10-2.支流から本流へ


 営丘にはまだ四千近い兵が居る。それはおそらく急遽(きゅうきょ)かき集めた兵であり、孫将が斉を

制圧する為に残していた守備兵のほぼ全てであると思われる。その中には当然敗残の兵も居るだろうが、

孫の戦い方を見ていると、それは少ない筈だ。孫はあくまでも戦う事を選び、逃げる事などはよほどの事

なのである。

 だから傷病兵は少ないと言えそうだが、しかし健康な兵達も言わば選抜からもれた者達ばかりであろう

から、孫将の率いていた軍程の力は出せないだろう。斉の首都という事で斉兵も多いだろうし、選抜から

もれるのも当然斉兵の方が多い。ここには孫という名程の力は無いと考えられる。

 解放した斉兵が営丘に帰っているかは解らない。軍に再編されたのか、それとも兵を辞めて家に戻った

のか、或いはもうここへ戻らず何処へと去ってしまったのか。今は孫も兵力が少しでも欲しいだろうから、

もし帰っているのなら再編されたと考えるのが最も可能性が高いだろうが、孫の誇りとやらがそれを邪魔

するかもしれないし、よく解らない。

 営丘へ放った間者達もそこまで細かい事は調べようがないようだ。戦時中故に警戒が強く、詳しく調べ

るには多くの時間を必要とする。工作する事も難しい。

 趙起は少しでも情報を集めようと尽力しながら、趙深軍を待った。

 趙起軍はすでに孫将が率いる本体を破っているから、その後の進軍はある程度楽であったが。趙深の方

はどうしても時間がかかる。防衛に集中する軍を破るのには、時間と労力が余計にかかるものである。

 斉孫も迎え撃つ準備を万全に整えていたし、趙起軍と趙深軍の進軍速度に大きな差がつくのはどうしよ

うもない。

 この差を突かれ、今趙起軍だけを四千の兵力で討とうとされていれば、趙起も簡単にそれを防ぐ事は出

来ず、或いは敗走させられていたかもしれない。

 しかし営丘は趙起軍が迫ってきても門を開かずぴったり閉じたまま、篭城(ろうじょう)する構えを崩

さない。これは孫将という大将が戦死した事による指揮系統の乱れもあっただろうし、趙深軍が後に来る

事を彼らも疑っていなかった事もあったろう。

 孫兵は勇猛果敢(ゆうもうかかん)であるが、孫文にでも命じられない限り、無謀な行動は慎む。今は

もっと強く、負ける事を恐れている、と言う事もあるだろう。ここ営丘を獲られれば、完全に斉は孫の手

を離れ、北方が東方へ侵攻する拠点を与えてしまう事になるからだ。

 孫文も孫将も居ない今、勢いに乗る北方から東方を護る事は容易くない。今までならそんな心配をする

必要はなく、孫の勝利のみを信じていれば良かったのだが、先の敗戦によってその確信は揺らぎ、将兵の

心は変化してきている。

 最早常勝不敗ではなく、孫にも敗北というものがあると(当たり前の事なのだが)解った今では、これ

までのような士気を孫兵に期待する事は出来ない。孫の魔力とも言うべき常勝という力、孫は絶対という

暗示が薄れ、自分は孫兵である、という圧倒的なまでの自信を失わせている。

 今となっては孫兵という名に、勝敗を決定できるような力は無い。まだ誰もはっきりとそれを悟っては

いなかったようだが、確実にその変化は孫兵の心に及んでいた。

 それが知らず知らずの内に、篭城に徹するという心を生み出したとも言えるのかもしれない。

 今までの孫であれば、常勝不敗の孫であれば、例え劣勢であるとはいえ、こうも消極的な策は採らなか

っただろう。もし東方から援軍が期待出来たとしても、座してそれを待つような事はせず、積極的に攻勢

を仕掛けていた筈だ。

 より勝利への道を確かにする為には、その力と心を惜しまない、それが孫である。

 東方からの援軍が期待できるかも疑問である今、それはあまりにも消極的な姿勢だ。

 孫の敗北は、おそらく東方の残党勢力にも大きな効果を及ぼす。今まで仕方なく孫に従っていた元独立

勢力達も息を吹き返す、吹き返そうとする可能性が生まれる。

 王族は滅ぼされていたとしても、その国が在ったという事実はまだ人々の記憶の中に残されている。で

あれば、その名を核として不思議な愛国心が生まれたとしても、おかしくはない。

 皆孫が強いからこそ従ってきた。いずれ孫が大陸を統一すると思えばこそ、傲慢でさえある孫のやり方

にも仕方なく従ってきたのである。

 だからもしそうではなくなる可能性が見えたとしたら、或いは孫も今までの多くの勢力同様滅ぼされる

かもしれないという当たり前の現実を思い出したとしたら、今までのようには居られまい。全ての民の心

に、確かな変化が起こる筈である。

 孫文が居ればそのような不安は消し飛ばされてしまうだろうが、孫文は中央から動けない。おそらく中

央から窪丸へ侵攻する軍も、孫文自身ではなく、配下の将が率いている筈である。窪丸方面に本拠を移動

している可能性はあるが、孫文は西方から目を離す事が出来ない。自ら軍を率いて窪丸へ侵攻したり、東

方へ移るなどは持っての外だ。

 そんな事をすれば西方に余力を与えてしまう。西方へかけている圧力を緩める事は得策ではない。北方

での戦いに負けた今、それは尚更出来ない事であろう。今孫の最も大きな敵は西方大同盟である。孫文と

しても西方との均衡(きんこう)を崩したくはない。それは孫文の戦略の崩壊を意味する。

 孫文は全てに勝利する事を前提に戦略を立てている。東方から北方、中央から窪丸、中央から西方、と

戦力を三分したのも、全てに勝利できると考えていたからだろう。その確信があったからこそ、兵力を三

分するという愚を冒(おか)す事をためらわなかったのだ。

 確かに北方を制圧できれば、西方に送られていた豊富な食料と物資の流れを断ち切り、その上、今度

はそれらを孫がそっくり貰い受ける形になる。そこまで上手く行かないとしても、孫が北方へ侵攻してい

る限り、北方から西方への供給は減り、西方の力も衰えるしかなくなる。

 そうなれば回り道にはなっても、結果として孫にとっては楽な道となる。そうして楽になればなるほど

犠牲が減り、後の統治は楽になり、それだけ磐石(ばんじゃく)に政権を保つ事が出来るようになる。

 大陸制覇後の事まで考え、より余力を残しつつ統一を成し遂げようと思わなければ、初めから西方に戦

力を集中し、多くの犠牲を払ってでも強引に西方を奪い、その上で北方へと攻めたであろう。

 それをしなかったのは犠牲を減らす為と、それ以上の自信があったからである。兵力を分散するという

愚を冒しても、孫は勝利し続けられるという自信があった。だから後の事まで考えて、無茶とすら言える

策を採った。

 西方を押さえつつ、窪丸と北方を奪う。それが出来れば、後は実が熟して落ちるように、自然に大陸は

孫文の手中に収まった事だろう。

 しかしその目論見が無残に崩れてきている。斉孫は破れ、斉をも奪われ、あろう事か東方への侵攻を許

そうとしている。この事態を孫文はどう考えるだろう。

 もしかしたら窪丸の勝利だけでも確実にしようと考え、予想を裏切って自ら出陣するのだろうか。短期

間で落し、すぐに西方へ戻れば、西方への圧力を減じずに済むのだと。

 それをされれば窪丸は窮地(きゅうち)に陥る。しかしその隙を西方が見逃す筈が無い。やはり孫文は

動けないだろう。もし動いたとしても、孫文は墓穴を掘る事になる。

 初めて孫文が後手に回っている。常に攻撃を仕掛け、常に先手を取っていた孫文が、まるで全てを掌の

上で操っていたように思える彼が、今後手に回らなければならなくなっている。孫文はもう今までのよう

ではないと考えを改めるだろうか。それとも何を小癪(こしゃく)なと変わらない自信を漲(みなぎ)ら

せているのだろうか。

 あらゆる事が変わっていく。それは目に見えず、感覚でさえ察する事が困難であるが、確かに何かは変

わっている。誰が認めようと認めまいと、それははっきりしていた。

 流れは変わり始めた。趙起はその事を確信している。例え孫文であれ、それを止める事は出来ないだろ

うと。



 趙起軍は営丘から数キロ離れた位置に布陣している。出来れば営丘を包囲したい所だが、今の兵数では

大した効果は望めない。中途半端にそれをするよりは、少し引いて兵を休ませた方がいいだろう。敵を前

にして気を休められる訳もないが、休の疲労は回復する。

 怪我人の多い趙起軍にとって、この時間は何よりもありがたかった。もしかしたら趙深もそれを見越し

て進軍を急がないのかもしれない。趙深軍が到着する頃には、程好い休息が取られているようにと。

 そこまで言えば出来すぎな気がするが、そこまで考えていてもおかしくはない。でなければ、無理にで

も急いだ筈である。それをせず時間をかけたという事は、それだけの理由があったという事だ。無意味に

時間をかけるという事は、こと趙深に対してはありえない話である。彼も時間の尊さは身に染みて知って

いる。

 何しろ窪丸へ孫軍が侵攻しているのだ。例え楚から援軍を送っているとは言っても、本音は少しでも早

く斉を押さえ、窪丸にもっと多くの兵と食料物資を送りたいと思っている筈。それなりの理由がなければ、

こうもゆったりと構えていられまい。

 しかしそう考えても、趙深は余りにものんびりしすぎている。

 例え楚への侵攻軍を撃退したとはいえ、それは第一関門を突破したに過ぎない。不安要素はまだ無数に

あり、あまり時間をかければ孫が力を取り戻すかもしれない。

 時間と言うものが全ての生命に等しく訪れるものであるとすれば、得られる恩恵もまた等しい筈。時間

を与えれば孫文が新たな策を練ってくるかもしれないし、孫文に圧力を加えた事もやぶへびとなりかねな

い。利点を利点として使い続けられるかどうかは、その後の行動に寄るのだから、一時の変化に過剰な期

待を持つのは危険であろう。

 本当にこれで良いのか。

 趙起は自分の中に焦りを見た。

 こうして悩むのも、その焦りからだろうし。何処か落ち着かないのもその所為だろう。負ければ負けた

だけ、勝てば勝っただけ、人は悩みを持つ。どちらにせよ、決して心が晴れる事はないのだ。

 敗北という衝撃を与えられたのは良いが、それを糧にされてしまう可能性も当然あるし、むしろ怒りに

燃えた孫文が、その全力を持って反撃してくると考える方が自然である。

 その上自分がその勝利に対して、焦りのような気持ちを抱いている。これでは何の為の勝利であるか解

らない。むしろ勝利が重荷になっているように思う。

 相手に敗北という圧力を加える為には、まず自分が勝利したという事に自信を持たなければならない。

自分が強く意識して初めて相手にもそれを意識させる事が出来るのだから、趙起が自らの勝利を持て余し

ているようでは、孫に何らの効果も与えられない。

「勝利の後こそ、気を引き締めねばならぬ」

 勝利する事より、むしろ勝利してからが将器を試される時。

 趙起は気分を落ち着かせ、なるべくそういう余計な気持ちを意識しないよう勤めた。

 それに囚われてはならない。自然に落ち着くように持っていく事が重要である。肝心な事は、その悩み

に執着しない事であろう。全ての気持ちを呑み込んでしまわなければならない。



 ようやく趙深軍が到着する。趙起に遅れる事五日、それでも趙進軍の兵の顔には疲労の色が濃い。のん

びりしているように思えても、彼らは彼らで必死に急いだのだろう。それでも時間をかけただけの成果は

あったのか、死傷者の数は少ない。

 その数は四千。総兵力としては六千程あるらしいのだが、各地の平定の為、要所要所に守備兵を置き、

その為に四千まで減ったらしい。これに趙起軍を加えれば五千を超える。敵の兵質と士気の低下、そして

その本拠としている営丘の民から信頼を得ていないだろう事を考えれば、悪くない数である。

 問題となるのは営丘の民がどう動くのか。兵力に決定的な差がない以上、後は第三勢力とでも言うのか、

民の意志が大きく勝敗に作用する事になろう。

 孫への畏怖心がただの憎しみへと変わっているのであれば、この機会に蜂起しようと企む者が出てもお

かしくはない。むしろそれは自然の流れである。なにしろここは斉の首都でもあるのだ。孫は王族以外の

者であれば重用する。孫が安泰であればそれで良かったかもしれないが、その勢威が落ちた今、彼らがい

つまで素直に従っているだろうか。望んで孫に付いた者の方が、遥かに少ないというのに。

 こういう点を考えても、孫は傲慢であった。勝利が当然であるが故に、国の統治にしても常に勝ち続け

る事を前提にして考えられている。つまり一度破れれば、その全て、とまではいかないが、重要な基盤に

罅(ひび)が入る事になる。

 営丘に篭る孫兵は尚更不安を感じている筈だ。彼らは追い込まれている。ここまで孫が追い込まれた経

験というのは、今までに無かったのではないか。

 確かに孫も孫文一代で大きく飛躍した勢力であるから、その中に危機や苦悩が無かったとは言わない。

しかしそういう苦悩の記憶を持つ者は、今はもう少ないであろう。今の孫には孫に滅ぼされ仕方なく、或

いは望んでその下に付いた者の方が多く、だからこそその大半は孫としての敗北の味を知らない。

 当たり前のように勝利し、勝利に酔い続けてきた。だが今懐かしき敗北の味に触れ、昔味わった存亡の

危機を思い出し、その酔いから醒(さ)める時が、すぐそこまで近付いているのではないか。

 身も心も孫に染まっているとしても、それは永遠に剥げないものではない。孫に染まったように、今ま

た別のものに染められるとしても、何ら不思議は無い。

 孫と一口に言っても、その内情は複雑だ。孫文という巨大な存在が居るからこそ、全て等しくその下に

居るからこそ、上手くまとまっていられるが。そこにはいつ分裂してもおかしくない、烏合の衆に似た部

分も多く持つ。

 孫もまた、短期間に肥大する事から生まれる歪(ひずみ)を消す事は出来ない。

 だからその事を驕(おご)りという愚かな心で忘れるような事があれば、孫という形だけの組織に対し、

深刻な打撃が加えられる事になるだろう。

 しかしその時が今であるという保証も無い。営丘の民の心が、今は確かに北方同盟が優勢であるが、し

かし窪丸へ侵攻している軍も居る事だし、東方にもまだまだ多くの軍勢が居る、結局最後に勝つのは孫で

はないか、という方向へ傾けば、死力を尽くして孫の為に働くという事も、充分考えられる。

 趙軍と営丘、その兵力差は決定的ではない。例え孫軍の実情が怪我人ばかりの寄せ集めだったとしても、

四千も居ると考えれば、孫への恐怖が衰えない可能性も大きいのである。

 孫もまた必死に民へと工作するであろう。

 果たして営丘の民の心がどう転ぶのか、それを予測する事は不可能であり、その時にならなければ解ら

ない事である以上、そこからくる不安と恐怖を消す事も決して出来なかった。

 趙深が来た事でいくらかはほっとしたものの、勝利への道程が困難である事は変わっていない。

 激戦は続く。




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