3-8.手管


 数日を水衣にて過ごし、最後まで問題も起こらず、無事宴は終わった。

 親睦を深めるという建前はあっても、これも一種の戦である。数日も寝泊りすれば気が弛み、とかく失

敗しがちなものなのだが。平素から春末の躾が行き届いているせいだろう、誰一人醜態をさらすことはな

く、無難に時は過ぎた。

 義風も目論見どおり春日部勢との友好を(個人的に)深め、まずまずの戦果を上げたようである。

 そして水衣城滞在、最後の日。義風は郭に自宅へと呼ばれた。

 一人でなければ、春日部の者と一緒に飲み屋へ行ったり、名物を見せてもらったりと、彼が城外へ出る

のは珍しい事ではない。

 招かれていると言う事もあり、常に城内へ押し込められているという事は無く。円乃にも割合自由が許

されている。

 外出を許されるのは、おそらく水衣の繁華を見せ付ける為でもあるのだろう。勿論、春日部の案内とい

う名の監視役が、いつも同行する事になってはいたが。

 だからこうして義風が城近辺を守るように建てられた武家屋敷へ赴く事も、別段何でもない事で。春末

にさえ事前に断っておけば、後で波風が立つ事も無い。

 春末の義風への信頼と期待はちょっと驚くくらいなもので、春の一字を与えた事を考えても解るように、

義風を出来れば円乃当主にも認めさせ、その地位を内外に高めたい腹のようだ。

 彼としても、優秀な部下をより高い地位に付け、名声を得させる事で。外に対してよりも、むしろ内部、

つまりは円乃内での勢力を揺ぎ無いものへとしたいのだろう。

 円乃、その名を与えられた春末さえ、円乃一族を欠片も信用しておらず。貴族や肥大した勢力の常とし

て、外にいる敵よりも、むしろ内部の敵へと目を向け、保身の為に気を配らなければならない。

 ある程度勢力として大きくなると、不思議な事に敵は内側にこそ生まれるものである。

 どうにも皮肉な運命であるが、それも人の業であるようだ。悲しい事に、人が増えれば増えるほど、争

いが生まれやすくなる。

 だからこそ上に立つ者で、少しでもまともに頭の働く者ならば、常に強力な味方を欲し。今の春末のよ

うに、例え素性の解らぬ者なれども、自分を好き、自分を慕う、そして頼むに足る力を持つ者ならば、誰

であっても味方に取り込もうと考えるのであろう。

 春末は義風に驚くほどの自由も許していた。そこに義風がつけ込む隙がある。

 しかし油断してはならない。春末に疑われるような行動は慎むべきである。郭への訪問を許したとはい

え、あまり長居し過ぎ、或いは度重なれば不穏を招く。

 まだ今回は滞在が短いから良いが、これからの春日部との付き合いには、くれぐれも心を配らねばなる

まい。

 人の心は面倒だ。常に揺れ動くものを見極めるのは難しく、多大な労力が要る。

 それは郭に対しても言えよう。言動にはくれぐれも気をつけなければ。

 油断すれば親兄弟にでも寝首をかかれる。そんな時代なのだから。

「ようこそお出で下された」

 郭邸に着くと、驚く事に宗次朗本人が出迎えてくれた。

「これはこれは痛み入ります」

 慌てて郭に対し辞儀を返す。どうも春末以上に、この男は義風を気に入ってくれているようだ。外にい

るだけに利害関係が薄く、逆に純粋な好意をもてるのかもしれない。

 郭も内部への遠慮や気遣いに、どこか疲れているのだろう。

「ささ、お入り下されい。皆楽しみに待っておりますぞ」

 この家に来るのも初めてではない。この数日の内に顔見せ程度には寄ったりもし、郭とも何度か一緒に

町へ出かけた。彼の家族とも多少面識が出来、彼らも義風に対し好意を見せてくれている。

 礼儀正しいが、決して冷たくはなく、温和に見せる義風の風に、彼らも悪意の持ちようがなかったのだ

ろう。それに宗次朗と同じく、内部への遠慮や気遣いに疲れているのかもしれない。

 こうして義風は丁重に郭一家に迎えられ、手厚く歓待された。

 用があって彼を呼んだのだろうが。それを無作法に問うたりせず、彼も素直にその歓待に応じ、父仕込

みの舞なども見せ、その好意への礼としたのであった。

 そうして夜も深まり、今夜は望まれるまま郭邸に泊まる事を決めた。すでに予想していた事であるので、

城を出る前に春末には了解をとってある。その点、義風に抜かりは無い。


 夜も更け、食事の後、郭は何やら神妙な面持ちに変り、義風を別室へと呼んだ。

 離れに作られた小さいが美しい一室で、おそらく郭の趣味の空間なのだろう、無数の絵や器など、色々

な美術品があった。

 その中には大陸からの渡来品らしき物もあり、彼の権力と地位の高さを少なからず証明している。

 鎖国をしている訳ではないから、他国との行き来もあり、当然交易によってもたらされる品々も多い。

 しかし海外交易は常に命懸けであり、途上で船が沈没してしまったり、夜盗の類に襲われてしまったり

と、満足に行き来出来る方が稀である。

 そうであるからには、自然その品物は高騰し、よほどの金持ちでなければ手に入れる事は困難となる。

 逆に言えば、大陸よりの渡来品こそ、権力者の最も大きな証であると言えよう。家持ち、城持ち等と同

じく、一つの力の象徴とさえ言える。

 郭はその渡来品の湯呑に茶を淹れ終わると、義風へと丁重に差し出し、ゆっくりとした口調で本題を切

り出した。

「春風殿。実は折り入って頼みがござる」

「はて、何でしょう」

 義風には無論思い当たる事が無い。

 確かに彼への春日部勢の評価は高まった。しかし円乃と春日部の力関係は歴然であり、その春日部の武

の一柱と円乃の新参者とでは、地位として比べるべくもない。

 郭はどう思ってるか知らないが。他人から見れば、正に天と地の差に思え、郭が義風に頼みごとがある

などと言っても、果たして信じるかどうか。

 全てにおいて上である郭が、たかだか円乃の新参者程度に、一体どのような頼みがあるのだろう。

 流石の義風も、これにはとんと思い当たる事は無かった。どころか、こうして特別であろう一室に招い

てくれる事すら、当初は考えていなかったのである。

 これを幸と呼ぶべきか、不幸と思うべきか。

「貴方も知っての通り、私には年頃になる娘がおります」

「はい」

 郭には数人の息子と娘がおり、義風もすでに顔を知っている。

 年頃の方なら、確か静(シズ)とか言う名だったはず。

「確かお静殿」

「そうです。その静、その静を貴方にもらっていただけないかと、こういう訳でございます」

「なんと!」

 義風は鬼と化してからは珍しい事だが、暫し驚きを隠せなかった。

 ようするにその意外性と驚きは鬼の力を上回ったのだろう。今だけは、ただの人間、義風であった。

「どうでござろう。受けていただけませぬか」

「し、しかし、郭様であられれば、そしてあのお静様のご器量であらせられれば、私など」

「いやいや、ご謙遜を。恥ずかしながら、我が春日部にも貴方ほどの方は幾人もいるとは思えませぬ。確

かに今まで縁談の話がなかった訳ではありませんが、誰も彼も私の目に適う者はおりませなんだ。

 しかし今、春風殿、貴方と言う方に出会えました。これも天恵、どうか我が娘をもらっていただけませ

ぬか。もらってさえいただければ、側室でも何でも構いませぬ故」

 そして頭を下げる郭。彼が他人に頭を下げるなど、果たして一生にどれだけあるだろう。

 しかも側室、つまり妻の位置として、二番目以降でも構わないと言っている。もはや驚きを通り越して、

義風は肝を潰される思いであった。

「いかがでござろう」

 こうなってしまってはいかがも何も無い。例え断っても根に持つ男ではないと思うが、断る尤もらしい

理由がある訳ではなく。郭の方がそう言ってくれるのであれば、これはもう押し切られるしかない。

 義風個人が、あまり春日部と密着するのはいかがなものかとも考えたが。こうなっては仕方ない。それ

に単純に利点も大きい。春末の機嫌を多少損ねるかもしれないが、どの道円乃は敵、いざとなれば春日部

に乗り換えればいいだけの事。

 そう考え。

「感謝の意以外にはありません。喜んでお受け致しましょう」

 義風も深く頭を下げておいた。

 心中、驚きが未だ去らぬ中で。




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