1-4.一つ覚えの自由に


 春日は義風を探していた。

 突如襲った火の影に、初めは怯えて居るしかなかった彼女だが、ふと自分の伴侶となる人が脳裏に思い

浮かび、そうなると居ても立ってもいられなくなったのである。

 ここからも解るように、彼女に春匡達の陰謀は知らされていなかった。おそらく不意に口に出す事を恐

れ、彼女には告げられなかったのだろう。

 例え仮にでも夫となる男とその親族郎党を殺害するのである。おなごでは情が移ってしまわないとも限

らない。それに知らなかったとあれば、多少は後の罪悪感からも逃れられるだろう。

 春日は春匡の娘とは思えないほど、情に篤く生まれついていたのだ。

「義風さまーッ! 義実さまッ!」

 煌々と燃える炎は彼女の声を遮り、何処へ届く事も無いように思える。

 暫くそうこうしていたが、とても待ちきれず。春日は縋り付き、引き止めようとする侍女達を振り解き、

無我夢中で義風の元へ向かおうとした。幸いにも彼の居場所だけは知らされている。そこはこの場から丁

度真反対にある門の側。

 そして同時に火勢の一番強い場所でもあるが、そんな事までは思い至らなかったらしい。

 その足並みに惑いは無く、無心で廊下を突き進んだ。

「義風さまーッ!! 春日は、春日はここでありまするッ!」

 しかしどれ程進み、どれだけ声を上げても、聴こえるのは火の勢いだけである。

 この頃にはすでに義風も討ち取られ、春宗も凪雲を奪って他の住居を襲いに行く所であったのだ。周囲

からの剣戟の音も炎に遮られ、不幸にも春日には何も知らされる事は無かった。

 春日の居る所は、最早事が全て終った場所だったのである。

 そして当然ながら、春宗の耳にも彼女の声は届く事は無い。それどころか、春宗も春日が未だこのよう

な所を走り回っているなどとは、夢にも思っていなかっただろう。

 いずれ春日の侍従からこの事を知らされるだろうが、少なくともそれはまだ先の事である。侍従達も春

宗が何処に居るか解らないのであるから、これは仕方が無い事ではあったろう。

 だからとは言え、勿論後に、不首尾を犯した侍従達はその場で首を斬り落され、侍女も兵達の慰み物に

されてから殺されたようだ。戦で気が立っている以上、それもまた仕方が無い事であろう。

「義風さまッ!」

 漸く春日は義風の寝室へと辿り着いたが、しかしそこには誰も居るはずが無い。

 何やらおかしな臭いもしたが、春日にはそれが血の臭いであるとも気が付かない。それだけ彼女は春匡

から大事に育てられて来たのである。悪鬼のような春匡も、この優しい愛娘だけは可愛かったと思える。

 それにいずれは政略結婚に使おうとも思っていたに違いない。つまりは公私共に大切な娘なのだ。

「一体何処へ・・・・。あッ! ともかく、私も逃れなければなりませぬ」

 漸く自分の状況に気付いたらしい。火の周りは速く、うかうかしていれば彼女も灰になるに違いない。

ともかくも春日は門から外へ行こうと思った。

 考えて見れば、義風も当に逃げているに違いない。

 春日が侍従に護られている事は知っているから、先に外に出、民達に指揮しているに違いないと考えた

のだ。自分の所に何も音沙汰ないのは変だと思ったが、それも突如の火事では仕方が無いと思い直す。

 春日は急いでその部屋を出た。すでに花嫁衣裳の大半を脱ぎ捨て、彼女は露な姿となっていたが、そん

な物を気にしている余裕は無い。ただ、只管に駆けた。


 おかしな臭いが強くなる。胸からむせ返るような臭いで、とても我慢が出来ない。

 でもそれでも進まなければ火に巻き込まれてしまう。侍従達と一緒に、あのまま裏口から逃げて居れば

と後悔したが、時既に遅い。

 春日は必死に門へと向った。ここまでくれば意地であり、それは彼女が生まれて初めて強く思った意志

であったかも知れない。

 しかし結果として、そのたった一度の強い意志が、彼女に災いする事になろうとは・・・。

「なッ・・・・!!?」

 春日は思わず顔をそむけ、衝撃の余りよろよろとその場に倒れ込んだ。

 そこには無数の死体が置き捨てられ、未だ血がたらたらと流れ落ち。大地の窪んだ部分に溜まった血が

溢れ、幾条もの小川が出来ていた。

 薄い膜のような物が出来た血溜まりもあり、赤に染まったその光景は、正に地獄か別世界のようである。

臭いも酷い。呼吸する度に、体の中に死の香りが充満して行くようだった。

「ああ・・・・あああ・・・」

 そしてふと見上げた門に、槍を杭のようにして打ち付けられた義風の姿。

 ゆらゆらと扉が開閉しようと蠢(うごめ)く度に、どくりどくりと傷跡から血飛沫が飛び跳ねる。片腕

を失った姿の彼は、こちらを睨むように見下ろしていた。

 春日の立っていた場は、奇しくも春宗が義風を貫いた場所であったのだ。

 絶望に声も出ず、足を失ったように立てもせず、合った目を逸らす事も出来ず。ただ涙が流れるのを、

為すがままにあるがままに受け入れるしかなかったのである。

 春日は気付かなかったが、彼女の側には首を失った義実の骸(むくろ)もあった。その首はおそらく春

宗が証として持ち去ったに違いない。大将首を持ち帰るのは、この時代の戦の作法でもある。

 そしてそれが勝利の証でもあり、同時に手柄を得たと言う証でもあった。

 本当は義風の首も刈り取りたかったのだろうが、流石にこの無残な姿とその眼光を見て、春宗達も怯ん

だのだろう。それほど彼は、怨念と怒りに満ちた目をしていたのである。


 どれくらいそうして居ただろうか。春日には無限の時間に感じられたかも知れないが、日の高さから考

えても、まだ彼女が春宗勢に保護されていない所を見ても、ほんの一瞬の間だったのだろう。

 しかしそれで春日が我に返った訳ではない。依然、と言うかこの瞬間から狂ってしまったのかも知れな

い。彼女がこれからやろうとしている事を思えば、それは愛とも言えるし、それ以上に狂気とも言えた。

 そう、彼女はふと思い出してしまったのだ。

 それは魔が差したと同義であり。そして新たな災いの始まりであり、幸無き物語の始まりとなる。

「義風さま・・・、春日が、私が、必ず、必ず、・・・貴方を御助け致します・・。だから、まだ行かないで、私を置

いて行かないで・・」

 春日はよろよろと立ち上がり、覚束無い足取りのまま、ゆっくりと義風に近付き、その下に跪いた。

 彼女に浮んだ記憶が確かであるならば。これだけの血と自分の命、そして義風の身体と彼の魂が一欠片

でもまだ残っていれば、彼を助ける事が可能であるはず。

 円乃家に伝わる、忌まわしい呪によって。

 それは陰陽道とも呼ばれるし、また修験道とも密教とも言われた法である。

 円乃とは昔、役と書き。古の時代から、不可思議な術を使うとされた一族であった。

 いつ頃かその名は歴史から消え、代わりに円乃と言う名が現れたのだが。その所以を知る者は現在に

は居ない。当の円乃家にも、元は役と名乗っていた事すら知らない者が大半なのである。

 だがその不可思議な力は、細々とであるが、代々宗家だけには伝わっていた。

 誰も信ぜず、それを使える力ある者は皆無に近かったが。それでも稀に不可思議な能力を持つ者が、円

乃家には生まれ、その呪を受け継いで来たのである。

 そして数少なき異能の者の一人が、他ならぬ春日であったのだ。春匡が大事にしていた理由に、これも

また一つの訳として加えられるかも知れない。

 勿論春匡としても、そんな御伽噺(おとぎばなし)のような摩訶不思議な術など、決して信じては居な

かったのだが。実際、春日の勘によって危機を脱した事もしばしばであり。この直感と言うべきか危機回

避能力には、春匡も絶大の信頼を置いていたのである。

 役の呪も今は廃れ、春日としてもその程度の力しか無かったのだが。しかし唯一しっかりと言い伝えら

れて来た呪があった。

 即ち、死魂回帰の法。それを使えば、冥府へ行ったはずの魂を、再び現世に呼び戻せると言う。

 夥(おびただ)しい命の残留、即ち血と。そして術者自身を生贄とする事で。

 何故春日がこの瞬間に、今まで毛ほどにも覚えて居なかったその法を、思い出してしまったのかは解ら

ない。運命があるとすれば、正しくそれが運命であったろう。

 或いは忌まわしい名も忘れられた神の祝福か、呪いか。

「義風さま・・・・、義風さま・・・・」

 表情は相変わらず憑かれたようなままだが、春日は驚くほど機敏に儀式の準備を始めだした。幼き頃か

ら繰り返し繰り返し、同じ異能の祖母から聞かさせた話を、十数年ぶりに思い出しながら。

 もし多少でも霊力のある者が居れば、この場に形を取る程濃厚な魔気が生じて居るのが見えただろう。

それは怨念と執念、そして恨みと怒りと言い換えても良いモノである。




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