3-5.初陣


 義風の旗印は単純なだけに数日もすればある程度の数が完成し、丁度軍の再編も終わったので、春末自

身が言っていた通り、義風は即刻戦へと駆り出される事となった。

 敵となるのは、倉林(クラバヤシ)家。霧原北方の国境に位置し、ここを抜けねば隣国へ侵攻も交易も

出来ない交通の要所である。現在の円乃と比べれば、取るに足らない小さな勢力ではあるが。背後に在る

隣国有数の大武家、春日部(カスカベ)氏に従属する事でその力を借り、円乃をてこずらせている。

 春日部は円乃が以前は同盟を狙っていた程の大きな勢力で、家臣団兵士共に優秀かつ兵数が多い。

 円乃も肥大したとはいえ、まだまだ春日部には敵わないだろう。出来れば矛を交えたくは無いのだが、

倉林が従属したおかげで、必然的に敵同士となっていた。

 春日部の力を借りた事で、倉林は自信を持ってしまっている。円乃が春日部に劣る以上、最早交渉では

どうにもならなかった。

 現在の主戦場から離し、わざわざ春末をこのような北方まで持ち出したのも、彼しか春日部と渡り合え

る武将が他に居なかった為である。

 確かに春日部と本格的に戦をする力はまだ無いが、単に援軍だけの参戦であり、直接春日部と交戦しな

いで済むならば何とか戦えよう。倉林などは本来数にも入らない。

 それに春日部も大きな勢力だけに国内外に敵が多く、例え多少円乃の成長に危惧を抱いていたとしても、

他国にまで兵を回す余裕は無いだろう。

 春日部も自勢力の存亡をかけてまで、倉林などに力を貸そうとは思うまい。倉林さえ滅ぼせば、おそら

く兵を引き、後は交渉で停戦協定を結べるはずだ。

 今の所はこちらの国にまで野心を伸ばしていないし、交易さえ出来るのであれば、相手はどの勢力でも

良いはず。

 倉林が傘下に入りたいと言ったから、入れてやっただけの事なのだろう。

 そんな事で要らぬ戦に巻き込まれ。しかも予想外の円乃の粘りに対し、すでに春日部は戦に飽いている

との情報が入っている。倉林を滅ぼせば、かえって感謝されるかもしれない。

 しかし春末は慎重だった。春日部の飽きが倉林への恨みに変わるのを、敵軍を的確に疲弊させながらじ

っと待っている。

 戦場を馬上にて見る視線も、目前の倉林兵ではなく、常に春日部を向いているのだろう。

「風よ、お主はこれが初陣であるとか。しかし臆する事は無い。いつも通りやれば良いのだ。兵はお主の

言う通りに動く、後はお主次第でいくらでも功名を立てる事が出来よう。心配せずともよい、私は倉林に

敗北した事は無いのだ。任せておけ、お主は気楽に戦を楽しめよ」

 開戦前に春末は各陣を見回る習慣があるが、わざわざ義風には言葉までかけてくれた。しかも直答を許

し、本人同士で直接会話している。

 これも破格の待遇であり、これによって他の将兵も義風に対する春末の期待の大きさを知るだろう。そ

して兵は彼を見直し、より命令を受け入れやすくなるに違いない。

 春末は心底面倒見の良い男のようだ。この点も、おそらく彼の人気を高める要因の一つなのだろう。

 頼むに足る。これ程下に就く者にとって、安心できる者はいない。

「お心遣い、ありがたく。殿のご期待に、必ず沿って見せましょう」

 義風も景気の良い返事をしておいた。芝居染みているが、この辺の呼吸が戦では大事であり。とにもか

くにも兵達からの信頼を得ねばならない。この人に付いていれば勝つ、そう信じさせる事が重要だ。

 この時代、兵達には一般的に忠誠心のような義務は備わっておらず。勝利を挙げ、その利のおこぼれを

もらう為に彼らはここに居る。であるからには、負ければ例え主を放って逃げても道徳心が傷付く事は無

く、世間的にも悪名が立つ事は少ない。

 むしろ将の力量不足を指摘され、全ては将の責任とされる。

 後の世のような、上下の忠誠心はまだ要求されず。主従というよりも、日雇いのようなその日限りの関

係に近い。

 春末は配下から好かれてはいるのだが、それも翻って見れば、単純に勝ち続けているから、という要素

が強い。どれだけ仁者でも、どれだけ気が利いても、結局は弱者に付いて行く兵などはいない。

 全ては利であり、頼み甲斐があるかどうか、それだけの事だ。兵も生きる為に必死なのである。

 だからこそ常に強い者をどの勢力も広く求めており、素性などを気にしなくなったのも、まずは勝たね

ばどうにもならないからである。そこが乱世の所以であり、理由と言えるかもしれない。

「さて、まずは見させてもらおうか」

 義風は景気の良い事を言っておきながら、遮二無二進むような事はせず。逆に前線から少し引いた位置

に陣を置き、冷静に状況を観察する事にした。

 一部隊を任されたと言っても、せいぜい数十という数でしかない。他将と比べても決して少なくはない

が、それでも戦況をどうにか出来る数ではない。無数にある小隊の一つに過ぎず、春末の直轄として他よ

りも自由に動ける事だけが救いだろうか。

 義風は敵を知らない。本格的な戦も始めてであるから、やり方もあまり解らない。

 まずは見て、学ぶ事が必要だった。そして見極めねばならない。敵の力量を、そして何よりも春末の力

量を。


 敵軍は二千程度、味方は千五百程度だろうか。

 聞いた話に寄れば、春末は倉林が春日部と組んで以来、とにかく防衛に徹している。たまに思い出した

ように攻撃するが、それも相手を誘き出す為の挑発でしかないようだ。

 援軍である春日部軍の疲弊を待つと言う事もあるが、他にも重大な訳がある。

 確かに現状でも全兵力を投入すれば、倉林を一気に屠(ほふ)る事が出来ない訳ではない。しかしそう

すれば疲弊した円乃を春日部が見逃すはずはなく、倉林の仇をとるという大義名分も出来、堂々と漁夫の利を

得られる事は必定であった。

 その為、勝つにしても余力を持って勝たなければならない。奥に潜む春日部に対し、少しでも隙を見せ

るわけにはいかないのだ。

 春日部も余力が少ないとは言え、円乃も似たようなものである。そしてどちらも隙あらばと目を光らせ

ている事もまた、同じであった。

 春日部、没落武家が多い中、逆に乱世を利用し、その勢力を伸ばして来た力は伊達ではない。当主は凡

庸と言われるが、脇を固める重臣に特に優れた者が多く。しかも家臣の誰もが忠誠心に篤いようで、他の

武家とはその点でも真逆である。

 今では古臭さの漂う忠誠心、或いは先進的過ぎる忠誠心、そんなモノに対して時代錯誤と言っても良い

程の美意識を、何故彼らは持っているのか、拘るのか。

 確かに古臭いが故に美しくはある。昔にもそういう美意識が持て囃された時代はあるから、失われると

なっては惜しむ者も出てくるだろう。しかし本当にそれを実行するのは並みの決意ではあるまい。

 一体春日部を実質統べている者とは、どのような男なのだろうか。いずれ円乃打倒に使えるかも知れぬ

と、義風は興味を抱いていた。

 しかし今はそれよりも両軍の戦ぶりである。どちらがどれだけ強いのか、または弱いのか。それをしっ

かりと見極めながら、春末の期待にも応えねばならない。常人には困難極まりないが、義風ならば容易い

だろう。いざとなれば彼一人でも二千の軍勢を相手に出来るかもしれない。

 とはいえ、そこまでの力を見せては味方にすら恐怖を呼ぶ。他の人間が納得するように、勝つべくして

勝たねばならない。面倒だが、今はまだ人の範疇(はんちゅう)に居なければならぬ。

 法螺貝と太鼓の音が聴こえた。

「いよいよ始まったか」

 鬼の視力であれば戦場の隅々まで見る事が出来る。陣を張る場所も小高い丘の上で、その点でも義風は

めぐまれていた。よほど春末に見込まれているらしい。

 多少、くすぐったくもあるが、罪悪感は無い。養子であり、義風の集落を滅ぼした件には関わっていな

いだろうから、いざとなれば見逃してやってもいいのだ。利用はさせてもらうが、春末自身に対してはあ

まり悪感情を持っていない。

 だから罪悪感もない。

「いや、そんな感情はとうに捨てたのか・・・・」

 心は冷えきっていた。人は怒りが冷めても、復讐には尚意地を持つものだが、不思議とその意地も湧い

てこない。今ではもう単に仕事のようにしか考えていない気さえする。果たして円乃に味方してまでも、

達成すべき事なのかどうか。

 人や武士である事に本当に拘る意味があるのだろうか。

 たまにそんな風に思う時もある。人にも鬼にもなれないせいか、義風は感情の奥底にあるモノの起伏が

激しい。陽気や陰気の域を越え、鬼であるか人であるかがいつも定まってないのだ。

 今では随分安定しているが、それでも何処かが浮いていた。

 だが疑問はあっても悩んでいる訳ではない。すでに決めている。意義や情熱が見出せなくなる時があっ

ても、彼には復讐を遂げるしかない。

 余計な事を考えなければ、この生に悩む事は無いのだ。

「さて、そろそろか・・・・・」

 両軍が合わさり、それぞれに隙が生まれた。

 義風が狙うは唯一つ、大将首である。春末の見事な指揮のおかげで、首までの道は生まれた。後は進む

だけである。刀を抜き、大きく叫んでいれば良い。

 倉林は弱い。奥に居る春日部らしき軍勢も少なく、また動きが鈍重なところを見ると、やはり倉林に対

して興味を失っているようだ。

 頼みの春日部が居なければ、倉林などは相手にもならない。

 義風は真っ直ぐに部隊を進めさせた。




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