2-1.虚念


 道を歩く足取りは軽くない。

 目的が目的だけに彼の持つ雰囲気も陰気極まりないものである。

 義風は円乃の居城へと、街道を只管に歩いていた。円乃春匡居城までの道は遠い。そして警備も厳重で

ある。今はまだ遠いから良いが、これからは関所なども増えて行くだろう。

 彼は良くいる旅武士と言った姿をとっており、別段怪しまれる事は無かったが。旅する上で大事な通行

手形と言う物を持っていない為、関所の通行は困難であった。と言うよりも、不可能に近い。

 何か考えがある訳でも無く、義風はぼんやりと歩いている。

 修羅の腕発現からすでに数日、その噂もちらほらと人の声に上がっていた。その内、円乃領内どころか、

近辺の諸国までその噂で持ち切りになるだろう。それだけの事を義風はした。

 何時の時代も、噂の伝達速度と言うのは驚く程早い。

 旅商人等を媒介として、際限無く広がって行く。

 勿論、義風の事、修羅の腕の事、そう言った事は伝えられてはいまい。あの場には義風が去った後、無

残に切り裂かれた死体しか残って無かった。村の近くであるが、事が事だけに村人達が外に出る事は無い。

野次馬気分など出せば、すぐに命を失ってしまう事を知っているからである。

 皆家の中で縮こまっていた事だろう。円乃兵達の無残な死体が発見されたのも、義風が自分を取り戻し、

慌ててその場を去った数刻後の事であった。

 あまりにも静かなので、ようやく安心して物取りに来た者辺りが発見したのだろう。

 それはそれで良い。

 別に人の噂を止める気も、止める意味も、義風には無かった。

 例えそれで円乃の警戒心が高まり、関所の通行がより困難になったとして。どの道通る事が不可能に近

いのであるから、大した違いでは無い。それにやってしまった事は今更どうしようも無いのだ。

 どうでも良い。

 それが今の義風の心を一言で表現しているだろうか。

 何故か酷い虚しさを彼は味わっているのである。後は無くした右腕を這う、奇妙な熱さしか無い。彼の

心は空虚になっていた。未だ混乱しているのかも知れない。

「さて、どうするべきか・・・」

 当然のように彼に当ては無い。

 そして復讐を諦めた訳でも無い。

 今となれば、それのみがただ一つの生存目的となっている以上、最早鬼と成ってしまった以上、他に選

択肢がある訳が無かった。

 それに円乃が憎い事も変ってはいない。

 つまりは進まなければならないのだが、その方法が見付からないのである。

 父の実家を頼ると言う手も考えてみたが、彼は肝心のその家名すら知らなかったし(父が一言も口にし

なかった為)。もし知っていても、父が流れて着た以上、おそらく何かしらの事があったと思って良く、

協力などはしてくれなかっただろう。

 どころか、逆に狙われたかも知れない。父が何をしたのかは、或いは何に巻き込まれたのかは知らない

が。それでもあんな場所に流されるとなれば、それはよほどの事。流刑などはこの時代、死にも等しい刑

と考えれば、どの程度深刻だったのかは容易く察せられる。

「ともかく宿を探すか」

 幸い、円乃兵から金を抜き取って来たおかげで、多少の持ち合わせはあった。

 足軽とは言え、数人、数十人分ともなればそこそこの額にはなる。五体がばらばらの死体から抜き取る

のは、あまり良い気分では無かったが、義風は不思議とそう言う所があった。例えどんな事態に陥っても、

ちゃっかりしていると言うか、しぶといと言うのか。

 これも貧しさ故の逞しさと言えるのかも知れない。

 或いは自らを戒める為、蔑む為にそうしたのか。今の自分は強盗夜盗にも等しい存在なのだと。

 ともかく義風は街道沿いの宿場町へと向った。

 人が集まる場所に行けば、何かしらの方策も見付かるかも知れない。何をするにも必要なのは情報であ

ろう。 


 宿場町は魚住(うおずみ)と言った。とは言え、海に近い訳でも川魚漁が盛んな訳でも無い。

 昔からこの辺りは海より遠く、魚と言うものが手に入り難かった。しかし代わりに塩漬魚など保存の効

く魚の往来は盛んで、行商人は大抵この宿場町に泊まる。

 自然、物売りも盛んで、値も競争の為か多少は安くなり。遠くからもわざわざこの街まで買いに来るく

らいであったと言う。

 そう言う場所で、魚屋が大抵は居るから、魚住などと言われるようになったのだろう。

 今も街道沿いには威勢の良い掛け声が盛んで、人通りも多く。それは田舎育ちの義風が、人と言う者は

これほど居るのかと度肝を抜かれるくらいの光景であった。

 何と言う活気の良さだろう。

 これが義風の集落からそう遠くない場所だとは、円乃領でも最南東端の町だとは・・・。中心街となる

と、一体どれほどのモノになると言うのだろう。

 そしてこれ程の人出を捌く関所であれば、一体どれ程厳しい警備をしているのか。

「やはり強引に行くしか無いか・・・」

 義風は諦めにも似た気持が過るのを抑えられない。

 だが良く良く考えてみれば、人出が多いからこそ身も隠し易い。それにそれだけの人数を捌くとなれば、

関所兵の疲労も多かろう。警備の人数が多いと言うのも、逆に言えば人が多ければ色々な人種が居ると言

う事になる。

 褒められた手段では無いが、賄賂等と言った事も容易になるのではないか。

「最早潔白さなどに拘っていられぬ。鬼である以上、下らぬ事に囚われる事無く、ただ目的の為に専念す

べきだ」

 義風はそう言う風に心を決したい。

 目的以外の事に拘るのは人間だけだろう。

 見せかけだけの正義感や高潔さなどは、本来余計なモノであるに違いない。

 純粋に目的だけを追う事が、本来の生物としての姿である。人の心のなんと不便な事か。人間が弱くな

ったのは、おそらくその点があるからに違いない。

 人の弱さを排除して行けば、鬼の心を身に付ければ、自ずと最短の道が現れてくるものなのだ。

 しかしそんなふうに一々理由付けて行く事こそ、義風の言う弱さ、人の心と言うモノである事を、彼自

身は気付いていない。

 何と言う皮肉な事だろうか。

 それを嫌うも好むも、所詮はそれに囚われていると言う事に違いは無いだろうに。

 とにかく義風は思案する。

「蛇の道は蛇と言う、行商の者に聞くのが早かろうが・・」

 蛇の道は蛇。蛇の道は蛇に聞け。つまりはそれを行うには、それをやっている者に聞くのが一番だと言

う事である。

 しかしそんな手段を初対面の男なんぞに教えてくれるものだろうか。

 いや、とても教えてはくれまい。それどころか、無用な噂を立てないでくれと、えらい剣幕で追い返さ

れるか。下手をすると営業妨害だと訴えられ、面倒に巻き込まれる可能性もある。

「いざとなれば、やはり力尽くで行くしかあるまい」

 だが結局は無理矢理聞き出すしかないのだろう。

 どの道実力行使に出るのであれば、初めから力尽くで関所破りをすれば早い。しかしまだ彼の心には無

数の躊躇いがあるようだ。

 最短の道と言うのであれば、あの修羅の腕を使い、目の前にある物を全て薙ぎ倒して進めば良い。

 元々隠密行動をする気持も無い以上、こんな面倒な手段を講じる事こそ滑稽極まりないと思える。

 それでも人間の性格と言う者は、どうにも消し難いものであるらしい。ようするに、義風は頑固なのだ

ろう。未だ無数の事に拘っている。

 いや、物事に拘り過ぎると言うのは、ひょっとすれば臆病、小心者と言う事なのかも知れない。

 己の身が可愛いのだろう。   




BACKEXITNEXT