出さなか

った。

 考えられない事だが、それでも壬は承知したのである。戦を起こすとなれば忙しい。書状を書く手間も

惜しんだのだろうと。戦時中などは簡略こそが望ましい。それに信頼している間柄であれば、むしろ証を

要求する事の方が失礼であるとさえ考えたのだ。

 大体が救援要請を疑う必要が無かった。望岱で不審な動きがあったのは事実であるし、漢内では孟然討

つべしの声が高まっていた事が、当然壬まで伝わっている。

 わざわざ壬を騙して何の得があるだろう。漢王が世間から呆れられ、失望されるだけだ。

 しかしそれがこの状況になると逆に壬の首を絞める事となる。証がない以上、口約束だけでは反論する

材料とするのに弱いのだ。だから押し黙るしかなく、沈黙をもって意思表示とした。

 即ち、退く気はない、と。

 使者はそんな壬側の態度に呆れたのか、元々その予定であったのか。言うだけ言うと、後は三日だけ待

つと一方的に伝え、さっさと帰って行ってしまった。

 もしかすれば本気で呆れていたのかもしれない。

 しかし王達はそんな使者の様子を気にかけている余裕は無かった。

 迷った挙句、ともかく漢へ知らせねばと漢へ急ぎ使者を送ったのである。



 壬軍はその場に打ち付けられたかのように、滞陣し続けるしかない。

 勿論望岱への攻撃を諦めた訳ではない。だが無理に攻める気もない。だから攻めるなら攻める、退くな

ら退くとすればいいのだが。この点同盟軍である壬の立場はあやふやで、漢に断りなく行動する事が出来

ないのだ。

 そこに連携、同盟というものの難しさがあり、数多の国家、組織が憂きの目をみている。

 それぞれの国家に思惑がある以上、同盟国を当てにし過ぎるのは考えものなのだが。それでも自らが決

した戦であれば、まだやりようがある。援軍が遅れ、それで本軍が勝っても負けても、責められるのは援

軍の方である。

 逆に本軍が遅れたとしたら、援軍が退くも留まるも自由である。そこまでして盟約に拘る必要性を、大

陸の正義は求めていない。遅れた方が悪いのだ。

 もしその地の民が救援したのであれば、遅れた本軍を放って単騎攻撃を仕掛けてもいい。それで無事勝

った、つまり解放したのであれば、当然その地をその軍が治めてもいい。無論民に望まれればだが。

 まあそこまでする事は稀のまた稀であるが、少なくとも遅れた本軍へそれなりの代償を要請出来、大陸

中の評価も上がるだろう。そして本軍側の権威は失墜する。

 それが今のこの大陸の不文律である、と断言してもいい。

 ならば壬軍がどうするも、漢に何を言われる筋合はないではないかと、そう思われるかもしれない。

 しかし今回の壬の状況は少々勝手が違う。

 何しろ民が何故壬が進軍してきたか解っておらず。また漢王の意向を証明できる物がない。

 孟然に糾弾されても何も言えず。もし勝手に退けば、後に来る漢の軍勢から何を言われるか解らない。

 勿論、弁明する事は出来よう。しかし漢王に開き直られればそれまでである。最悪勝手に進軍したと糾

弾されるかもしれないし、最善でも物笑いの種にされるだろう。

 そう。壬が動けないのは、後から漢軍が来ると言う事を信じているからなのだ。

 今更退いても仕方が無いという想いもある。

 訳の解らない情勢になってはいるが、結局はそれだけである。子供のように信じ込んでいるからこそ、

勝手に退く訳にはいかない。ここまで来て退却するのは馬鹿らしい。

 それならば、ここにいて望岱の動向を見張る方が、まだ有意義ではないか。

 一戦して負けた訳ではないのだ。

 それにこの地の民への負い目がある。

 これまで壬がやった事といえばあたら戦火を起こし、住民を惑わせた事、これだけである。どんな理

由があったにせよ、民達や多くの守備兵にとっては寝耳に水の出来事。考えてみれば、侵略軍と言われて

も、仕方がない。

 いくら漢が遅れているとはいえ、すでに壬は恥をかいている。単騎猛進し、しかもそこで何も出来ず立

ち往生。せめてここで望岱を見張ってでもいなければ、おさまりがつかない。意地がある。悪い事に意地

を感じ始めている。

 退くのはぎりぎりまで待つ、壬はそう決断していた。兵糧が乏しくなり、軍事行動が困難になった時、

その時こそ退こう。それまでは待つ。待って少しでも恥を雪ぐべく、功を示そうと。

 漢軍が来る以上、例え愚かであろうとも、ここまでに犠牲になった者の命を、無駄にする訳にはいかな

いのだ。味方が退却したのならともかく、来る前に逃げる訳にはいかない。

 未だかつて壬はこのような失態を見せた事はない。

 確かに国祖である壬臥(ジンガ)は生涯の天敵であった今は亡き双国の明辰(ミョウタツ)相手に、そ

れはもう面白いくらいに負けた。負けている当人が笑い出すくらい粉微塵に打ち砕かれ続けた。

 しかしその時でさえ、このようなおかしな状態になった事はない。何故こうも今、壬軍は浮いた存在に

なっているのか。漢は、明節は、今どこで何をしているのだろう。

 兵の間にも不安が湧く。

 表面上は落ち着き払ったように見せてはいたものの、どの兵にも明らかに落ち着きが欠けている。落ち

着けという方が無理だろう。

 流石に諍(いさか)いなど起こす事はないが、妙な失敗や失態を現す者が少なからずでていた。

 軍紀に則し、そのような者達は随時処罰されたものの、それで弛みが消える訳ではない。

 楓仁の統率力をもってしても、どうしようもなかった。ここで浮き足立つなという方が無理であり、解

っていながら言わねばならぬというところに、将の大きな苦悩がある。

 一体自分達は何なのか。この地にとって敵なのか味方なのか。敵であるならば誰の敵か、味方ならば誰

の味方なのか。

このようなところで溺れてでもいるかの如く、大義名分という酸素を求めて足掻いている。

 そもそも何故このような場所に、援軍だけが孤立しているのか。攻められるでも攻めるでもなく呆然と

留まり、馬鹿な事に漢の動向と返答をのみ待っている。

 軍は戦闘行為、示威行為を行なうべく在る。それが目的もなくただぼうっと座り込んでいるとは何事か。

素っ裸で大通りに座り込んで居るかのような恥ずかしさを覚える。

 それでも彼らは動かない。いっそ動けば良かったのかもしれない。後で何を言われようと、漢の不手際

も確かなのだから、さっさと退けば良いのである。しかし壬は拘り、自らを縛ってしまった。

 嘲笑うかのように孟然は沈黙を保つ。

 あれから数日経ったが、使者の一人も寄越さない。三日しか待たないと言う事が、そもそも無茶なのだ

が。しかし言った手前、何か次の進展があっても良いではないか。こうも無関心でいられると、敵である

はずの孟然からも呆れられ、見捨てられたかのような錯覚に陥(おちい)る。

 まったく精彩を欠いている。らしくない。神速を旨とする壬の軍勢が、一体何をまごまごと浮付いてい

るのだろう。

 兵糧だけが無意味に減っていく。士気もみるみる衰えた。

 彼らはただ食べて寝るだけの生き物になってしまったかのようである。

 何でもいい。きっかけが欲しかった。それが何であれ、変化さえあれば、また生き生きと動かせられる。

王も楓仁もそれだけの力はあるし、自信もあった。だがこのままでは・・・・。

 軍議をしようにも漢軍の数や編成が解らなければどうにもならない。将が集まっても無意味な時間が過

ぎた。蒼愁だけは何か考え込んでいるようだが、参謀である彼ですら状況が掴めないらしい。

 いつでも動けるよう、蒼愁が中心となって交代で訓練をさせているが、その効果も薄い。少しは兵に精

気が戻るものの、それだけの事であった。

 そうしてまたしても時間だけが過ぎ、いよいよ兵糧の方が乏しくなった頃、ようやく漢からの使者が王

からの書状を持って現れる。

 しかしそれは壬が期待していたような物ではなく、壬軍を更に困惑させる事となる。

 漢からの書状、それは孟然と同じ、壬の侵略行為への弾劾文であったのだ。




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