2-6.面倒なのが人の世よ


 宿を出、再びひた歩く義風。

 当時の移動手段と言えば、徒歩、馬、駕籠(かご)くらいしかない。舟と言う手段も無いではないが。

航海技術、船舶建造技術が発達してない為に、川渡し程度にしか使われておらず、とてもの事海を移動す

るような事は出来なかった。

 商業でも軍事でも陸路が主であって、何処へ行くにも呆れるくらいに時間がかかる時代なのだ。

 駕籠を使うには少なく無い金が居るし、案外乗り心地が悪く、しんどいものである。馬が使えれば良い

のだが、騎馬と言うのが兵科よりもむしろ権威の象徴とされている時代であるから、義風などに乗れるは

ずが無い。

 乗れないどころか、例え強奪して乗ったとしても、かえって面倒が増えるだけであろう。

 何にせよ義風の姿はどれだけ甘く見積もっても、馬持ちの身分にはとても見えない。家来もおらず、刀

すらぼろい。父の持っていた刀はまだ良いとして、爺の刀などになると、くわでも振うのと大差ないかも

知れない。手入れらしい手入れもしておらず、血糊(ちのり)の為に錆付いてしまっていた。

 だが義風は鬼である。

 木の枝程度でも振えば風を切り裂き、人間の骨程度なら砕けてしまう。その歩行速度も並の人間などが

敵う訳は無い。そう、本来は敵う訳も無い速度なのだが、今は(彼にして見れば)ゆるゆると歩くしかな

かった。

 何故ならば、梓葉が同行しているからである。

 男女で旅行するなどと言う風はまだほとんど無く、一度ならず断ったのだが、彼女は同行をする事を譲

らなかった。確かに旅慣れた彼女が居れば便利であろうし、またあの間者とやりとりするのにも都合が良

いだろう。

 しかしどうにも荷物であるのは免れない。女とは思えない健脚ではあるが、義風と共に行こうとする事

がまず間違っている。男女以前に、ただの人間などが付いて行けるモノでは無い。

 だからいずれは諦めて何処へなりとも行くだろうと思っていたのだが、やはり性根の座った女のようで、

いつまでも諦める事無く付いて来る。どれだけ離しても懸命に後を追ってくるものだから、義風としても

情が湧かぬでもなく、自然に彼女に合わせるようになっていた。

 それに実際彼女のおかげで関所の通行などにも不便をする事は無く、宿に泊まりあぐねる事も無く、順

風満帆となっている。何より、今更追い返す訳にもいかない。

 どっちにしろ関所突破の為に誰かが必要になるのだから、例え移動速度が落ちても、後で宿等で待つ事

を考えれば同じ事でもある。

 時に泊まり、時に歩測を緩め、ゆるゆるとだが義風達は着実に移動していた。

 円乃居城までの道程も、ほぼ半分を切った。

「ここからが本番か・・・」

 義風は天を仰ぐようにして、先に見える町を窺(うかが)う。

 たまに陽光が反射して見えるのは、鎧姿の兵士が多い証だろうか。

 確かに円乃へと近付いているが、喜んでばかりもいられない。中心部である居城に近い。それは即ち円

乃の支配力が強まる事を意味する。関所の調べも厳しくなり、宿や街路にも巡回する兵が増えて来た。

 兵や武将の質まで違う。

 今までは円乃に滅ぼされた家の家来がそのまま残って居る事も多く(おそらく裏切って円乃に付いたの

だろう)。梓葉達はそれらの半不穏分子のような者達を利用し、便宜を図る事はさほど難しくは無かった。

 だがこれからは古くからの円乃兵が多くなり、中心部に近いだけに、円乃も選りすぐりの者達を置いて

いるはずである。工作するのは難しくなるだろう。

 現に宿への滞在日数が日を重ねる毎に多くなっているように思えた。

 手形にしても半端な物では最早通用しない。武具や骨董で言う目利きのような者達が居て、それらがし

っかりと吟味した上で、やっと関所や町を通されるのである。

 戦国の乱世だけに、間者等に対する警戒は今からは考えられないくらいに強い。

 新興の勢力でもあるから、未だその機関に瑞々しい部分が多くあるのも、間者にとってはやり難い部分

だろう。

 それでも何処にでも懐柔される輩は居るモノで、なんとか無事に関所を抜けているが、それも何時まで

順調に進められるものか。

「いざとなれば、闇夜に紛れて突破すれば良い」

 しかしそんな事で義風が不安に思う事は無い。

 此処まで来る道中で、彼は色んな事を学んだ。関所の守り、巡回の手順、そう言ったものは同勢力の兵

だけに皆似通っている。

 今の義風ならば、当初の心配は杞憂に消え、簡単に突破出来るだろう。

 すでにそれだけの力の使い方を覚えてもいる。


 町に入ると、義風のやる事は決まっていた。

 宿に入り、何するでも無く座り込む。そして静かに待つ。

 梓葉は居ない。おそらく一味と協力して、先の関所を通る準備をしているのだろう。詳しい事を一々聞

いてはいないが、それくらいは想像出来る。

 待つ事にも慣れ、座して黙している姿も堂に入ったものになってしまった。

 今までは鬼と変りつつある己の身体に、怯えながら待つしかなかったものが。道中の経験で、こう何や

ら余裕を持てるようになっており、冷静に自分を見詰めなおす事が出来ている。

 どれ程の力が秘められているのかまでは解らないが、一度目にしたあの力を考えると、ひょっとしたら

一城などは容易く落せてしまうのではないか。それくらい凄まじい事だけは察せられる。

 そう、義風は自信を持ち始めたのだろう。新しい力を素直に受け入れ、世間と言うものに触れる事によ

り、彼は少しならず成長したように思える。

 とは言え、まだまだ物を知らない。

「私も黙って座すだけでは、・・・・芸が無いか」

 そんな風に近頃悩み始めたのである。

 確かに諜報や工作などは彼の仕事ではない。どころか、対人関係においては足手まといにしかなるまい。

しかし彼の身体能力はあらゆる忍を上回る。それは解っているのだから、こうしてただ座して居るのでは

無く、それを有効に使うべきなのではないだろうか。

 ただ待って居ると言うのは、怠慢、ではないのか。

 だが身体能力だけでは出来る事は少ない。何をするにも技術が必要である。しかし。

「何も出来ないと思う事こそ怠慢であろう。出来ないのならば、出来るようにするべきなのだ」

 そう思い、いよいよ義風は決した。

 円乃居城に着けば、結局暗殺に頼る事になるだろう。あの間諜達もまさか義風一人に城を落せとは言い

はすまい。

 それならば、今から隠密技術を磨いておくべきである。寝込みを襲うにしろ、街道で襲うにしろ、確実

に標的まで近付かねばならない。

 その為の技術を学ぶ事は、決して無為にはなるまい。

「ならば・・・、まずは商人蔵辺りから行くとするか・・・」

 進入するとなれば、練習としてまずは商家から行くのが妥当と思える。民家などは馬鹿でも入れるだろ

うし、いきなり関所や武家宅に入っては、しくじり見付かった後が面倒になる。何か事を起せば、間諜達

の工作にも支障が出よう。

 その点商家ならば、盗人が入ってもおかしくないし。義風であれば、捕まる心配は無い。逃げれば決し

て追い付けるものではないのだから、これほど気楽な事は無いだろう。

 気持が決まれば、後は早い。

 義風は梓葉達への書き置きを残し、宿の者に気付かれないように外へと出た。


 人の声が途切れなく耳に入る。

 日は高い。

 昼に忍び込むのと夜に忍び込むとのでは、大きく違いがあるものだが。義風は夜目も利く、それならば

人目の多い昼間の方が練習とするにはもってこいだと考えたのだ(思い付いたら行動せずにいられなかっ

た、と言うのが本音だろうが)。

 それに難易度は高い方が良い。

 緊張感が薄れると、人は思わぬ失敗を起してしまう事が多い。それならば始めになるべく自分を追い込

んでおき、危な気が多少はあった方が、逆に後々の為になる。

 円乃中心部に近い為、街路には人が多い。魚住のざっと倍は居るだろうか。これは居城へ近付けば近付

くほど、際限無く増していくのだろう。勢いの在る所には、必ず人が集まるものだ。

 義風は暫く歩きながら観察し、良さそうな商家を見付けると、何食わぬ顔でそちらへ向ったのだった。




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