1-9.円乃に血の洗礼を


 強盗が入ったとの通報を受け、村にはすでに幾名かの武士の姿があった。

 とは言え、武士とは名ばかりの最下級の足軽頭に過ぎず。おそらくその出自も農民か盗賊の類からなの

だろう。気品も士魂の欠片も見えないように思える。

 乱世であるからには、成り上がり者が自然多くなる。いや、むしろほとんどが成り上がりと言って良い

かも知れない。領主や大きな勢力の中にも、その出自が怪しい家は少なくなかった。

 それを考えれば、果たして武士とは何者かとも思うが。この時代はともかく力こそ全てである。

 彼らの率いる兵卒を含めれば、総勢は40名程度だろうか。

 こんな田舎の付近に駐屯されていた事を考えれば、その数は少なくは無い。

 しかしどの勢力も領土内の警備を最重要視している事を考えれば、これは何ら不思議な事では無かった。

 武家の沽券と言うものがある。彼らに逆らう者が一人でも居るなら、確実に最も惨たらしい方法で殺し、

晒し首にでもしなければならない。

 そうしなければこの武家もその程度かと舐められ、盗賊共が付近の国からも続々と殺到する事だろう。

誰もが良質の略奪地を求めているのだから。

 そうなれば武家の威信は地に落ち、当然のように他の者が取って替わるに違いない。

 それが乱世の習いと言うものだ。

 それを反映してか、兵達の装備もみすぼらしいながら一通り揃っており、軍隊としてもきちんと機能し

ている。精鋭とは言えないまでも、正規の兵である事に間違いは無い。

 当たり前に考えれば、これだけの兵数にたった一人で正面から切り込む馬鹿はいまい。

 自殺願望者か脅されでもしない限り、そんな事を誰がしようと思うだろうか。

 しかし、しかしと円乃の手勢を遠目に見ながら義風は思う。

「この程度の兵数も一人で片付けられないようなら、円乃への復讐などとても出来まい」

 円乃もこの時代を生き抜き、しかも一国の大勢力にまで成り上がって来た家である。暗殺や毒殺、密偵

や裏切り、そんな手段も自分がやって来ただけに重々承知しているはず。警備も抜かりあるまい。

 そんな家を滅ぼそうと思うなら、多かれ少なかれ軍隊との正面からの決戦は免れない。搦め手が使えな

い以上、正攻法で堂々と破るしか手段が他に無いからだ。

 幸か不幸か、義風は忍としての技術は教わっていない。初めから一人忍び込んでの暗殺なども無理な話

であろう。勿論、金が無いから忍びを雇う事も出来ない。

 となれば、遅かれ早かれ一人で大軍を相手に立ち回らなければなるまい。

 ようするに本当に鬼か修羅でも無ければ出来ないような事を、一人でしなければならないのだ。

「そう考えれば、たかだか数十の足軽などは、容易い事と思わねばなるまい」

 義風はそう自らに言い聞かせ、父の刀を手に、一人でその軍勢へと駆けた。隠さず誤魔化さず、衆目に

身を晒しての特攻である。

 当然すぐに発見され、円乃の軍勢は騒然となった。耳を澄ませば、どこぞの狂者か、とか、どこの手の

者だ、などとさして独創的でも無い言葉が飛び交うのが聴こえる。

 しかしその困惑も義風がただ一人だと知るまでの事。

 落ち着きを取り戻した武士が嘲笑い、すぐさま手勢に捕えるよう命じた。簡単な仕事だと解れば、後

は他の武士との競争である。遅れを取ってはならず、確実に手柄を独り占めしなければならない。

 そうして地道に手柄を重ねれば、いずれは馬乗り、つまりは一軍の将として騎乗の身になれ、領土を得

られるかも知れないのだ。そうなれば後は思うがままである。円乃が落ちぶれれば、その機に乗じて独立

しても乗っ取ってしまっても良いし、更に上を目指しても良い。

 力さえあれば、どんな夢でも叶う。領地を得れば、食うにも困ら無い。

 何が力かと言えばまず領地であり、領地を与えられる馬乗りに成る事が、力への一番の近道なのである。

富も兵も領地が生む。

 武士達は逸った。何しろ敵はたった一人。それに対して自分の部下は各十名はいる。いくら馬鹿でも阿

呆でも、これでは負けようが無い。

 もし負ける事があるとすれば、落雷や台風などの災害があった時くらいだろう。そして天災が都合よく、

人の願いに合わせて起こるはずが無い。

 必勝である。

 足軽達の心も逸る。円乃に属しているとは言え、足軽では正確には仕官では無く、単に傭兵として一時

的に雇われているだけにすぎない(勿論、単純な傭兵よりは遥かに濃い関係ではあるが)。足軽頭以上に

なって、やっと円乃の武士と言えるのである。

 この差は大きい。

 手柄を容易く立てられる機会を逃してなるものかと、足軽達は義風に殺到した。


「つああああッ!!」

 義風も狼の群のように迫り来る兵達を前に、雄叫びを上げながら突進する。

 まるでどちらが速くもう一方へと到着するかを、競ってでもいるかのように。

 40もの人数である。一人で見るには圧倒されそうであったが、ここで萎縮する訳にはいかない。円乃

の最大動員兵力から思えば、この程度は塵芥のようなものであろう。

 この程度は容易く斬り抜けなければ。

「我が名は義風! 円乃に私憤ある者なり!」

 刃先が届きそうな距離になった所で、義風は名乗りを上げた。

 名乗りとは本来、自らの名を掲げ、それによって自らの手柄を主張しようとするもので、こう言う状況

には如何にも相応しく無く思えるのだが。義風にとってみれば、これは円乃への戦の狼煙であると考えて

いるから、ここで名乗りを上げるのは当然の事だった。

「強盗如きが、小癪な真似を!!」

 しかし円乃兵にして見れば、相手はただの強盗、しかも手柄を得る格好の相手に過ぎず、誰もその名を

覚えようとも称えようともする者はいなかった。

 ただ死に行くものの、最後の美意識としか思えない。

 やはり狂人か、程度にしか思う者は無く。自らも盗賊とさほど変らぬ足軽の身分であるだけに、大言を

吐くこの狂人が尚更腹立たしく思えた。

 しかも何故だかこの狂人に気品が見えるだけに、悔しさも手伝って、兵達の殺意は最高潮に達した。

 最早武士の言う事などに耳を傾ける者はいない。我が我がと、更に速度を増し、最初に到達した五本の

安っぽい刀が義風に振り下ろされた。

「雑兵程度が、私を舐めるな!!」

 強盗と言う言葉に、義風も瞬時に血が上る。

 戦場での作法も知らず、この義風をただの強盗呼ばわりとは何事かと。怒りに燃えた目で、刀を渾身の

力で一閃させた。

 五本の刀は容易く弾かれ、質の悪い刀身に罅が入る。

 義風の膂力は相当なモノであり、幼い頃から本格的な修練を積んだ、多分に亜流ながらも暦とした武士

の剣。夜盗上がりの足軽など、物の数では無い。

 持つ刀の質も違う。

「抜かるな、囲め囲めい!!」

 それを見た足軽頭の一人が、油断ならじと命を下す。

 何しろ相手は一人。例え多少腕が立つとは言え、たった一人に40人も使って死者まで出したとなれば、

逆に彼らは叱責を受ける破目になるだろう。悪くすれば、そのまま斬り捨てられるかも知れない。

 足軽頭程度なら、履いて捨てる程代わりが居るのだから。

「野郎ッ!」

 しかし簡単に討ち取れて然るべき相手から思わぬ反撃を受け、異常な怒りに包まれてしまった足軽達に

その言葉が届くはずも無く。五が駄目なら十とばかりに、掛け声を上げて一斉に義風に襲いかかった。

「つああああッ!!」

 だが血が上った剣などが義風に通じるはずが無い。彼は広々とした空間を使ってひらりひらりと避け、

確実に指や手首を狙って斬り付けた。多人数相手では命を奪うような深い一撃を出す暇は無い。それより

も足や手を狙って無力化させる方が遥かに良い。

 一人しかいないのだから、気を呑まれればそれまで。決して退いてはならず、常に威圧し圧倒し続けな

ければならない。その為にも確実さこそが肝要である。

 それに幸いにも義風は偉丈夫。威圧と言う点では生まれながらに備わったものがあった。

「囲め囲め!!」

 しかし義風に迫る人数も増え、次第に包囲も完成しつつある今、その状況も悪化の一途を辿る。何事に

も限界があり、人間の持つ力で無限に続くモノは何一つ存在しない。疲労も溜まる。

 義風はとうとう兵達に四方八方囲まれてしまい、如何ともし難い事態になってしまった。

 この囲みから颯爽と抜け出せるような技術があれば良いのだが、流石にそんな都合の良い技術は持ち合

わせていない。初めから奥の手も切り札も持っていないのだ。

「くッ、ここまでか。・・・口惜しや」

 義風はじりじりと狭まる囲みの前に、ただ己の死を待つ以外に無かった。 




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