1-6.繁栄と云う事


 次の目的地は、深井(シンセイ)。その名は街の中心にある深い井戸を現しているのか、それともこの

四角に整った街並みを現しているのか。ともかくも繁華な町である。

 規模は町というよりも都市に近く。きちんと区画整理されている所から見ても、村から育ったのではな

く、初めから拠点とするべく設計して造られた町である事が解る。

 ここは交通の要地であり、各地へと続く道の丁度交差する点に当る為。ここへ拠点となる町が望まれた

事に、何ら不思議はない。

 人の集まる所には、当然のように集落が形成されるものだが。そうならなかった所を見ると、この地に

支配者が現れてから人通りが激しくなったのだろう。元々栄えていたから、それを狙って支配者となるべ

く現れた、という訳ではないようだ。

 或いは元々あった村だか町を、大規模に作り変えたのかもしれない。

 人の集まる場所に町を作れば、自然とそこは栄える事となる。子供でも解りそうな理屈だ。投資する価

値は充分に見込まれていたと思える。

 人の手で作られた町と聞くと、何やら新しい町である気がするが。意外にこの町は古い。いつ造られた

(作り変えられた)のかが記憶から消えるくらい昔から在り、昔から栄えてきた。

 確かに大都市とまではいかないし、全土に響き渡る程の町ではない。有名な特産品がある訳でもなし。

あくまでも、この地方では有名だという、その程度の栄えではあったが。この時代では珍しく食料に余裕

があり、財力があり、人心もそれなりに安定し、守備兵は多く治安が良かった。

 しかしその反面貧富の差が顕著(けんちょ)に現れ、人々の間に権力志向が強い。物々交換ではなく、

貨幣が主流である所から見ても、商人的気質が強い事が解る。

 厳しくない訳ではないが、一応は食べていける。人は皆飢えていない。しかし何かその風景に息苦しい

ものを感じる。そんな町であった。

 商人の力も強く、支配者達と強く結び付いて画策し。人々は些細な差を見付けてはお互いを蔑視する。

 言って見れば、誰もが誰もを品定めしつつ、商品として見る町であり。貧しい者や技能の無い者が生き

るには、少々辛い場所かもしれない。

 大都にまで発展しなかったのは、ひょっとすればそう言う点があったからだろうか。昔からそういう点

が強い地だったとすれば、これだけ栄えて見えるのに、いまいち伸び切らない理由も解ろうというものだ。

 お互いに足を引っ張り合うような間柄では、どうしても一歩飛び抜ける事は出来ず。それが緩慢な停滞

を招いているのだろう。

 この地を治める豪族の名は、豪(ゴウ)氏。頭領の名は豪炎(ゴウエン)。

 その血筋は深井同様古く。一説には始祖八家の時代から、この辺りを治めてきた家系であるらしい。

 真偽定かではないが。少なくとも、人の記憶が曖昧になるくらい昔、百年単位の古い時代からこの地一

帯を治めてきた事に間違いは無いようだ。

 資金も割合潤沢で、ひょっとすれば大陸にある勢力の中でも、力のある勢力かもしれない。

 楓流が所属している袁氏とは、領を接している上に気が合わず、どうにも仲が悪いようだから、素性が

知られぬよう気を付けた方が良いだろう。

 深井は区画毎に関があり、厳しく取り締われているそうだ。しかも目当ての恒崇は役人であるのだから、

引き抜くのも楽ではあるまい。

 いくら嫌われていようと、一応は配下である役人を持って行かれて、はいそうですかと言うような支配

者はまず居ない。下手をすればそれを口実に、袁氏との間に戦端が開かれる可能性もある。

 そうなれば集袁も黙ってはいられまい。無用な戦禍を招きたくはない。ここは慎重に行動し、納得いく

形で遂げなければなるまい。

 しんどい事である。これなら魯允の論説でも聞いていた方が、まだましだっただろうか。

 準備が要る。

 楓流は警備の物々しさに不安を覚えながら、そう思い立ち。一度付近の村に行って、そこで幾許かの品

を得る事とした。その品を交易品として、旅商人にでも成りすました方が楽に入れるであろう。

 前述したように、金持ちや商人には優しい町なのである。

 楓流には幸いにもそこそこの資金があったから、身なりをそれなりに整え、らしく見せかける事に苦労

は無かった。小さな村故、色々と物を探すのには労したものの、そこは金さえ払えば何とでもなるもので

ある。

 深井のように充分に食べれる場所などはそうそうないものだから、こういう小さな村では、深井とは別

の意味で金や物が力を発揮する。少し哀しくも思えるが、それもまた事実であった。

 楓流は他にもこの村で、一組の姉弟を買った。無論、従者とさせ旅商人の体裁を繕(つくろ)う為である。

 双子だろうか、良く似た年恰好と姿で、どちらも14、5くらいだろう。浅黒く痩せた体は美人ではな

かったが、どちらも快活な笑顔が愛らしく、従者とするにはもってこいに思えた。

 元々娘だけを買うつもりだったのだが、仲の良い姉弟だからと両親から特に乞われ、押し切られるよう

に二人を買い受けてしまった。多少不服ではあったが、確かにこの二人は仲が良さそうではある。押し付

け賃として多少まけてもらったから、悪い買い物ではなかった。

 当時、子供が売られる事は珍しくない。むしろ捨てる方が多いのだから、まだ人道的とすら云えた。子

供は労働力か、商品とする。そうでもしなければ、家族皆飢え死にするしかないのだ。

 売られて不幸になった者ばかりではなく。逆に売られる事で、子供の方も飢えずに済むという事もある。

無論、そんな風に人に売られた人生が、果たして捨て子として命を終えるよりも、どれだけ幸せなのかは

解らない。

 救いがあるとすれば、子供達にもさほど売られる事に悪感情があった訳ではない、という所だろうか。

 子供はいつの時代も聡い。大人はどうしても軽く見てしまうが、彼らは彼らでしっかりと自分の人生と、

そして家族の事を思いやっているものである。

 子供としては、ああ、ようやく番が回ってきた、その程度の感傷しかなかったようだ。

 むしろ自分よりも弟や妹が先に売られる事の方が辛く。その事で両親と口論になったりなど、そういう

事はあったようだが、基本的に受け入れていたと伝えられている。

 どれだけ信憑性があるのかは解らないが、生きていられるだけましであると、そういう事が良く子供の

間で語られていたそうだ。もっとも、それすら半分は自分を慰める為だったとも推測出来るのだが。

 ともあれ、当時の感情としては、子を買う事も売る事も罪とはならない。

 楓流が娘の方を買おうとしたのは、旅商人がいざという時に娘を身代わりとしていたからだ。強盗山賊

に遭遇した時、どうかこの娘でお許しくださいと、情けを乞うのである。

 強盗としてみれば、初めから全て奪うつもりなのだから。そんな事で一々許す訳も無いのだが。たまに

興がって許す強盗もいたらしく。何も無いよりはましと、今で言えばお守り代わりに連れていたのだろう。

勿論、娘を道中の慰み物とする為もある。

 男を買って護衛とすれば良いという考えもあったが。それよりもやはり旅商人は娘の方を好んで買った。

屈強の男を買うか雇うかすれば、それは確かに心強かろう。しかし雇った男に殺され、買った子供に身包

み剥がされる、というような事も数多く起こっている。

 力が強いから頼りになる。しかし強いからこそ自分が襲われても抵抗出来ない。よほど信頼出来る人物

か、その理由がない限り、強者を雇うのも危険であった。

 この時代、一般に女は武芸を学ばぬ為、例えあるかないか解らぬような効果でも、安全面をこそ重視し

て娘を買うようになったのだろう。

 二人の子の名は、胡曰(ウエツ)、胡虎(ウコ)といった。姉が曰、弟が虎である。

 楓流も買った子に殺されるという事を恐れなかった訳では無いが。深井までは近く、人通りの多い道ば

かりで。用が済めば自由にしてやるつもりであったから、その点は楽観視したようだ。



 深井までの道のりは短く、問題なく到着した。

 この付近は人通りが多く、深夜でもなければ強盗の類は出没しない。いくら人通りが多く、獲物が多い

と言っても、それで捕まったり返り討ちにされては元も子もないからだ。

 彼らも遊び半分でやる訳ではなく、生活の糧としてやっている。誰もが必死であり、驚く程彼らは慎重

に行動する。中には大雑把な者もいるが、そういう者は大抵死ぬ。強盗も楽ではない。

 胡姉弟も大人しく、犯意を見せようとするどころか、実に甲斐甲斐しく働き、楓流もこの旅が楽になっ

たくらいである。地理に詳しい者が居るのは心強い。

 どちらも良く気が付く働き者。いっそ本当に従者として雇おうかとすら思った。

 無論、すでに買った以上、彼らをどうするも楓流の自由なのだが。どうにも彼は強制するというのが好

きではなかった。それは彼が山野で自然と共に育ったからかもしれない。

 草木であれ、獣であれ、確かに抗えぬモノもあるが、誰かに強制されると云う事はほとんどない。ある

がままに育ち、あるがままに生きる。余計なものを背負う事も、余計な事を考える事も無い。

 それは人間が彼らの気持ちを理解する事が出来ないから、そんな風に思うだけかもしれないのだが。人

にはそういう風に見える。そしてどこか彼らに憧れを持つ。

 楓流はその必要も無いのに、この姉弟の人生を決めてしまうのは、どうにも嫌だったのである。

 これは道徳観念というよりも、どちらかといえば性格や好みに近い感情だと思える。

 人間様々な考え方や捉え方があるものだが、おそらくそれを最も大きく左右するのは、その人物の性格

にあると思われる。

 経験からくる思い出なども大きく加味されて良いと思うが、やはり生来の気性というものは、いつまで

経っても深く心中に残り、作用するものらしい。

 三つ子の魂百までも、という言葉もあるが。如何に上辺は変化したように見えても、実際に本質的に人

間が変わると云う事は、ほとんど無いのかもしれない。

 自分は変わったと思っていても、基本的な考え方は昔のままなのではないか。それを変わったと錯覚す

る、それもまた人のする大きな間違いなのかもしれない。

 成長、それは虚しい言葉でもある。

 楓流の性格も、生涯を通して、やはりいつも芯は変わっていないように思える。山中で楓壁に育てられ

た時のままであったのではないか。彼が頑固なのではなく、人間はそういうものなのではなかろうか。

 楓流達は門前の列に並び、少しずつ列が短くなるのを待つ。その間は長くはなかった。

 深井の門番は大して怪しむ事も無く、拍子抜けするくらい簡単に通してくれた。袖の下を渡した事が大

して効いたとは思えないが、あっさりと通してくれたのである。

 町への出入りする人は多く。よほど怪しくでもなければ、一々細かに調べている暇がないのかもしれな

い。門番としても、こうも人が多くてはやる気が削がれてしまうのだろう。

 彼らは疲れきった顔に怠惰な表情を浮かべ、関わるのも面倒そうに楓流達を通した。

 中へ踏み入れると、広々とした道路に様々な店が建ち並び、なるほど噂通りの繁栄ぶりである。正直、

集袁などは足下にも及ぶまい。

 だが楓流はそんな事を気にした風も無く、悔しがるでもなく、羨ましがるでもなく、平素の表情のまま、

商人らしくあちこちを物色しながらも、一夜の宿を探した。

 まだ日は高いが、宿などは明るい内に探すものである。早くしなければどこも満員となり、とんでも無

い場所へ泊まる破目になりかねない。

 治安は良いらしいから、他の町よりはましだろうが。宿などでは盗難が多く、下手すれば宿の主人に身

包み剥がされた上、切り刻まれてその辺に埋められると云う事もあった。

 相部屋にでもなれば、同宿人に注意を払わなければならない。この当時、宿に泊まるだけでも、なかな

かに大変な事だったのである。

 しかも自衛が当たり前であり。警備所へ届け出れば一応は捜査もしてくれるが、まず捕まる事は無い。

万が一捕まったとしても、金が戻ってくる事は無い。すでに使われているか、警備兵に盗られたか、どち

らにしても盗まれればそれで終わり、そういうものなのだ。

 一見安穏に見えるこの街並みも、ほんの些細な事で崩れ去る、砂上の楼閣そのものと言っても過言では

ない。常に必死でなければ、とても生きていられない時代である。

 だから一般に人は強い。少なくともその生きる意志は並大抵ではない。だがその分優しさや情というも

のが薄くなってしまっている。強くあれ、常に強くあれ。それもまた、不恰好な人間なのかもしれない。



 宿を押さえると、楓流は休む暇なく役所へと向かった。出来る限り早く集袁に戻りたいからである。

 身軽にする為、楓流一人のみで行き、二人は荷物番として置いておく事とした。帰って来た時、もぬけ

の殻になっていない事を祈る。今はこの姉弟を信じるしかない。

 役所は大抵どの町でも大きな建物で、一目で解る場所に建てられている。賑わっていれば居るほど、こ

こは混雑しており。ここを見れば、大体その地がどんな状態か解るし、統治者の手腕や資質も伺える。

 役所がぴりっとしていれば中々の手腕といえるし。弛みきっていれば、先は無いだろうと予想出来る。

枝葉が全てとは言わないが、組織の末端が一番敏感なのもまた確かであろう。

 この役所は半々といった所だろうか。怠惰とは言わないが、さりとて熱心という風でもない。ただ自分

の仕事を時間内だけ働く、そういった風に見える。

 門番と同じでやる気が無いのか、ここの生活に飽いてるのかもしれない。

 町は賑わっているからそれなりに混雑していたが、その理由の大部分は役人の方にあると思える。その

気になれば幾らでも手早く片付けられように、その意志は感じられない。

 それでも手の空いている者を見付け、金を握らせて話を聞くと。どうやらお目当ての恒崇は外に居るら

しい。外で一体何をするのかと不思議に思ったが、ともかく教えられた場所へ行ってみる事とした。




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