2-4.灯火は晴れ


 相変わらず尾行されている。

 暗い夜道に耳障りな足音が木霊する。勿論それは常人にはまったく聴こえない程の過小な音量であるが、

今の義風からすれば、堂々と歩かれるよりも性質が悪い。あのひたひたと言う耳障りの悪い音色、それが

はっきりとはっきり過ぎる程に聴こえる事は、これ以上無い苦痛である。

「いっそ、ここで駆けてやろうか」

 とも思う。

 今の義風が本気で走れば、付いて来れる人間などはいまい。

 例え風のように走る人間が居ても、雷光のように疾走る義風に敵うはずが無い。肉体的に見れば、人間

とはその程度の脆弱な存在である。脆く、またいくら鍛えても人である限りは人を凌駕するような事に決

してならない。

 成長も進化もあくまで人の範疇であって、決してそれを超える事は出来ない。

 少なくとも人はそう考える。そして事実その通りでもあるだろう。

 ただ繁殖力だけが旺盛で、環境に無理矢理適応する能力が呆れる程に高く、いつの間にかどの種よりも

数が増えていただけと言う、人間とはそんな存在である。

 後ろに居る忍と言う存在もそれは変わらない。所詮人の範疇なのだ。

 面倒ならば、一々そのような輩に付き合う必要は無いではないか。自分は鬼なのだ、人に縛られると言

う事程馬鹿らしい事は無い。

「だが、面倒は増えるだろう」

 しかしそんな風にも思う。

 手を結んだあの男が監視の為に付けた事は明白であり。またそれは当然の事で、義風も立場が同じなら

ばそのようにしただろう。

 どの国の人間も、どの時代の人間も、常に他者の監視と言う事に重点を置いて来た。貴族の世、武家の

世と移り変ってきているが、それだけは常に変らない。言わばお互いに猜疑し監視し合う事で、どの機関

も大きくなったように思う。

 そして監視した結果を考え。或いは裁き、或いは罰を加え、歴代の天下人達はこの世を支配する。

 つまり根本にあるのは監視であろう。

 だが義風は人では無い。確かにこの地に人として生まれたが、最早人では無い。

 それならばいつまでも人の決め事に付き合う必要は無い。

 とは言え、義風の悲願を達成するには、まだ人の世に居なければならない。元々復讐などに重点を置く

のも人だけであると考えれば、そこから抜け出せばその悲願は叶うまい。

「このまま居るしかないのか・・・・」

 義風は考える。

 そして決断した。

「そこな忍、私に何か用か。用が有るならばいつまでもそんな所におらず、ささと私の前に出よ。そして

用件を申せ」

 立ち止まりもせず、後ろを振り返った訳でも無いが、確かにその言葉は相手に通じたようだ。

 人間から見れば目にも止まらぬ速度で目前に降り立つ者が居る。無論、義風からすれば待つのがもどか

しい程度の速度であるが。

 黒装束に黒覆面。この格好は、最近は夜盗の類の間で流行っているらしい。その為、本職の忍の間でも

目眩ましの為に使う者が増えていると聞いた。誰が言い出したのか知らないが、本来はこんな解り易い格

好はしないに違いない。

 一目で忍の仕業だと解るような特殊な格好を、誰が好んですると言うのだろうか。秘匿、隠密こそが身

上の忍ならば、それは尚更だろう。

「良くお解りになりましたね、旦那」

 服装が変っている。下僕か道案内と言った風な姿だ。

「でしたらわざわざ離れる必要はねえ。先導させていただきやすぜ」

 忍はそのまま用意していたのだろう、提灯に火を灯し、はたはたと歩き始めた。

 多少面倒にも思ったが、取り合えずその後に続いてやった。

 ともかくも忍びの足音が変り、義風はようやく安堵したのだった。

  

 提灯一つが妖しく光る中、二人は進む。

 どちらも言葉一つも発しない。元々案内程度の者に親しく話しかける方が稀だと思えば、これは決して

違和感のある光景では無かった。

 音と言えば、寄って来る虫を叩き落す時に発するぐらいであろうか。

 ただ、時折。

「段差がありますから、気を付けなせえ」

 などと忍が言う。

 義風の返答は無い。それもまたありふれた光景である。

 義風は黙ったまま、色々な事を考えていた。これからの事、これまでの事。いくらでも考える事があり、

元々その事に忙殺されるぐらいであったから、考える種を探す事は難しくない。

 それでいて決して忍から意識を離す事も無かった。

 常に視線は先を見て居るが、心の視線は忍を貫いている。忍も修羅場を潜り抜けて来ただけに鋭く、当

然その視線はひしひしと感じていた。

 そして思う、これは所謂脅しであると。少しでも余計な事をすれば、そのままざっくり斬られてしまう

のだと。この若侍には不思議と抗い難い。

「お頭もとんでもない男を見付けなされた事だ」

 忍はその自然なまでの言動に反して、実は大きく戦慄を覚えている。

 大体が、夜尾行する忍を知るなどと、常人にはとても出来ない芸当であろう。その癖、それを知りなが

らも平然とした態度を崩さない。おまけに無言の脅しまでしてきやがるときてる。

 もう忍の沽券も拭い捨て、只管に怖ろしかった。ぎりぎりと視線が絞られる度に、まるで首か心の臓で

も絞められているような気持になる。こんな怖ろしい者を見たのは、彼も初めての事だった。

 それに義風をずっと監視していたのだが、結局何も解らなかったと言う事も怖ろしい。仕方なく案内に

変ってみたが、出来ればさっさと帰りたい。こんな男には関わってはいけないと、頭の中で何かが警告し

ている。

 しかしこの義風を放ってしまえば、彼は必ず殺されるだろう。忍にとって失敗は即ち死である。命在る

限り決して諦めず、そして必ず成功させるのが忍としての仕事。それが出来なければその忍だけでなく、

所属する忍団の全ては職を失う事になる。

 この乱世に職を失えば、例え忍といえども生きてはいられまい。忍も鬼や仙人などとは違うただの人で

ある。後ろ盾が無ければ、その力への信頼が無ければ、当たり前のように嬲(なぶ)り殺されてしまうの

だ。そしてそれを招いた報復として、少なくとも彼自身が同胞に必ず殺されるに決まっている。

 忍の心を寒気が走った。

「寒いのか」

 するとどうだろう。それを悟ったかの如く、義風が不意にそんな事を言ったではないか。

「い、いえ、夜風に煽られただけでございますよ」

 慌てて返したが、どうにも首の辺りの汗が止まらない。

 その汗に夜風が絶えず当り、その部分だけがやけにひんやりと心を冷やしめた。

 実は義風に他意は無い。風が強くなり自分も寒かったので、独り言のようにそう言っただけである。そ

れ以前に、さほどこの忍に興味が無い。何も仕出かさないよう睨み付けてはいるが、鬼である義風が忍程

度にさほど警戒心を持つ必要も無いのだ。

 人間など、吹けば飛ぶような存在。数さえ集まらなければ、一顧だに値しない存在である。

 ようするに忍の方だけが、勝手に恐れ、勝手に怖れを膨らませているのであった。だが人間他者の思惑

などは大して関係は無い。自分一個の感情に支配される動物であるから、一人で勝手に震え続けている方

が人間としては相応しいのだろう。

 忍は今すぐにでも提灯を投げ捨てて逃げ出したい衝動を堪え、自分はこれでも少しは名の知れた忍では

無いかと、それだけをまるで仏でも拝むように信じ、必死に役目を果たそうともがいた。

 しかし義風はやはりこの忍に大して興味を持っていない。

 勝手に恐れ、勝手にもがく。これこそ正に鬼と人とのあるべき姿なのかも知れない。

 義風はそう言う意味では、鬼と言うに足る存在になりつつあるようだ。

 依然、その心は人の感情に支配されていたとしても。




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