3-6.信頼


 最終的に義風が大将首を上げ、円乃勢は見事勝利を収めた。大勝利と言っていい。

 同時に義風の評価は著(いちじる)しく上昇した。元々輸送隊を救ったと言う事実が知られていたから、

町民達の人気も兵達の人気も鰻上りに上がった。春末に風が居れば最早敵無しと、そのような歌まで出来、

広く歌われてもいるそうである。

 そして何より大事な事に。倉林勢が壊滅した時ですら、春日部はほとんど動きを見せなかった、という

点がある。春日部の不満は最高潮に達していると見るべきだろう。

 春末はこれによりすでに機は熟したと見、勝利の後から僅か数日後、改めて円乃から進軍を開始し、当

然の如く勝利を収めた。春日部は今回もほとんど動かず、頼りを失った倉林兵の落胆は果てがなくなり。

最早脅威とはならず、相手にすらならなかった。

 その戦では、義風は大将首こそ獲らなかったが(戦功を稼ぎ過ぎるのを敢えて抑えた為)、数名の隊長

首を上げた事で、先の戦働きがまぐれなどでは無い事を、内外へと充分に示した。

 春末の信頼も益々高まり、勝利直後などは、領土をくれてやろうか、とまで言った程である。勿論義風

は断ったが、代わりに一揃えの甲冑を貰っておいた。今までは安物の鎧を着込んでいた為、この連戦で見

るも無残な姿に変わっていたのである。

 見栄えの良さも武士の心得。武士たる者は人に蔑まれるような姿をしてはならず、常に気高く美しくあ

らなければならない。春末も武を好むだけにその傾向が強く、義風の趣味だけでなく、春末に合わせてや

る必要もあった。

 他者に嫌味を与えない程度に、今は出来るだけ春末に取り入り、心を得ておく必要がある。

 倉林を滅ぼした後、即座に春末は春日部家へと使者を送り、沢山の貢物を渡す事で、停戦同盟を組んで

おく事も忘れなかった。

 あれだけ鮮やかに勝利した後では、春日部側も幾分軟化しており、この同盟も流れるように上手く結ぶ

事が出来たようである。義風だけでなく、春末の目論見も成功したと言えよう。彼も順調に目的を遂げつ

つある。

 春日部と倉林の脅威が去った今、円乃は余計な兵力を北部へ裂かずに済み。これからは侵攻も少しは楽

になる。国内統一も夢ではなくなった。

 この一連の成功のおかげで春末は正に上機嫌であり、配下達への恩賞も大盤振る舞い。配下達も皆春末

に感謝し、これからも誠心誠意円乃に仕える事を誓ったのである。

 暫くはまだ治安維持など、新領土の安定の為に忙しい日々が続くだろうが。ともかくも一つの事をやり

終え、皆仕事の合間にゆるりと休息を楽しんでいる。やはり戦をしなくて良いという日々は、兵達にとっ

てもかけがえの無いモノなのだろう。

 そんな折、春日部から使者が訪れた。

 皆一瞬殺気だち、警戒したが。聞いてみれば何の事は無い。友好を深める為に祝宴に招きたいとの事で

ある。

 勿論断るはずもなく、春末は快く了承し。春日部家へと赴く事を決め、そのように使者へと返答した。

 その経緯で、罠ではないかとの危険性も出たのだが、今更円乃と敵対する意味がないとの意見が主流を

占め、結局は春末の意向に沿う事にされた。

 義風も同席を許され、参加する事になったが、これは彼にとっても願ってもない事であろう。この機会

に春日部と好誼(よしみ)を通じる事が出来れば、いずれ必ず役に立つ時が来る。

 こうして義風は春日部領南東部にある拠点、水衣(ミゴロモ)へと向ったのだった。


 水衣。その名の示す通り四方を河川に囲まれた、難攻不落の都市である。

 河川によって物資の大量運搬が容易で、しかも戦時には生きた堀となる。治水の面でも当時の最高の技

術が用いられ、この付近が大雨の少ない土地柄である事もあり、春日部一の要害であると見る者も多い。

 つまり一度入ってしまえば逃亡する事も出来ず、春日部の意向一つでどうにでも出来てしまうと言う事

なのだが。春末はと言えば堂々としたもので、出迎えに来た春日部勢ですら感心していた。

 流石は円乃の春末だと。彼の名は春日部の間にも広く知られているらしい。

 そして円乃の風こと、義風の名も、同様に春日部には知られているようだ。隻腕の猛者というのはどう

しても目立つのだろう。

 もしかすれば、春末の方でも大いに喧伝したのかもしれない。優秀な武将を持つという事以上に、自国

の力を見せられる事は他になく。敢えて他国に知らしめようとした事は充分に考えられる。

「ようこそお出で下された。私は春日部家奉行、氷雨玄乃丞と申す」

 氷雨玄乃丞(ヒサメ ゲンノジョウ)と名乗ったいかつい顔の大男は丁重に辞儀をした。

 奉行とは事務や経理を扱う内政部の役職で、大抵官位が高く。殿様や城主と接する機会も多い為、自然

に権威も大きくなる。

 一大拠点とはいえ、水衣も所詮は地方都市。奉行ともなれば、文部の実権を相当握っている事だろう。

 その彼が自ら出迎えたという事は、春日部側もいくらかの好意を持っている事を意味する。或いは単に

生真面目なだけなのかもしれないが。

「ささ、城主様がお待ちでございます」

 義風達は挨拶もそこそこに中へと通される。何事も機敏に進めるのが春日部の風らしい。

 武家などは格式を重んじ、何事も重々しくゆるやかにやるのが常と、義風は思っていたのだが。今の乱

世にそれが通用し無い事を、彼らははっきりと知っているようだ。

 勢力を伸ばせた事にも納得がいく。

 かといって荒々しくは無く。氷雨という男もやわらかな応対で品が良く、町並みの方も整然としており、

春日部という勢力の文化の高さも見受けられた。

 武家の良い部分はきちんと残しているらしい。噂に聞く都も、このような佇まいをしているのだろうか。

「これは噂どおり、並々ならぬ勢力よ」

 しかし義風はそれで怖れを抱くでもなく、心中笑みをすらもらしていた。

 城内も見事なもので、掃除が行き届いているのは勿論の事、無駄に華美な物はなく、正に質実剛健。そ

れでいてどことなく品があり、風雅である。武士らしい雅さが存分に出ていた。これほどの城はそうお目

にかかれるものではない。

 春末の城も立派であったが、ここと比べると数段見劣りしてしまう。

 勿論、占有している期間と元々あった資金、資源を比べれば、円乃と春日部では大人と子供以上の差が

ある。こういう品の良さと安定した統治は、やはり成り上がり者が及ぶ所では無い。

 春日部としては己の力を見せ付ける為に、わざわざ城内にまで入らせたのだろう。しかしここでも春末

は毅然とした態度を崩さず、堂々と進んだ。

 何処で身に付けたのかはしらないが、その立ち振る舞いも見事で、義風と並んでも遜色なく見える。

 これには少なからず義風も驚かされた。作法、物腰というものは、一朝一夕で身に付くものではない。

益々円乃の血族とは思えない。もしかすれば義風と同じく、没落貴族の出ではあるまいか。

 だとすれば、春末に対する気持もまた変わってくる。

 どんな理由で円乃に付いたのかは知らないが、その理由さえ解り、それを利用、或いは取り除いてやれ

ば、彼を味方に付ける事も可能になるかもしれない。

 春末さえ味方に付けられれば、おそらく他の円乃に恨みを持ちながら、生きる為に仕方なく従ってる者

達も、義風に協力してくれるだろう。

 そうなれば円乃は終わりだ。現在あるほとんどの人材や物資は他国から略奪吸収してきたもの。それが

円乃に利と恐怖で釣られ、恨みを抑えて嫌々従っているにすぎない。

 そこを春末が謀反を起したとすればどうだろう。名声、実力ともに家中一とすら言って良い男だ。そん

な男が裏切ったとなれば円乃に先は無しと思い、我も我もと続いて蜂起するかもしれない。

「思わぬ収穫があった」

 春末と城主が話すどうでも良い政治的な言葉達を聞き流しつつ、義風は独り満足していた。

 そして彼らを具に観察する。

 春末だけではない。春日部の兵、家臣、城主、そして町民。見るべき箇所はいくらでもある。

 そうして観察を続けている内、いつしか義風はこの都市が欲しいとまで思い始めていた。円乃に対抗す

る意志とは別に、単純に男としての夢、野望、そういうものがふと鎌首をもたげたのである。

 義風も武士の子。彼が大いなる志を遂げる事は、彼の守役であった爺の悲願でもあった。それだけでな

く、勢力を伸ばせばいずれ父の家名を取り戻し、父を追いやった者に仇討ちが出来るかもしれない。

 考えてみれば、何も復讐する相手は円乃だけではない。父をその地位から追いやった者がいるはずで、

そもそもそいつさえいなければ、父はあんな所で無残に死ぬ事も無かったし。あのような貧しい生活を強

いられる事も無かっただろう。

 そう考えれば、その元凶を誅する事こそ、真に復讐を遂げるという事ではないだろうか。

「・・・・・・」

 義風の心に、今までに無かった目的が俄に燃え上がり始めていた。




BACKEXITNEXT