1-5.智者賢人


 人が増え、人の往来が激しくなれば、当然のように旅商人や職を求める者の姿も多くなる。

 今では、旅商人同士が資金を出し合い、運び屋ではなく私兵として警護を雇い入れ、隊列を組んで大陸

全土を大きく移動しながら交易を行なう、隊商まで訪れ始めていた。

 隊商の中継点となる以上に、その町の安全を証明する事はなく。楓流もこの時ばかりは平素の苦悩を忘

れ、初めて隊商が訪れた時は、自らもてなした程喜んだという。

 このように人の往来が激しくなると、大陸各地の噂が自然と集まってくるものだが。その中でいくつか

気になる噂があった。

 一つは途方も無い智謀を持つと云われる賢人の噂。

 二つは怖ろしく算術の立つ役人の噂。

 三つは人里離れた場所で隠れ住むように生活している、実に様々な技術を持つ者達の噂。

 詳しくは解らず、どれもその真偽は解らないが。もし一つでも本当であるならば、そしてもしその者に

尽力を乞う事が出来れば、それはどれだけ今の楓流にとってありがたい事だろうか。

 楓流は住民達に特に願い、これらに関する噂を微細に到るまで集めてもらった。

 住民達も楓流には感謝しており、何か出来る事があればと常々思っていたのであるから、喜んでその願

いに応じ、実に様々な噂を仕入れて報告してくれた。

 その結果、三つ目だけはどうにも詳しい事が解らないままだったが、一つ目と二つ目に関しては、おそ

らく有名なのだろう、名前と素性がある程度判明したのである。

 一つ目の人物の名は魯允(ロイン)。弁が立ち、論じれば敵う者無し。その厳しい言葉に誰も反論出来

ず、その見識には誰も及ばない。自他共に大陸一の智謀であると認め、各勢力からひっきりなしに勧誘さ

れているが、誰もこれも馬鹿ばかりとまるで相手にしていないらしい。

 二つ目の人物の名は恒崇(コウスウ)。口下手でのんびりした動作にだらしない表情と、一見して愚鈍

の極みのような男に思えるが。これが計算だけは達者で、速く、しかも一度として間違えた事がないとい

う。しかしあまりにもだらしなく見える為に、誰からも馬鹿にされ、ほとんど話しかける者もいないとか。

 一応最下級の役人として働いているが、上司の関係、仕事、共に上手くいっていないそうだ。

 どちらも一癖も二癖もある者だが、さりとてこの集袁に招き入れる事が出来れば、必ずや楓流の助けに

なってくれるだろう。

 とにかく楓流一人では手一杯の状況なのである。

 この際少々人柄に問題があったとて、使えるならばそれでいい。楓流は半ば捨て鉢のような心境で自身

を納得させ、袁夏へとこの両名を誘い入れたい旨、知らせておいた。行ってみなければ迎え入れられるか

は解らないが、何でも事前に知らせておいた方がいい。

 袁氏との関係が、いずれはどうなるか解らぬでも。今はまだ、袁夏に敵視されるのは不味い。

 幸い袁夏も色好い返事をくれ、自分も噂を聞き、かねがね一度会いたいと思っていた所であるから、丁

度良い。よければ自分の名代と名乗っても構わぬと、そんな風にも言ってくれた。

 これはもし本当に使えそうならば袁夏がいただく、という暗示も込められている訳だが。楓流もその点

は仕方が無いと思っている。従属している以上、全ての利から袁夏に対し、常にいくらかを支払い続けな

ければならない。

 金や物資だけでなく、人材面でも同じ事である。むしろ、どの勢力も常に人材を求めていたから、人材

面にこそ口出しされる事が多かったようだ。

 それでも二人入れれば、一人はこちらへ与えてくれようし。一人しか入れられなくても、その一人をそ

っくり取ってしまうという事はないだろう。

 いくらなんでも、こちらの利を全て横から攫(さら)っていくような事は、流石の豪族もする事は少な

い。そんな事をすれば、豪族の名に傷が付くからだ。

 大体が豪族に付き従う者などは、豪族を頼り、その庇護と力をもらおうとする者、或いは単純に食わせ

てもらおうというような輩ばかりである。そう言う意味でも、豪族は太っ腹でなければやっていられない。

 頼みがいが無い、仕えてもおこぼれに与れない、では、誰一人として付いてくる者はいまい。

 山賊の親分、肉屋などの商家から豪族に転身する者が多いのは、そういう組織と基本的な仕組みが似て

いたからなのだろう。

 忠誠心を満足させる為、自らの良心に従って、ではなく。あくまでもその関係には利害が前提とされる。

 ついでに言っておくと、同じ賊でも、山などに拠点を持つ定住の者を山賊と呼び。町から町へ、街道か

ら街道へと流れ荒らす流れ者、或いは縄張りがあっても少人数の者達を、強盗、強盗団などと呼んでいる。

 勿論人によってその定義はまちまちではあるが、一般にそう認識されていると思っていただいて差し支

えない。ようするに賊の名が付けば、その分たちが悪いという訳である。

 まあとにかくそういう訳で、豪族の中では臣下の利もある程度は保証されている。

 それに袁氏の名があった方が、説得する場合に利があろう。集袁もそこそこ知れてきたとはいえ、高々

町一つしか持たぬ者等に、賢人が付いてくるとは思えない。

 賢人智者と一言に云っても様々な者が居る。皆が皆天下泰平を望み、自らを徳と大義の為に役立てよう

と考えている訳ではない。

 こうして噂が流れるのも、一つには自分の値を上げる為ではなかろうか。いかに人の口に戸は立てられ

ぬとはいえ、それだけではこうも噂が広まる事はあるまい。

 ある程度は望んで広めさせているのではないだろうか。

 賢人登用もそういう所が厄介で、そういう輩にまんまと騙される豪族も多い。役にも立たぬのに高給を

取り、贅沢三昧したあげく、いざとなれば真っ先に逃げるという、自称賢人も多いのだ。

 この魯允の場合も、噂は美辞麗句ばかりだが、あまり実際に何かをしたという話が無い。偉大やら立派

やら、そういう言葉は多いがまるで名ばかりである。

 そこが心配だったが、さりとて他に当てがある訳でもなし、ともかく会って見ようと思った。どちらに

しても会う前に決めてしまうのは乱暴であるし、無意味な事であろう。

 会うとすれば楓流が行くしかない。凱聯も弁舌の腕は悪くないが、人を見る目がどの程度あるのか。使

者くらいならばまだしも、賢人を招くのには力不足だと思える。凱聯は小事を任すには便利でも、大事に

は使えない。

 とはいえ、楓流が行くとなれば、その間この凱聯に集袁を任す事になる。

 悩んだが、噂の二人が居る町はさほど遠くなく、急げば一週か二週そこらで戻って来れよう。楓流も健

脚には自信がある。結局は予定通り、自身が行く事に決めた。

 楓流が不在でも、その辺の強盗団などに負けはしまい。

 凱聯にくれぐれも自重するように伝え、楓流は不安を抱えつつも、とにかく急ぎ旅立ったのであった。



 封円(ホウエン)、それが魯允の住まう町である。

 その名の通り、円(エン)という氏族が封ぜられた地だと伝えられている。

 円とは古の昔に隆盛を誇った氏族で、この地一帯を大きく治めていたそうだが、とうに滅び、今はその

名残のような僅かな伝承が残るのみである。

 ひょっとすれば始祖八家の一つではないかと考えられているが、何せ記録が残っていない為に、詳しい

事は判明していない。楓流が訪れた当時でさえ、寂れた墳墓が残っているくらいで、すでに失われた伝説

上の名となっていたようだ。

 魯允が円氏の子孫という事はないが。円氏に仕えていた者の末裔(まつえい)とは名乗っていたらしい。

おそらくはそれも喧伝の為の作り話であろうが、信じている町人は多い。そういう虚偽を使うのが巧い男

なのだろう。

 詳しく聞く度に胡散臭さだけが増していくが、さりとてここまで来て会わずに帰るのも馬鹿らしい。

 何やら妙な事になったと、半ば後悔しながら。楓流は魯允が住むという町外れの寂れた庵(いおり)を

訪れた。

 枯れ木を組み、葉を乗せたような粗末な庵で、見るからに人を哀れへと誘う。

 当時の自称賢人達はこういう住まいを好んだそうだ。そういえば楓流も形に拘る方であるし、もしかす

れば大陸人の中には、形を好む所があるのかもしれない。

 血統信仰といい、形式美を重んじる癖が見受けられる。

 最も、いつもそれが全てという事は無いのだが。

 戸をくぐると、庵の中は案外快適に作られているようで、しっかりと木板で四方を囲い、雨風を凌(し

の)げる作りとなっていた。無理矢理外観を飾り立てる事に何の意味があるのかは知らないが、魯允とし

ては庵は哀れを誘うもの、という絶対的概念(がいねん)でもあるのだろう。

 中に入れば実は知れる、真に子供騙しであると思うが、彼はそういう事は気にしていないようだ。

 ここに到って、楓流は後悔の念をはっきりと感じた。こういう手合いも多いとは聞いていたが、まさか

自分がそれそのものといった解りやすい存在に出会ってしまうとは。驚きや呆れを通り越して、もはや滑

稽(こっけい)にすら感じる。

「いや、外見ばかりを気にするからと言って、必ずしもそれだけでその人物の全てが知れる訳ではない」

 九割方期待を込めた弁解ではあったが、確かに見栄張りと個人的能力とは関係ない。勿論まったく関係

ないとは言えないが。それだけで人を判断する事は、早計であるのは確かだろう。

 一目で解る程、人間は上手く出来ていない。ここはやはりじっくりと確かめるべきである。

「魯允先生はおられませんか」

 中は薄暗く、奥までははっきりと見渡せない。しかし奥には奥で薄暗い明かりが灯り、何やらそこに動

く影が見える。おそらくそれが魯允なのだろう。

「誰か」

 影がこちらを向く。すると遮(さえぎ)られていた灯りが伸び、ようやくその姿をはっきりと見る事が

出来た。

 思ったより小柄で、年齢はすでに老齢に近い。長く髭と眉を伸ばし、質素な衣服に身を包むその姿は、

正に絵物語に出てくる仙人そのものである。

 その仙人が薄明かりの中、静かに書を読んでいる。工夫も何も無い。真に解りやすく、そのままで一枚

の絵に出来そうな光景だ。

 全て計算しているのだろうか、それとも偶然か。どちらにしても出来すぎているという印象を受けた。

「袁夏様の名代として先生に教えを乞い願いたく参りました。名は楓流と申します」

「わしが魯允じゃが」

 灯りを持ち、男がこちらへ近付いてきた。小さな灯りが揺らめき、男の表情を何度も照り返す。その度

に光と闇が現れては替わり、静かな表情に重みが増していくようにも感じる。口調もゆったりとして穏

やかで、聞いているだけで人を落ち着かせる力があった。

 真に立派に見えたが。やはり絵画的であり、それ以上に作り物めいて見える。

 同じ仙人でも、父、楓壁とは比べるべくもない。

「貴方が魯允先生でしたか。お会いできて身に余る光栄に存じます。どうかその貴いお考えを、この愚か

な男へお聞かせ下さい」

 楓流は深く礼の姿勢を取る。挙措動作にかけては、貴人も凌ぐ男である。その姿を見、魯允も何かしら

思う所があったようで、手厚く迎え入れてくれた。

 ようやく来たわい、そういう感じであろうか。

 それから二人は座し、天下国家を大いに論じ合った。

 こういうのは余り楓流の柄ではないのだが、それでも懸命に応じ、素直に聞いた。相手のやり方に合わ

せる事が、その心を掴む第一歩である。相手に気持ちよく話させてやればいい。

 しかし、やはりと言うべきか、魯允の言葉には大した価値を見出せなかった。

 彼の論は確かに立派で、確かにそれが出来れば万民幸福になれるのだろう。だが余りにも夢想広大で、

まるで現実味が無く、ただ只管に古の賢人の言葉を弄するばかり。それなりに知識も経験もあるようだか

ら、まずまず使えるかもしれないが。深みがなく、上っ面だけの議論を聞いているのには、どうにもし

んどい思いをした。

 これを毎日聴かされると思うと、流石にうんざりする。

 ただ数多の書物を諳(そら)んじ、幾許かの術は心得ている様子。いかにも豪族に気に入られるような

男であったから、これは別の意味で使えるかもしれぬと思い、楓流はとにかく登用を試みる事に決めた。

 押しかけたのはこっちであるから、そこに半ば義理のような気持ちもあった事は確かだが。何でも使い

様なのは確かであろう。

 しかしいざ魯允を迎え入れたい旨を願うと、わしは俗世の栄華などに興味は無いと、すげなく追い返さ

れてしまった。

 二日、三日、それでも粘り強く通うと、ようやく魯允は応じてくれ、今度は一転して乗り気となる。

 楓流は不可解に感じたが。よくよく考えてみて、なるほどそう言うモノかと思い立ち、一つ悟った思い

をした。これもまた一つの形式美。今までの豪族に登用されなかったのは、ここまで篤く迎えようとしな

かったのか、儀礼に通じていなかったのか、どちらかだったのだろう。

 三度めでようやく応じたのも、自分をどれだけ重く見ているのか確かめる為か、多分古の賢者か何かを

真似たに違いない。勿体振っただけである。

 楓流はげんなりとしつつ、魯允へ後に迎えを寄越す事を伝え、急ぎ次の目的地へと向った。 




BACKEXITNEXT