3-9.祝言


 義風と郭の娘、お静との縁談が決まった事、これはすぐに春末へと知らされた。

 彼が心中どう思ったかは解らないが。表面上は義風を祝し、一二もなく祝福の言葉を述べ、義風へと取

り合えず手持ちの物から小太刀を一振り与えた。

 春末としても嬉しくない訳ではない。すでに春の字まで与え、半ば円乃に取り込んでいる(と彼は思っ

ている)義風と春日部の重臣、郭との間に結びが出来る。これは即ち春日部との間にもう一段上の好誼が

生まれた事になるからだ。

 同盟を結ぶ上で、婚姻というもの程解りやすい方法は無い。

 しかし大勢力とはいえ、娘が何十人と居るはずもなく。何より戦乱の友好など、いつ裏切られるか、は

たまた裏切るか解らない繋がりである。

 よほどの勢力か、よほど信じるに足る条件の整った、又は後々まで確実に役立つであろう勢力としか、

大切な同盟の手段である娘をやる訳にはいかない。

 同盟を破棄すれば離縁され、手元に戻ってくる事も多いが。姫様とはいえ、出戻りではやや格が落ちて

しまうし、女にとって不名誉極まりない話である。

 例え政略の道具であると、半ば割り切っているとしても、出来ればそれは避けたい。当主としても一度

離縁されたようでは、対等以上の相手には使えなくなるから、同様になるべく避けたい。

 何にしても女の身の辛さ。悲しいがこれがこの時代の風。そして武家の娘に生まれた不幸である。

 勢力の当主にとって、娘も息子も妻も親も、全ては道具に過ぎない部分が多分にあるのだ。それもこれ

も生き残る為。そう考えれば、これも惨い生と言えるかもしれない。

 血族内の争いも多く。例え飢える事は少ないとしても、農民などと比べて、果たしてどちらがどれだけ

幸せだろうか。虚しくもあり、救いようが無くも覚える。

 ともあれ、そういう理由があるから、まず勢力間に好誼を設ける場合、当主同士ではなく、その家来の

間で婚姻が為される事は少なくない。

 義風の縁談はさほど不可思議に思われる事ではないのである。

 だが一つだけひっかかるとすれば、現在の義風の地位。姓を与え、名を与えて一角の武将らしくなった

のはいい。しかし身分から言えば、余り彼が功を誇らなかった為、未だ一部隊長に過ぎない。

 確かに名は立った。郭が娘を与えるという事からも、武士の間における評判の高さがうかがえようとい

うもの。だがそこまで春日部に肩入れさせるとなると、頭や組頭程度では荷が重過ぎよう。

 何と言っても、円乃を代表して祝言を挙げるのだから。

 そこで宴の際、義風を春日部への使者等を担当する事を決めた際、にも考えていた事だが。彼に近衛将

(このえのしょう)の地位を与える事にした。

 近衛将とは将の身辺を護る近衛隊の長の事であり、つまりは側近である。

 常に将の側近くに居るので将の覚えもめでたく。運が良ければ破格の待遇を与えられる事もあるし、何

しろ将に近い為に何を言われるか解らず、重臣達もいくらか配慮しなければならない存在である。

 時には将の代理をすら賜う事もあって、その権力は人が考えるよりも遥かに大きい。

 地位も当然高く。同時に春末からの信頼が厚いという証明でもあった。これ以上、今の義風に相応しい

地位はなかったであろう。

 先の戦で功もある為、郭を慮(おもんばか)ってと言えば、他の臣下も納得してくれるはず。

 幸い義風は穏やかで清廉な風を装い、同僚からも好意を持たれていた。例え近衛将になったとは言え、

くれぐれも自重するようにさせれば、波風はさほど立つまい。

 色々な思案の結果、春末は早々と義風の就任を発し、内外へと広めさせるようにさせた。

 人は郭に敬意を表した事を察するだろうから、これにより上手く郭へと借りを作った事にもなる。決し

て安い代価ではないが、春末にとっても、それだけの価値はあった。

 それだけでなく、春日部と友好を望む限り、そして春末が義風を掌握している限り、円乃は春末を粗略

に扱えなくなった。内外の立場を大きくする、正に一石二鳥の策。

「こうして一つ一つ地盤を固めれば、何があっても落する事はあるまい」

 春末は満足げに頷いた。

 

 義風とお静の祝言、これは日を改めた上、円乃、春日部両氏の異例とも言える手厚さの中、大々的に行

なわれた。

 単純に義風の心を盗ろうという他に、両勢力がこの同盟をどれだけ重く考えているかを世に広める為で

もあったし。それ以外にも、お互いの力をお互いに見せつけようとする心情が、当然働いていた。

 いつの時代も見得は戦の一つ。勢力争いの一典型と言える。

 同盟するにしても、一時的に結ぶにしても、名義上両者対等と約定を交わすとして、それが対等である

事はあまりない。

 必ず優位な側がおり、不利な側がいた。

 人間と人間の間に、対等という言葉ほど不似合いな言葉はないのではないだろうか。それは勢力という

集団にしても同じであり、結局は最有力者同士の個人的な事象になるからには、対等な同盟など存在しな

いと言っても、過言ではないかもしれない。

 だがこの同盟では、現段階においてどちらが優位かさほど問題ではなかった。

 この地上にはまだまだ無数の勢力が居る。そして今も滅び、生まれ、また滅び、乱世に相応しい数々の

事柄がいくつも起こっている事だろう。

 この両氏が同盟を望むのも、そういった背景があり、春日部は北上、円乃は南下と、お互いの目的に専

念するという利害が一致しただけにすぎない。

 であるから、まったく逆の方角へ侵攻する上では、まださほど両者間の優位性は問題ではないのだ。

 お互いに不可侵であれば良く。逆に言えばそれ以上に関わる必要は無い。

 極端に言えば、例えどちらかが滅ぼされたとしても、同盟相手が変わるだけの事である。

 それだけの関係であるが、体面上資金が豊富である事を見せつけ、自勢力の評判を上げる為に、たかだ

か臣下同士の婚姻でもこれだけ盛り上げているのだろう。

 理由を付き止めれば虚しいものだが、かといってその心に祝う気持が無い訳ではない。

 純粋に祝う気持もあるし、まやかしだけの手厚さとも言えない。

 春末と郭の親族は当然喜んでいるし、心から祝ってもいた。それもまた真実である。

 ようするに人間の行う事であると、そう言うことであろう。今昔それは変りないのではないだろうか。

そしてそれで良いのだろう。裏表あろうとなかろうと、めでたい事に変りあるまい。

 お静は当然義風の下へと輿入れされ、これを機に義風には住居も与えられた。

 城近くの真に立派な邸宅で、輿入れに付き添った郭も、これには多いに満足したようだ。

 祝宴の中ではそれを表すように大いに機嫌が良く、自ら踊ったり、誰彼構わず酌をしたりと、春日部の

将達もこんな彼の姿を見るのは初めてだったという。

 どうやら義風に対する好意は本物であるようだ。

 しかしそんな中で、義風本人だけが自分を嘲笑うかのように、黙々と飲んでいた。

 その感情を表に出すような事はしないが、確かにいつもとは違った。人はそれを緊張の為だろうと踏ん

でいたが、実際は勿論違う。

 彼は春日(カスガ)の事を思い返していたのである。

 そう、今の彼があるのも、元々は円乃の春日との祝言のおかげ。その祝言で騙し討ちにあい、一族郎党

滅ぼされてしまったからだ。

 そんな自分がまた祝言を挙げる事になろうとは。しかも円乃の名を与えられ、円乃の力添えで。

 これで喜べる方がどうかしている。

「どの道、政略の一環に過ぎぬ。このような事、嬉しがる方が馬鹿げている」

 どれだけ郭の誠意が本物であれ、お静が確かに想いを寄せているとしても。義風の胸には虚しさと一族

の恨みの声だけが途切れる事無く去来していた。

 もしやこのまま自分だけが栄達を掴み、幸せに浸ろうというのではなかろうな、と。父や爺、そして少

年の日々を過ごした集落の民全てが、彼を蔑んでいる。そして恨みを晴らせと泣き叫ぶ。

「違う、これも仇を遂げる為なのだ」

 その度に言い訳するように心中叫び、義風はただ黙々と酒を飲み干していた。


 春日部と手を組む事で後顧の憂いを断ち、円乃の力は数段伸びたと世間では専らの噂である。この国を

統べる日も近かろう。

 そして春末の軍団には暫しの休息が与えられた。


                                     三章 了 




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