1-6.蘇生


 苦しみが精神を現実へと引き起こす。

 義風は全身を熱いモノが滴っているのを感じた。生臭く、そして焦がれる程に熱さを持つモノが。

 それが流れる度、思い出したように痛みが降り注ぐ。苦しくて、胸の辺りから何かがこぼれ出すかのよ

うに痛い。まるでそこから見知らぬ大事なモノが、少しずつ流れて行ってしまうようだった。

 確かに何かが自分の中から消えて行く。何かが抜け落ちていくのを感じる。

「ぐはッ、ぐほッ・・・」

 こみ上げた咳と共に血飛沫が口から噴出し、茜色の大地を少しだけ鮮やかな朱に染めた。

 しかしそれもすぐに黒ずんだ赤色に戻る。この大地の色は、最早二度と草花の緑に還る事は無いのかも

知れない。それ程にここには多くの血が流れている。拭っても拭っても、決して薄れる事は無いだろう。

 長い年月、例え風雨にさらされようと、この忌わしい色は決して消える事はあるまい。

 心と身体を痛みが包む。そして痛みが脳髄まで響く度に、少しずつ忌わしい記憶が蘇って来た。

 もう思い出したくも無かったが、脳は義風の意志を無視した。それを見ろ、はっきりと思い出せと、誰

かが言っている。そんな気がする程、鮮明に記憶が蘇る。

 春宗軍の奇襲、そして無残に殺される一族郎党。心底嬉しそうに哂(わら)う春宗の声。

「思い出した、思い出したぞ。決して忘れてはいかぬ、この忌わしき罠。そして我が怒り。復讐せねばな

らぬ、父と民の仇をとらねばならぬ。必ずや、復讐を・・」

 復讐心と怒りが呼び起こされる度、今度は胸の痛みが、全身を走る苦痛が、和らいで行くのを感じた。

 まるで全身がそうせよと義風に応えるかのように、みるみると傷口が塞がっていくのである。

「そうだ、これこそが鬼の力。そして私は冥府より再び現世に呼び戻されたのだ。この忌わしき鬼の、修

羅の力を与えられて・・・。そうだ、全ては復讐の為に」

 失ったはずの右腕が、今も焼けるように痛い。

 全身はほぼ回復したようだが、何故か右腕の痛みがひかない。そこに無いはずの右腕が酷く痛むのだ。

「・・・ッ!」

 痛みに耐えかねて、右腕があるはずの場所を掴もうとするが、虚しくそれは空を触る。

 無いのだ。もうあの逞しき右腕は存在しない。流石の鬼の力でも、失った腕までは甦らせられなかった

のだろう。或いはわざと失ったままにされているのか。

 どちらにしても、肩口にある切り痕は見事に塞がっていた。最早血の一滴すら流れ落ちていない。

 しかしそれでも痛みは続く。何度も何度も痛みに耐えかね、空を掴んだ。

 何も応える物は無い事は解っている。しかしそれをやらねば気がすまない。片腕と心の痛みで気が狂い

そうなのだ。何かをせねば、きっと自分は狂ってしまう。

「だが、こうしてはおれぬ・・・・、凪雲は・・・凪雲は・・・」

 辺りを探すが、父より与えられた宝刀の影は何処にも見えない。

「奪われたか・・・」

 凪雲を奪いに来たのだから、ここに無くて当然だろう。それを思い出し、再び憤怒の炎が燃え上がるの

を感じた。失った右腕がその憎悪と共に熱さを増す。するとようやく少しだけ痛みが和らぐのを感じた。

 熱さが増せば増すほど、その痛みが消えて行くようである。

 つまり痛みは失ったはずの右腕から生み出されているのだろうか。この怒りを絶やさぬ為に。

「そうか、そう言う事か。所詮禍々しき力は呪いでしかないと言う事か! ・・・・いや、今の私にはこ

れが相応しいかも知れぬ。消えぬ恨みに燃え盛り、必ずや春宗、そして春匡を殺してくれよう! 例え呪

いであろうと、我が望みを遂げられるのであれば、悪鬼羅刹になっても構わない!!」

 それを聞き、まるで喜ぶかのように右腕が痺れた。今まで感じた事の無い痺れで。

 もしかすれば、あまりの熱さをそう感じただけかも知れないが。しかし義風にはそれは確かに喜んでい

るように感じたのである。内に宿らせた、修羅の喜びだと。

「我は片神、人に在らず。復讐を司る、片神の修羅なり」

 そして義風は首無き父、義実の刀と、無数の槍と刀に貫かれた爺の刀を拾い、その二つの刀を掲げて誓

った。

「私は必ず皆の仇を討つ! この血に満つる怨念よ、憤怒の嵐よ、私に宿り、その力を貸してくれ! 私

を鬼神に変える力を!! 我は義風、片神の修羅王、義風なり!!」

 己が身に集まるどす黒い力の奔流を感じ、義風はいつまでも叫び続けた。その目から驚くくらいに清き

涙を流しながら。


 傷の癒えた義風は灰となった村を出た。

 いつまでここに留まって居ても、仇を討つ事は出来ない。座して嘆くよりも、武器を持ち、進まねばな

らぬ。例えその道が、救いの一つとて無い道であっても。

 彼の一族郎党の怨念が、憎悪が、義風を助けてくれたのだろうか。あれ程あった痛みも、今はほどんど

感じない程まで和らいでいた。

 あの身を引き裂かれるかのような激しい痛みの残骸は、もう右腕の熱さだけであろう。

 全身の傷も完全に塞がり、三肢も自在に動く。

 しかし食べ物も水も無く、衣服は血塗れ。あるのは血の滲んだ父と爺の刀だけである。このままでは仇

どころか、今日一日生きていられるかどうか。

 片神の修羅と言ってみても、義風の本質は人でしかない。飢えもすれば、疲れもする。痛みも感じるし、

傷も負う。あの荒神は修羅の力を授けたと言うが、一体何が変わったと言うのだろうか。

 確かに不死とも思える程の治癒能力を得たが、他には特に以前と変わった所が見受けられない。果たし

てどれ程の力が出せるのだろう。

 何せ戦の跡とその付近には必ず強盗や追剥が出る。逃げ出した兵士を捉えて手柄としたり、死体の身ぐ

るみを剥いでそれを売り、生活の足しにする為だ。

 この時代、一部を除いて誰もが貧しい。農民や下級武士などはその日食べる物にも困る有様で、それど

ころかいつ何処から強盗が現れるかも解らない。そんな混沌とした時代である。

 そんな中を、如何にも戦地から命からがら逃げ出して来たと言うような格好をして居れば、こちらから

強盗を誘っているようなものだ。腰に帯びた父と爺の刀も価値のある物では無かったが、それでも売れば

幾許かの金にはなる。

 集団で襲いかかられては、何をしても自分に勝ち目があるとは思えない。

「さて、どうしたものか・・・」

 怒りは滾り、身も焦がすように今も渦巻いているのだが。それだけではどうしようもない。進めねば復

讐を遂げる事も出来なければ、春宗の姿を見る事すら出来まい。

 何と言っても、円乃家はこの国でも有数の勢力である。おそらく総兵力は万にも届く。

 それに対して義風はたった一人、最早一人の従者すらいない流浪の身。万に対してたった一人では、例

え本物の鬼と化したとしても、どうしようもないに違いない。

 例え何百何千の兵を道連れに出来たとしても、春匡と春宗の首を取れねば意味が無いのだ。そしてあの

美しい春日の首も・・・、いや、今となってもどうしても春日だけは恨む事が出来ない。不思議な事だが、

彼女がどうしても知っていたとは思えないのだ。この惨劇の筋書を。

 それどころか。もし知っていれば、身を挺して止めたのではないかとさえ思う。

「しかしそれが私の甘さに違いない。そしてこの甘さが父や爺を殺したのだッ!」

 あの時油断してしたたかに酔ってしまった自分を思うと、斬り殺してやりたい程に恥を覚える。

 そして罠の餌である春日に気を許した自分にも。

 その自分を戒める為にも、必ず春日も義風の手で殺さなければなるまい。そうしなければ、決して殺さ

れた一族郎党は浮ばれないだろう。この世に円乃の血を、例え一滴たりとも残す訳にはいかない。

「円乃に死を、円乃に報いを」

 そう、義風は当然の事ながら。自分を蘇生させてくれたのが、その春日本人である事を知らない。

 彼は途切れる事無く悔みながら、追剥を避ける為に街道に沿って付近の森を歩き続けた。

 とにかく村を探そう。人の居る場所に行けばまた道が見える事もあろうと、それだけを思いながら。




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