1-7.愚中の真


 そこは厩舎(きゅうしゃ)であった。

 大きさも待遇も様々な馬が並び、一人の男が世話をしている。

 動きは緩慢としているが、それがその男の精一杯である事は、遠目からも見える汗とその姿勢によって

解る。要領が悪く、いかにも危なっかしく思えるのだが、彼は確かに懸命に働き、愛情を持って馬達を世

話していた。

 楓流はその姿に感銘を受けたが、さりとてそうする事がここへ来た目的ではない。

 早速目当ての人物を探そうと、何度か見渡してみた。だが何度見ても、ここにはその男しか居ない。ま

さかこの男だろうか。いや、そんなはずはあるまい。算術だけが得意な男に馬の世話などをさせて、一

体何になるというのか。

 けれども、やはりここにはその男しかいないようである。

 どうもこの男であるらしい。

 待遇が悪いとは聞いていたが、しかしこれは良し悪し以前の問題だろう。計算自体する機会が無いので

は、一体彼にとって、この組織にとって、そしてこの街の民にとって、何かに良い事が一つでもあるのだ

ろうか。

 ここに住む誰もが彼の能力を知っているだろうに、わざわざそれを不意にしている意味があるとでも言

うのか。

 この男が探していた恒崇であるならば、一体この男はどう思っているのだろう。

「あ、もうすぐ終わりますけぇ」

 足音でも聞いたのだろう、男はこちらをゆっくりと振り返った。

「あいや、貴方様は・・・ええと、新しい方で・・ございましょうか」

 自信なげなその声は小さく、語尾が霞むのでまったくもって聞き取り難い。この男は或いは口を開く前

に喋り、喋り終える前に口を閉じているのではないだろうか。

 確かに見るからに愚鈍だった。眉は気弱に両端で下がり、目は落ち着きなく下を向く。どちらかと言え

ば大きな体が、何故か非常に小さく見え、近寄らなければ小男にすら感じる。

 さりとて良く見ようと近付けば、怯えたようにこの男は一歩下がり。近付けば近付くほど、その自信の

無い表情が小動物かのように思わせる。

 まるで裸山の上に一本だけ生えた筍(たけのこ)か、大岩にこびり付いた苔であるかのような男だ。

 それはそれで慈しく、趣きを感じるかもしれないが。楓流はえも言われぬ物悲しさを感じる。

 この男はこうで良いのだろうか。全てにおいて物足りぬ。全てにおいて意味合いを感じぬ。路傍の石で

すらなく、石ですらまだこの男よりは意味があるのだと思える。

 楓流は生れ付いてより選り好みの少ない男であったが、それでも少しの間放心にも似た驚きを味わった

ようだ。それは嘲弄(ちょうろう)していたのではなく、純粋にこのような人間が居る事に驚きを感じた

のだろう。

 何と愚かしく、哀しく、そして澄んだ男なのであろうと。

 思わず触れ寄せようと歩んでしまい、恒崇は怯えてまた一歩下がった。

 そこでようやく楓流は自身を思い出したらしい。無闇に怯えさせた事を恥、改めて名乗り、不用意に近

づいた事を心から詫びた。

「私は楓流と申す者。袁夏様の名代として、貴方に会いに参りました」

 楓流は確信していた。彼こそが間違いなく探し人であると。いや、例え間違えていたとしても、この男

だけは何としても集袁へと連れて行く気になっていた。この男には楓流が焦がれて止まない、純朴さと信

頼があったのだ。

 この男であれば、多少たどたどしくはなろうとも、必ずやこちらの信頼に応え、終生変わらぬ忠誠と尊

敬を誓ってくれるだろう。

 勿論、自分が彼の信頼に応えられるような器であれば、の話ではあるが。

「そ、そんなお方が、わ、わたくしに、何の御用で、ありましょう・・・」

 しかし恒崇の不安は消えない。おそらくまた何か怒られでもするのだろうと、そんな風に思っていたの

だろう。碧嶺の書に寄れば、恒崇は常に虐げられ、理由のあるなしに関わらず、憂さ晴らしかただの嗜虐

(しぎゃく)趣味の為だけに、ぶたれたり蹴られたりもしていたそうだ。見知らぬ誰かでも、恒崇にとっ

ては怖い人だったのだろう。

 楓流を嫌っている風ではなかったが、とにかくおどおどとしている。

「失礼ですが、手伝わせていただきましょう。話はそれから」

 そこで楓流は彼の仕事を手伝う事を決めた。こういう男に理解してもらう為には、誠意を解りやすい形

で見せなければならないと、そんな風に思ったからである。

 恒崇は驚いたようだが、それでも笑顔になり、とても喜んだようだ。

 楓流の胸にいつまでもその笑顔は残ったのだとも、しっかりと書き残されている。それは久しぶりに彼

が味わう、穏やかな喜びだったに違いない。 



 思ったよりも厩舎の仕事は辛かったが、楓流は持ち前の器用さを見せ、瞬く間に要領を掴み、恒崇から

関心される働きを見せた。恒崇の方も文句一つなく、実に楽しそうに働く。運動量も多く。体格に応じ、

彼も相当の膂力(りょりょく)を持っていたようである。

 ぶたれても蹴られても平気で働けるのは、そういう頑丈な体を持っているからなのだろう。

 心も実に晴れやかなものだった。

 ただ手伝うだけでなく、合間合間に恒崇から様々な話を聞いたのだが。それは仕事に対する不満でも、

虐げられている事に対する不満でもなく。馬達への愛情であり、どの馬が調子が良くなっただの、どの馬

が最近少し体調を崩していて心配だの、そういう温かみのある言葉ばかりであった。

 どうやら虐げられている。蔑視(べっし)されている。そういう風に当人はまったく感じていないらし

い。もしかすれば、そういう言葉自体も知らないのではなかろうか。ただ自分の働きが確かに他者に比べ

て、質量共に劣っているから、怒られたりするのはその為であって、自分が悪いのだからぶたれても当然

であると思っているようだ。

 幼少の頃からそうだったらしい。

 父も母も同じように彼に手を上げたり、怒鳴ったりした。毎日毎晩それをした。けれどもやはりそれは

全て自分が鈍いからであって、自分だけが特別に悪くされたなどとは思っていない。恒崇は呆れる程に純

粋であり、優しく、話を聞く度に心打たれた。

 楓流は正直、度肝を抜かれた思いである。

 知れば知るほどに、この恒崇という男の凄みとも言おうか。知らぬが故の清さ、他人の思惑と自身の欲

望に振り回されないが故の尊さ。そういうモノを肌が震えるくらいに感じ、心に伝わってくる。

 子供が持つ愛らしさと言い換えても良いのかもしれない。弱きが故の力強さ、まったくもって敬服する

しかない。これに比べれば、楓流の持つ知識など、枯木のように虚しい存在である。正しく小賢しい。

 だからこそ尚の事恒崇という人物が欲しくなった。

 こういう気の良い男に決断を迫るのは、少なからず心苦しかったが。ここは強引にでも自分の下へ引き

入れたい。楓流も若く、どうしても傲慢であったと言うべきだろうか。

 別に集袁の為だけではなく、純粋にこういう男に側に居て欲しかったのである。少しでも腹を割って話

せる相手が欲しかった。それは凱聯ではどうしても出来ない役柄である。凱聯は全てを楓流に預けている

が故に、重荷にも感じ、どこか無責任に感じる所がある。

 不満とまではいかないが、頼むに足るとはどうしても思えず、安らげる存在とは思えない。

 今の楓流にとって、恒崇のような存在こそ、本当に欲しい人材であったのだろう。

 楓流は登用の事を初めから詳しく言い聞かせた。ゆっくりと噛み締めるように教え、そして諭す。お前

はこのような所で馬丁(ばてい)をやっていい男ではない。確かにこの馬達の世話をする事も大切な事で

あるが、しかしお前の力を使えば、もっと多くの人を助けられるのだと。

 それは独善的ではあったが、楓流の中には確かな好意もあったと言えよう。

「ですけども、私は・・・この馬達が好きで、可愛いので、ございます」

 だが恒崇が無欲であるが為に、説得は困難を極めた。

 何しろ自分に力があるなどとは欠片も思ってもいない男である。人の為に力を活かせるのだと言っても、

決して耳を傾けようとも、信じようともしなかった。

 それどころか、段々必死で自分などを勧誘しようとする楓流自身に、不安すら覚えてきたようである。

 この人は間違えているのではないだろうか。自分を騙すような人とは思えない。ならば、おそらく自分

を誰かと間違えておられる。ならばそれを教え、この気持ちの良いお人に、正しい人を雇っていただかな

ければならない。きっと雇われる人も、気持ちよく働けるだろう。それはとても良い事である。

 それからはもう違う違わないの一点張りで、流石の楓流も諦めるしかなかった。

「間違えて、おられるので、ございます」

 何を言ってもそれしか返しがないのでは、こちらの方が言葉に尽きてしまう。

 恒崇は酷く我慢強く、こういう所は頑固で、何を言っても自分の事だとは理解してくれなかった。

 確かにこういう男だからこそ、心より信頼出来る。しかし信頼出来るが故に、決して欲望に身を任せよ

うとも、それ以前に野望すら無いように思える。今ここで生きていられるだけで幸せなのだろう。

 余りの頑固さに嫌気を感じる事もあったが、最後には己の欲を恥じる事となった。一瞬でも自分の下に

居た方が幸せなどと、傲慢に考えた時から、楓流も恒崇を虐げている者達と同じになっていたのだと。

 確かに恒崇の優しさに付け込めば、無理矢理連れて帰る事が出来るのかもしれない。自分の下に居る方

が幸せだという考えも、他人から思えば確かにそうであるかもしれない。

 だが恒崇は誰かの玩具でも所有物でもなく、一個の意思在る人間である。その一個の人格を無視してま

で、自分の欲の為に殉じさせる事は、甚だ愚かで自分勝手な事だ。身勝手な善意で人を縛る、それこそが

人を虐げるという事ではなかろうか。

「結局、夢も欲なのだ。正義も善意も欲であり、他人にとっては毒でしかない」

 無論それが全てに当て嵌まると云う事ではないだろう。だが今の楓流には痛い程当て嵌まる。彼は心か

ら己を悔い、未熟を悟ると、後は礼を言って恒崇と別れた。ただただ楓流は、己が恥ずかしくなったので

ある。

 残念ながら、楓流と恒崇の道はそれ以後も一度として交わる機会が無く。恒崇はさる戦いに駆り出され、

その算術の能力を有意義に使える機会がほとんど無いままに、歴史の中では名も無き一兵士として、その

生を終えたようである。

 その名は碧嶺の残した書にのみ残り、大きな可能性と清らかな心を賞賛されながらも、その名を知る一

部の人々の中でだけ、聖人として語り継がれている。

 しかしそれらとても、恒崇にとってはどうでも良い事なのかもしれない。

 彼は自ら手塩にかけて育てた馬が、健康にすくすくと育ち、いつまでも元気に働いてくれればそれで良

く。他には何も望んでいなかったのだから。

 しかしそれもまた、馬の意志を無視した恒崇の独善的な考えとも言える。恒崇も正に人であった。

 とはいえ、誰よりもより清らかであり、純粋な心であった事は確かだと思える。それに実際に馬からも

好かれていたようだ。

 彼は確かに優しく、純真であった。

 聖人の名も、その清らかな心の前では、虚しい言葉となる。

 覚悟にも似た思いで遠出を決め、懸命にここまでやってきたが。結局楓流が求め得た人材といえば、魯允

というよく解らない男だけとなってしまった。

 一抹の虚しさを抱え、楓流は帰途へ着く。  




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