2-7.浮浪鬼


 義風はふわりと宙に舞った。

 白昼堂々と、人の目に晒された場所で、である。

 しかし不思議なモノで、人間は常識外の出来事が起こると、自然とそこから目を閉ざすものらしい。目

に触れない訳は無いはずなのだが、誰一人騒ぎ立てる者はいなかった。

 何しろ助走無しで一息に、身の丈の倍もあろうかと言う塀を越えたのである。これが人外の技でなくて

何であろうか。そして音も無く着地し、その家の主人のような顔をしてささと庭を歩く。

 まるで周囲から一人だけ抜け出てしまったかのようだ。彼一人だけの世界で、彼一人だけが息づいてい

るかのような、不可思議な光景であった。

 勿論義風当人には、そのような思いは無かっただろう。彼の思いはもっと単純である。

 小賢しさ、小細工などを武士は嫌う。正面から堂々と向うのが武士であり。相手が気付いていないよう

なら、わざわざ自分の名を高々と宣言し、相手が戦闘準備を終えるまで待つのが武士である。

 真に馬鹿馬鹿しいとも言えるが、そこまでするとかえって清々しい。そこには特有の間があり、風景が

ある。その独自の間を作り、独自の世界を生む事こそが武士道と言うモノであるかも知れない。

 典雅な武士道が、むしろ芝居染みて見えるのは、その為ではないだろうか。

 つまり現実とは無縁なのである。ある意味出家するのにも似た、独特の戒律とも言うべき別個の法があ

るのだろう。勿論、その武士道とやらも、今の世では随分腐敗しているのだが。

「存外簡単なものだ」

 義風は侵入者とも思えぬ堂々とした風で、ゆったりと庭を眺め回した。

 灯篭があり、苔むした岩が落ち、敷かれた砂は流れる水の如く。まるで寺の庭のようであるが、こう言

った庭弄りが金持ちの共通の道楽となっている。そしてこれこそが権威の、見栄の象徴とも言えた。

 この見栄でもって如何に自分が雅で金持ちかを客に示し、名声を得る。真に子供染みた事であるが、案

外大人っぽいと言われている事こそ、かえって子供っぽいものである。

「ようするに金持ちの泥遊びでは無いか」

 義風は思う。

 このような物は、ようするに子供が土いじりをし、木を削って人形を作ったりする事と、本は同じなの

ではないかと。

 とすれば、大人になると言う事は、単純に言うと見栄の張り方を覚えると言う事だろうか。

 人に見栄を張り、見栄で死ねるような者が大人なのだろうか。

 義風は侮蔑にも似た思いを感じているが。それを言うのならば、武士道もただの見栄であると言う事に、

義風は気付かない。

 武士道と言うものが、俗世とは離れた、美々しい別個のモノだと彼が考えているからだろう。

 それもまた間違いでは無いとも思える。しかしやはり本は同じモノであると考えられる。

 子供心を見栄で包めたモノが、おそらく大人と言う者なのだろう。

 そして見栄の張り方に拘りと形式を付与したものが、所謂武士道と言う奴の正体かも知れない。

 だがいずれにしても、今の義風には興味の無い事である。

「折角来たのだから、何か盗むのが作法と言うものかな」

 ふと考え込んだ。

 盗人として来たからには、当然盗まなければ盗人にはならない。そうしなければ単なる侵入者になり、

甚だ盗人としては面目を失う事になるのでは無いか。

 面目を失えば無様極まりない。ここは是非とも盗らなければ。

「蔵・・・いや、そこまでせぬともよかろう」

 蔵の奥こそ宝物庫であるに違いなく、そこに忍び込めばおそらく第一等の品が手に入るに違いない。し

かし義風としては家宝のような品を訓練の為だけに奪う事は、それは家人に対してどうしても酷すぎるよ

うな気がしないでも無かった。

 盗人も生活がかかっているからこそ、第一の宝を狙う理由がある。だが自分は単に訓練としてこの家に

忍びこんだのだ。そこでわざわざ第一の宝を狙うと言うのは、それは欲深と言うものではないだろうか。

 欲深は不名誉である。

 義風はどうもやり方と理由と言うモノに拘る男らしい。

 結局蔵を忘れ、室内へと手を伸ばす事にした。何処かに見栄えの良い刀の一本か槍の一本でも飾ってい

る事だろう。どうせなら役立つ物を奪いたかった。

 それにしてもどうも人気の無い家である。

 ひょっとすると、店と家が別で、ほとんどが店に出払っているのだろうか。

 ともかくも義風は音も無く奥へと進んだ。 


 自分が名の通り、風になったしまったかのように、最近は感じる事がある。

 今なら、誰の目にも付かず、賑やいだ街道を疾走する事が出来るかも知れない。そう思えるくらい、義

風の身体能力は増して来ている。

 それに比するように、心の奥にも何やら冷ややかな部分が益々多くなってきたようにも思える。

 自分が変っていく瞬間。それを実感する時と言うのは、素晴らしさもあり、怖さもある。良くも悪くも

今までの自分と違うと言うのは、不可思議な心境に行かせるものだ。

 達観、そう言って良いかも知れない。いや客観と言うべきか。自分の心以外に、もう一つ外に自分の心

があるような。言って見れば、心が増え、広がって行くかのような、そのような心持にさせる。

 果たして今どれだけの力が、義風にあるのだろうか。

 簡単に進入出来た事で、自信も付いてきた。

 あの修羅の手を使わずとも、この肉体だけで神代の力を引き出せそうな気さえする。

 それはつまり彼が力に囚われ始めたと言う事かも知れない。

 人外の力、つまりは修羅の力に。

「庭師か女中くらい居ても良さそうなものだが・・・」

 しかし相変わらず人の気配が無い。

 そして拍子抜けする程に簡単に奥座敷へと忍び込めたのだった。

 応接か密会か、そのような重要な時に使われる場所らしく、室内から外の様子が解りやすく作られ、ま

た外からは中が見え難いように作られている。

 調度品は豪華な物が揃っており、座布団でさえ、何やら今まで義風が触れた事の無い手触りをしていた。

一体ここだけで、いかほどの金が使われているのか。

「この街にも飢えている者はいように・・・」

 何故ここまで貧富の差が出来るのか。

 これが金の力と言うものだろうか。

 今はまだ物々交換が主流であるから良いが。この先金、つまり貨幣が主流となっていけば、果たしてど

れだけの貧富差が生まれる事だろう。

 本来は金銀貨幣などは単に食料や衣類の代用品でしか無かった。大事なのは金で買える物であって、金

自体では無かったはずなのに。いつの頃からか価値観と言う物が逆転してしまい、今では最も大事である

米以上の価値を誇る場所さえあると言う。

 勿論希少金属である金には、その輝きもあって、昔から珍重はされていた。しかし金も貨幣では無く、

そのもののままであったならば、これほどの権威は付かなかっただろう。

 貨幣に鍛造される事で、貨幣によって物に値と言うモノがはっきりと付けられる事で、金は魔力的な力

を秘めるようになったのである。

 そう言う風潮は都であればあるほど強いとも聞く。

 最上に在る都がそうである以上、いずれは末端の農村にまで辿り着く。そして金の力などまだ知りもし

ない農夫達は、金の、貨幣の力の前に、おそらくひとたまりもあるまい。そうなれば流民と強盗がまた増

え、一分の金持ち達は更に儲けるのであろう。

 弱肉強食は世の常であるかも知れないが。これではただの殺戮に等しい。

「惨いものだ・・・。もしかすれば、父上もこの金と言う物のせいで、落ちられたのではないか」

 義風の父義実は権力争いに破れたのであろうが。では何が権力かと言えば、そこに金が少なからず関わ

っている事もまた疑いようのない事実であるかも知れない。

 どちらにしても、今はこの金と言う物が、義風にとって全ての悪の根源と思えた。

 義風は唾を吐き捨てると、飾ってあった中で作りの良さそうな刀を選び、また心を空に変え、商家を出

たのだった。

 滅ぼすべき物は、円乃以外にもあるのではないだろうか。そんな思いで空を染めながら。




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