4-1.幸負の差


「鬼が子を為すとは・・・」

 静(シズ)との新生活は穏やかに過ぎ、自然、静は懐妊する事になった。

 これでようやく春日部、郭と正真正銘の姻戚となり、真の意味で同盟が結ばれたと云う事になる。

 何故婚姻で結びつきが強まるのか。それは夫と妻、両家の結びつきが強まるというよりも、むしろ両家

どちらをも益するだろう、新しき血筋が生れるからである。

 即ちその子供一人さえいれば、どちらの血も生き残る。どちらの家柄も大小の差はあれ、とにかく世に

存続できる、或いは存続できる可能性が生れると云う事が大きいと思える。

 どの勢力も、そして勢力にすらならない無名の家柄でも、その目的はただ自らの脈々と流れてきた血筋

を残し、財産を相続して、出来れば財産を膨らませていく、この言葉に尽きる。

 とにもかくにもお家の存続なのだ。それにどれほどの意味があるのかは解らない。しかしそれを目的と

して人間は生きている。単純な親子愛、家族愛を越えた、生命としての渇望なのだろう。即ち、私を残せ、と。

 故に子が生まれて、初めて婚姻の意味が成る。

 姻戚であれ後々滅ぼす敵勢力の一つである事に変りは無い。邪魔になる可能性が無いかと問われれば、

確かにそれもある。しかしそれを越えた利点があるのだ。

 滅ぼした家の血筋を継げる者がいさえすれば、その者を名分代わりとし、正統なる者としてその地を治

める事が容易くなるのである。

 遺臣達も主家の血を引く者にならば、投降するのに理由が出来る。理由さえ作れば、すぐになびく。元

々彼らには忠誠心など無きに等しい。拘っているのは自らの名声だけである。

 もし万が一忠誠心という骨董品が生きているとしても、それがあるからこそ逆に主家の血を継ぐ者に従

わなければならない、という理屈が成り立つ。誰に対しても利があるのだ。

 ようするに納得させる事である。強引でもいい。理由さえ出来れば人は付いてくる。いや、人はいつで

も付き従う理由を探している。或いは従わせる理由を探している。

 農民や町民までくると、最早忠誠心という観念すらない。首が挿げ替えられるだけで、対して気にも留

めないのだ。彼らはただ税が重くならない事だけ望んでいる。或いは税を軽くすると言えば、誰にでも従う

のかもしれない。

 下々にとってはよくある同族の争いであり、武家という天上人の争い。侵略と云うよりは喧嘩か仕事と

でも思えるのだろう。戦う事だけが彼らの役目であり、だからこそ厄介な人種であるのだと。

 土地さえ安堵させれば、農民は文句を言わない。自分が食えさえすれば、後はどうでも良いのだ。

 人の世は深い繋がりがあるようでいて、実は考えている以上に浅く。ねっとりと湿り気を帯びてはいる

が、大した意味や価値は無い。全ての理由は小さな個人的願望に落ち着く。

 だから義風はやっと一仕事終えたというような、そういう気持になっていた。子さえ為せば、後は誰に

文句を言われる筋合もないからだ。

 しかし、自分を思えば、これは複雑な思いに縛られる。

 鬼、復讐、この二つが義風の心を重く圧していく。

 静を見れば、いとおしい気持が浮ばないではない。だがそれすら罪悪感を募らせる。自分だけが安穏と

家庭を持ち。自分だけが血統を残し。自分だけが幸せを手に入れる。

 復讐はどうしたのだ。恨みはどこへやった。嘆き絶望する冥府からの一族郎党の声が聴こえないのか。

地獄の鬼に苛め抜かれ、心も体も砕かれる。それを知りながら、義風一人だけが、同じ鬼の身でありなが

ら、人に子を生ませ、安穏と過ごすというのか。

 確かに鬼は子を為す為に女をさらう。特に高貴な女を好む。だが義風はそんな事の為に鬼に成ったので

はないはず。

「許さぬ、許さぬぞ、義風ぇ!」

 毎晩毎晩夢に出る。父が睨む、爺が叱る、懐かしい顔が崩れた無残な表情に変り、憎しみを植えつけて

は再び冥府へと落ちていった。血塗れに、嘆きの声を残しながら。

 目を瞑れば、冥府で苦しむ皆達の姿が見える。

「鬼め、鬼が鬼の子を生んだわ! 復讐の道具として子を為すか。それとも情に溺れたか。愚かな息子、

不肖の倅、忌みたる子、お前は何を望む。何をしている」

 復讐だけに身を任せ、震えるほど冷え込んでいた心が少しずつほてり始める。

 すると鬼の手が苦悶を呼び始める。身に宿している修羅は幸福など望まない。鬼は不幸だけを呼ぶ。不

幸こそが救い、そして幸いなのだ。

 失くした片腕が痛む。心を冷やせ、憤怒へ換えよとせめぎたてる。お前は鬼なのだ。

 復讐せよ、復讐せよ。恨み辛みこそ望め。

「私は・・・私は・・・」

 真夜中、身を引き裂くような熱さで目が覚めた。

 鬼に痛みなどあるものか。あるのは熱さ。憎しみの炎。身を焦がし続ける憤怒の業火。

 鬼の身ではなく、人の心を焼き焦がす。

「違う、これも、これも円乃を滅ぼさんが為・・・」

 言い訳がましい言葉など、この熱さの前で何になろうか。

「ああ・・・違う、違う、私は・・・・」  



 円乃(エンノ)、春日部(カスカベ)、両家とも順調に版図を広げている。

 国内統一も現実に見え、お互いに覇を唱えるに充分な実力を身に付けつつあった。

 現状ではほぼ全ての国に統一勢力があらず。数国に跨るような大勢力でさえ、国内統一はしていない。

だが領土で云えば充分に一国と名乗れ、国境そのものが曖昧になってきている。

 そう云う意味では両家ともすでに一国に足る領土を持ち、その実力も中よりは上かもしれない。比較す

れば春日部の方がより上位ではあるが、円乃も決して悪くはない。

 春日部との同盟により、円乃の力も必然的に増した。少なくとも世間はそう見る。

 これは円乃に限った事ではなく、似たような勢力が最近増えつつあるようだ。

 乱世乱世と騒がれても、いつまでもそれが持続する事は無い。平和と同じく、乱世もまた永劫に続くも

のではないのである。

 どの勢力もある程度安定を見せると、戦などの直接的な手段よりも、同盟など外交関係に気を配るよう

に変わってくる。何故ならば、安定したものを崩すのは難しいからだ。単一の力ではこれ以上の覇を望む

のは難しくなっており、春日部が円乃と同盟を望んだのもそのような気分が味方していたと言える。

 だが相変わらず小競り合いが多く、有能な武将は休まる暇が無い。

 春末(ハルスエ)も春日部との同盟終決早々に南部方面へと駆り出された。そうなれば、当然義風(ヨ

シカゼ)も彼に付き従う。

 身重の妻と離れるのに多少感傷がなかった訳ではないが、それもまたこの時代では当然の事。むしろ心

の整理に良いと思い、義風は望むように春末に従った。

 勿論妻や縁戚となった郭(クルワ)へ便りを繁く送る事は忘れない。今は春末の力よりも、郭の方を当

てにしているのが本音なのだ。

 しかし義風の目論みは基本的には変わっていない。春末の地位を引き上げ、戦功を大きく過ぎるくらい

に積ませ、それにより他の円乃一族との間に溝を作り、結果として謀反へ駆り立て、最後に漁夫の利とし

て円乃全てを滅ぼす。

 春末を最後にどうするかは、その時の状況如何によるだろう。

 調べた所、やはり春末は円乃との直接的な血の繋がりは無い。詳しい事はまだ梓葉(アズハ)ら間者達

に依頼し、引き続き調査させているが、それだけは確かである。

 証拠として、人質代わりに春末の血族は春匡(ハルマサ)、春宗(ハルムネ)といった者達の側に置か

れているという話だ。

 義風と同様、春末もまた、円乃の犠牲者の一人なのだろうか。

 とはいえ、冥府の父や爺が円乃の名を一度名乗った以上、春末もまた滅ぼすべしと騒ぎ立てる。義風で

さえ憎まれるのだから、繋がりのない春末は尚更許されぬ。

 春末と対面している時、今ここで屠るべきだと、ふっと喉奥からこみ上げるような想いに、人知れず身

が震える事もあった。

 春末自身は嫌いではない。しかし円乃である。

 利用価値は高い。しかし円乃である。

 力が要るのであれば、郭という後援者が出来たではないかと、亡者達は責め立てる。事が恨みであるだ

けに、利益などよりも感情的なものが重く圧し掛かってくるのだ。

「今円乃を抜ければ、郭は我を望まない。利用価値は円乃にもある」

 そう言って亡者を脅しつけるのだが、何度圧し戻しても這い上がってくる。決して亡者は諦めない。

 現状、春日部は円乃との戦を望んでない。いくら姻戚になったとはいえ、邪魔になれば義風などあっさ

り斬り捨てるはずだ。郭も人が良いだけの男ではない。

 だが人の事情が、亡者に通じるはずがなかった。

 この熱さ、どう耐えれば良いのだろう。何故鬼になったはずの自分が、冥府で虐げるはずの亡者から、

現世で責め立てられなければならないのか。

 そのような愚かな亡者など、ここで滅すべきではないか。

 義風も時折、溢れ出る感情に狂いそうになる事がある。

「戦が欲しい・・・・」

 この疼きを冷ますには、最早人の血で贖(あがな)う以外にはない。人の血潮が鬼を冷ます。鬼の飢え

を満たす事が出来る。

 義風は血を求め始めた。




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