1-2.大暗転、訪る


 花嫁の行列も滞りなく進んだ。

 この地方の大勢力である円乃(エンノ)家に刃向おうとする者は、流石に出なかったようだ。仮に出て

いたとしても容易く退けられたに違いない。

 円乃からの花嫁行列はそれ程に大げさなモノであった。

 ようするに大軍なのである。煌びやかな鎧を身に纏った大軍を伴い、姫の乗った輿は進む。その軍勢を

率いるのも当主春匡(ハルマサ)の弟であり、猛将の声望高き侍大将を務める春宗(ハルムネ)。

 この人事を見ても、春匡の力の入れようが解るだろう。

 当然義実(ヨシザネ)はこれを子供のように喜んだ。こうまでしてくれるとあれば、いよいよ息子義風

(ヨシカゼ)の前途は明るいと思ったのである。

 それに義風本人を見れば、春宗と春日もきっと気に入るに違いない。この威風堂々たる姿は、我が子な

がらとても頼もしく見え、正に男子とはこうあるべきと言う姿である。挙措動作にも品があり、どこをと

っても文句の付けようも無いのだ。

 現に義風を一目見て、春宗は感嘆の息を漏らした程である。全軍を統べる侍大将である彼と見比べても

遜色無いどころか、圧倒すらして見えた。

 思わず春宗やその軍勢も、出迎えた義風に膝をついて一礼をしそうになった程、誰から見ても真に立派

に見えたのである。勿論、内心はそれを快く思う心だけではなかっただろう。彼としてはこんな田舎領主

の息子に、例え貴族の血をひくとは言え、こうも圧倒されては我慢ならぬモノがあったに違いない。

 率いて居る兵達への手前もある。

「これはこれは噂に違わぬ気高さよ。春日の婿に迎えられて、こんな嬉しい事があるだろうか」

 しかし彼も兄と共にここまで円乃を強大にさせた、海千山千の手練である。そんな邪心はおくびにも出

さず、にこやかに婚礼を祝した。

 だがそんな彼でも、義風の持つ凪雲(ナギクモ)を見た時は、流石に食い入るように見詰める事を、制

する事は叶わなかったようである。彼もこれ程の太刀を見たのは初めてで。武士であれば、いや男であれ

ば、これ程の刀を手にしてみたいと思うのは自然の事であると思えた。

 これ程の宝はよほどの大武家でしか、いやそれ程の家格の者でも持っているかどうか。

「はは、流石は高家の出でおられる。見事な物。流石にわしも見惚れてしまいましたわ」

 そう言って慌てて取り繕ったものの、自らの田舎臭さを露見させたようで、春宗はまたしても胸に苦い

思いが浮かぶのを抑えられはしなかった。

 しかし同時に満足もした。何故なら彼の思惑通り、この世に無二の見事な宝をこの家に発見したからで

ある。そうで無ければ、わざわざこんな田舎まで彼自ら来た甲斐も無いと言うものだ。

「既に祝いの席は整えてござる。存分に寛がれよ」

 義実が春宗勢の態度に満面の笑みを浮かべながら、奥へと案内した。勿論全員が入れる訳では無いから、

主立つ者だけである。後の足軽などは他の家々へ分散して泊まる事になっている。

 それでも収まらず、急遽外にムシロを敷いてその上で飲み食いする者達も多かった。だがどの道夜を通

して飲み明かすのである。それならそれでも構わない。今夜は無礼講なのだ。

 幸い酒だけは質は悪いが量だけは揃えてあった。義実がこの時の為にとこつこつと用意していた貯えの

全てを使い、付近の村々からすでに大量に買い入れてあったのだ。

 春宗が率いて来たのは千人もの大軍勢である。嫁送り程度にこの規模とは、すでに勢力程度とは呼べず、

一国が運営する規模と考えた方が良い。ここからでも円乃家の強大さが窺えると言うものだ。

 千単位の兵が居れば、充分に地方で覇を競えるであろう。もし当主に器量があれば、一国程度は切り取

れる可能性を秘めた数である。

 義実程度ではせいぜい数十人の軍勢しか集められないだろう。彼が大喜びしたのも無理は無い。

 

「ささ、義風殿。まずは一献」

 春宗は宴席上でも義実親子を鄭重に扱った。こう言う場合は向えた方が接待するのが当然なのだが、彼

は義実の血統に敬意を表して見せたのだろう。

 義風は杯に並々と注がれた酒を、小憎らしい程上品に飲み干した。こう言う所作では、明らかに春宗は

劣る。洗練された義実親子に比べて、如何にも田舎臭かった。

 こうして見ると、田舎の大親分が由緒ある武士に謙(へりくだ)っている図でしか無い。それはある意

味事実であるだけに、余計に春宗は自分が惨めに思えたであろう。

 実際この光景に辟易しながらも、春宗は表情だけは何とか繕った。ここで場を乱すような事があっては、

折角ここまでお膳立てした事が無意味となる。それならそれで何とでもなるだろうが、折角の機会なのだ、

これを利用しない手はあるまい。

 それに兵も容易く増やせるモノでは無い。今後の事を考えても、一兵たりとも無駄にしたくは無かった。

「やれやれ、わしらも苦労する事になったものよ」

 昔はここまで先を気にする事は無かった。周りの何処を見ても大した勢力はおらず。単に付近の自分達

よりも弱い勢力を、力押しに蹴散らしていけば良く。現にそうして円乃家は版図を広げてきたのである。

 しかし領土が広がれば広がるほど、名が知られれば知られるほど、敵は自然と多くなる。それに今まで

無理をしてきた事の反動も見えつつある。円乃は家中をまとめるだけで精一杯なのであった。

 何しろ当主春匡に徳望が無さ過ぎる。身中の蟲は腐る程居るだろう。

 それに隣国には強敵も多い。皮肉にも強大になればなるほど、自分達のような新興勢力は無数に居るの

だと、それ言う事が現実に見えて来てしまったのだ。全土を見れば、円乃など足元にも及ばない勢力も腐

る程居るのだろう。

「その為にもこの拠点と、あの宝はいただかねばならぬ」

 あの宝さえあれば、天下に威光を示す事も、最悪の場合に外交の土産としても非常に役に立ってくれる

に違いない。このような田舎領主風情が持っていて良い物では無いのだ。

「最早血統などは無用の長物である」

 春宗は心中ほくそ笑んでいた。 

 目の前で遠慮なく楽しそうに酒盃を飲み干す義実親子が、他の誰よりも阿呆に見えていたに違いない。

そして前途も知らず馬鹿騒ぎしているこの村の民達。彼ら程度は人とすら見えなかったのかも知れない。


 全てが赤く燃えていた。

 義風がただらなぬ気配に目が覚めると、すでに辺りは火の海であったのである。

「これは何事か!」

 春宗達と飲み続け、どうやらそのまま酔い潰れてしまったらしい。自分で叫んだ声がやけに頭蓋に響き、

吐き気がした。

 義風は勧められるまま泥酔した事を恥じた。が、今となっては後の祭りである。

 しかしこれはどう言う事か。どこをどう推測し、考えてみても、記憶の終わりからこの光景に至るまで

の道筋が解らない。誰かが酔ったはずみで明かりか火鉢でも倒したのだろうか。

 千鳥足で郎党にこの部屋まで運んでもらった記憶までは、どうにか探る事が出来たが、どうにもはっき

りしない。

 それにどうも不穏な気配がする。そしてこの噎せ返るような臭いは何だろう。何処かからはけたたまし

い叫び声も聴こえるようだ。

 少なくとも彼が今まで過ごして来た歳月の中に、このような光景に繋がるモノは一つとして無い。

「若君様、ご無事であられましたか!」

 慌しく靴音が響き、襖を蹴飛ばすように義風が爺(ジジ)と呼んでいる男が現れた。見ると体中が赤く

染まってしまっている。息も絶え絶えであり、このような爺の姿を見るのは、彼も初めてである。

「何事か。火事のようだが、皆は非難したか。春日殿と春宗殿は無事か」

 何があったのか解らないが、これで花嫁と叔父となる春宗に何かあれば、春匡に申し開く言葉も無い。

婚礼の儀を台無しにしただけでも、刺殺モノの罪であるのに。

 しかし爺はそれには答えず、途方も無い事を言い出した。

「嘘であろう・・」

 思わず義風は絶句する。信じられなかった。

 爺が言うには、この火事は今心配していた春宗本人が起こし、そしてその率いて来た軍勢によって、村

中で非道の限りを尽くしている最中だと言う。

 到底信じられる話ではあるまい。

「婚礼の日であるぞ!」

 義風はそう問うたが、爺は黙って横に首を振るのみであった。

「若君様、義実様が決死の抵抗をしておりますが、最早それも風前の灯火。こうなれば若君様だけでも早

々にお逃げ下さい。今ならまだ間に合います。奴らの狙いは初めから凪雲にあったのです」

 そこまで言って耐えられなくなったのか、爺は野太い声を上げて泣いた。義風の婚礼を父と同じくらい

に喜んでいた彼である。その嘆きと苦しみ、そして怒りは想像に絶し難い。

「狙いはこの刀だと言うか・・」

 義風はしかし取り乱す様子も無く、静かに泥酔しても離さなかったその宝刀を見た。凪雲は赤闇に照ら

されて、狂おしく光を放っている。まるで人の血と悲鳴を喜んでいるかのように。

「はい、ですからお逃げ下さい。急がねば、いずれ此処にも兵が来ましょう」

 爺はそう言うと、義風の手を引き、急いでその場を逃れようとした。しかし義風の体は身動ぎもしない。

彼が望まなければ、誰が彼の体を動かせようか。老いた爺の力で彼を動かすのは、巨山を動かすに似ている。

「若ッ!!」

「行かぬ!!・・・父上までもが死を決していると言うに、私がどうして逃げられよう。あれだけ尽くし

てくれたお前達、領民達を置いて、どうして私だけが逃げられると言うのか。こうとなれば、せめて春宗

めに一太刀あびせてくれよう!」

「なりませぬ若ッ!」

 爺の静止も虚しく、義風は振り払うように寝所を出た。  

 彼には領主の子と言う以外に、私人としてもそうするべき訳がある。春宗を討つ事もそうだが、一体春

日はどうしたのか。彼女もこうなる事を望んでいたのだろうか。

 当たり前に考えればそうだろうが、それでも義風は確かめずにはいられなかった。他ならぬ妻となるべ

き人である。どうしてもそれだけを確かめるまでは、ここを去る気にはなれなかったのだ。

「・・・こうなれば、この爺めが冥土への道案内を勤め上げましょうぞ」

 暫く呆然としていた爺も、突如弾ける様にして義風の後追った。

 これでこそ義風様ではないかと、その気魂に惚れ惚れする思いに、すでにその心は一変していた。そう

となれば若君様よりも後に死ぬ訳にはいかない。自分が春宗までの道を切り開かねばならぬのだ。

 そしてこの世で成し遂げられなかった忠義を、あの世で成し遂げよう。そう決めたのである。

 迷いの消えたその足は、死地へと躊躇いも無く駆けた。  




BACKEXITNEXT