3-1.松冴


 義風(ヨシカゼ)はついに円乃本拠地である、松冴(マツザエ)にまで辿り着いた。

 この間、苦難はあったものの、順調と言えば順調に日々は過ぎた。敵本拠地に近い事を考えれば、さほ

ど事件を起さず、誰に疑われる事無く来れたと言うのは、まずまず順当と言えるだろう。

 流石は本拠地松冴、他の町とは桁違いというべきか、途方も無い賑わいで、正に波に乗った新興勢力と

言った感がある。

 この町で円乃に逆らう者など無く、円乃は未来永劫に磐石(ばんじゃく)だとすら思える。

 町名に相応しく、松で彩られた林の中に、昂然と佇む松冴城。そのまま人に例えるなら、正に王者の貫

禄、覇王の威すら感じさせられた。美しく、そして気高い。

 町を闊歩(かっぽ)する兵達も息高々としており、逆らうものなしと言った風情。

 何しろ義風の村が滅んでから後も、円乃は順調に領土を広げ、今ではもうほぼこの一国を掌握するまで

になっており。どこぞの大武家とも同盟を結んだらしく、凶事を知らず、益々武威盛んで、衰える所を知

らない。

 そして後ろ盾が出来た事で、いよいよ国内統一を狙う準備も整った。今では円乃が一国を統べる時は、

そう遠くないとまで噂されている。

 だがそれは逆に義風のような者にとっては、天機の到来であるとも言えよう。

 何故ならば、領土を広げれば広げる程、その分兵力を派遣せねばならず。自然、中央が手薄になってく

るからである。

 中央になればなるほど支配力が強く、近隣に敵勢力が居ないから、自ずと大兵力を抱えておく必要が無

くなる。つまり磐石の証明なのだが、それが義風のような者にとっては幸いに働く。

 それに案外、戦地から離れ、緊張感が薄れた事によって、中心地に住まう人々の心に小さな穴が開き易

くなるものだ。軍勢で攻めるのは無理だが、少数で潜入するのは難しくない。

 とは言え、流石に城に侵入するのは困難極まりない。円乃も馬鹿ではないから、暗殺を警戒し、無数の

忍びも放っているはず。町中に入るのは容易でも、城に一歩入るのですら難しい。

 義風はいつも通り宿を取り、梓葉(アズハ)を介して間諜(かんちょう)達と連絡を交わし、進入経路

とその手段などを謀っていた。

 ただ常に宿に居ては疑われるので、義風自身もふらりと出かけていたりする。しかしその場合もその日

の予定を梓葉に話し、きっちりその予定を守っていた。以前行ったような自侭な行動は一切していない。

その時の事でそうとう悔い、反省もしたようだ。

 こうして数日が過ぎたのだが。しかしなかなか色よい報告はもたらされなかった。

 流石は本拠地、間諜達も色んな伝手(つて)を頼り、考え付く限りの手段を講じているのだろうが。ど

うにも突破口が見付からないらしい。

 この地にも円乃に滅ぼされた武家の遺臣などが居るには居るが、ほとんどは閉職に回され、有能な者は

全て前線へと送られている。

 ようするに力ある仲間が居ないのである。幸い寝場所と食事には困らないが、それだけの事で、とても

の事暗殺など為す機会はない。

 時間だけが過ぎ、すぐ目の前に仇が居る事もあって、義風は次第に焦りを覚え始めた。

 今となっては仇討ちがただ一つの目的である。それ以外に興味は無く、それ以外の事は考える事も出来

ない。心は冷えきり、復讐心一つだけが何かにすがるかのように燃え続けている。

 それ故か、父や爺、村の者達が夢に出て、早く仇を、早く仇の首をと、急かす事も多くなってきた。所

詮夢だと言われても、義風当人にはあの世から皆が呼びかけているとしか思えない。早く憎き春匡(ハル

マサ)、春宗(ハルムネ)の首を我らが前に供え、我らの魂を救ってくれ。そう言っているようにしか考

えられないのだ。

「最早猶予ならん」

 気のせいか義風の目も、なにやら妖気を帯び、黒々と濃くなっているように思える。

 現実にも、このまま延々とこの宿に居ては疑われてしまうだろう。何か所用あって来たならまだしも、

義風の普段の行動を見るに、おそらく観光か円乃家に仕官しに来たとしか思われまい。

 そうであるのに、いつまでもここでぐずぐずしていては、あまり良い風には思われまい。特にこの松冴

には民衆の端々にまできつく警戒を呼びかけているはず。そしてここまでこの町が繁栄しているからには、

民衆の忠誠心も高かろう。

 と、そこまで悩んだ所で、ふと思いつく事があった。

「む、そうか、仕官。・・・・仕官か」

 膨れ上がった円乃は、常時人材を広く求めている。それを逆に利用する事が出来れば、或いは春匡や春

宗に一挙に近付けられないだろうか。

「梓葉に相談してみるか」

 義風は酒を頼むと、今日は何処にも出ず、宿で梓葉の帰りを待ったのだった。


「仕官ですか、ですがそれは・・・・」

 梓葉は難色を示す。

「確かに簡単にはいくまい。だが、私を推挙するくらいならば、この町に居る同胞でも出来るのではない

だろうか」

「確かにそうですが、義風様は少しばかりお顔を知られております。それに春匡達に会えるような、高官

へ推挙させる事は、おそらく不可能でしょう」

「しかし、例えどういったものであれ、円乃へ近づける事は事実。それにいつまでもここに長逗留してい

ては、宿の者にも不審に思われよう。それに私の顔を知る兵は少なく、見ても他人の空似と思うはずだ。

私の集落を滅ぼし、父達を手にかけた春宗さえ、おそらく私が生きているなどとは信じまい」

「・・・・・・・」

 常に無く食い下がる義風に、そして自身達も未だ当てが見付からないのだろう。ともかくこのままでは

不味い事も確かであるし、梓葉は最後には折れ、渋々承諾すると、頭の下へと相談に出かけて行った。

 おそらく彼らにも焦りがあったのだろう。義風と同じく、間諜達にとっても、ここは祖国、そして同胞

の仇の地なのである。円乃の当主を前に、とても平静ではいられまい。

 結果として、頭もその意を受け入れ。どうなるかは解らないものの、とにかく伝手を頼り、義風を円乃

家へと推挙させる事にしたのだった。


 一夜明け、義風は松冴城へと向った。

 懐には推薦状がある。これがある限り、少なくとも無下に扱われる事は無いだろう。番兵でも何でも良

かった、とにかく城内へ一歩でも踏み入れられれば、それだけで可能性は広がる。

 義風ならば、春匡の寝所だけでも解れば、暗殺を行なえるかもしれない。情報が欲しい。

 人から考えれば無限の能力を持つ義風とは言え、無闇に動いては流石に察知され、春匡や円乃一族に逃

げられてしまう。逃げられてしまえば、もう何処へ行ったのか解らなくなる。円乃一族を察知出来るよう

な、都合の良い力は持ち合わせていない。

 義風にあるのは暴力的なまでな力と、高い身体能力だけである。

 松冴に来るまでは安楽に考えて居たのだが、実際に遠目に見ると、城は予想以上に堅固であり。義風の

ような建築のいろはも知らないような、それどころか初めて城を見るような田舎者では、何も知らずに忍

び込めるような物では無い事が、はっきりしてきた。

 以前に商家に忍び込み、それで修練としようと考えた事があるが。それもまったくの無駄であった。城

と言うモノは、家などとはまったく違うもの。一見して自らの甘い考えを恥じる事となった。

 城に潜入するには、それ専門の技術が要る。水堀や石垣など特殊な構造物ばかりであり。しかも城自体

も一つだけではなく、二の丸、三の丸といくつもある。その何処に誰が居るのか、またどう行けばそこま

で行けるのか。見当も付かない。

 城と言う物に関して真っ白な知識しかもたない義風では、とてもとても進入出来るものでは無かった。

 間諜達も城に関しては義風と大差ないようで、どうにも城内の様子が解らなければ、計画を練りようが

無いと言う。

 勿論彼らもここへ到着するまでから色んな手を打ち、手段を講じて来たのだが、それ以上に松冴城は堅

かったと言う事だ。

「しかし城内へ入れるなら、何とか出来るはずだ」

 とにもかくにも情報であった。情報さえ掴めば、後は何とでもなる。

 こうして義風は一心に期待し、門番に推薦状を渡したのだが。長らく待たされた挙句、ようやく手にし

た職務と言えば、町内の見回りと言う義風にとってまったく用を為さない職であった。

 話によると、如何に推薦状があるとは言え、信用の無い者は一人として城内には踏み入れられないらし

い。敵以上に味方を警戒する。これも円乃が勃興出来た理由の一つかも知れない。

 義風の望みは、無残に崩れ去った。

 しかし収穫が無かった訳ではない。見回りを地道にやっていれば、いずれ取り立てられる事もあるかも

知れないし。それにこれで松冴に滞在出来る理由が出来た。

 推薦状にもそれなりの効果はあり、円乃から貧乏長屋とは言え、住居の提供があった事は、正直ありが

たい事である。

 焦りは募るが、暫くは待つしかない。円乃の為に働くと言う屈辱に、毎夜悔し涙を流しながら。




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