3-3.微かな絆を糧として


 結果として、義風は一人松冴を出る事になった。

 間諜や梓葉は松冴に残り、ここから情報を義風へと送ってくれるという。仮にも本拠地であるからには、

他の町よりは多くの情報を得る事が出来るだろうし。戦地に赴くのに女連れもあるまい。

 円乃家の方もさして引き止めるような事をせず、むしろ嬉々として了承してくれた。町の見回りなぞやら

せているぐらいならば、やはり円乃としても前線へ行ってくれた方がありがたいのだろう。

 見回りの長にも一言告げたが、彼も驚きも励ましもしてくれなかった。良い厄介払いが出来た、とっとと

死んでこい、とでも思っていたに違いない。

 旅立つ前に、間諜達は今まで解ってる事を簡単にまとめ、教えてくれもした。だけでなく、彼に最も合う

であろう行き先を調べてくれた。

 その結果、どうやら此処から北にある霧原(キリハラ)という城下町を目指すのが良いらしい。国内南部

の勢力は粗方片付け、今円乃の目は北方を向いている。当然最も激しい戦地があり、それだけ兵も必要とさ

れているだろう。

 それに霧原城主は武をこそ好むという。正に義風には打って付けだった。

 少し遠いのが難だが、義風にとっては何でもない。急げば数日で行けよう。今の彼には山も谷も、湖も川

も関係ない。直線的に移動すれば、何処に行くにもそう時間はかからない。その身体能力を発揮すれば、

途方も無い戦果を挙げる事も可能だろう。

 義風は急いだ。風の如く、雷の如く、正に疾風迅雷。

 もし今の彼を見れば、仲間となった間諜達ですら、気味悪がって恐れ避けるようになるかもしれない。む

しろ彼の頭に角が無いのが不思議なくらいだ。これで人間と言うのなら、他の人間は一体どうなるというの

だろう。

 木偶の坊? 泥人形? 彼と比べれば、他の人間などまだ雑草の方が使い道があるというものだ。

 初めは馬鹿正直に大地を蹴って走っていたのだが、その内面倒になり、木上を跳ように走り始めた。それ

だけでは飽き足らず、木を限界までしならせ、その反動で弾道のように進んでいく事までした。

 彼は気付いていただろうか、すでに発想そのものまでもが人から離れていた事に。

 如何に名のある忍び、遥か後世まで伝えられる忍びであろうとも、このような事を出来はしないだろう。

そもそも木をしならせる事からして異常だ。枝ではないのだ、太い木の幹そのものをしならせる。馬鹿力で

済ますには、あまりに途方なさ過ぎる。

「この分なら、思ったよりも早く着きそうだ」

 しかしそんな異常事には、最早彼は無関心になっている。彼にとっては当たり前なのだろう。

 鬼の移動法のまま山も谷も越えた。人が一昼夜かかるだろう難所も、人の手段に拘らなければ簡単に越え

られる。最早義風を邪魔できる物は無い。どれだけ深い谷も、どれだけ高い山も、彼の前では平地と同じで

あり。例えどれだけ高い場所から落ちても、どれだけ速い勢いでぶつかろうとも、彼の体は掠り傷一つ負わ

ない。

 必要。鬼の力が必要だという、ただそれだけの意識の違いで、彼の体は人の範疇を超えてしまった。もう

彼を抑えるものは無くなったのである。むしろ力を出し切れる事に喜びを感じている。

 筋肉は厚く引き絞り、骨は金属のように硬質化し、全身のばねを使えば人の身体がまるで毬のように跳ね

上がる。

 異常であった。これが正常だと言うのなら、見る者の頭がどうかしている。

 こうして鬼の力で九割がた行程を進んだ頃だろうか。何処からか剣戟と、人の喚く声が聴こえてきた。

 間諜の情報に寄れば、戦場は霧原のまだ先である。こんな所で争いが起きる筈が無い。しかしひょっとし

てと言う事もある。或いは非難民が山賊にでも襲われているのかもしれない。

「肩慣らしになるか」

 義風はゆっくりと立ち止まり。身を低くひた走る移動法に変えると、そのまま音のする方へと向った。武

士としてもこの騒ぎを見過ごす訳にはいくまい。

 するすると木陰を縫うように進んで行くと、どうやら予想に反し、円乃の軍勢が襲われているらしい。

 相手はおそらく補給隊を叩き、物資を奪う為に派遣された軍勢だろう。そうなれば、敵側にはなかなかの

兵法者が居るようだ。どうやってこんな所まで軍勢を運んだかは知らないが、よくも実行する気になったも

のだ。よほど目端の利く者だろう。しかもその視野は広い。

 円乃がまったく警戒してなかった証拠に、物資を守る兵は少ない。寝耳に水の事態に、見る限りすでに半

数以上の円乃兵がやられている。

 残り十数名に対し、襲撃者側はざっと見るだけでも五十は居るだろうか。勝負になるはずが無かった。

 しかしそうであればこそ、義風にとっては都合が良い。この襲撃を防ぎ、敵将を討ち取る事でも出来れば、

それを手土産にし、それなりの地位での仕官を望めるだろう。

 義風は懐にある紹介状を破り捨てると、空を切り裂くような勢いで飛び出した。もう紹介状などに用は無

い。むしろ見回り役などやっていたと知られれば、かえって低く見られるだろう。

 真っ白なまま手柄を立てる方がいい。


 突然の侵入者に、双方とも困惑を隠せなかった。

 しかしそれも一瞬の事で、両軍ともに相手の援軍だと思い、反射的に義風へと襲い掛かる。どちらも必死

である、一々確認している暇などあらず、疑わしき者は斬る。それがこの場での通常の精神なのだろう。

「我は円乃に助太刀致す!」

 以前商家から奪った刀を抜刀し、その勢いを使ってせまり来る刀身を弾き返してやった。

 流石は業物、義風の村から持って来た刀とは一味も二味も違う。刀を両断するような事は出来ないものの、

折れる心配は無い。存分に振り回せそうだ。

 透き通る程に日に瞬く刀身はまるで濡れているかのようでいて、刃として研ぎ澄まされた部分が丁度波の

ようにゆらゆらとゆらめいて見える。どうやら考えていたよりも、数段上の刀だったようだ。

 その刀を目にし、助太刀の声を聞き、劣勢であっただけに円乃勢は大いに奮い立った。

「荷を死守するのだ!」

 まるで指揮官のように叫ぶと、義風はそのまま近くに居た敵兵の首を一刀の下に刎ね。返す刀で次の敵兵

の腕を下から斬り上げる。

 正に獅子奮迅の活躍。力を惜しむ事も考えず、ただ斬って、斬って、斬り飛ばした。

「貴様、何者かッ!?」

「我が名は風。円乃の風と心得よ!」

 敵将に名乗りを上げ、瞬拍置かず斬り捨てる。彼を止められる者など、この場に居ようはずもない。

 考えられない速さで現れ、考えられない力で斬り伏せる。彼一人で勝ったようなものだった。将を殺され、

兵達は慌しく退いていく。これで敵側へも、円乃の風、の名が広まる事だろう。

 これで良い。敵側にも名を知られていれば、円乃も無下に扱えまい。逃がしたのもわざとで、言わば保険

のようなものだった。

 氏素性の明かせない立場は辛い。出身地などは誤魔化せるが、身分や後ろ盾が無ければ誰も信用してくれ

まい。何かしら確実なモノが必要なのだ。

 しかし義風には今それが無い。出来る手段は名声を上げる事だけだった。

 そうなると、敵味方どちらにも印象付ける事が大事だ。彼を重用せねばならない立場へと、上官となるだ

ろう男を、言わば追い込んで行かねばならない。そして義風が上に立って当然だと、他の兵達に思わせねば

ならない。

 どんな手を使ってでも、春匡、春宗への道を拓いて見せる。

 義風の心は決意に燃えていた。そして恨みも何も無い者に手をかけた以上、最早後戻りは出来ない。己が

願いを達する為に、ひたすらに進むのだ。

「風殿と申したな。助太刀痛み入る。しかし聞かぬ名であるな、それほどの腕前であられれば、家中に響い

ていて当然でしょうに」

 不審がる部隊長らしき男に対し、義風は笑って言った。

「いや、実はまだ仕官前なのだ。勢いで名乗ってしまったが、罰せられるかな」

 それを聞いて部隊長も笑った。

「道理でおかしいと思いましたわい。そう言う事でしたら、私が推挙して差し上げましょう。それほどの腕

でありますれば、春末様もお喜びになられます」

 春末とは春匡兄弟の末弟で、その能力を買い、春匡の父が縁者から養子としてもらいうけた子である。短

気な所があるが、武を好み、性単純で暗さが無く、兵達からはおそらく一番慕われている。

 義風は部隊長の言に頷いた。

「我が主君に仰ぐとあれば、春末様以外に無いと思っておった。推挙していただければ、真にありがたい。

いずれ手柄を立てれば、礼は致す」

「いやいや、すでに命を救われているからには、無用の事にござる。私の力がご入用であれば、いくらでも

お使い下され。貴方を我が子と思い、兄と思い、生涯この恩は忘れませぬぞ」

 義風と親子ほども歳の離れているだろう部隊長は感激屋らしく、涙まで流していた。確かに義風の救援が

なければ、彼は死んでいただろう。

 遠慮なくその誠意を使わせていただく。義風は心中、一人頷いていた。




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