5-1.鬼立て


 円乃(エンノ)当主の座には、結局春宗(ハルムネ)が就く事となった。

 家中春末(ハルスエ)派からは不満の声が上がったようだが、彼らが推す春末自身が望まぬ以上、何を

する事も出来なかったのである。

 それにいくら運動をしても、どうにもならなかったのではないか、という意見を持つ者も多い。

 ただでさえこの時期に当主交代は望ましくなく、その上前当主は暗殺されている。後継者争いなどして

いては家そのものが滅びてしまう事は明白。元々そういった事態を防ぐよう、当主には長子(庶子を除く)

が就くという不文律があるのだから。

 中立を取る重臣達も春末に期待する事大であろうが、自らの利益が直結している為、円乃家を滅ぼす危

機を押してまで、春末を推そうとは思わぬはず。

 それを踏まえれば、春宗派、春末派、中立派の三様が居る中で、結局中立も春宗へと傾き、どう足掻い

ても春末が当主に就く事は無いと考えられた。

 所詮は力関係こそが全て、発言力、地位、権威、畏怖心、力の形態には様々あるが、それら総合してよ

り大きな力を持てる者が上に座る。当主となる個人の能力など、選ぶ者からすれば、大した問題ではない

のかもしれない。

 だが当主になれた春宗にとっても、良い事ばかりではなかった。

 中立派には後押しされたという借りが出来たし、春末にも自ら引いてもらったという借りがある。つま

りは双方に負い目がある訳で、これから様々に遠慮せねばならず、望んでいたような自分の時代がきたと

まではいかない。腹立たしいが、それを認めぬ訳にはいかなかったのである。

 当主の座というものは、特に乱世において、春宗の考えていたような気楽なものではなく、常に争い、

常に恐怖せざるを得ない、恐るべき立場となる。

 いつ如何なる時も矢面に立たざるを得ず。円乃全ての名声も汚名も一身に浴びねばならぬ。

 この苦労、苦心、例え何が得られたとして、それでこの苦しみが埋まるものではあるまい。

 しかし就いた以上、下りる事は許されぬ。春宗はすでに春宗ではなく、円乃そのものになったのだから、

望む望まないに関わらず、尽力せねばならない。もし力が足りなければ、自分もろとも滅ぶのみ。

 春宗が当主に就いてまずやった事は、春末の旧洗馬領への異動であった。

 現在旧洗馬領は美砂坂(ミササカ)が治めているが、裏切り者であるからには、どうしても残党勢力と

の折り合いが悪い。どちらも寝返っているのではないか、そう言われればそうなのだが、裏切り者の倫理

として(そのようなおかしなモノが存在するならば)、当主に自ら刃を向けた者と、当主が死して後仕方

なく勝利者の軍門に降った者では、その間に暦とした差があるらしい。

 ようするに美砂坂は仇である。乱世とはいえ、仇に対しての風当りは強くなる。そして美砂坂を仇とし

て人身御供に出す事により、他の寝返り者は初めて自らを正当化する事が出来るのである。

 損得ではなく、主に感情から生れた事であり、しかもこの場合は損得とも直結する要素であったからに

は、美砂坂を憎んで憎んで憎みぬく事のみが、彼らの正義であり、唯一つ残された道だった。

 その点、春末は敵総大将であったにも関わらず、降伏を寛大な処置で容れてくれた(これまた妙な話だ

が)恩人である。美砂坂のように騙し討ちをした訳ではなく(最も騙し討ちをさせたのは春末なのだが)、

表面上は汚れていない。

 そして何より春末に取り入る事が、寝返った者としてはどうしても必要な事であった。

 旧洗馬家臣達も自家保存が最優先事項である。主家よりもむしろ自家、それはどこも変わらない。そう

いう事情があるから、人は時に容易く裏切れ、それを(表面上は)罪に問わないのである。他人事ではな

いから罪に問えない、そう言った方がはっきりするかもしれない。

 寝返り者は一時でも早く円乃へ忠誠を見せる事が必要であり、それには降伏を容れてくれた春末を通す

意外に手段はなかった。形としては円乃へ降伏した訳だが、直接それを容れた武将が後々まで降将の面倒

を見る事が、戦後の作法でもある。

 それなのに早々と春末は本家へと召喚されてしまい、取り入る手段が消え、彼らはほとほと困り果て、

美砂坂を恨むくらいしかする事が無かった。

 であるからこそ今、春末が出向いたなら、彼らは皆喜んで出迎えてくれるだろう。

 同時に、ある意味謹慎を解いたという理由で、春末へ借りを返した事にもなるし。春末にそういった温

情を見せることで、春末派への抑えになる。一石三鳥もの良策であった。

 前当主春匡(ハルマサ)は怖れを抱いて春末を召し上げた訳だが、同じ兄弟家臣である春宗には、それ

が逆効果である事が重々解っていたらしい。確かに美砂坂と組まれては困るが、そこは他前洗馬家臣達

を上手く動かせば何とでもなろう。

 春末が美砂坂と洗馬残党の権力争いに時間を取られている間に、春宗は地盤を固めていればいい。

 洗馬残党を解決出来た時には、すでに春宗の地盤は固まり、誰も文句を言えなくなっている筈だ。

 無論その全てを春宗が考えられた訳もなく、噂に寄れば、彼の背後に知恵袋となる者がいるそうである。

 ともあれ、こうしてお家騒動は一応の終決を見た。例えそれが一時的である事を、知らぬ者はいなかっ

たとしても。

 春匡暗殺の下手人も未だ捕まっていない。



 春末が行く所、当然の如く義風が付き従う。

 無論臣下として断れぬのだが、義風としても小袋(コブクロ)に居るよりはいい。争いの火種が多い方

が、鬼としての気分も優れるというものだ。

 春末が再び洗馬と接触する事も、義風の望む一つの結果である。

 目論見通り不穏の種が増えてきているが、円乃を滅ぼすにはまだ足らない。もっと春末に力を付けさせ、

その後に思う存分春宗と争ってもらわなければならぬ。争う者、どちらも力が強ければ強い程、その戦禍

は大きくなる。小競り合いで終わっては困るのだ。

 例え春末が権力争いを否定したとて、逆に否定するからこそ争いの芽が生れる。春末はそれに気付いて

いないようだが、時に乱を避けようとする姿勢こそが、乱を生む元凶となるものだ。

 いずれにしても、全ては義風と意志を共にする者達の望むまま。鬼として義風が尽力する以上、不可能

な事は何も無い。簡単に行き過ぎて少々面白みが無いが、予定通り滅ぼすという快感はある。それに滅び、

なんと鬼に相応しき言葉と現象だろうか。

 誰がどうしようと、全ては決まっている。人は決して逃れられぬものが在る事を、義風以上に知る者は

少ない。人は鬼から逃れる事は出来ないのだ。

「風よ、静殿はご壮健かな」

「ハッ、郭殿からの文によれば、至極順調との事でございます」

「郭殿とは他人行儀な。すでにお前の父だろうに」

「勿体のうございます」

 馬上、春末は臣下への配慮を忘れない。

 確かに主として仰ぐには、最上の男であった。清廉潔白、公平で思いやりもある。少々武に惹かれすぎ、

直情的と理想的な傾向があるが、それがかえって人物に温かみを付与している。

 文句の付けようがない。

 長所だけでなく、短所もあるからこそ、人に愛されるのだろう。

 しかし好意からであるにせよ、静の事に触れられれば、義風としては面白くない。

 静も人質ではあるが、半分は春日部からの客人である。不自由させるわけにも、義風に付き合わせて各

地を点々とさせる訳にもいかず。身重という事もあって、今は郭の方へ、つまりは静の実家へと預けさせ

ていた。

 そうする事は別段不思議な事ではなかったから、誰に遠慮する必要もなかった。むしろ春末から勧めら

れたくらいであり。義風としても静の側にいると苦しむ事になるから、望む所である。それはいい。

 しかし静と我が子の事だけが、現状で唯一の義風の弱点、痛みである。妻と我が子、これ以上に人間を

表す事は無く、義風は二人を思う度に愚かな感傷に襲われてしまう。

 春末としては、家族の為にも生きて帰るのだ、という激励の意かもしれない。だが今の義風にはその言

葉が痛みにしかならない。

 知ってて言っているのかとすら思え。義風の急所を抉るこの男に、根深い怒りが湧く。

 面白くない。面白くない。

 子も所詮は道具なのだ。静、郭、そして春日部という武器を得る為の餌に過ぎない。

 それを春末如きが何を言っているのか。

 最近富に春末は子供や家族の事を口にするようになった。その度に義風は何とも言えない罪悪感と、冥

府からくる怨霊達の憎しみに晒される。

 もしや静に興味がある訳ではなかろうが。単に同盟相手を知るにしては、いささか過ぎていると思える。

もしかすればこの男、いずこかに子がいるのではあるまいか。

 春末も一勢力を代表する将の一人、女や子の一人や二人いたところで不思議ではない。義風の子を通し、

彼自身の子を思い返しているのではあるまいか。

 この男も別の意味で子や女に心を干渉されているのかもしれぬ。

 とはいえ、それならそれで間者達が調べを付けているはず。しかしいつ報告を聞いても、春末の回りに

いる女といえば後腐れの無い遊女程度で、(当時の基準で言えば)まったく綺麗なものだった。

「使えるかもしれぬ」

 これは一度徹底的に洗ってみる必要がある。少なくとも春末に影響を与える何かがあるに違いなく、そ

れを知るだけでも、これからの事に必ずや役立ってくれるだろう。

 現在だけでなく、春末の過去をもっと探るべきだ。弱みを握られれば、また少し面白い事が増える。

 義風は春末とそつなく馬上で会話しながら、手がかりになるものはないかと、さりげなく聞き出そうと

試みていた。

 誰も鬼から隠れる事は出来ず。自身が鬼にならない限り、いや鬼となってさえ、その手から決して逃れ

る事は出来ない。

 隠し、禍事、その側には必ず鬼が居る。




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