3-2.屈辱


 幾日も幾晩も義風は地道に見回りの職務を果し、昼夜良く働いた。

 彼がこの程度の仕事で、身体的疲労を感じるはずも無く。同僚達が驚くほどに真面目に働いていた(周

りの人間からはそう見えた)。

 そのくせ他の人間と交わろうとせず、義風は多少煙たがられている風もあったのだが。真面目さと一種

威厳のある風貌と品のある仕草のおかげで、他の同僚に下に見られたり馬鹿にされる事はなく。逆にどこ

か畏れられているようにすら思えた。

 凡庸な人間でも、やはり義風には常人に無い空気を感じるらしい。この者に近付いては、逆らっては危

険であると、本能でそれが解るのだろう。

 だがそんな同僚の視線を気にする事もなく、義風は少しばかり気が腐っていくのを感じている。

 平凡な仕事、平凡な暮らし、苦も無く楽も無く、ただ見回るだけの日々。まだ数日しか経っていないと

はいえ、どうしても気が滅入ってくる。単に生きる為に生きるのであれば、乱世の今これほど幸せな境遇

は他にないのだろうが。何せ義風には目的がある。

 目的がある以上、それに近付けず、ただ足踏みをしているだけの日々が、一体どれだけ辛い事か。

 しかも仇である円乃の為に働き続けねばならないのだ。ともすれば情けなくて涙がこぼれそうになる。

 鬼となってまで、現世に戻ってきたのは何だったのだろうか。こんな所でこんなことをする為に、自分

は荒神などと言う忌むべき存在と契約を交わしてまで、現世に未練たらしく戻って来たのだろうか。

「ふぅ・・・・・」

 溜息の回数も増えた。

 自分で解るだけに、それがまた情けない。溜息などは武士が、男がするものではなかろう。

「交代の時間じゃ」

 年長の男が立ち上がる。

 見回りのまとめ役のような男で、皆は単に長(おさ)と呼んでいる。語感は立派だが、しがない最下級

の役職に過ぎない。元々見回り程度は兵とすら見られていないものだ。

 戦にも出ず、ただただ飯を食い歩き回るだけの気楽な商売。世間一般にはそう思われ、ともすれば子供

からも侮蔑される存在である。

 この長もおそらくどこぞの遺臣か何かで、他に使い道が無いから、こんな所でつまらない仕事を与えら

れているのだろう。大体が、円乃の本拠となるこの松冴で、大した事件が起きる訳が無い。

 例え起きたとしても、城内に居る円乃血族には痛くも痒くもあるまい。町で何が起きようと、城内はし

っかりと兵で守られている。町民がどうなろうと、血族以外の誰が死のうが生きようが、彼らにはまった

く興味のない話だ。 

「やれやれ、今夜も冷えるわい」

 凍りつくような冷たさではないが、夜風は老体には堪えるようで。長は掌を擦り合わせながら、大仰に

立ち上がり、緩慢な動作で具足を身に付け、槍を手にし、一隊を引き連れて見回りに出発して行く。

 義風は一人それを見送った。

 彼は早出の隊が全員戻るまでこの番所を預かる役目である。たまに一人で見回ったりもする。彼のよう

などこか浮いている人間は、他の者と一纏めにすると摩擦を起し易いので、長が気にしてそう言う役目を

与えたのだろう。

 割と自由に時間を使えるが、代わりに何か問題でも起こせば単独の命令無視の上の失態とでもされ、一

人の責任にされてしまう。態の良い厄介払いのような役目かもしれない。いや、役目と言う程の仕事では

なく、実際に厄介払いされていると思える。

 大体が、一人で勝手に出来るような役職を、まともに機能している組織が作るはずが無かった。おそら

く長の独断で創った職務であり、円乃家には算盤片手の留守居役とでもされているのかもしれない。

 ずっと番所に居るはずだから、外で何かあれば命令無視であり。もし手柄を立てたとしても、番所に常

時居るからには手柄など立てられる訳も無く、全ては長と他の番兵達の功にされるだろう。

 惨い仕打ちであるが、義風にはそんな事はどうでも良かった。ただただ鬱々とする気を持て余し、運が

向く時を願う日々。仕事以外にやる事と言えば、刀の手入れと飯を食べる事だけ。

 溜息を数えることにも、もう飽きていた。

 今日も何事もなく終わろうとしている。


 交代の引継ぎを終え、義風は一人外へ出た。

 すでに日はとっぷりと暮れ、闇夜の中に人気は無い。この時間ではおそらく蕎麦屋の屋台か、娼館くら

いしか行く所は無いだろう。

 犯罪が少ないとは言え、皆無ではなく、夜間に出歩いていては不審に思われる。疑わしき事は欲せず、

それがこの町のやり方なのだ。

 円乃は疑り深く、また不審者相手となれば苛烈極まりない。

 見回り役の義風もそれは変らなく。一般的に単独行動が許されるような権限は彼には無いから、余計な

事をすれば、おそらく疑われてしまう。そうなれば、長や同僚達は決して助けてはくれまい。

 虚しいものだ。

「私は一体何がしたいのか」

 月灯りに浮かび上がる松冴城を遠目に見、ふとそんな考えが頭を過る。

 無駄な思考が浮ぶくらい、彼に余裕が生まれているという事なのかもしれないが。正に無駄である。答

える者はおらず、自分で見付けられる答えも無い。

 正しく無意味。今の自分を表しているかのようだ。

 呟きは空に消える。何度こうして想いが消えて逝っただろうか。自分は本当は何を望んでいるのか、或

いは何も望んでいないのか。時折こうして心と身体が冷えきっていくように、ただ冷たく解らなくなる。

 義風、その名も虚しい。今となっては唯一自分が持つ、自分に与えられたモノであるはずなのに。これ

だけが人である証、人である希望、人である事を欲する心。それなのに、それすら虚しい。

「このままではいつまで経っても、変るまい」

 唾を吐き、天を見上げる。

 間諜達はあらゆる手段を講じ、今も死を賭して働いているのだろう。しかし最早彼らに道が切り拓けら

れるとは、彼には思えなくなっていた。

 すがりつくように行った円乃への仕官も、どうやら無為に終わりそうだ。

 正直、どんなに懸命に頑張ったとしても、見回り番兵程度がどう足掻いた所で、何がどうなる訳でもな

いように思える。

 手柄を立てるには戦地に行かねばならないのだ。戦場こそに功は眠る。それが乱世の法。

 義風が望み出れば、部隊長には無理でも、おそらく一兵卒としてならば円乃は参軍を認めてくれる。今

の円乃はどれだけ兵がいても困らないし、常時不足していると言える。

 だがそれは単純に円乃を助けると言う事だけでなく、恨みも何も無い、いやある意味同志とも言える円

乃に敵対する者達を殺す事になる。

 確かに今は乱世、情けなど世迷言である。しかし、かといって、そんな事が許されるのだろうか。自分

は許せるのだろうか。

 義風に残る、人としての感情が迷い、許す事を否定したがっている。

 しかし、迷うと言う事自体が、すでにそちらに傾いていると言う事ではないのか。それに自分は鬼だ。

鬼が人の理屈に拘(こだわ)ってどうするのか。同志とは言え、見も知らぬ者達、赤の他人である。もし

かすれば未来の敵者となる者達であるかもしれない。

 ならば自らは自らの使命の為に、そんな良く解らない者達よりも、目的の為に動かなければならないの

ではないか。

 義風の武力ならば、すぐに引き立てられる事は明らか。それをくだらぬ迷いで逃す事は、それこそ一族

郎党へ顔向けが出来まい。

「そうだ、私は円乃を滅ぼす事だけ、それだけを考えれば良いのだ」

 義風は決断する。

 折角春匡に目と鼻の先である場所にまで来たが、急がば回れと言う言葉もある。今は離れよう。そして

次に来る時が、春匡の最後である。

 義風は梓葉に告げる為、長屋へと向った。決断さえすれば、彼の行動は早い。




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