1-4.物事は意識より始まれり


 楓流の一番目の拠点となった地(運び屋ではなく、統治者としての)、それは大陸制覇など思いもよら

ぬ小さな村落であり、高々百人かそこらが住む規模でしかなかった。

 当時楓流の名がこんな地まで届いていたとは思えず。そう考えれば或いは、元々彼が寄っていた豪族へ

庇護を求め、豪族の命で楓流が派遣されたのかもしれない。

 まあこの地に来た理由は良いだろう。どちらにしてもこの地に来ているのであれば、そこへ行く理由な

どはあまり歴史とは関係がない事である。

 楓流としても、身を落ち着けるのであれば、何処へ行っても良かったのだと思える。

 ただ、もし豪族の命に寄って派遣されたのであれば、供が凱聯一人だけというのは、ちょっとおかしい

気がするが。例え小さな村落でも自警団のような組織は必ずあったから、初めからそれを使う腹であった

のだと想定すると、奇異な事ではなくなる。

 それとも、もしかすれば豪族に体よく追い出されたのだろうか。

 いや、やはりこの二人で充分だと豪族が判断したのだと思える。

 庇護を求めるくらいであるから、おそらくは付近に山賊団なり強盗団なりが出来たか、或いは虎でも出

たのか、何かしら悩みがあった事は確かだろう。しかし楓流が訪れて後、暫くの間は何事も無く過ぎ去っ

ている。

 そこから考えると、さほど脅威に思える悩みでは無かったのだろう。だからこそ少数で送った、或いは

楓流達が望んで向かった。そう考える方が自然である。

 それにこの村落がある地は、当時他の豪族の支配地となっていた。小さな村落などは境界が曖昧である

が、支配豪族に庇護を理由として村を乗っ取ろうとしていると思われるのが、おそらく嫌だったのだろう。

 支配下の村落が庇護を求めるくらいであるから、その支配豪族との関係は悪くなかったようであるし、

その関係に余計な波風を立てたくなかったのだと想像出来る。

 豪族同士の繋がりは時に強いが、往々にして脆い。

 しかしその程度の繋がりでも、徐々に各豪族の勢力が安定しつつある今、豪族達にとっては非常に重要

であった。この時期は丁度その必要性をひしひしと感じ始めた頃であり、或いは友好の証として、楓流達

を譲ったのではないかとも考えられる。

 また或いは逆に、楓流が寄っていた豪族へと、同盟の質としてその地が譲られたのかもしれない。

 この辺の事情もまた良く解らず、読者諸氏の御想像に任せるしかない。

 ともかく、この頃は豪族同士の交流が活発になっていたのだと、そう思っていただければ良いだろう。

 楓流の上にどの豪族が居ようと、さほど歴史的意味とは関係ないと思える。ただその頃はまだ楓流も、

単なる雇われ統治者とでも言えばいいのか、そのような存在でしかなかったのだと、それだけを覚えてい

てもらえればいい。


 楓流が派遣された村落の名を、集の村という。その名からしても如何にもぞんざいで、どうでも良い場

所と思えるが。小さな村落などは何処もその程度のものであった。

 何しろ人口百人かそこらの村である。その由来もたまたま難民が流れ着き、そこに集まって村を形成し

たという、そのままの意味で付けられ、捻りもありがたみも無い。

 特産品がある訳でもなく。何か誇れる部分がある訳でもなく。小さな強盗団、旗揚げ当初の強盗団が狙

うには手頃かもしれないが。さりとて取るような物は数える程しかない。そんな場所である。

 だからこの程度の村落は、度々交渉の材料として使われた。小さな村でも一応人は居て、兵も居る。単

に軍や交易の中継点としても良い。それなりの使い道はあるから、手頃であったのだ。

 だがあくまでもそれなり、であり。支配豪族からもそれなりの扱いを受ける事となる。もっと言えば放

って置かれるのが常である。

 大体が護り難い。小さな村で防衛設備も無く、わざわざ兵を置くのも面倒であるし、そんな余力がある

ならば、もっと別の使い道を考えるのが支配者であろう。

 だから強盗団に襲われやすい。盗る物が少ないから、そこが目的地となる事は無いものの。通りがかり

の駄賃として略奪された。惨い話だが、強盗からすら一段下と見られていたのだろう。

 ただ支配者や強盗からすれば取るに足りぬ村落でも、襲われる方とすれば深刻極まりない。

 まだ物ならば良かった。人数が少ないから、いくら取られても何とか食うだけは食える。森も近く、山

も近く、川も近い。食おうと思えば何でも食える物はある。都市のように貧富の差もないし、単に生きる

だけならば理想的な環境ではあった。

 少なくともただ生きるだけならば、都市や町よりも都合が良かったのだ。

 ならば何を困るのかと問えば。ようするに女と子供である。

 小さな村だけに奪うものとすれば、一番金になるのは女か子供だろう。しかしその女と子供を奪われて

しまえば、村は絶えてしまう。子が居なくなれば、後は滅びるしかない。

 村人としては深刻である。小さな強盗団であっても、大抵数十人単位で構成されている。そんな人数で

武器を手に襲ってこられれば、村人達にはどうしようもあるまい。

 精一杯に逃げるだけが、唯一の対抗手段である。防衛設備なども無い。護ろうにも家屋と畑しかないの

だから、どうしようもないのである。

 防衛の知識なぞあるはずもなく。武器も青銅の鍬(くわ)か斧、狩猟用の弓矢が少し。後は石でも投げ

ようか。こんな事では何をしようもなかった。

 だからこそ、税を払っても、豪族へ庇護を頼むのである。例え親身になってくれなくとも、その支配下

にあるというだけで少し気は楽になり。時として面倒だから(豪族を敵に回してまで、襲う価値は無い)

と強盗団が見逃す事もある。

 本当に小さな安心と希望ではあったが、すがれる者が居ないよりはましだろう。


 楓流もこの地を見、厄介な仕事を請けたものだと、正直に後悔をした事を書き残している。

 凱聯も豪族の整った街を見ていただけに、この格差に耐えられず。いっそ貰う物だけ貰って、後はさっ

さと逃げようとまで口にしたようだ。

 形としてはこの村に雇われた訳だが、この時代にそんな倫理感情は無い。そんな心は善意の奉仕活動に

近く、絶対なモノとはされていないのである。

 報酬に見合わない依頼であれば、例え平然と放り捨てたとて、誰に文句を言われる筋合はないのだ。

 村人もそれを承知だから、とにかく愛想良く二人に接し、女や出来る限りの食べ物と酒を振舞った。村

人にはそれだけが精一杯の防衛術、生存術だったのだろう。

 楓流は辞退したようだが、凱聯は遠慮なく頂戴(ちょうだい)したらしい。主従ではないのだから、何

をどうするかは二人各々に決める事。それに対して文句を言う筋合は無い。この時、二人はあくまでも兄

弟分でしかなかった。

 楓流は凱聯の調子の良さには困っていたようだが、かといって何も言えなかった。

 村人の相手は凱聯に任せ、楓流は楓流で、地形を把握すべく独り付近を歩く事とし。村中を歩き回り、

次に村周辺までを広く歩いた。

 休みもせずにこれを黙々と続けたというのだから、つくづく妙な男である。一度集中すると、他のモノ

に関心がいかなくなる型の男であったのだろうか。

 村へ戻ると簡単な地図を作り、休みもせず、次に長老のような立場にある村一番の年寄に、様々な事を

聞きに出かけた。一年を通しての天候、襲われた事があるのならその方法はどうだったか、一体強盗はど

の辺りから来たのか。自警団の状態はどうか、一人一人のやる気はどうなのか、どの程度誰が頼りになる

のか。様々な事を聞き、一々書き記したようである。

 それも終わると今度は木組みの防柵作りにとりかかった。勿論手の空いている者を総動員してである。

 堅固な壁などは無理でも、とにかく護る意志、護る姿勢を見せる事が大事だと楓流は説いた。そういう

形があって、初めて心構えが生れる。その第一として、護りの象徴となる防柵を作るのだと。

 楓流は今までの投げやりな姿勢を一変させ、全てを改変する事を要求したのである。護られるのではなく、

自ら護る事を教えたのだった。

 そして自分に付いて来れば、必ずこの村を護り抜いてみせる。この言葉が嘘であれば、その時は自分は

どうなっても構わない。とにかく、まずは一度だけ機会を与えてくれ。その結果を見てから判断してくれ

と、懸命に村人へ説いたのである。

 村人達は楓流の言った全ては解らぬまでも、それに従う事にしたようだ。

 いや、従うしかなかったのだろう。彼らには豪族から派遣された楓流の他、頼れる者など居なかったの

だから。



 楓流が来てより数年の月日が流れ、彼は二十五の年齢を得た。

 表情は落ち着きを増し、来た当初にあった若さと甘さも抜け落ち、すっと引き締まった顔となり、村人

達からの信頼も篤くなっていた。

 これまで小さな強盗団などが現れた事もあったが、その度に楓流率いる自警団が撃退し。浸入以前にこ

の村の護りを見て、これは厄介だと強盗団の方から避けてくれる事もあったようだ。

 この数年の間に少しずつ防衛力を増加し、初めは木柵であった防壁も、今は人の倍くらいの高さの石壁

となっている。付近には狩猟用の物から発展させた罠を設置してあった。

 村の規模も増し、今では町と言っても差し支えないくらいの規模はあろう。詳しい人数は解らないが、

戸数でいえば二百に及ぶ。

 大陸の何処を見ても治安が悪く、真面目に働いても片っ端から奪われてしまう為に、住民の移動が激し

い時代である。少しでも良い場所へ、良い場所へと、土地への愛着よりも安全を求めて人は集まる。

 集の村が安全らしいと旅商人等から広まったのだろう。後から後から人が家財を持ってやって来た。

 大きくなればその分防壁を広げねばならず。目立つ為に盗賊や豪族団から狙われやすくなるのだが。自

警団員も自然と増して、労働力も数十倍になり、人が増えた利点を活かして、楓流はこの地を上手く治め

ている。

 もう楓流を雇われ者、流れ者などと思う者はいない。村内での権威は支配者に近く、彼自身が望む望ま

ないに関わらず、絶大な信頼と尊敬を寄せられていたのである。

 凱聯も彼の片腕として、その権威を増している。生来軽い所があり、その為に問題をしばしば起こすの

だが、それでもその軽さを愛嬌と変え、住民の受けは悪くない。広報や接待役のような役割となり、彼の

おかげで無口で威圧感のある楓流も、容易く情報を集め、住民と上手く関わる事が出来ている。

 それに彼は、実際働き者ではあった。

 村名も正式に集袁(シュウエン)と改め。改名をきっかけに村ではなく、町という呼称を使い始めたよ

うである。

 集はそのままだが、では何故袁かというと。単純にここ一帯を治めている豪族が袁氏だったからである。

 言わば世辞であるが、いかに大きくなったとはいえ、一豪族に敵うはずもない。弱い以上は、強者の御

機嫌取りをしなければならない事もある。もう二度と途上で壊されたくはない。

 楓流は運び屋時代の一件から学んでいたのである。

 良いとか悪いとか、嫌とかどうとか、そういう事ではなかった。しなければ滅ぼされる。住民以上に、

彼には大きな危機感と恐怖があったのである。嫌な記憶はいくら望んでも消えてくれなかった。しかしそ

の代わり、その恐怖感が危機回避手段を教えてくれる。

 袁氏にはこれまでも事ある毎に金品を贈り、村を大きくしたい旨など、細々と許可を取り、常に袁を立

てていた。袁氏としても村が成長するに越した事は無い。自分を立てている限りは、例え多少なりと苦々

しく思ったとしても、余計な波乱を起こそうとは思わなかった。

 楓流の手腕と人柄も買っていたようである。

 楓流は実に細やかな気配りを見せ。凱聯も自らが使者となって積極的に袁氏を称えた。凱聯は自尊心が

高く、およそ人に従うという事をしない男であるが(楓流以外に対して)、その彼ですら、運び屋時代の一

件だけは、骨身にしみて堪えていたらしい。

 袁氏の頭領は袁夏(エンカ)といった。

 強欲な男ではあるが、それなりの節度を持っており、評判は必ずしも悪くはない。元は山賊の首領だっ

たらしいが、ある程度の教養も備え、話の解らない男ではなかった。

 当時の豪族の典型とでもいうべき男だろう。

 だが時代が時代である。いつ何がどうなるかは誰にも解らなかったし。一応は袁に対して臣下の礼をと

っている形だが、同時に楓流は独立国のような態度で応じる事もある。

 敬しても卑屈にならず。複雑なようだが、頭目同士の間柄などは、いつの時代もそんなものだろう。

 いずれ尻尾を切られるか、切られる前に下克上となるか。支配被支配と言っても、そういう関係である。

 だが今の所は楓流に何をどうしようという野望も案もなく。袁夏も他の事で手一杯である。幸か不幸か、

この二人の間柄は今しばらくの間上手く運び続ける事となる。

 楓流はただ只管にこの集袁という町を大きくする事しか念頭になかったようだ。素直というべきか、極

端というべきか、彼の生涯はどうもこのようにして過ぎ去っているように思える。

 ひょっとしたら、こうして町を作ったり、国を作ったり、制度を改めたり、住民を教化したり、組織を

強靭にしたりと、そういう事が好きな男だったのかもしれない。

 そうでなければ、こうも執拗なまでに懸命に働いた理由が解らない。一般に云われるように、ただ真面

目で清廉な男であったのだと言うには、余りにも度を越し過ぎている。

 その点には凱聯も同じ評価をしていたようで、兄貴分と立ててはいても、事ある毎にもっと欲を出すべ

きだ、兄貴はこんな所で終わる漢ではないと、うるさいくらいに焚き付けていたらしい。

 しかし楓流がそのような言葉に乗るような男ではなかった事もまた、明白な事であって。柳に風とばか

りに半ば無視していたようである。

 凱聯の不満はこれからも終生消えなかったようだが、それでも喧嘩別れしなかったのは、よほど楓流を

買っていたのか、それとも所詮自分は楓流あっての存在だと解っていたのか、それは良く解らない。

 ともかくこうして町としては満足のいく発展を遂げていたが、今一つ大きな問題が残されていた。

 それは軍備である。確かに並みの強盗団ならば、もう相手になるまい。しかし世は治まる所か乱れる一

方で、各地に割拠している豪族同士が相争い、戦禍の激しさが増すばかり。この町もいつ他の豪族に襲わ

れるか解らない。

 烏合の衆である盗賊などと違い、豪族ともなれば組織された軍隊を持つ(勿論後世から見れば、真にお

粗末な組織ではあるが)、自警団ふぜいが果たして何処まで戦えるのだろう。

 皮肉にも町が大きくなればなるほど侵略の危険は増していく。楓流は最近その事で、常に頭を悩ませて

いた。

 それに相談する相手が居ないと云う事が、彼を非常に悩ませている。そろそろ一人では支えきれなくな

っているが、しかし凱聯や町の者では今一つ頼りにならない。

 軍備もそうだが、彼は政務を任せるに足る人材を渇望していたのである。




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