2-2.今昔の雄


 行商人、いや商人と言うのは元来ただものでは無いのかも知れない。

 その辺の武士や夜盗の類などよりも遥かにしたたかで万事に通じ、驚くほどに多数の情報を握っている

ものである。

 商売でも何でも情報と言うものが重要であり、それを握っている商人と言う者以上に、世の中と言うも

のを知り尽くしている存在も無いかも知れない。

 彼らは情勢に聡く、中には時に何者よりも強大な力を手にする者すら居る。金さえあれば、或いは誇り

高い武士すら平伏させる事も出来るのだろう。

 商人など身分から言えば塵芥にも等しい存在であるが、その権勢は生半なモノでは無く、それ以上に油

断ならぬ者達である。

 義風は迷っていた。

 商人の信頼を得る事は難しい。例え親類縁者であっても、いや親類縁者だからこそ敵になる事も常であ

り、内部での勢力争いも武家を凌ぐ事すらあると言う。

 最も、それは名の在る商家の事であり、一介の行商人風情には無縁の話であるだろうが。何しろ彼らは

用心深い。

 何も寄る辺が無いからこそ、その手腕だけで生きているからこそ、一介の商人から信頼を得るのは余計

に困難であった。

 力技も止むを得ないとは言え、流石に白中堂々と大勢の見る前でそんな事をやる訳にもいかない。

 義風は小さな集落の出であるが、それでもやはり育ちの良さは否めない。決意しても決意しても、何処

か踏み切れないのは、彼が幼少の頃より植え付けられた道徳心によるのだろう。

 それに商人や職人は横の繋がりも強い。

 確かにお互いがお互い競争相手であり、普段は協力などはお世辞にもする事は無いが。共通の敵、よう

するにお互いの利害が一致、又は自分に直接利害が及ばない部分では、その団結力は侮り難い。

 下手に手を出せば、義風の存在が全国に一気に知れ渡り、彼の目的などに大きな障害となるだろう。彼

らの伝達速度は脅威にすら思える程に速い。

 それにもし鬼の力を持っているとでも知られようものならば、義風にありとあらゆる人災が降りかかる

事になるだろう。抜きん出た力を持つ、それだけである意味罪になるのが人の世と言うものだからだ。

 だが躊躇している訳にもいかない。

 下手に嗅ぎ回って居るのが知れれば、不自然に滞在時間が長引けば、誰でも不審に思う。

 商人と役人の繋がりが強い事を考えれば、義風にとって良い事は起こるまい。

「さて、如何すべきか・・・」

 あまりにも漠然としている為に、聡明な義風でさえ、上手く方法がまとまらない。

 取り合えず宿を取り、賑やかな場所を聞いてみたが、それからどうしたものか、まるで検討が付かない

のである。

 何よりも面倒な事に、行商人の中には間者、忍の類が多い。

 行商人、山伏と言った存在は国々を行き来するのに格好の存在。であるが為に、それを装う者達も後を

絶たない。元々関所などを作るのは、通行料などを取るのもあるが、間者や忍を入れないが為なのだ。

 今は惰性で作るだけの、賄賂を得るためだけの、有害な物に成り果ててしまっているが。それでもその

堅固さは変らない。関所越えは訳ありの者にとって、命に関わる場所である。

 素性が怪しいから、賄賂だけ受け取って、その上で殺すなどと言う事もあるようだ。関所の役人も馬鹿

では無い。賄賂で通した事が知れれば、その命は無いのだから、よほど信用させなければ後ろから斬り捨

てられる事もあるに違いない。

 単純に金さえ払えば通す、と言うのであれば、義風もこうも悩んだりはしないだろう。

 しかも円乃は昨今勃興した成り上がりである。兵士の気持にも未だ鮮度があり、よほど食えない所があ

ると考えられる。油断すれば寝首をかかれるのが成り上がりと言うモノ。一人一人、お互いがお互いに猜

疑しあい、蹴り落すべく常に睨み合っているのだから、泰平呆けし先祖の名だけを売りにしている多くの

貴族とは、兵卒に至るまでの意識が違うのだ。

 その分利用し易いとも言えるが、商人と同じく共通の敵者に対しては、おぞましい程の結束力を示すと

考えられる。

 ようするに商人、役人共に容易く騙せる相手では無いと言う事だ。

 どちらか一方だけがそうならまだ楽なのだが、二段構えとなると、流石に如何ともし難い。

「どうやら、私も甘かったな・・・」

 義風は吹けば飛ぶような集落に生まれ、幼い頃から貴族の子弟とは思えない程の苦労をし、それなりに

世の中の事を知って居たつもりであり。また父の苦心を見て育ったから、多少は世間に長けていたつもり

であった。

 しかし所詮田舎人とは哀しいものだ。人の扱い方、取り入り方、そう言った対人関係において、どうし

ても愚鈍になってしまう。

 義風から見れば、役人や商人などは狐狸の類に見え。彼らから義風を見れば、まるで赤子を扱うような

ものなのだろう。 


 考えながら歩いていると、ふと目が合った。

 一人の商人である。道端にござを敷き、魚の塩漬けや日用品を売っている。

 特に専門の商品がある訳では無く、何でも扱う男なのだろう。旅の者や国から派遣される使者などなど、

人の往来が激しいだけに、日用品などの細々した物も需要が多い。

 塩漬け等食料品なら割と多く店があるから、そう言った大手の店に負けぬよう、何でも揃う便利さを宣

伝材料にする為にやっているのだろう。

 それはこれだけの品を扱える分、様々な場所に繋がりがあると言う事でもある。

 見知った顔では無い。義風の集落にも年に数度、ふと思い出したかのように行商人が訪れる事もあった

が、一度も会った事の無い顔であった。

 行商人などは珍しいから、一度見れば忘れるはずが無い。

 かと言って客引きや単に眺めていると言う風情でもなさそうだ。何かしらその視線に拘るモノを感じた。

例えて言うなら、見付けたぞ、そう言った目をしている。

 義風は近付き、草鞋(わらじ)を一足買ってやった。余計な事は聞かない。無粋だからと言うよりは、

こういう時に余計な手を出すと、必ず後悔する破目になる事を知っているからである。

 人であれ、物であれ、何も知らないモノに迂闊に手を出すものではない。

 商人は愛想良くもう一足おまけしてくれ、笑顔で金を受け取った。すでに先ほどの視線は無く、どこに

でも居る商売人の顔になっていた。

 義風が先程のは錯覚だったのではないか。そう思える程に良い笑顔である。

 しかし商人を後にすると、またしても背中に何とも言えないモノが走るのを感じた。振り返りはしなか

ったが検討は付いている。そしてこうも解り易くしてくると言う事は、脅しとも思えるし、単純にこちら

に胡散臭いモノを感じているのか、何にしてもあまり好意的だとは思えない。

 理由まで検討が付かないが、どうやら何かしら面倒事に巻き込まれたようだ。

 目を付けられたならば、余計な動きを見せない方が賢明だろう。義風はそのまま宿へと足を返した。


 宿に戻ると与えられた部屋に入り、草鞋の具合を確かめながらぼーっと天上を見上げる。

 幸い一人部屋が空いていたので、人目を気にする事も無い。

 そう言う風にして、何度も何度も考えたのだが、やはり解らない。恨みを買った覚えも無ければ、あの

顔に見覚えも無かった。

 確かにもう何人もの人を手にかけているが、現場を誰かに見られるとも思えない。

 勿論、絶対に大丈夫かと言われれば、それは疑問なのだが・・・。

「しかし、これは逆に考えれば好機なのではないか」

 ふとそんな事を思い付く。

 善悪解らないまでも、行商人と接点を持てたのだ。説き伏せ、買収出来れば良し。出来なくても殺して

関所手形などを奪ってしまえば良い。

 あちらから襲いかかって来るのなら、例え殺そうと何をしようと、上手くやれば義風が疑われる事も無 いだろう。

 勿論、相手が自分を名指しで接触して来なければ、の話ではある。

 もし宿の者に取次ぎを頼みでもされれば、相手との接点が出来てしまう。それでは簡単に殺せまい。

 何の関係も無いからこそ、後始末を深く考えずに済むのである。死体を解らぬように捨ててしまえばそ

れで済む。

 相手も同じように思うだろう。寝込みを襲うか、呼び出して辻斬りでも装うのか。何にしても証拠を残

さない方法ならばいくらでもある。死人に口無しと言うやつである。

「となれば今夜か明日辺りに来るか。なるべく早い方が良いが」

 あまり長逗留すると不審に思われる。どうせ襲われるならば、早い方がありがたい。

 しかしその心配は要らなかった。さほど待つまでも無く、あちらから来たのである。しかも意外にも名

指しであった。義風は勿論偽名を使っているが、すでにある程度は調べられているのだろう。

 果たして何者なのだろうか。  

 とにかく宿の者に部屋に呼ぶように頼んだ。こうなれば腹を括るしかない。




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