4-8.鬼神の誘い


 まずは春匡の行動を把握し、次に何処へ行き、何をするつもりなのか、を時間をかけて調べる事とする。

 組織も大きくなれば不便なものだ。何をするにも一人では出来ない。何をするにも誰かを使わなければ

ならない。そうなれば当然秘密が漏れやすくなる。秘密とは自分以外の誰かに話した時、その時点で最早

秘密ではなくなるのだろう。

 ただ一人、自分独りだけが知っていて、初めて全てから隠す事が出来る。何故ならば、人は誰かを完全

に操作する事も、完全に知る事も出来ないからだ。

 秘密を保つ為には、自分だけが黙っていれば良い、そういう状態にする必要がある。

 しかしそれも今の円乃家には望めない。もう一個人だけでは国を運営出来ないのである。

 一番まとまっているだろう、落ち着いているのだろう、円乃の本拠地ですらこうなのだ。他の都市町の

内情などは、容易く察せられよう。勢力が大きくなれば、権力もそれに比例して大きくなるというもので

はあるまい。

 勢いがある内はまだいい。しかし勢いは一時的なモノ。それが切れた時に組織は一体どうなるのか。

 待っているのは須く崩壊と混沌なのであろうか。それもまた興味深い事象である。

 義風は笑っていた。興味深い。人の破滅が興味深いのだ。

 彼は鬼らしく、人を笑いながら作業を進める。歩くように、眠るように、全ては容易い作業でしかなか

った。

 おそらく忠誠心らしきものが唯一あるだろう、春匡の子飼であれ、掌握するのは容易である。呆れるほ

どに人は脆い。簡単に鬼につけ込まれる。何故にこうも弱いのか、何故にこうも愚かであるのか。

 笑うしかない。

 彼らを見ていると、いつまで自分は人などというモノに拘るのだろうかと、ふと疑問が浮ぶ。仇討ち敵

討ち、一体それが何の役に立つのだろう。すでに死んだ人間の為に、それで何が出来ると言うのか。人の

拘りなどに一体意味などがあるのだろうか。

 まあ良いだろう。面白いのだから、興味深いのだから、退屈紛れにでもなるならば、それはそれで価値

のある事かもしれない。

 あれだけ義風を罵(ののし)り、狂おしい程に呪い、叫んだ父や郎党の声も、最近はぷっつりと夢に出

る事がなくなっている。彼らの気がすんだのか、或いは自分からそういう声を聞く感傷が失せたのか。

 だとすれば、自分は完全に鬼となってしまっているのだろうか。人の心が聞けるのは、自然人だけにな

るとすれば、今自分は正しく鬼なのだろうか。

 いや、鬼であればこそ亡者の声が聴こえるのだ。なればやはり自分はまだ人間である。

 その証拠に、義風にはまだ鬼の声が聞えない。何も聴こえない。やはり鬼ではないのか。

 ならば自分は何なのだろう。そしてそもそも鬼とは何者なのだろう。

 義風は様々な事を考えている。退屈だからだ。

 何をしてもどれだけ上手くいっても、一つとして喜びが湧き上がってこない。枯れ葉を踏み砕くように、

小枝を折るように、何をしても真に容易く、何ら意味の無い事である。

 やりがいが無い。だから喜びも無い。

 それでもやるしかないのか。そう、やるしかないのだろう。自分には仇討ちしか目的がなく、その為に

こそ、わざわざ修羅と一体となったのだ。義風にはこれしか与えられていない。

「円乃を滅すのだ」

 春匡を追いながら、松冴城の見取り図を詳細に写し取り、いくつか図面の写しも取っている。

 暇だったのだろう、隠し通路から何から何まで暴いていた。鬼からすれば子供騙し、そこまで調べても

尚退屈な仕事であったが、知っていれば便利である事は確かだった。

 これを見せれば、流石に春末も野望を抑えきれぬはず。逆らえぬ衝撃を、逃れられぬ野望を、その心に

打ち付ける事が出来るはずだ。

 戦国武将にとって、このような好機を逃す手はない。きっと乗ってくる。今の春末ならば、簡単に心を

操る事が出来よう。

 どれだけ誠実でも強固でも、高々人間なのだ。

 後はもう一押しさえすれば・・・・。

「しかし、私は何を悩むのか・・・」

 意を決しようとすると、不思議と我が子の事が思い浮かぶ。妻の姿が思い浮かぶ。

 成功はするだろう。しかし余計な乱を招けば、妻子に危害が及ぶかもしれぬ。今となっては無意味な婚

姻であったが、さりとて妻子となれば情が湧かぬでもない。

「何故私は、いつまで人でなければならぬのか・・・」

 義風は諦めたように、別の手を用いる事とした。そちらならば、自分の手で春匡を滅する事も出来る。

そう考えれば、悪くはないはずだった。


 義風は毎夜毎夜松冴城へ出向き、絵図面を頼りに、そしてその図面に常に修正を加えながら、じっくり

と春匡の姿を探した。

 初めは困難だと思っていたのだが。家臣達を手中に収めつつ、手繰り寄せるようにして春匡へと近付く

と、少しずつ彼の姿が見えるようになってきた。

 彼は毎夜その寝所を変え、警護の者も選りすぐり、その中から日替わりで当直の兵を選ぶようである。

しかも警護の兵は順次入れ替わり、お互いに面識ある者も入れず、常にお互いが警戒しあうように出来て

いる。

 これではいかに伝手を頼ろうとも、いかに春匡子飼の将から話を聞いても、何やら漠然とし、掴み所が

なかったはずである。

 春匡が唯一最後まで秘密に出来た事、それが彼の毎晩の寝所であったのだ。

 しかしそれは異常であった。ひょっとすれば春匡の心は、すでに疑心暗鬼でおかしくなっているのかも

しれない。でなければ、ここまでの事をしようとはせぬだろう。

 自分が前線に出ないのも、或いはもうここ以外の場所で暮らす事に、耐えられないからではないか。安

全に安全を期したこの城でさえ不安であるものを、外へなどは一歩たりとも出れるはずがない。

 弱いと言えばそれで終わってしまう事柄だが、気持ちは解らぬでもない。

 自身が謀殺されただけに、義風にもその辺の恐怖は解る。ああ云う事がいつ起きるかと、毎時毎秒心配

していれば、それは人はおかしくもなる。

 病的にもなろう。

 思えば洗馬も執拗なまでに外部との内通者を恐れていた。

 人を人と思わず、どんな手を使っても陥(おとしい)れて来た者達が、誰よりも実は人を恐れている。

誰かに裏切られる事を恐れている。何と皮肉な事だろう。

 それでも春匡を見た時、なんと落ち着きの無い男だろうと思った。

 やれ春宗がどうの、やれ春末がどうの、ころころと良く家中の評が変わると思っていたら、案の定当主

からしてこれである。これでは家臣に落ち着きが無い事も当然といえる。春匡自身が誰よりも流言に踊ら

されていたのだ。

 この男も初めは堂々たる男だったのだろうが、所詮国を統べるような器ではなかったのだろう。だから

こうしてすぐに満ちた部分が溢れ、見苦しくその姿から露呈(ろてい)しているのだと思える。

 憎き仇の顔も、こうして見れば愚かな老人。直接の面識が無い事もあり、義風は拍子抜けさせられたか

のような感覚を味わっていた。

 仇というのであれば、やはり直接刃を交え、その手で父を殺した、春宗こそが相応しいのかもしれない。

 とはいえ春匡こそが命令者。仇も仇、大本命であろう。ほうっておいても自滅しそうに思えたが、やは

り義風が滅ぼしてこそ、一族郎党の溜飲も下がるというもの。

 義風は春匡を追い、彼の寝所へと忍び込んだ。


 春匡は寝ている時も一人ではなかった。

 夜伽の女、小侍従、警護の兵までもが数人入れられている。彼らも臆病な老人に付き合わされ、たまっ

たものではないだろうが。もう慣れているのか、それとも余計な事をすれば首を落とされるのか、何を聴

いても微動だにせず、ただただ静寂をのみ尊んでいた。

 やがて春匡は眠ったが、それも一時の事ですぐに目を覚ました。怯えているのか、首をうなるくらいに

振り回し、必死の形相で辺りを伺う。それを女が抑え、再び目を閉じさせ、眠らせる。しかしまた暫くす

ると起き上がり、時には刀を振り回すような事まであった。

「父達が来ておられるのかもしれぬ」

 そう義風が思えるほど、春匡は確かに何かに怯えていた。誰の目にもそれが映らぬ以上、来ているとす

れば冥府の亡者に違いない。

 だとすれば、亡者に任せるのが相応しい最後かもしれぬ。

 どちらにせよ、このような場では何事も為しえまい。

 義風はかえって昼間の方が良いかもしれぬと考え、この場は一時去った。焦る事は無い。すでに春匡す

ら自らの手中に在るのだから。




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