2-10.想い染めしか


 義風が宿に戻ると、部屋には梓葉の姿があった。

「義風様、あまり出歩かないようにお願い致します。皆心配します」

 出会い頭に言われ、思わずたじろいでしまう、義風。

 どうも彼にはまだまだ女に弱い部分がある。いや、畏れていると言い換えても良いかもしれない。それ

は以前彼が婚礼の儀に騙し討ちにあった事と、まったく無縁では無いと思われる。

 それに同じ人間でありながら、根本的に男とは違う女と言う存在に、素直な意味での恐怖を覚えている

事もまた、違いない事実なのだろう。それは生物が生まれ落ちた時から自然に持つ、違う、と言う事に対

する恐怖である。

 ようするに身体は変っても、心はまだ悟朗丸から抜けきれていない。

「すまぬ」

 二度程息を深く吸い、それからそう応え、静かに座った。悟朗丸のままとは言え、自分を取り戻す事く

らいは出来るようになっている。

「何処へ行かれて居たのですか。こんな遅くまで」

「それが・・・・」

 梓葉に今日あった事を全て話した。そうする事で再び悲しみと悔しさに包まれる事になったが、話す事

で癒された心もある。語る相手が居ると言うのは、なんと良いものなのだろう。

 これは弱さだろうか。しかしこのような弱さも大事ではないのだろうか。

 いや、自らを正当化するのは武士たる者のする事ではない。

 義風は浮かべた想いを振り払う。

「と言う事があった。一人と言うものの、限界を知らされた一日であったよ」

「・・・・・・」

 ふと気付くと、何やら梓葉が押し黙っている。一体いつからだったのだろうか。目の前の人間の変化す

ら気付けぬ程度では、確かに義風はまだまだ未熟である。

「どうかしたのか」

「・・・・・ええ。その店主、おそらく私共の後ろ盾となってくれていた方の一人ですわ」

「なんと」

 それでは彼が捕らえられたのは、他ならぬ自分のせいではないか。

 確かに直接関わりあってはいないものの、確実に今、彼の恩恵を受けて義風はここに居る。こうして気

を休めて居られるのは、彼のおかげ以外の何物でもない。

 どれだけ店主が力を尽くしてくれていたのか、それは梓葉の表情から読み取れる。

 しかしそれならば、我々も早くここを立たねばならない。我らが捕まれば、それこそ彼の想いに対して、

泥を塗る事になるからだ。

 死ぬ事でさえも、何かを成す為にある。それが武士と言う者。

「ならば、すぐに立つか」

 だがそうして立ち上がる義風を、梓葉がそっと押し止める。

「いえ、私共にも抜かりはございません。すでに手を打っております。ご安心なさって」

「そうか・・・」

 考えてみれば、火急の事態に陥っているのなら、すでに彼女達は行動を起しているはずで。こうしてゆ

るゆると話して居る暇などは無い。

 梓葉がゆるりと待って居る事を考えると、今はまだ腰を落ち着ける時間。動けば逆に邪推されると言う

事なのだろう。あくまでも当たり前の旅人を装わなければならない。

「しかし悔まれてならぬ・・・」

 すると梓葉が言う。

「義風様。貴方と私は、あの店主のような者達によってこうして此処まで来、これからも円乃領を進む事

が出来るのです。私達は彼らの意志を受け、彼らと共に進んでいるのです。これだけはお忘れなされませ

ぬよう、お願い致します」

 そして彼女は平伏する。

「・・・・・解った」

 義風は溜息をついた。

 彼女に他意はあるまい。ただ、彼らの無念を汲んで、せめて忘れぬようにしてあげてくれと、そう言う

事だろう。義風を追い立てる訳では無く、せめて犠牲になった者達の名を残してあげたいと、そう言う意

味以外に何も無い。

 しかし例えそうでも、義風にも思う所は在る。彼が今日のように自侭(じまま)に動くような余裕など、

本当は何処にも無かったのだ。彼は復讐心に慣れ、弛んでいた自分を、心の底から恥じたのだった。 


 一夜明け、義風達は出立した。町を出、関所を越え、ひたすらに進む。

 最早後を振り返る事は止め、無数の人間の想いを抱きながら、彼らは進み続ける。

 道中、さほどの問題は起こらなかったが。進む度に匂いが立つ程濃くなる人の闇に、義風は半ば呆れつ

つあった。そしてそれ以上に、円乃への耐え切れぬ怒りを膨らます。

 新興勢力と言うモノは、どれだけの闇を生み出しながら成り立って居るのか。ある勢力が立つ時、どれ

だけのモノを踏み落として行くのか。それをまざまざと見せられる思いである。

 義風は一喜一憂しつつも、まるでその闇を喰らい糧とするかのように、良くも悪くも成熟していった。

 そして思う。鬼とはこうして闇を喰らう者なのではないか、と。

 鬼が闇を生み出すのでは無く。人の言う闇は、やはり人のみが生み出し。魔物や鬼と言う存在は、人か

ら見れば逸れ者でしかなく、人と外れた存在であるからには、人と交わる事は無い。

 それが現れるのは、ただただ人の生み出す闇に魅かれ、彼らこそが誘い出されて来るのではないか。闇

の生き物であれば、さぞや人の闇も心地よかろう。人が陽光をこがれるのと同じである。

 鬼が鬼である以上、人の闇を作れる訳が無い。鬼に作れるとすれば、鬼の闇のみ。

 それは人間にとって大自然の生み出す闇と同じ。まったく別の、相容れぬ存在であるからには、せいぜ

い暗いだの明るいだのと騒ぐ程度なのだろう。

 そこには人間が感じる、人間だけが持つ生の感情も、どろどろとした陰鬱さも無い。暮れては明け、明

けては暮れる。それだけがあるのみである。

 人外の存在であるからには、人の心に直接関わりあう事は出来ないのではないか。

 そこには人はなく、ただ自然があるのみ。想いではなく、ただ思いがあるのみ。

 だとすれば、人の言う悪鬼羅刹とは、所詮人でしかないのではないだろうか。

 真の鬼はそれを喰らうのみ。鬼に人の想いなどあるはずがなく、人の感情などはただの物体でしかない。

 人は人でしか感じられず。鬼は鬼でしか感じられない。鬼もまた、人から見れば自然の一つであって、

人ではない。お互いに命を持ちながら、心を持ちながら解りあえない。いや解りあう必要すら無い。

 だとすれば人と関わる自分はなんであろう。義風は想う。それは自分が人間であった時から持つ、円乃

への復讐と言う心があるからではないか。人への復讐、それは彼が人である証。とすれば、義風は今も人

であるのか。

 鬼の力に人の心、一体自分はどちらなのだ。それともどちらでもないのだろうか。

 この世にうまれてきた意味、店主のその一言が再び彼を悩ませる。

 鬼であり人である。そんな自分の居場所は何処だ。

 この冷え切った鬼の心。それもまた人の心であり、鬼と思うたのは錯覚であるのか。

「これが祝福か、あの荒神の言う、禍々しき祝福なのか」

 義風は成長している。だが成長する度に、人と触れ合う度に、怖ろしいほどの飢餓感と危機感を覚える。

自分で自分を否定し続けるかのような、そのような想いに支配され、肥大し続けている。

 苦しい。

 人に感動もし、人に憎しみも抱く。

 しかしそれがどうなろう。自分はすでに鬼なのだ。そのような人の想いがなんだと言うのか。

 鬼は鬼の道を行くしかなく。人は人の道を行くしかない。それが自然の摂理。決して交わらぬからこそ、

普段は見えず、お互いに干渉されない。

 ふとした弾みで出会う事はあっても、それは一時の話。

 例えば神と当たり前に出会う事が出来ないのも、行く道が通常は交わる事が無いからだろう。

 しかし義風は交わった。しかも神と鬼と交わった。おぞましい修羅と一体になりもした。

 鬼と神と修羅と人。一体自分は何処に在るのだろう。

 怖ろしい、おぞましい。あの荒神は今、こんな自分を見て哂っているのだろうか。

 だが進まねばならない。一族郎党の仇、それを討たねばならない。今の義風にはそれしかなく、それ以

外に思い付く事など無かった。他に望みも無く、最早引き返せない。

 ならばその一つだけの想いに、すがり付いて進むしかないのではないだろうか。

 あの店主が武士の座を奪われても、それでも最後まで、いや最後だからこそ、武士としての自分に拘っ

たように。

 義風、そう名乗り続ける限り、自分はおそらく人なのだろうと、そう信じながら。

 どちらにせよ、目指す地は近い。

                       

                                     二章 了




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