宴が始まった。 春末はどうやら春日部勢に気に入られたらしく、無礼講まではいかないまでも、皆遠慮なく楽しむ事を 許されている。 別段誰がそれを言ったわけではないが、そういうものは雰囲気で解るものだ。 義風の評判も高まっているようで、彼の元にも酌をしに来る武将が後を絶たない。 彼の持つ品の良さと行儀作法がここでも彼を大いに助けている。 「やはり貴殿が我が策を破った御人でしたか」 その中でも、義風に面と向ってそんな風に言った人物に、酷く興味を覚えさせられた。 義風が立身の紐先を掴んだ輸送隊救出、春日部から見れば輸送隊襲撃策、を考え実行した男、郭 宗次朗 (クルワ ソウジロウ)。雰囲気からして異色であり、有能揃いと言われる家臣団の中でも、この男は更 に際立っている。目の光からして違った。 戦の人事など一切を司る侍奉行であり、この水衣の軍事一切を取り仕切っている。一奉行でありながら、 その権限は時に奉行筆頭に匹敵するようだ。正に春日部を支える武の一柱。 郭、その名も春日部当主から直々に授かった名らしい。その名からも彼に対する期待の高さが伺える。 それは春日部という一大居城を支える一角であると、当主自ら宣言しているのと同じであろう。 この郭と出迎えに来た氷雨、この二者が水衣の双璧だろうか。 水衣城主は春日部一族の一人だろうが。言っては悪いが、彼もさほど能があるとは思えない。やはり春 日部は家臣団で持っているらしい。 「貴方にはご厄介をかけました」 義風は笑って郭へと酌を返した。 彼は無類の酒好きらしく、遠慮なく飲み干し、その後も手酌で何度も杯を空けた。顔はすでに真っ赤だ が、意識はしっかりしているらしい。 「負けっぱなしでは男がすたる。ここは一つ飲み比べでも如何か」 「よろしいでしょう」 丁重に振舞う義風を気に入ったのだろう。いや、負けっぱなしでは気が晴れぬのも本音か。どちらにし ても酒量には相当自信があるらしい。でなければ、すでに多量の酒を飲んでいながら、飲み比べなど提案 するはずがなかった。 受けなければ今度は義風の男がすたる。男がすたれば、どれほど力があろうと功績があろうと、武士の 間では評価がぐっと下がってしまう。 義風も受けざるを得ない。直々に春末に連れてこられたのだ。ここで春末にも恥をかかせる訳にはいか ぬだろう。 しかし受けたは良いが、どうしたものか。 相手にどれほど自信があろうと、義風にとってみれば、どのような強い酒であれ、水と変わらない。鬼 を酔わせる酒などがそうあるはずがなかった。 だから負ける事は考えなくて良い。だがここでまた負かしてしまえば、郭に恨まれてしまわないだろう か。宴の席、表面は恨みなど見せはしないだろうが、心中どう思うか解らない。 「ささ、お主の番ですぞ」 義風が迷っている間にもどんどん酒は進む。 二人の周りには武将の輪が出来、やんややんやと囃し立てていた。彼らにしてみれば、これも一つの面 白い座興でしかない。気楽なものだ。 「お強いですな」 義風は郭を褒めながら、並々と大杯に注がれた酒を、一気に喉へと流し込んだ。 「お見事、お見事」 輪が囃す。 ある程度飲んだ所で、引き分けとするか、とも考えていたのだが。ここまで盛り上がってしまえば、も う退くに退けない。負けてやろうかとも思っていたが、こうなれば春末の手前、多少郭の恨みをかってで も勝たねばなるまい。 郭もすでに酔っていたのだから、その点を上手く使えば丸く収められる可能性もある。 「・・・・勝とう」 義風は腹を決めた。 となれば、こちらもぎりぎりで勝たねばなるまい。面倒な事だが、酔ったふりもせねば。 「これも後々の為」 人の気にするつまらぬ面子に多少嫌気を感じながら、義風は何度も何度も大杯を干した。
「いやあ、まっことお見事でござる」 両者ともちょっと考えられない量の酒を飲んだ為、時間も時間であるし流石にこれ以上はと、終いには 城主お預かりとして引き分けとされる事になった。 見ていた者も口々に両者を褒め称え、口調も丁寧なものへと変わっていた。 大酒飲み、酒を大量に飲める、ただそれだけの事なのだが。不思議とこの世界では敬われたり、一目お かれたりする。 ひょっとすれば、元々酒は神に捧げられるものであるから、そこからくる何某かの神聖さをそこに見出 すのかもしれず。また或いは、酒を飲むと言う事が、ある意味一人前の男の証であるとされてきた所があ る為、飲めると言う事が即ち漢である、武士であると、そう思わせるのかもしれない。 どちらでも構わないが、ともかく義風の評価はまたぐんと上がった。 何せ春日部は古き侍をこそ愛する者達、こういう古俗にも通ずる男らしさ以上に、彼らが愛するものは ないのだろう。 義風も田舎育ちである為、そういう機微は何となく解る。 「いえいえ、郭殿が先にあれほど飲んでおられねば、私などは相手にもならなかったでしょう」 微笑を浮べ、相手を立てておく事も忘れない。 きちんと要所要所に自ら釘を刺して置く事も、人間の間では有用な事だ。 今の義風からすれば、人に気を遣うなど、大いに滑稽な事なのだが。一度は人の世界に居た者として、 利用できる事は全て使っておきたい。そうでなければ、人の心を残している意味もあるまい。 「ふはは、嬉しい事を言って下さる」 郭は大笑し、ぐいっと半量だけ干した杯を義風に差し出した。 義風が微笑したまま飲み干してやると。 「これで我らは義兄弟。何かお困りになられたら、是非ともわしのもとへ来られよ」 「ありがたいお申し出」 義風が思う以上に、郭に気に入られてしまったようだ。或いは儀礼的な事なのかもしれないが、それも また利用させてもらえばいい。 義風は心中鈍い笑いを洩らした。 「これはめでたき事、ならば春日部殿へは御用が出来た際、この風に行ってもらう事にしよう」 「おお、それは良い考えですな」 春末の言葉に場の皆が頷く。円乃としても春日部と少しでも強く繋がれるのならば、それに越した事は ない。春末としても、この幸運を上手く利用する腹のようだ。 彼も円乃の一脈、流石に見る所は見ているという事か。 春日部側も無闇に円乃と争う必要性は無い。利害は完全に一致している。今は、まだ。 この案に異論が出るはずがなかった。 「ふむ、ならば風のままでは都合が悪かろう。風よ、そなたに春の一字を許す。姓も与えよう。・・・・ ・さて、姓はどうするか・・」 「では桐生はどうでしょう。私が大殿から郭の姓を頂く以前、生まれ出でた時に継いだ姓でござる。風殿 は我が兄弟、受け取っていただければこれほど嬉しい事はありませぬ故」 「おお、それは良い。風よ、それで良いな」 「ははッ、ありがたき幸せ」 こうして義風は今この時より、桐生 春風(キリュウ ハルカゼ)と名乗る事になったのである。 義風としては、円乃の春などという名を名乗る事は死にも等しい苦痛であったが。しかし一般的に主か ら名を貰うというのは、大変名誉な事であり。それ以前にすでに決まってしまった以上、反意を見せる事 は出来ない。 これも運命と諦め、春末、郭との繋がりがより深くなった事を喜ぶ事にしたのだった。
「春風、よくやった」 宴も終わり、酔い潰れた者、介抱する者で入り乱れる中、春末は嬉しそうに義風に言った。 喜色満面とはこういう顔を言うのだろう。今の円乃にとって、まだまだ春日部は格上の勢力、しかも領 土を接している。今はどのような手を使ってでも、春日部と友好を結ぶのが得策であった。 例え本気で円乃に攻め込む余力は無いとしても、有能揃いの家臣団、彼らを敵に回せば何をされるか解 らない。戦いは何も力だけではないのだ。 古代から人は無数の策略を生み出してきた。それを効果的に使う力が春日部にないとは言えまい。 「しかし油断してはならぬ。今日は寝ない方が良いかもしれぬな。さて、我々も失礼しようか」 「はッ」 春末と義風は後を春日部に任し、与えられた部屋へと向った。 こちらも介抱や世話をする者を出そうとも思ったが、むしろ全てを任せる方が春日部の顔を立てられる だろうと思ったのである。 |